聖戦大碑福碑建設-金沢市も共犯
9月16日、石川護国神社境内に聖戦大碑に続いてふたつ目の聖戦大碑副碑が着工された。侵略戦争と植民地支配を賛美する記念碑であり、決して許してはならない。着工に至る過程で、金沢市が建設に「待った」をかけることができる立場にありながら、逆に、「異議あり」の意見を無視して、「指導」と称して、建設に全面的に協力した。金沢市は侵略戦争を賛美し美化する記念碑建設のパートナーとなった。
経過
(1)9月16日、風致地区の石川護国神社境内で聖戦大碑副碑建設に着工した。風致地区での工作物の設置には金沢市の許可が必要であるにもかかわらず、聖戦大碑護持会(施主)は景観条例に基づく申請手続きをせずに着工した。
(2)市民からの通報により着工を知らされた金沢市景観政策課は建設工事にストップをかけるのではなく、容認し、事後手続きを「指導」した。
(3)9月15・21日、市議会で記念碑建設に関する質問が行なわれたが、市長は「形式が整っていれば許可する」、景観政策課課長は「申請があれば、早期に許可を出す」と積極的許可方針を打ち出した(実は、この時点ではすでに「許可申請」が出されていた)。
(4)9月22日、景観政策課、都市計画課、建築指導課、歴史建造物整備課、文化財保護課、みどりと花の課の課長(代理)が集まり対策会議を開催して、24日に許可を決定した。
問題点
(1)聖戦大碑副碑は侵略戦争と植民地支配を賛美・美化し、歴史を偽造し、平和を求める現代社会(憲法の平和主義、民主主義)を否定する記念碑である。
(2)景観とは「物理的な特性ではなく、物理的な特性から人が美的に何を感じ取るかという景観体験」(2009年2月25日 樋口忠彦景観審議会特別委員)であり、記念碑の大きさ、形、色彩などの物理的特性だけを基準にして建設許可を出してはならない事が確認されている。
(3)記念碑の重要な構成要件である碑文については「審査の対象ではない」として、碑文の審査を行なっていない。
(4)2009年2月25日の景観審議会では、事務局員から「各段階で景観審議会のご意見を聴く規定にしたい」と提案しながら、今回の決定過程では景観審議会を開かなかった。
(5)2001年8月14日、金沢市建設部長の「(聖戦大碑の)碑文のあり方は法的判断だけではなく、国際的な判断も必要であり、慎重を期すべきであった。今回の反省に立ち、類似の事例に対しては、より広い見地から慎重に判断」という約束を反古にした。
(6)金沢市はユネスコ創造都市(平和都市)をめざしていながら、ユネスコ憲章と相容れない聖戦大碑副碑建設を承認した。
金沢市の誤りを糾す
以上、金沢市は自らの約束を踏みにじり、聖戦大碑護持会のパートナーとなり、聖戦大碑副碑建設に許可を与えた。例えば、広島市内の平和公園や風致地区で、原爆を賛美する記念碑建設の申請があった場合、記念碑の大きさ、形、色彩などの物理的特性だけを基準にして建設許可を出すでしょうか。すなわち、聖戦大碑(物理的特性)を観て、人々が何を感じ取るのかという事を基準にして適否を判断すべきである。
フランスのパリにエッフェル塔が建てられたが、市民から反対の意見が巻き起こり、その後ふたつ目のエッフェル塔は建てられていない。金沢では、10年前に大東亜聖戦大碑が建てられ、市民から抗議の声が巻き起こり、石川県副知事は反省し、金沢市建設部長も今後類似の事案については慎重に判断すると約束しながら、10年後には再び聖戦大碑副碑の建設に許可を与え、金沢市は聖戦大碑副碑建設の共犯者の位置を占めた。
9月16日、石川護国神社境内に聖戦大碑に続いてふたつ目の聖戦大碑副碑が着工された。侵略戦争と植民地支配を賛美する記念碑であり、決して許してはならない。着工に至る過程で、金沢市が建設に「待った」をかけることができる立場にありながら、逆に、「異議あり」の意見を無視して、「指導」と称して、建設に全面的に協力した。金沢市は侵略戦争を賛美し美化する記念碑建設のパートナーとなった。
経過
(1)9月16日、風致地区の石川護国神社境内で聖戦大碑副碑建設に着工した。風致地区での工作物の設置には金沢市の許可が必要であるにもかかわらず、聖戦大碑護持会(施主)は景観条例に基づく申請手続きをせずに着工した。
(2)市民からの通報により着工を知らされた金沢市景観政策課は建設工事にストップをかけるのではなく、容認し、事後手続きを「指導」した。
(3)9月15・21日、市議会で記念碑建設に関する質問が行なわれたが、市長は「形式が整っていれば許可する」、景観政策課課長は「申請があれば、早期に許可を出す」と積極的許可方針を打ち出した(実は、この時点ではすでに「許可申請」が出されていた)。
(4)9月22日、景観政策課、都市計画課、建築指導課、歴史建造物整備課、文化財保護課、みどりと花の課の課長(代理)が集まり対策会議を開催して、24日に許可を決定した。
問題点
(1)聖戦大碑副碑は侵略戦争と植民地支配を賛美・美化し、歴史を偽造し、平和を求める現代社会(憲法の平和主義、民主主義)を否定する記念碑である。
(2)景観とは「物理的な特性ではなく、物理的な特性から人が美的に何を感じ取るかという景観体験」(2009年2月25日 樋口忠彦景観審議会特別委員)であり、記念碑の大きさ、形、色彩などの物理的特性だけを基準にして建設許可を出してはならない事が確認されている。
(3)記念碑の重要な構成要件である碑文については「審査の対象ではない」として、碑文の審査を行なっていない。
(4)2009年2月25日の景観審議会では、事務局員から「各段階で景観審議会のご意見を聴く規定にしたい」と提案しながら、今回の決定過程では景観審議会を開かなかった。
(5)2001年8月14日、金沢市建設部長の「(聖戦大碑の)碑文のあり方は法的判断だけではなく、国際的な判断も必要であり、慎重を期すべきであった。今回の反省に立ち、類似の事例に対しては、より広い見地から慎重に判断」という約束を反古にした。
(6)金沢市はユネスコ創造都市(平和都市)をめざしていながら、ユネスコ憲章と相容れない聖戦大碑副碑建設を承認した。
金沢市の誤りを糾す
以上、金沢市は自らの約束を踏みにじり、聖戦大碑護持会のパートナーとなり、聖戦大碑副碑建設に許可を与えた。例えば、広島市内の平和公園や風致地区で、原爆を賛美する記念碑建設の申請があった場合、記念碑の大きさ、形、色彩などの物理的特性だけを基準にして建設許可を出すでしょうか。すなわち、聖戦大碑(物理的特性)を観て、人々が何を感じ取るのかという事を基準にして適否を判断すべきである。
フランスのパリにエッフェル塔が建てられたが、市民から反対の意見が巻き起こり、その後ふたつ目のエッフェル塔は建てられていない。金沢では、10年前に大東亜聖戦大碑が建てられ、市民から抗議の声が巻き起こり、石川県副知事は反省し、金沢市建設部長も今後類似の事案については慎重に判断すると約束しながら、10年後には再び聖戦大碑副碑の建設に許可を与え、金沢市は聖戦大碑副碑建設の共犯者の位置を占めた。