OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アレサで知ったゴスペルなR&B

2009-06-20 12:38:58 | Soul

レディ・ソウル / Aretha Franklin (Atlantic / 日本グラモフォン)

「レディ・ソウル」といえば、今も昔もアレサ・フランクリン!

そのゴスペルルーツでハートウォームな歌声には、音楽のジャンルやスタイルを超越して聞く人を感動させる魅力が今に至るも抜群ですが、やはり全盛期というか、個人的にも一番好きな時代がアトランティックに所属していた1966年からの10年ほどです。

それ以前のアレサ・フランクリンは有名な宗教家の父親とゴスペル歌手だった母親の影響もあって、十代からゴスペルを歌っていましたが、いろいろと指導をしてくれたサム・クックに憧れ、またダイナ・ワシントンに心酔していたこともあって、ついに大手のコロムビアと契約し、ジャズや歌謡ブルース、そして大衆R&Bを歌い、アナログ盤LPだけで10枚以上の録音を残しています。

しかし好調だったのは1961年から2年ほどで、業界はモータウンを筆頭に新しいR&Bに熱狂していたのを尻目に、彼女は泣かず飛ばず……。とうとう1966年には契約を切られてしまうのですから、今となってはコロムビアの大ミステイクだったように思います。

ただし、この時期のレコーディングは後の「レディ・ソウル」期と比べると、明らかに中途半端でした。ジャズボーカルをやったと思えば、ダイナ・ワシントンの物真似やストリングスを使ったスタンダード歌物集を作ったり、如何にも焦点が定まっていません。

ところが現実的にはアレサ・フランクリンの評価は全然、下がっていなかったのです。

そしてコロムビアから放出された彼女を、待ってましたとばかりに契約したのが、黒人音楽では名門レコード会社のアトランティックで、当時の幹部だったジェリー・ウェクスラーが直々にプロデュースを担当して完成されたのが、「レディ・ソウル」の全盛期!

本日ご紹介は、そのアレサ・フランクリンのアトランティック時代から大ヒットばかりを集めた、4曲入りの33回転盤EP♪♪~♪ 所謂コンパクト盤で、サイケおやじが初めて買った彼女のレコードです。

 A-1 Respect
 A-2 A Natural Woman
 B-1 Chain Of Fools
 B-2 I Say A Little Prayer / 小さな愛の願い

まずド頭の「Respect」が強烈無比!

アタックが強くて、グッと重心の低いリズムとビート、そして分厚いブラス&ホーンにエグ味の強いギターのリフがイントロになり、さらにそれをブッ飛ばすようなアレサ・フランクリンの歌い出しが、もう脳天を直撃し、臓腑をえぐるような熱さで迫ってきます。

あぁ、このヘヴィな雰囲気は当時「ヘヴィロック」と呼ばれていたハードロック勢なんて、足元にもおよばないものに、中学生だったサイケおやじには感じられましたが、それは今も変わっていません。

それとバックの女性コーラスのソウルフルな歌声も最高~♪

間奏でブローするテナーサックスはキング・カーティスですが、これも暑苦しいほどで、それがまた、逆に心地良かったりします。

こういう音楽は所謂アメリカ南部のディープソウルと呼ばれるものだということは後に知るのですが、もちろんサイケおやじが夢中になるジャンルであるにしろ、アレサ・フランクリンの歌唱とサウンドプロデュースは、そうしたR&Bの一般的なイメージであるドロ臭さがありません。極限すれば都会的!

