共謀罪と治安維持法
共謀罪の本質は治安法である。警察が支配する国、人民を監視する国づくりをめざしている。いったい何が、安倍自民党にそうさせようとしているのか。
ここ数年、中東、ヨーロッパ、アメリカ、北東アジアなど全世界が安定を欠き、激動の渦に巻き込まれており、とくに朝鮮半島情勢をみると、トランプは韓国に高高度ミサイル「THAAD」の配備を急ぎ、巡航ミサイル「トマホーク」を持つ駆逐艦2隻、原子力空母「カールビンソン」を朝鮮半島近海に展開している。また、海上自衛隊も尻馬に乗って、日本海(東海)で米海軍との軍事演習を計画している。
日本もアメリカも「東アジアの安定」を語りながら、最大級の軍事力を集結し、攻撃体制をとっている。かつて日本は「満蒙は生命線」と言いつつ、アジア全域に侵略戦争をしかけた歴史的事実を忘れてはならない。また、朝鮮の分断の原因は日本の朝鮮植民地支配に淵源があり、アメリカによって決定づけられた。アメリカも日本も朝鮮半島に口を出すな。
このような情勢のもとで、安倍自民党は国民に「自由」など与えてはならないと考えている。私たちは「共謀罪の対象が反体制(革命)運動なら、自分に関係ないし、まあ、いいや」というわけにはいかないのだ。国民生活全般にわたって、監視し、警察が支配することになるからだ。そして、体制批判は沈黙させられ、市民の意思は抑圧され、反体制運動(革命党)をあぶり出し、市民生活の息の根を止め、戦争への道を突っ走ることになるのだ。
今回は、1930~33年にかけての石川県内の治安維持法弾圧について整理しておこう。
治安維持法の世界
そんな例は、戦前にもあったのである。1918年米騒動が全国に波及し、1道3府37県の計369か所に上り、参加者の規模は数百万人を数え、出動した軍隊は3府23県にわたり、10万人以上が投入された。政府は「過激社会運動取締法案」(1919年)を提出したが、反対運動で廃案になっている。
1923年9月1日に関東大震災が起き、民心の不安を暴力的に押しつぶすために、即座に政府は「治安維持のための緊急勅令」(9/7)を出している。そして1922年に結成された共産党を大量検挙(1923年)し、1925年には治安維持法を成立させ、1928年には死刑・無期にまで重罪化した改正治安維持法を成立させた。そこから沈黙と戦争の時代が始まったのだ。
1928年3月15日、日本共産党、労働農民党などの関係者約1600人を治安維持法で検挙した(3・15事件)。1929年3月山本宣治が暗殺され、4月16日に1道3府24県にわたる一斉検挙がおこなわれ、その後も検挙が続き、4942人が治安維持法違反で逮捕された(4・16事件)。人民は抵抗とたたかいの気孔を塞がれ、侵略戦争の担い手へと動員されていった。
石川県でのたたかいの息吹
「昭和前期の石川県における労働運動」によれば、1921年に30人が決起して最初のメーデーがたたかわれている。1923年に四高社会科学研究会が結成され、翌年強制解散されたが、読書会(秘密組織)として継続した。このメンバーによって1929年ごろに反帝同盟金沢支部が結成された。1925年には石川合同労組が結成された。1929年には石川メーデーに300人が決起した。
1930年1月には反帝同盟メンバーによって、金沢の兵営付近に「反戦ビラ」が貼られ(翌年も)、4月には石川自由労組を結成(20人検束)し、10月までに組合員は250人にもなった。5月1日は600人が結集してメーデーがたたかわれた(1931年メーデーは500人、1932年からは非合法化)。

四高反帝同盟弾圧事件
しかし、治安維持法による弾圧は過酷だった。1930年5月27日には「四高反帝同盟弾圧事件」で数十人が逮捕された(15人有罪)。この弾圧は錦華紡績における賃下闘争にたいする支援や「反戦ビラ」貼りを治安維持法違反事件にでっち上げたものであった。
1930年1月の金沢の兵営付近に貼られた「反帝同盟金沢支部」のビラは帝国主義戦争反対だけではなく、「入営による失業絶対反対」「入営の費用を国庫で負担せよ」「入営中家族の生活を保証せよ」「兵役を1年に短縮せよ」「兵士に面会の自由を与えよ」など当たり前の要求だった。これにたいして治安維持法や出版法で捜査がおこなわれた。
9月には、鶴彬は兵営内に「無産青年」を持ち込んでいたことを理由に治安維持法違反で逮捕された。
このように、「戦争はいやだ」「待遇改善」を要求するだけで、治安維持法に抵触したのである。今、国会で審議されている共謀罪も同様の治安立法なのである。
石川県共産党弾圧事件
1931年12月28日には全農全国会議石川県連合会への一斉検挙があり、34人が治安維持法違反で検挙され、3人が起訴された。
