分類:歴
いわき市鹿島町を歩こう ①
延喜式内社 鹿島神社
《実際に旧、鹿島街道沿いの史跡を視察した会員たち》
〈はじめに〉
いわき市鹿島町は昭和40年代に小名浜=平線(通称、鹿島街道)が開通したのと同時に俄かに脚光を浴びて、いわき市の交通・商業の要所としてなくてはならないほどの発展を遂げてきました。
そういう中で鹿島地域には古くから名所・旧跡が点在している文化的資産が数多くあることも忘れてはなりません。そこで地元の方や、鹿島に興味や関心のある方たちによって平成18年に鹿島公民館の「郷土の歴史を学ぶ」講座が始まり、その延長線として「鹿島歴史の会」を発足継続して現在に至っています。
会員が積極的な活動を行い毎年行われる 「鹿島公民館まつり」 にも鹿島に関する記録を展示しています。
これらの資料も豊富になってきたところで当ブログから、広く鹿島の魅力と歴史と伝統を伝えていきたいと思います。
一緒に鹿島町を散策しているような気分で、気軽にご同行ください。それでは、 いざ、出発!!
《鹿島の地名のもとになった鹿島神社》
鹿島町は明治22年3月まで12の村からなっていましたが翌、4月を以って併合して鹿島村になりました。当地に鎮座する延喜式内鹿島神社(郷社)の社号によって新しい村名が誕生したのです。
かつての12村とは、御代・船戸(幕領)、上蔵持・下蔵持・久保(湯長谷藩領)、飯田・走熊・米田・三沢・松久須根・下矢田・上矢田(平藩領)です。
昭和29年に磐城市の発足と同時に、上矢田・松久須根・三沢地区は常磐市に編入したために、現在では鹿島町の地名は付いていません。 〈一例・いわき市常磐上矢田町……といった具合〉
しかし、「鹿島」を語る時には元の鹿島12村全体を「鹿島町」と位置付けて進めていかないと、ややこしくなるので「鹿島」と出た際には現在の12地域を総括してという意味で解釈して下さい。
《鹿島神社の上り口にある鳥居》
この鳥居は、車で鹿島街道を平から小名浜方面へ向かって走行している途中の左側に見えます。
新常磐交通バスの 「鹿島神社前」 という停留所もあります。
いわき市鹿島町を歩こう ①
延喜式内社 鹿島神社
《実際に旧、鹿島街道沿いの史跡を視察した会員たち》
〈はじめに〉
いわき市鹿島町は昭和40年代に小名浜=平線(通称、鹿島街道)が開通したのと同時に俄かに脚光を浴びて、いわき市の交通・商業の要所としてなくてはならないほどの発展を遂げてきました。
そういう中で鹿島地域には古くから名所・旧跡が点在している文化的資産が数多くあることも忘れてはなりません。そこで地元の方や、鹿島に興味や関心のある方たちによって平成18年に鹿島公民館の「郷土の歴史を学ぶ」講座が始まり、その延長線として「鹿島歴史の会」を発足継続して現在に至っています。
会員が積極的な活動を行い毎年行われる 「鹿島公民館まつり」 にも鹿島に関する記録を展示しています。
これらの資料も豊富になってきたところで当ブログから、広く鹿島の魅力と歴史と伝統を伝えていきたいと思います。
一緒に鹿島町を散策しているような気分で、気軽にご同行ください。それでは、 いざ、出発!!
《鹿島の地名のもとになった鹿島神社》
鹿島町は明治22年3月まで12の村からなっていましたが翌、4月を以って併合して鹿島村になりました。当地に鎮座する延喜式内鹿島神社(郷社)の社号によって新しい村名が誕生したのです。
かつての12村とは、御代・船戸(幕領)、上蔵持・下蔵持・久保(湯長谷藩領)、飯田・走熊・米田・三沢・松久須根・下矢田・上矢田(平藩領)です。
昭和29年に磐城市の発足と同時に、上矢田・松久須根・三沢地区は常磐市に編入したために、現在では鹿島町の地名は付いていません。 〈一例・いわき市常磐上矢田町……といった具合〉
しかし、「鹿島」を語る時には元の鹿島12村全体を「鹿島町」と位置付けて進めていかないと、ややこしくなるので「鹿島」と出た際には現在の12地域を総括してという意味で解釈して下さい。
《鹿島神社の上り口にある鳥居》
この鳥居は、車で鹿島街道を平から小名浜方面へ向かって走行している途中の左側に見えます。
新常磐交通バスの 「鹿島神社前」 という停留所もあります。