実は、これも後に知ったことですが、ジェリー・ウェクスラーがアレサ・フランクリンをプロデュースするにあたって企画したのが、彼女のゴスペルルーツを活かした南部サウンドでした。そして既にウィルソン・ピケットで成功していた手法を踏襲し、アラバマ州のマッスルショウルズにあるフェイムスタジオへ、アレサ・フランクリンを送り込むのです。

ところが現場について吃驚というか、そのスタジオに勢揃いしていたバックミュージシャンが全員白人だったことから、アレサ・フランクリン以下、彼女のスタッフも含めて違和感が打ち消せず、ついにはゴタゴタの末にレコーディングは2曲で終了……。

このあたりはジェリー・ウェクスラーやアトランティックの会社関係者には常識だったことが、アレサ・フランクリンや彼女のマネージメントサイドには知らされていなかったという、ある意味では思い込みと勘違いの結果なのでした。

そこで、ニューヨークのスタジオにアラバマのミュージシャンを呼び寄せ、さらにニューヨークの一流セッションプレイヤーも参加して作られたのが、この「Respect」以降に展開されるアレサ・フランクリン全盛期の楽曲なのです。

またサイケおやじを熱くさせた女性コーラスのソウルフルな味わいは、もちろんゴスペルルーツの極みであり、演じているのはアーマ&キャロリン・フランクリンという、どうやらアレサ・フラクリンの姉妹らしいのですが、実にたまらんですよ♪♪~♪

こうした路線は続く「A Natural Woman」でさらに全開! ご存じ、キャロル・キングが書いた名曲ですが、アグレッシブなストリングを大胆に導入し、深みのある女性コーラスを従えたアレサ・フランクリンの魂の絶唱がじっくりと堪能出来るのです。

そしてもうひとつ、サイケおやじを狂熱させたのが、B面ド頭の「Chain Of Fools」に聴かれる、まさに横揺れしているとしか言えないリズム隊のグルーヴです。この真っ黒なビートにノリまくったアレサ・フランクリンのボーカルとバックコーラスの最高の熱気は、虜になったらヤミツキですよっ!

ちなみにここで聞かれるイントロのギターの蠢き、コードの味付けやリズム隊のヘヴィなグルーヴは細部まで、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル=CCRにパクられていますから、何の曲はあえて書きませんが、ぜひともお楽しみ下さいませ。もう既に、納得されていらっしゃる皆様も大勢、ですよね♪♪~♪

しかしアレサ・フランクリンの魅力は、こうしたゴスペル系の黒っぽさばかりではありません。オーラスに収められた「小さな愛の願い」は、バート・バカラックの作曲した愛らしいメロディをディオンヌ・ワーウィックが歌って大ヒットさせたという、所謂カバー曲でありながら、ここでの強い印象は素晴らしすぎます。バックのボサロック風の演奏も実にお洒落なんですが、アレサ・フランクリンの単に黒人ソウルと括ることの出来ない真実の熱唱は圧巻! 告白すると若き日のサイケおやじは、このトラックばかり聴いていた前科があります。

ということで、このコンパクト盤は私に南部ソウルの魅力とアレサ・フランクリンの凄さを教えてくれた思い出の1枚です。本音で言えば、オーティス・レディングよりも、当時は聴いていましたですね。冒頭の「Respect」にしても、オリジナルのオーティスよりも、ここに収められたアレサのバージョンに馴染んでいるほどです。

う~ん、それにしても当時は、ちゃんとしたLPが買えなくて、ずいぶん悔しい気分になっていたわけですが、それゆえにシングル盤やコンパクト盤には尚更の思い入れが強いです。

ちなみにジャケットにある「ステレット」とは、ステレオ仕様を示す造語というご愛敬も憎めませんね♪♪~♪

ジャケ写のルックスは中尾ミエ!?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファンキーインストでドライヴ

2009-06-19 11:40:26 | Rock Jazz

Pick Up The Pieces / Average White Band (Atlantic / ワーナーパイオニア)

既に何度も書いているように、洋楽ヒットにラジオが必須だったのが、「昭和」の事情でした。勉強しながら聴いていた深夜放送、車の中ではカーラジオ、そして海辺のラジカセ♪♪~♪ 全てが今となっては懐かしい過去の遺物でしょうか……。

さて、本日ご紹介のシングル曲は、昭和50(1975)年春から夏にかけて、ラジオから流れまくっていた実にカッコ良いファンキーインストの大ヒットです。

演じているのは平均的白人楽団!?

