野田首相は8/24記者会見で次のように述べています。
「竹島は歴史的にも国際法上も、日本の領土であることは何の疑いもありません。江戸時代の初期には幕府の免許を受けて竹島が利用されており、遅くとも17世紀半ばには我が国は領有権を確立していました。その後、1905年の閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有の意思を再確認しました。韓国側は我が国よりも前に竹島を実効支配していたと主張していますが、根拠とされている文献の記述はあいまいで、裏づけとなる明確な証拠はありません。」
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外務省ホームページには、韓国の歴史文献をあれこれ批評しながら、日本の主張は奥歯に物が挟まったような言い方です。
「我が国が『竹島』と『松島』の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の『改正日本輿地路程(よちろてい)全図』(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。」
では、なぜ林子平の『三国通覧図説』(1785年)を紹介しないのでしょうか?
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<地図について>
林子平が1785年に「三国通覧図説」を著していて、その中に「三国接壌地図」が描かれています。日本は緑色で、琉球がオレンジ色で、朝鮮は黄色に彩色されています。欝陵島と独島は黄色に彩色され、「朝鮮ノ持ニ」と書かれ、朝鮮の領土として認識されています。(上の地図)
1822年の「海左全図」(李燦所蔵)、19世紀の「東国全図(東国地図)」(湖厳美術館所蔵)には、欝陵島の東側に独島が描かれており、朝鮮の領土であることは明確です。
<太政類典について>
『太政類典』には、「三月廿九日 日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」と記され、『公文録』には、「右大臣岩倉具視殿 伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事 明治十年三月廿九日」と記されています。
すなわち、1877年の明治政府の認識は欝陵島と独島は朝鮮の領土であり、日本と関係はないということでした。
「外一島」は独島(竹島)ではないという主張もありますが、『公文録』には「磯竹島略図」が添附されており、大きい方の島には「磯竹島」と記され、小さい方の島には「松島」と記されており、「外一島」が「独島ではない」という主張は通りません。
外務省のホームページには、これらの文書・図画について触れられていませんし、当然反論もされていません。
(参考図書:『竹島=独島論争-歴史資料から考える』(内藤正中、朴炳渉)と「竹島(独島)問題を勉強する会」の配付資料)
「竹島は歴史的にも国際法上も、日本の領土であることは何の疑いもありません。江戸時代の初期には幕府の免許を受けて竹島が利用されており、遅くとも17世紀半ばには我が国は領有権を確立していました。その後、1905年の閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有の意思を再確認しました。韓国側は我が国よりも前に竹島を実効支配していたと主張していますが、根拠とされている文献の記述はあいまいで、裏づけとなる明確な証拠はありません。」
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外務省ホームページには、韓国の歴史文献をあれこれ批評しながら、日本の主張は奥歯に物が挟まったような言い方です。
「我が国が『竹島』と『松島』の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の『改正日本輿地路程(よちろてい)全図』(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。」
では、なぜ林子平の『三国通覧図説』(1785年)を紹介しないのでしょうか?
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<地図について>
林子平が1785年に「三国通覧図説」を著していて、その中に「三国接壌地図」が描かれています。日本は緑色で、琉球がオレンジ色で、朝鮮は黄色に彩色されています。欝陵島と独島は黄色に彩色され、「朝鮮ノ持ニ」と書かれ、朝鮮の領土として認識されています。(上の地図)
1822年の「海左全図」(李燦所蔵)、19世紀の「東国全図(東国地図)」(湖厳美術館所蔵)には、欝陵島の東側に独島が描かれており、朝鮮の領土であることは明確です。
<太政類典について>
『太政類典』には、「三月廿九日 日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」と記され、『公文録』には、「右大臣岩倉具視殿 伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事 明治十年三月廿九日」と記されています。
すなわち、1877年の明治政府の認識は欝陵島と独島は朝鮮の領土であり、日本と関係はないということでした。
「外一島」は独島(竹島)ではないという主張もありますが、『公文録』には「磯竹島略図」が添附されており、大きい方の島には「磯竹島」と記され、小さい方の島には「松島」と記されており、「外一島」が「独島ではない」という主張は通りません。
外務省のホームページには、これらの文書・図画について触れられていませんし、当然反論もされていません。
(参考図書:『竹島=独島論争-歴史資料から考える』(内藤正中、朴炳渉)と「竹島(独島)問題を勉強する会」の配付資料)