分類:歴
「鹿島」 が一時なくなった
鹿島村は、昭和28年(1953)戦後の町村統合に即して石城郡小名浜町に統合合併したが、昭和29年の磐城市になるまでは住居表示から「鹿島」という文字が消滅してしまった時期がある。
それまで「石城郡鹿島村大字○○字○○」だったものが「石城郡小名浜町大字○○字○○」と変更になった為に「鹿島」の表示が不要になってしまったからだった。
《湯ノ嶽を遠くに見た鹿島の長閑な風景》
昭和27年頃から町村合併が繰り返し行われるようになり、市名や地名がコロコロと変更されて石城(いわき)郡、磐城市(一部地域が常磐市に編入)、そして昭和41年(1966)に14市町村(5市4町5村)が合併して、現在の「いわき市」が誕生した。
《稲作は手植え、手刈りでハセギに掛けて稲干しをした》
当時の鹿島を総じていうと、上矢田を源流とする矢田川と、蔵持地区を横断してきて矢田川に合流する蔵持川の両岸に水田を持つ純粋な農村地帯だった。
昭和38年の新産業都市指定前後から、まず船戸地区に団地が造成され、道路の整備と共に大型商店の進出、食堂・レストランなどの建設ラッシュが始まった。
更に県道48号線(常磐・江名線)もこの地を通り、鹿島街道を交差する交通上の要衝となって「鹿島」の名前が消えて無くなっていたというのは嘘のようだ。
「鹿島」 が一時なくなった
鹿島村は、昭和28年(1953)戦後の町村統合に即して石城郡小名浜町に統合合併したが、昭和29年の磐城市になるまでは住居表示から「鹿島」という文字が消滅してしまった時期がある。
それまで「石城郡鹿島村大字○○字○○」だったものが「石城郡小名浜町大字○○字○○」と変更になった為に「鹿島」の表示が不要になってしまったからだった。
《湯ノ嶽を遠くに見た鹿島の長閑な風景》
昭和27年頃から町村合併が繰り返し行われるようになり、市名や地名がコロコロと変更されて石城(いわき)郡、磐城市(一部地域が常磐市に編入)、そして昭和41年(1966)に14市町村(5市4町5村)が合併して、現在の「いわき市」が誕生した。
《稲作は手植え、手刈りでハセギに掛けて稲干しをした》
当時の鹿島を総じていうと、上矢田を源流とする矢田川と、蔵持地区を横断してきて矢田川に合流する蔵持川の両岸に水田を持つ純粋な農村地帯だった。
昭和38年の新産業都市指定前後から、まず船戸地区に団地が造成され、道路の整備と共に大型商店の進出、食堂・レストランなどの建設ラッシュが始まった。
更に県道48号線(常磐・江名線)もこの地を通り、鹿島街道を交差する交通上の要衝となって「鹿島」の名前が消えて無くなっていたというのは嘘のようだ。