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金峰山圓福寺 場所 : いわき市常磐上矢田町寺ノ作41
宗派 曹洞宗
本尊 上品(じょうぼん)阿弥陀如来坐像(木造寄木造)恵心僧都作
創立 天文23(1549)年
檀家 常磐上矢田町、鹿島町下矢田、平、小名浜、その他近隣170世帯
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《鹿島街道から見た圓福寺の遠景》
現在の、いわき地方を支配していた岩城氏は大舘城を大本家として、およそ四十八舘を置き、その一つに中山舘(現・中央台飯野)がありました。
文明時代、中山領主に嗣子がなかったため大本家、岩城下総守常隆の二男を養子として迎え、中山讃岐守隆吉と名乗らせました。
その後、隆吉は三春常盤の城を攻め落としますが、不運にも帰陣の際に流れ矢を胸に受けて落命しました。
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《圓福寺の本堂》
隆吉の隻袖(せきしゅ=夫人)は深く夫君の亡跡を弔うため、圓福寺の僧に追福を乞うたという記録があります。松久須根に草庵を建て、夫君の守り本尊を安置して専称庵と名付け、日夜夫君の冥福を祈りました。 享年七十五歳。
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《歴代和尚の名が刻まれた碑は墓地内にある》
圓福寺を開山した芳賢大和尚は、永禄十二(1569)年に六十九歳で辞世しました。
現在の住職は圓福寺第三十二世、三田仙芳大和尚です。