分類・歴
三沢館跡から遺物を発掘
〈現在の地名〉 いわき市常磐三沢町 日吉下・館下
昔から三沢館(みさわだて)と呼ばれてきた所があったが、常磐バイパスがこの付近を通るようになって磐城国道事務所の委託を受けて、財団法人いわき市教育文化事業団が遺跡の調査を行った結果、幾つかの住穴や土穴、土杭などが見つかった。
これを学術的な呼称としては「日吉下遺跡」という。
南から北に延びる丘陵先端部に位置して主峰の標高は48メートル、麓から主峰までの比高差は約37メートルで、丘陵北側の眼下に三沢川が東流している。
《日吉神社》
場所的には常磐バイパス(国道6号線)と、県道(48号線)湯本~江名港線が交差する地点の至近距離にあり、山林と日吉神社の境内地に位置していた。
検出遺物には国産および舶載陶磁器、土器、白銅製端花双鳥五花鏡、泥塔などがある。
《高台にある境内から常磐バイパスが見える》
平安時代に三沢の地になぜ、戦争に備える館が必要であったのか、実際に合戦があったかどうかは不明だが、恐らく平時は辺りの集落で農耕作業などをしていた人々が、いざ合戦となるとこの館に籠って、攻め来る敵と戦ったのであろう。
遺物から三沢館の機能した主要時期は15世紀代と考えられ、館主は伝承では四家氏といわれる。
三沢館跡から遺物を発掘
〈現在の地名〉 いわき市常磐三沢町 日吉下・館下
昔から三沢館(みさわだて)と呼ばれてきた所があったが、常磐バイパスがこの付近を通るようになって磐城国道事務所の委託を受けて、財団法人いわき市教育文化事業団が遺跡の調査を行った結果、幾つかの住穴や土穴、土杭などが見つかった。
これを学術的な呼称としては「日吉下遺跡」という。
南から北に延びる丘陵先端部に位置して主峰の標高は48メートル、麓から主峰までの比高差は約37メートルで、丘陵北側の眼下に三沢川が東流している。
《日吉神社》
場所的には常磐バイパス(国道6号線)と、県道(48号線)湯本~江名港線が交差する地点の至近距離にあり、山林と日吉神社の境内地に位置していた。
検出遺物には国産および舶載陶磁器、土器、白銅製端花双鳥五花鏡、泥塔などがある。
《高台にある境内から常磐バイパスが見える》
平安時代に三沢の地になぜ、戦争に備える館が必要であったのか、実際に合戦があったかどうかは不明だが、恐らく平時は辺りの集落で農耕作業などをしていた人々が、いざ合戦となるとこの館に籠って、攻め来る敵と戦ったのであろう。
遺物から三沢館の機能した主要時期は15世紀代と考えられ、館主は伝承では四家氏といわれる。