石川県の全農は1929年につくられ、小作争議は1930年15件、31年29件、32年40件たたかわれている。1931年10月のビラには、「小作人諸君! 吾々の此頃の生活状態は如何でありましょうか。不景気だ、仕事がない、米を作って欠損、繭を作って欠損、借金は首までと云ふ有様です。…日本中の小作人が手を組んで作った全国農民組合に加入して我々の生活を良くしましょう」「土地取り上げ絶対反対、自作農創定絶対反対、小作料の減免、罰米の撤廃、強制手伝い・使用絶対反対、借金支払い延期・利子免除、電灯料の値下げ」と訴えている。
このような生活要求を掲げている全農石川県連合会に治安維持法をかけてぶっつぶしたのである。
全協5・23弾圧事件
1933年10月の陸軍特別大演習(福井)を前にして、「全協5・23弾圧事件」によって93人を検挙し、8月17日には西村外茂男が小松警察署内で殺されている。この弾圧で全協は壊滅した。全協の正式名称は「国際赤色労働組合日本支部 日本労働組合全国協議会 北陸地方金沢地区協議会」であり、労働組合である。
全協5・23弾圧では、治安維持法で6人が起訴されたが、その起訴事実をみると、井上健治郎の場合は「党及全協の目的遂行、昭和7年12月全協石川地区加入、同地区協オルグ、同責任者、赤旗・労新配布係」というものである。
寺西三郎の場合は、「5・23で逮捕された人たちの救援活動(差し入れや家族との連絡)をしたことと、古本屋として左翼の本を取り扱ったこと」が治安維持法違反になったのである。救援活動も弾圧され、これは共謀罪とも共通している。

新興仏青への弾圧
1931年には新興仏教青年同盟が結成された。1936年には新興仏青への一斉弾圧(全国200人あまり検挙)があり、石川県内では山本清嗣(北国新聞社政治部長)ら6人が治安維持法違反で起訴された。
新興仏青はその綱領に「釈迦の鑚仰と仏国土建設」「既成宗団の排撃」「資本主義経済組織の革正と当来社会の実現」などをかかげ、労働運動、消費組合運動、反戦反ファッショなどの活動にかかわっていった。そのご、創価学会も大本教も弾圧されているのだ。
以上のように、治安維持法は当時の日本社会の批判勢力を一掃するための法律として猛威を振るった。共謀罪を治安維持法の再来であり、民主主義と絶対に相容れない法律だ。
共謀罪の本質は治安法である。警察が支配する国、人民を監視する国づくりをめざしている。いったい何が、安倍自民党にそうさせようとしているのか。
ここ数年、中東、ヨーロッパ、アメリカ、北東アジアなど全世界が安定を欠き、激動の渦に巻き込まれており、とくに朝鮮半島情勢をみると、トランプは韓国に高高度ミサイル「THAAD」の配備を急ぎ、巡航ミサイル「トマホーク」を持つ駆逐艦2隻、原子力空母「カールビンソン」を朝鮮半島近海に展開している。また、海上自衛隊も尻馬に乗って、日本海(東海)で米海軍との軍事演習を計画している。
日本もアメリカも「東アジアの安定」を語りながら、最大級の軍事力を集結し、攻撃体制をとっている。かつて日本は「満蒙は生命線」と言いつつ、アジア全域に侵略戦争をしかけた歴史的事実を忘れてはならない。また、朝鮮の分断の原因は日本の朝鮮植民地支配に淵源があり、アメリカによって決定づけられた。アメリカも日本も朝鮮半島に口を出すな。
このような情勢のもとで、安倍自民党は国民に「自由」など与えてはならないと考えている。私たちは「共謀罪の対象が反体制(革命)運動なら、自分に関係ないし、まあ、いいや」というわけにはいかないのだ。国民生活全般にわたって、監視し、警察が支配することになるからだ。そして、体制批判は沈黙させられ、市民の意思は抑圧され、反体制運動(革命党)をあぶり出し、市民生活の息の根を止め、戦争への道を突っ走ることになるのだ。
今回は、1930~33年にかけての石川県内の治安維持法弾圧について整理しておこう。
治安維持法の世界
そんな例は、戦前にもあったのである。1918年米騒動が全国に波及し、1道3府37県の計369か所に上り、参加者の規模は数百万人を数え、出動した軍隊は3府23県にわたり、10万人以上が投入された。政府は「過激社会運動取締法案」(1919年)を提出したが、反対運動で廃案になっている。
1923年9月1日に関東大震災が起き、民心の不安を暴力的に押しつぶすために、即座に政府は「治安維持のための緊急勅令」(9/7)を出している。そして1922年に結成された共産党を大量検挙(1923年)し、1925年には治安維持法を成立させ、1928年には死刑・無期にまで重罪化した改正治安維持法を成立させた。そこから沈黙と戦争の時代が始まったのだ。
