goo blog サービス終了のお知らせ 

アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

(資料)インドネシア・スマラン戦時性奴隷事件被害者の証言(1)(2)

2014年04月08日 | 日本軍性暴力関係原資料
(資料)インドネシア・スマラン戦時性奴隷事件被害者証言(1)(2)
         国立公文書館所蔵の「法務省/平成11年度/4B-23-4915」及び「法務省/平成11年度/4B-23-4956」より
         (原資料は強制連行真相究明ネット提供)

軍・警察が関与したことの被害者の証言(1)
(02)Dさん グダンガン抑留所→慰安所「日の丸」
・16歳から30歳迄の者が10時迄に警察に呼び出された。

(05)Eさん ハルマヘラ抑留所→慰安所「スマランクラブ」
・2月23日…数名の日本人から訊問された。その中に井上盛男(スマラン憲兵隊)が確かにいた。
・(カナリーランでは)岡田といふ軍人がいて指導をしていた。

(09)Eさん ハルマヘラ抑留所→慰安所「日の丸」
・2月23日ハルマヘラキャンプに6名の日本人が来た。…刀を下げていたことだけは覚えている。

(14)Eさん ハルマヘラ抑留所→慰安所「日の丸」
・将校が居たが、之は後で聞くところに依ると、岡田少佐と云ふことであった。

(07)Gさん アンパラワ第4抑留所→慰安所「スマランクラブ」
・(2月25日に集められた我々に)質問をしたのは将校で、我々を選んだ。

(08)Jさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「双葉荘」
・(岡田少佐は)カナリーラーンの建物から慰安所に連行する指揮をとった。
・岡田少佐が内容は教えずに、一枚の紙に署名をさせた。岡田の指揮下に数名の慰安所主は我々を選び取った。

(10)Mさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「将校クラブ」
・軍人の監督下にあった。慰安所主蔦木が事務所で岡田から命令を受けているのをよく見受けた。
・2月22,3日(募集の日)石田大尉がいた。岡田にやらされたと語った。

(13)Lさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「将校クラブ」
・岡田という少佐に依り分けられて、私は…将校クラブに連れて行かれた。

(16)Jさん ムンチラン抑留所→マゲランの慰安所
・我々はジャワ人警部に連れられてキャンプに戻り、衣類を纏めた後、再び警察署に連れ戻された。

(28)Jさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・警察へ出頭を命ぜられ、一晩泊められ、

(29)Jさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・私の家へ巡査が「貴嬢はBodjong警察本署へ出頭せざるべからず」と印刷した紙を持って来た。憲兵隊の指示。

(31)Eさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・姉と共に警察へ行く。日本人の兵隊が2名居た。

(32)Aさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・スマラン市内のBodjong警察署に連行された。

(33)Lさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・制服を着た日本人が日本語で訓辞をおこなった。

欺罔による募集と強制連行に関する被害者の証言(2)
(02)Dさん グダンガン抑留所→慰安所「日の丸」
・何の仕事か知らされなかったが、日本人の為の仕事だと云って…連れて行かれた。
・娘の母や他の婦人が騒ぎ出したが、日本人は巡査に命じて、サーベルで追い払はれた。

(09)Eさん ハルマヘラ抑留所→慰安所「日の丸」
・私は何処へ行くのか尋ねたら、その日本人は怒って「判っている」と云った。
・会長も何も目的については聞かされていなかった。

(14)Eさん ハルマヘラ抑留所→慰安所「日の丸」
・日本語で書かれた書類に署名させられたが、内容を訊ねると、「まあ、署名せよ」と云はれた。

(07)Gさん アンパラワ第4抑留所→慰安所「スマランクラブ」
・日本人はスマランへ行くと云ったきり、それ以上は何も説明をしなかった。

(12)Mさん アンパラワ第4抑留所→慰安所「日の丸」
・日本語で書かれた内容不明の書類に署名させられた。

(34)Bさん アンパラワ第4抑留所→慰安所「双葉荘」
・日本語で書いた書類に署名をさせられた。その傍には拳銃を手にした日本人が立っていた。

(08)Jさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「双葉荘」
・日本人は…恐しい声で罵言を吐き、承知しなければ射つと迄云って脅かした。
・終に之等の娘達は暴力で自動車(バス)の中に投げ込まれ。
・我々に日本語で書いてある書類に記入署名させたが、内容は説明はなかった。

(10)Mさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「将校クラブ」
・目的に関しては、外で働かせる為の選抜だとだけ知らされた。
・日本人が日本語で書いた書類を読み、それに我々は記入署名をさせられた。然し、その内容は何も知らされなかった。

(13)Lさん アンパラワ第6抑留所→慰安所「将校クラブ」
・日本語で印刷された紙が署名をするように出された。
・何が書いてあるのか私には判らないので、訊ねると、「署名さえすれば良いのだ」とガミガミ云はれた。
・之は慰安所で働くという「自由意志宣誓書」であったさうである。

(29)Jさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・或人はレストランで働いているところから連行され、又或人は街を歩いているところを捕まった。

(31)Eさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・無記名の召喚状を受け、翌日姉と共に警察へ行く。

(33)Lさん スマラン市内→警察署→フロレス島の慰安所
・身分証明書の検査があるからと云って、呼び出された。
・(能崎清次は)諸君は皆私の子供だ。諸君は何も心配することはない。唯タンジョンプリオクのレストランへ行って、6ヶ月間働くだけだ。


 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 外国人研修生に権利保障を! | トップ | (資料)インドネシア・スマラ... »
最新の画像もっと見る

日本軍性暴力関係原資料」カテゴリの最新記事