いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわき市鹿島町を歩こう⑤

2015-07-20 07:05:29 | Weblog
                               分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう    
   天明飢饉の墓石                     
                       場所 : いわき市鹿島町御代

 旧、鹿島街道の御代(源太すしの脇道を入って行った左側)の山側に2基の墓石が並んで立っています。注目すべきは左側の墓石で、天明三年と明記してあります。
           
              天明飢饉で亡くなった人の墓石

〈左の墓石〉 寛政八辰二月一八日 (梵字) 壽光妙照信女 慈観妙心信女 往識實性信士
       心 天明三卯八月五日←重視箇所 
天明の飢饉で亡くなった人の墓石で、裏に置かれてあった塔婆の文字から当時の悲惨さを物語っています。
 天明の飢饉(1781~89)は、有史以来の大量死を記録した飢饉で、長期間に亘って全国で天候の不順や転変地変が続きました。人々の間ではこの世の終わりかと騒ぎ立てるほどでした。
 特に東北地方では冷害で壊滅的被害を受け、おびただしい餓死者を出しました。
 天明三年(1783)には浅間山が大爆発を起こし、東北地方の冷害に追い打ちをかけ大凶作に拍車をかけたのでした。

            《供養の塔婆に書かれた文字がが生々しい

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