フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

道の話題を一発出し

2021年08月28日 23時43分45秒 | 日記
ついさっき思いついてだらだら書いてみた。推敲浅いけど、それでも2時間くらいかかってるよ。

中部横断道 29日夕方全線開通 静岡市葵区→甲府70分短縮(←リンク先はヤフーニュース)

おお、ついに…。

今となってはソースすらない話だし、中部横断道の話でもないかもしれず、間違っていても責任はとれないのだが、かつてテレビで見たことがあった話題がある。
一時期高速道路建設が目の敵にされて、事業の整理が盛んに議論された際、中部横断道も建設中止が俎上に上がっていた。国の監督省庁曰く「建設計画がまったく進んでいない」という理由。
しかし地元自治体はあきらめなかった。建設計画地にたった一本だけ打たれた建設測量用の杭を見つけ出し、「このように実際測量も行われている。計画は実際に進んでいる証拠で、計画が進んでいないという理由はおかしい」と主張したという。実際測量が行われていたことは事実であるから、これは国の主張を動かすことになったというわけ。地元自治体がたった一本の杭を見つけなければ、この道路は建設されなかった。

さて、ここまで話しただけでは眉を顰める人も多いと思う。特に国の大型事業に批判的な人はこれでまた大型事業で税金が使われる、とかと思ったと思う。もちろんその考え自体を間違いとは言わないし、そういうことを考えること自体は自由なのだが、実は山梨県南地区、特に身延町は国の高速道路計画に振り回された過去があったりするのな。だから、その時の恨みの感情だけは分かっていただきたいと思う。その過去の高速道路計画は中央自動車道である。
今現在の中央自動車道は東京の高井戸を起点に、山梨県内は大月、勝沼、甲府、北杜等の県北部の町を経由し長野県に抜けている。途中大月では富士吉田に抜ける支線が分岐する。
で、実は当初の計画はこの支線こそが本線で、その先は今回主役となる身延町を抜けて長野県南部に抜ける計画だったのよ。今でこそ東京と名古屋を結ぶ高速道路は東名高速道路が主役だけれども、そもそも日本で最初に自動車専用の高速道路の建設認可が得られた路線の一つは東名高速道路ではなく、この身延町を抜ける中央自動車道だった(東名高速は翌年に立法化)。そして中央高速道路はただ単に道を通すという計画ではなく、高規格道路を通すことにより、発展のポテンシャルを持ちつついまだ未開発地が多い沿線地域の開発や人口増大を提起し、戦後復興につなげるという遠大な計画だった。
ただ、計画が遠大過ぎて、建設費が莫大になったり、沿線が未開発過ぎて通行止めになったときに迂回路がない、等の問題点は解消されず、気が付けば東京発西行きの高速道路の主役は東名高速道路に移っていった。
この状況を受け、「要は建設費を下げればよいのだ」という意見の下、山梨県と長野県は建設費のかかる長大トンネルをできるだけ避ける、今現在建設された諏訪まわりのルートを提案するに至る。そしてこの計画は、山梨県とすれば人口の多い県北を横断するという、長野県とすればこれまでの計画に比べて深く県域に進入するルートとなるということで、両県ともに歓迎すべきルートとなってしまった。
発展計画を全く反故にされた山梨県南、特にインターが計画され、観光需要を大いに提起される予定だった身延町を除いては。
ただし、公的には身延町もこのルートの変更に賛成したことになっている。山梨県の建設総会においては、最終的に県内全市町村長の全会一致の賛成を持って決議されている。この表面上の結果を見れば身延町もルート変更を受け入れてはいる。
ただし、議事録等によると会議は相当に紛糾したらしい。身延町長は頑強にルート変更に反対した。所詮人口の多く発展した地域の意向が優先され、発展の遅れた県南地域の意見など聞いてはくれないのか、という意見があったと思われ、全会一致としたい県の意向に反し、「少数否決にせよ(自分は最後まで賛成できない)」と最後まで粘ったらしい。結局は山梨県庁の懐柔もあり、最終的に賛成をすることにはなったが、この賛成「させられた」経験は身延町に遺恨を残したようで、本来公正、無感情記載が基本である「身延町誌」等においても、中央自動車道計画の記述については恨みつらみのこもった言葉が躍っている。
一応県側の努力も話せば、高速が通らない分、県としても県南地域の道路整備には力がそそがれ、身延町から要望の多かった、主要国道の全線舗装改修、県道の国道編入や町道の県道編入、林道の早期貫通、等はおおむね要望どおりに整備された。しかしながら、古刹久遠寺や身延山、温泉や自然など、身延町が持っていた観光地としてのポテンシャルは昭和のレジャーブームで十分に発揮されたとはいいがたい。一応昨今「ゆるキャン△」でほんの少しだけ注目を浴びてはいるけども、いまだに少し渋めの観光地のままではある。今回の開通が、観光の起爆剤になればいいんだけどね。

道路というのは必ずニーズがあり、建設に至る歴史がある。一つの道路ができるというニュースは、それ単体では単なる情報でしかないけれども、そのバックボーンを知っているとまた違った形で見えてくるのよね。この道の建設が成功なのか無駄なのかはぬたりにはわからないけれど、少なくとも昔を知る身延町の皆さんには「これで少しは留飲を下げてくださいね」と声をかけてあげたいですね。

ちなみに中央自動車道建設と顛末は、ぬたりが道のネタをやるたびに勧めるこの本に相当に詳しい。ま、訴求対象を絞るにも程がある本だから、無条件におすすめはしませんけどね。でも道路を全く使わない人はほぼいないと思うので、そんな身近な存在のことを面白おかしく伝えてくれる本は、多くの人に読んでほしいなあ、と思うけどね。
コメント
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