上り列車が終着の上野駅に到着すると車内から人が雪崩のように押し出されてくるのはどのホームも同じだが、下り線の列車には空席が目立つ。
発車時間までには未だ十分ほどの余裕があるので和起も車内に入ってホーム側の座席に二人は腰掛けた。
「この中に弁当が入っているから後で食べたらいいよ。本もあるから退屈したら読みな」和起がキクの手元に紙袋を渡した。
「うん、有難う。まだ見習の身で給料も碌に貰っていねえべのに今度ばかりは随分と世話を掛けちまったなあ」
キクは申し訳なさそうにして感謝の意を表した。
「そんなの気にしなくていいから。今回はオレが店に入って四年目を迎えた祝いで婆ちゃんを呼んだんだから。本当ならばもう少しの間居てもらって、はとバスで銀座や浅草あたりを案内してやりたかったんだけど、結局何もできない儘でご免ね」
「駄目だ駄目だ、そんなに長居してたら按配悪くなっちまうよ」
キクは手を横に振りながら笑った。
仙台行き列車の発車時間が迫ってきて、和起はホームに出てキクのいる窓側へ寄っていった。
「婆ちゃん、元気でいるんだよー。今度オレが田舎へ行く時は本当に婆ちゃんを迎えに行く時だと思っていいからなあ」
「うん、その時がくるのを楽しみに待っていっから」
キクは素直に和起を見ながら頭を下げた。
発車のベルが鳴り響き終わると、列車は緩やかな曲線を描いた線路を惰性を付けながら和起から距離を置いていく。
キクの上京は和起の就職四年目をむかえて、節目の祝いだったことは確かだがキクにとってもこれで一つの区切りがついたから後は思い残すことは何もないと思った。
和起に旅館での朝、健康上のことで指摘されたときは不意を突かれて狼狽仕掛かったが何とか擦り抜けて誤魔化せたとは思ったが、キクは最近になって断続的ではあるが微熱が出る症候があり、身体が気だるい自覚がある。
最初のうちは風邪でも引いたのだろうと思っていたが、いつになっても一向に治る気配もなく微熱が出る間隔は狭まっていくばかりなのだ。
あの時に余程、和起にその症状を明かしてみようかと思ったが悪戯に和起を心配させるだけだと考えると、どうしても口にすることはできなかった。
キクは自分が寝込んだら最後だという一抹の不安と覚悟を抱くようになったのは極めて最近のことだ。だから今回、和起に逢える機会に恵まれたことは、なぜか言い表しようのない感激と満足感を得たように思えた。
和起は就職してから随分と大人になったと思うし、もともと弱音を吐くような子ではなかったからこれから先、道程は長くても必ず自分の目的は果たすだろうと考えながら、キクはいつの間にか頬に流れ出た涙に手拭を押し当てた。
汽車は山間と海岸沿いを縫うようにして、黒煙を上げながら北へ向かって走行を続けた。 (完)
発車時間までには未だ十分ほどの余裕があるので和起も車内に入ってホーム側の座席に二人は腰掛けた。
「この中に弁当が入っているから後で食べたらいいよ。本もあるから退屈したら読みな」和起がキクの手元に紙袋を渡した。
「うん、有難う。まだ見習の身で給料も碌に貰っていねえべのに今度ばかりは随分と世話を掛けちまったなあ」
キクは申し訳なさそうにして感謝の意を表した。
「そんなの気にしなくていいから。今回はオレが店に入って四年目を迎えた祝いで婆ちゃんを呼んだんだから。本当ならばもう少しの間居てもらって、はとバスで銀座や浅草あたりを案内してやりたかったんだけど、結局何もできない儘でご免ね」
「駄目だ駄目だ、そんなに長居してたら按配悪くなっちまうよ」
キクは手を横に振りながら笑った。
仙台行き列車の発車時間が迫ってきて、和起はホームに出てキクのいる窓側へ寄っていった。
「婆ちゃん、元気でいるんだよー。今度オレが田舎へ行く時は本当に婆ちゃんを迎えに行く時だと思っていいからなあ」
「うん、その時がくるのを楽しみに待っていっから」
キクは素直に和起を見ながら頭を下げた。
発車のベルが鳴り響き終わると、列車は緩やかな曲線を描いた線路を惰性を付けながら和起から距離を置いていく。
キクの上京は和起の就職四年目をむかえて、節目の祝いだったことは確かだがキクにとってもこれで一つの区切りがついたから後は思い残すことは何もないと思った。
和起に旅館での朝、健康上のことで指摘されたときは不意を突かれて狼狽仕掛かったが何とか擦り抜けて誤魔化せたとは思ったが、キクは最近になって断続的ではあるが微熱が出る症候があり、身体が気だるい自覚がある。
最初のうちは風邪でも引いたのだろうと思っていたが、いつになっても一向に治る気配もなく微熱が出る間隔は狭まっていくばかりなのだ。
あの時に余程、和起にその症状を明かしてみようかと思ったが悪戯に和起を心配させるだけだと考えると、どうしても口にすることはできなかった。
キクは自分が寝込んだら最後だという一抹の不安と覚悟を抱くようになったのは極めて最近のことだ。だから今回、和起に逢える機会に恵まれたことは、なぜか言い表しようのない感激と満足感を得たように思えた。
和起は就職してから随分と大人になったと思うし、もともと弱音を吐くような子ではなかったからこれから先、道程は長くても必ず自分の目的は果たすだろうと考えながら、キクはいつの間にか頬に流れ出た涙に手拭を押し当てた。
汽車は山間と海岸沿いを縫うようにして、黒煙を上げながら北へ向かって走行を続けた。 (完)