1928年3月15日、日本共産党、労働農民党などの関係者約1600人を治安維持法で検挙した(3・15事件)。1929年3月山本宣治が暗殺され、4月16日に1道3府24県にわたる一斉検挙がおこなわれ、その後も検挙が続き、4942人が治安維持法違反で逮捕された(4・16事件)。人民は抵抗とたたかいの気孔を塞がれ、侵略戦争の担い手へと動員されていった。
石川県でのたたかいの息吹
「昭和前期の石川県における労働運動」によれば、1921年に30人が決起して最初のメーデーがたたかわれている。1923年に四高社会科学研究会が結成され、翌年強制解散されたが、読書会(秘密組織)として継続した。このメンバーによって1929年ごろに反帝同盟金沢支部が結成された。1925年には石川合同労組が結成された。1929年には石川メーデーに300人が決起した。
1930年1月には反帝同盟メンバーによって、金沢の兵営付近に「反戦ビラ」が貼られ(翌年も)、4月には石川自由労組を結成(20人検束)し、10月までに組合員は250人にもなった。5月1日は600人が結集してメーデーがたたかわれた(1931年メーデーは500人、1932年からは非合法化)。

四高反帝同盟弾圧事件
しかし、治安維持法による弾圧は過酷だった。1930年5月27日には「四高反帝同盟弾圧事件」で数十人が逮捕された(15人有罪)。この弾圧は錦華紡績における賃下闘争にたいする支援や「反戦ビラ」貼りを治安維持法違反事件にでっち上げたものであった。
1930年1月の金沢の兵営付近に貼られた「反帝同盟金沢支部」のビラは帝国主義戦争反対だけではなく、「入営による失業絶対反対」「入営の費用を国庫で負担せよ」「入営中家族の生活を保証せよ」「兵役を1年に短縮せよ」「兵士に面会の自由を与えよ」など当たり前の要求だった。これにたいして治安維持法や出版法で捜査がおこなわれた。
9月には、鶴彬は兵営内に「無産青年」を持ち込んでいたことを理由に治安維持法違反で逮捕された。
このように、「戦争はいやだ」「待遇改善」を要求するだけで、治安維持法に抵触したのである。今、国会で審議されている共謀罪も同様の治安立法なのである。
石川県共産党弾圧事件
1931年12月28日には全農全国会議石川県連合会への一斉検挙があり、34人が治安維持法違反で検挙され、3人が起訴された。
石川県の全農は1929年につくられ、小作争議は1930年15件、31年29件、32年40件たたかわれている。1931年10月のビラには、「小作人諸君! 吾々の此頃の生活状態は如何でありましょうか。不景気だ、仕事がない、米を作って欠損、繭を作って欠損、借金は首までと云ふ有様です。…日本中の小作人が手を組んで作った全国農民組合に加入して我々の生活を良くしましょう」「土地取り上げ絶対反対、自作農創定絶対反対、小作料の減免、罰米の撤廃、強制手伝い・使用絶対反対、借金支払い延期・利子免除、電灯料の値下げ」と訴えている。
このような生活要求を掲げている全農石川県連合会に治安維持法をかけてぶっつぶしたのである。
全協5・23弾圧事件
1933年10月の陸軍特別大演習(福井)を前にして、「全協5・23弾圧事件」によって93人を検挙し、8月17日には西村外茂男が小松警察署内で殺されている。この弾圧で全協は壊滅した。全協の正式名称は「国際赤色労働組合日本支部 日本労働組合全国協議会 北陸地方金沢地区協議会」であり、労働組合である。
全協5・23弾圧では、治安維持法で6人が起訴されたが、その起訴事実をみると、井上健治郎の場合は「党及全協の目的遂行、昭和7年12月全協石川地区加入、同地区協オルグ、同責任者、赤旗・労新配布係」というものである。
寺西三郎の場合は、「5・23で逮捕された人たちの救援活動(差し入れや家族との連絡)をしたことと、古本屋として左翼の本を取り扱ったこと」が治安維持法違反になったのである。救援活動も弾圧され、これは共謀罪とも共通している。

新興仏青への弾圧
1931年には新興仏教青年同盟が結成された。1936年には新興仏青への一斉弾圧(全国200人あまり検挙)があり、石川県内では山本清嗣(北国新聞社政治部長)ら6人が治安維持法違反で起訴された。
新興仏青はその綱領に「釈迦の鑚仰と仏国土建設」「既成宗団の排撃」「資本主義経済組織の革正と当来社会の実現」などをかかげ、労働運動、消費組合運動、反戦反ファッショなどの活動にかかわっていった。そのご、創価学会も大本教も弾圧されているのだ。
以上のように、治安維持法は当時の日本社会の批判勢力を一掃するための法律として猛威を振るった。共謀罪を治安維持法の再来であり、民主主義と絶対に相容れない法律だ。