史跡の七本松は昭和五十年に道路拡張による伐採が行われて、現在では近くの鹿島公民館に三代目としての若松七本が植樹されています。
その若松と共に、昭和のはじめに鹿島村の村長として二期八年を勤めた下蔵持の故、志賀直哉氏の碑文があるので紹介します。
(表)史跡 七本松 (福島県知事 伊藤武彦・書)
(裏)由来
七本松ハ昔時田村麻呂将軍東夷征伐ノ途上三叉点の要路ナル所以ヲ以テ七本松ヲ植樹サレタルモノト傳フ樹齢一千年ヲ数フル名樹タリ其後戊辰由ノ役ニハ東軍亦此処ニ拠シテ対戦セリト云フ当時迄ハ丈餘ノ廻リヲ有スル老松五本ノ生木セルヲ見タルカ其後落雷ニ害サレ又老樹自然ニ枯死セルモノ交々至リ昨十一年迄僅カニ一樹残リテ其影ヲ偲ハシメタルモ今ヤ全ク其跡ヲ絶チ只ニ呼称ノミニ止ムルハ甚タ遺憾ニ堪ヘズ茲ニ本村住民ノ篤志ニ愬ヘ此形跡ヲ永遠ニ遺スモノ也
昭和十二年六月一日 鹿島村長 志賀直哉 述
七十五翁 吉田正義 書
(表)史跡七本松移転之碑(福島県知事 木村守江・書)
(裏)史跡七本松は古くより地域住民に親しまれてきたが常磐江名港線道路改良工事により移転せざるを得なくなりこの史跡を後世に永く保存するため五十米東方の地点より現在地に移転したものである。
昭和五十年三月 鹿島地区区長会
史跡七本松保存会
その若松と共に、昭和のはじめに鹿島村の村長として二期八年を勤めた下蔵持の故、志賀直哉氏の碑文があるので紹介します。
(表)史跡 七本松 (福島県知事 伊藤武彦・書)
(裏)由来
七本松ハ昔時田村麻呂将軍東夷征伐ノ途上三叉点の要路ナル所以ヲ以テ七本松ヲ植樹サレタルモノト傳フ樹齢一千年ヲ数フル名樹タリ其後戊辰由ノ役ニハ東軍亦此処ニ拠シテ対戦セリト云フ当時迄ハ丈餘ノ廻リヲ有スル老松五本ノ生木セルヲ見タルカ其後落雷ニ害サレ又老樹自然ニ枯死セルモノ交々至リ昨十一年迄僅カニ一樹残リテ其影ヲ偲ハシメタルモ今ヤ全ク其跡ヲ絶チ只ニ呼称ノミニ止ムルハ甚タ遺憾ニ堪ヘズ茲ニ本村住民ノ篤志ニ愬ヘ此形跡ヲ永遠ニ遺スモノ也
昭和十二年六月一日 鹿島村長 志賀直哉 述
七十五翁 吉田正義 書
(表)史跡七本松移転之碑(福島県知事 木村守江・書)
(裏)史跡七本松は古くより地域住民に親しまれてきたが常磐江名港線道路改良工事により移転せざるを得なくなりこの史跡を後世に永く保存するため五十米東方の地点より現在地に移転したものである。
昭和五十年三月 鹿島地区区長会
史跡七本松保存会