アジアと小松

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小松基地問題研究会

20211222 尹奉吉と日本ナショナリズム

2021年12月22日 | 尹奉吉義士
 尹奉吉と日本ナショナリズム

 今年(2021年)は雪で、野田山での尹奉吉義士追悼会は中止になりました。

 昨年(2020年)8月24日付『朝日新聞』のインタビュー記事で、Aさん(尹奉吉の研究者)は「私にはそれ(注:尹奉吉を顕彰)はできない。でも、あなた(在日朝鮮人)が彼を英雄として顕彰することは否定しない」と結んでいます。30年前に、尹奉吉暗葬碑の碑文を検討する会議で「義士」論争があり、それから30年を経た今も、私たちはナショナリズムを克服できていないのではないでしょうか。

「義士」論争の発端
 1992年9月に、「ユン・ボンギル暗葬地跡を考える会」が発足し、「暗葬之跡碑」建設カンパが呼びかけられ、日韓(朝)の市民数百人から500万円を超えるカンパが寄せられ、12月19日に碑の除幕式がおこなわれました。7月に「暗葬碑」に刻む文言について検討され、「尹奉吉義士暗葬之跡」と刻む事になりましたが、結論に至る議論を、Hさん(朝日新聞記者)は『キョレイ・トンシン(同胞通信)』(1997年、第4号、石川県立図書館蔵書)のなかで、以下のように述べています。

 その「義士」が問題だった。歴史的事実を説明するのに主観的な肩書きは不要というものがいるかと思えば、いや「将軍」や「元帥」などの肩書きと同じだというものがいる。そこへ「さん」付けがよいと口を挟むものがいて、「先生」はどうかという者がおり、韓国では「義士」があたりまえと忠告するものがいる。 
 日本で「義士」と言えば赤穂義士しかいないという物知りが出現し、いやあれは「浪士」ではなかったかとの異論が生じ、宗教的立場から「聖人」と呼ぶ人が決まっている以上、「義士」とは呼べないと述べるものあり。
 「義とは何ぞ」「士とは何ぞ」の議論まで、遡る。と思えば、そっとあたりを伺い、声をひそめ、ただひと言、「義士と書かないならば碑なんか建てる必要などない」と、耳打ちする者がいる。それでも「よい暴力」を認めない者には爆弾が耐えられない。
 ところが非暴力闘争で有名なわがガンジー先生によれば、「卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている」ということになる。「私が瀕死の暴行を受けたときに、長男がその場に居合わせたとしたら、私は息子に暴力に訴えてもわしを護るのが彼の義務であると語っただろう」とガンジー翁は言う。
 日本はどうやって朝鮮を植民地にしたのでしょう。それに反対した3・1独立運動をどうやって弾圧したのでしょう。土地を失った人はどこへ行ったのでしょう。ユン(尹奉吉)はいつ、どこで、誰に向かって爆弾を投げたか。貴方は彼をどう呼びますか。


国際主義こそ基準
 「義士論争」については、朴仁祚さんから聞いていました。当時の私にとっても、たしかに、「義士」といえば、「赤穂義士」がパッと頭に浮かぶほど、「義士」という言葉が「忠臣」という意味で普及していたこともあり、違和感がありました。しかし、当時の朝鮮人にとっては日帝の植民地支配から脱し、独立することは民族的悲願であり、帝国主義本国の人民が、尹奉吉のたたかいをナショナリズムだとして否定することは、植民地支配の継続を願うことになります。

 他方当時の日本人にとっては、他国を植民地支配し、侵略する日帝を許容するのか否か、その体制(植民地支配)に順応するのか否かが問われており、人間として生きる(自己解放)ためには、日本ナショナリズムを拒否し、インターナショナリズムに立たねば成立しませんでした。しかし、尹奉吉のたたかいに呼応し、死刑阻止を訴えたのは日本反帝同盟(半分以上が朝鮮の同志)ぐらいで、共産党も客観主義的に報道するにとどまっており、知識人にいたるや公然と問題にする人すらなく、秋田雨雀が日記のなかで「各新聞は昨日の出来事で一杯だ」とさじを投げ、判断停止状態でした。

 現代から、当時を見て、尹奉吉のたたかいは日帝の侵略と植民地支配を実体的に粉砕する援軍(友軍)であり、双手を挙げて歓迎し、合流すべきであり、尹奉吉がナショナリストであったとしても、私にとっては尊敬すべき人(「義士」「英雄」と呼ぼうが、呼ぶまいが)です。

 尹奉吉の戦いから90年、「義士」論争から30年後の今、「ユンはいつ、どこで、誰に向かって爆弾を投げたか。貴方は彼をどう呼びますか」という問いかけに、「私にはそれ(注:尹奉吉を顕彰)はできない。でも、あなた(在日朝鮮人)が彼を英雄として顕彰することは否定しない」という態度こそ、日本ナショナリズムにまみれているといわざるを得ません。

 その根っこには、朝鮮植民地支配の実体的な行為者としての日本軍を打倒することに、国際主義的な意義(自らの課題)を認めないという、まさに日本ナショナリズムがそこに横たわっているのではないでしょうか。

 かつて2013年1月にアルジェリア南部イナメナスの天然ガス採掘施設で発生した襲撃事件では、「日本人労働者が、なぜ、内戦の続くアルジェリアにいるのか」を問わずに、日本人労働者の殺害を捉えて、ナショナリズムが噴出したことを思い出します。

 尹奉吉の戦いこそ私たち日本人が国際社会で何をしているのかを見抜くための歴史的教訓であり、再び侵略の片棒を担がないという国際主義に立つための教科書ではないでしょうか。にもかかわらず、「尹奉吉は朝鮮人の英雄でしょ」と言って済ます態度は、ナショナリズムそのものであり、歴史から何も学ばない態度だと思います。



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