アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20170925小松基地爆音訴訟傍聴報告

2017年09月27日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
20170925小松基地爆音訴訟傍聴報告

 小松基地爆音訴訟が最終段階にさしかかった。2008年12月に2121人の住民が第5次訴訟提訴、翌2009年4月に106人が第6次提訴してから、やがて9年になろうとしている。

 今日(9月25日)は2人の原告本人尋問がおこなわれた。小松市小馬出町に住んでいるAさんと加賀市一白町に住んでいるBさんである。傍聴席では40人ほどが見守っていた。

騒音コンター80
 Aさんが暮らす小馬出町は小松市役所のある町で、40年暮らしてきた。コンターは80(うるささ指数)である。戦闘機が飛ぶと、子どもが小さい時は泣き叫んでいた。孫は野々市市と能美市に住んでいるが、わが家に来ると、戦闘機の轟音に恐がっていた。

 以前から比べて、飛行コースが変化しているようで、最近は真上を通るように感じる。訓練時間は朝は早くなった。8時前にエンジンテストをおこない、8時に飛び立っている。夜は8時まで飛んでいる。テレビや電話の音が聞こえない。

 もちろん民間機とは音の大きさも始まり方も違う。戦闘機はいきなり轟音が来て、次から次へと切れ目なく飛んでいく。40年以上暮らしているが、騒音になれるということはない。

 防音工事をしてもらったが、古い家であり、隙間があって、防音効果は感じられない。防音工事の前も後も同じだ。反対訊問では、「電話を何回かけるのか」「どれくらいテレビを見ているのか」などというつまらない質問に終始した。

騒音コンター75
 Bさんは加賀市一白町に住んでいる。コンターは75である。隣町の新保町は騒音コンターは80だが、むしろ一白町は高台にあり、騒音はダイレクトに届く(住宅地図で、一白町と新保町の境界線を引き、Bさんの自宅を示した)。

 Bさんは昼勤1週間、夜勤1週間の勤務形態だった(小松製作所に勤めていた第1次原告の森さんと同じ)。職場も騒音が大きく、耳栓をして仕事をしていた。夜勤の時は帰宅して、お酒を余計目に飲んで、10時頃から6時頃まで眠った。部屋の窓は毛布で遮光・遮音し、アイマスクをつけ、耳栓をして眠った。寝室は防音工事をしてなかったので(年寄りと子どもの部屋を優先した)、夏はエアコンもなく、汗だくで寝ていました。

 昨年、アグレッサー部隊が来てから、騒音が強くなった。回数も編隊数も多くなった。

 裁判所への希望は静かにしてくれということ。裁判所は国の方針に甘んじず、国民主権にしたがって、公正な判決を出してほしい。

朝鮮情勢と小松基地
 トランプは「(北朝鮮を)完全に破壊する」といい、安倍は「対話ではなく圧力(軍事)」といい、麻生は「難民は射殺」といい、子どもたちに「ミサイル避難訓練」をさせ、世論を「北朝鮮憎し」に誘導している。日本政府(安倍)は朝鮮民主主義人民共和国にたいして、戦争体制に入っている。

 小松基地の主力戦闘機F15の航続距離は3450kmで、増槽すれば4630kmになり、朝鮮半島での戦闘を可能にしている。

 1998年、自衛隊は「年度の防衛、警備等に関する計画(年防)」に基づいて、小松基地のF4戦闘機4機が北朝鮮に侵入し、250キロ爆弾16発(4×4)を投下するという研究をおこなった。

 「北陸中日新聞」(1999年7月13日)は「東沿岸部の廬洞基地を攻撃対象とし、自衛隊が在日米軍などの協力を得ずに単独でおこなうと想定。対地攻撃能力を持つ戦闘機が侵入して攻撃後、北朝鮮のレーダーに捕捉されないで帰還することを条件に、約1年間かけて綿密におこなわれた」「F4戦闘機4機が小松基地を発進。低空でほぼ直線に飛行して廬洞基地の上空に侵入して500ポンド(250キロ)爆弾計16発を投下。その後燃費を節約するために高度を急速にあげ、小松基地に帰還する」と報道している

 しかも、KC-767空中給油機の保有によって、際限なく戦闘を継続できるようになった。国を挙げての戦争熱のなかで、戦争反対を貫く根性と思想が求められている。
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