アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20180301 小松基地爆音訴訟傍聴報告

2018年03月05日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
3・1小松基地爆音訴訟傍聴報告

危険への接近
 今日は4人の原告にたいする被告国からの主尋問である。国は「危険への接近」を理由にして原告の訴えを帳消しにするための訊問であった。

 4人にたいして、転居歴と転居の理由を確認し、騒音地域への転居をなじり、「小松基地はその前にあったから、騒音被害を受けるのを我慢せよ」という主張である。おい、おい! 転倒してはいないか。これまでに、音源対策をせよとくり返し判決されているにも拘わらず、みずからは何もせず、騒音をまき散らしつづけていながら、近くに転居してきたやつが悪いなどと言うのは、居直り強盗のような主張ではないか。

やむを得ない理由
 4人には、それぞれやむを得ない理由があって、現住地に居住するようになったのだ。ある人は職場に近い地域を選択する必要があったし、ある人は子育て(教育)や老親の介護のために騒音地域を選択しなければならなかったし、ある人は工場(住居)の立地条件に適した場所が騒音地域にしか見つからなかったし、ある人は非騒音地域より安い土地を求めて、騒音地域を選択しなければならなかったのだ。

 4人はさまざまな困難を斟酌して、騒音地域に住居を構えたのであり、国の基地騒音対策の不十分さを棚に上げて、「あとからやって来たやつはでて行け」と言わんばかりの不遜な態度に終始したのである。

例えば、土地問題
 ここに、2011年に調査した騒音地域と非騒音地域の地価調査(1983~2011)結果を見てほしい(ブログ『アジアと小松』2011年9月24日「小松市住宅地地価調査結果の分析」)。

 1983年を基点にして、その後の最高値の伸び率を計算すると、80コンター(安宅町、浜田町、天神町)は15.8%増、75コンター(寺町、小寺町、旭町)は25.5%増、非騒音地域(沖町、大領町、四丁町、西軽海町)は36.2%増だった。

 80コンター、75コンターは1990年代初めに土地バブルははじけて下落しはじめるが、非騒音地域は1990年代後半まで値上がりが続いたのである。にもかかわらず、騒音地域に住居をかまえざるを得なかった住民を非難するなど、筋違いである。
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