アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20230613 悲しい知らせー広瀬さんも

2023年06月14日 | 歴史観(聖戦大碑)
悲しい知らせー広瀬さんも

 6月10日、遠来の知人とともに、土地規制法の対象に指定された佐美送信所にむかった。竹内伊知さんが植えた桜並木も、花の季節が終わり、緑のアーチをくぐり抜けると、平坦な高台が現れた。麦の穂が黄金に色づき、ヒバリが天高く駆け上がり、忙しなく囀(さえ)ずっている。
 墓地の近くに、三本のやぐらが立ち、金網で仕切られた送信所がある。土地規制法が施行されれば、1キロ以内の接近が禁止されるところである。

 その3日後に、悲しい知らせが届いた。広瀬光夫さんが亡くなった。第3・4次小松基地爆音訴訟の原告団長を務めた、誠実な人だった。当時、広瀬さんは新聞料金集金の仕事をしており、ときどきその手伝いをして、ちょっとばかりのお小遣い(ガソリン代程度)をいただいていた。

 2000年に大東亜聖戦大碑問題が浮上したとき、広瀬さんの「芦城公園の平和塔について」という投稿が記憶に残っている。「聖戦大碑」も「平和塔」も侵略戦争を賛美する塔であり、①いかなる戦争宣伝も法律によって禁止される、②差別、敵対心又は暴力の扇動を構成するいかなる民族的、人種的又は宗教的憎悪の唱道も法律によって禁止される、という「国連人権規約20条」(日本も批准し、国内法に優先)に違反している。

芦城公園の平和塔について 広瀬光夫 
                    2001年11月4日 大東亜聖戦大碑問題資料集(2)
 昨年の稚松地区親老会の会合で、「芦城公園の平和塔を親老会として清掃するのは問題ではないか」という意見が出ました。
 芦城公園にある平和塔について調べてみると、1935年に戦没者の顕彰・慰霊のために建てられ、敗戦まで忠霊塔と呼ばれていました。この忠霊塔には戦死した若者の名前の下に「命」と書かれた位霊が納められ、「○○○の命(みこと)」と、神として扱われていました。この塔は天皇の命令で、アジア各国への侵略戦争に動員され、戦死した若者を神として祀り、国民にそのあとに続くよう促すために建てられた国家神道の宗教施設でした。

 忠霊塔は侵略戦争を賛美し、讃える塔であり、本来ならば、戦後のできるだけ早い時期に、国民の手で撤去されるべきところを、「平和塔」と書き換え、位霊を撤去することによって、「宗教施設ではない」ということにして、今日まで残されてきました。
 ところが1995年ふたたび3116名の戦死者に「○○○霊」と記した陶板が納められ、戦死者を英霊として祀るための顕彰・慰霊式がおこなわれ、平和塔は忠霊塔に逆戻りしました。

 稚松地区親老会はさまざまな思想信条をもった方が集まって作られている親睦会です。仏教、キリスト教、その他の宗教を信じている者、そして信じていない者、それぞれさまざまです。思想信条を越えて集まっている老親会を戦争を賛美する国家神道の施設の清掃に動員することは間違いであると思い、今年は私が意見を出しました。そこでは結論が出ず、あらためて質問書を作り、会長から返事をいただきました。「戦没者を英霊として賛美していない」「本年も例年通り実施する」「末端会員まで、意見や考えがまとまっていないので、次年度総会までに集約して対処する」という返事でした。

 そこで平和塔を管理している小松市福祉課に出向き、何点かについて尋ねてみました。福祉課の返事は「平和塔は小松市の所有である」「もともとは宗教施設だったが、戦後は平和のシンボルになった」「陶板は宗教的装具ではない。○○○霊は○○○様と同じだ。遺族会の希望で入れることを認めた」「平和塔のある敷地は、樹木は20万円で業者に、除草は5万円で遺族会に委託している」という返事でした。
 まったく納得のいかない返事です。広島、長崎、沖縄では「霊」などつけずに、名前だけを記しています。また小松では天皇のために戦死した人だけが記名されており、その他の戦争犠牲者を除外しています。これは靖国神社と同じ考え方で、同じ施設です。それを小松市が所有する平和塔でおこなわれていることは政教分離にも違反し、小松市として「英霊」を賛美しているということです。
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