なんていう、やっている事とは正反対の皮肉っぽい名前のバンドで、実際、彼等はイギリスの白人グループでした。メンバーはヘイミッシュ・スチュアート(g,vo)、オニー・マッキンタイア(g,vo)、ロジャー・ボール(key,sax)、アラン・ゴーリー(b,vo)、ロビー・マッキントッシュ(ds,per)、モリー・ダンカン(sax,fl) という6人組! どうやらバンド結成までは各々がロンドンのスタジオで働いていたようです。

それが1972年頃にバンドとして纏まり、翌年にはデラニー&ポニーを解散してソロ活動をスタートさせていたボニー・リンのバックバンドに起用され、そのまま渡米して彼女のアルバムセッションに参加したことになっていますが、残念ながらそれにはクレジットが全くありません。

実はこのあたりの事情は後に推察出来たのですが、アベレージ・ホワイト・バンド=AWBとなった彼等6人組はレコード制作の契約を最初はMCAと結んでいます。しかしメンバーの気持ちは本場のR&Bで偉大なる実績を誇るアメリカのアトランティックへと傾いていたらしく、前述の渡米中に新しい話が進んでいたようです。

そして、とりあえずはMCAからデビューアルバムとなる「Show Your Hand」を1973年に発売した後、アトランティックへ移籍し、このシングル曲を含む名盤アルバム「Average White Band」を作るのですが、プロデューサーが黒人音楽の良き理解者だったアリフ・マーディンですから、その出来栄えは言うまでもありません。

このシングル曲にしても、サックスがメインのソウルインストではありますが、決して往年のジャズロックではなく、あくまでもロックを基本にしたファンキーグルーヴが最高に演出されていますし、もちろんジャズっぽさも自然体なアドリブが痛快♪♪~♪ また、何よりも覚え易いキメのリフが最初っから出し惜しみされずに使われているのも、ヒット曲の必要十分条件を満たしています。

現実的にはAWBはライブバンドだと思いますし、アルバムを楽しむのが基本でしょう。しかし、こういうイカシたシングルヒットがあってこその魅力も最高です。ジャケットに記載されている「全米第1位」というウリに偽り無し!

ちなみにAWBは、このセッションの後にドラマーが不慮の死……。あらたに黒人ドラマーのスティーヴ・フェローンが加入したことでバンド名が純粋では無くなりましたが、しかし尚更に強靭なファンキーグルーヴを獲得したことで、本格的な快進撃が始まり、1970年代後半から1980年代前半にかけてのフュージョンブームがあったにせよ、実に熱い活動を繰り広げてくれました。

機会があれば、皆様にはぜひとも聴いていただきたいバンドのひとつです。

そしてサイケおやじは、どうにか自分の車を中古で買ったばかりの1979年、AWBをカーステレオで鳴らしていたあの頃が、懐かしくなるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェラルディンはエレキ歌謡か!?

2009-06-18 10:39:01 | Pops

Geraldine / Boot Walker (Rust / キングレコード)

現代のように海外の情報が簡単に取れなかった昭和の日本では、当然の如く、洋楽でも独自のヒット曲が生まれています。

本日ご紹介のシングル曲は、まさにその代表的な昭和44(1969)年の大ヒット!

歌っているのはブーツ・ウォーカーという男性歌手ですが、驚くべきことには、レコードジャケットの裏解説でさえ、この人に関して、ロクな説明もされていません。なにしろ「一部の情報によると」なんて、わざわざ断りを入れてから、バイオグラフィーが紹介されているほどです。

で、このブーツ・ウォーカーという歌手は、どうやら職業作家であり、プロデューサー業にも手を染めている裏方の人らしく、Lou Zeran のペンネームで幾つかのヒット曲を制作したことになっています。

そしてブーツ・ウォーカー名義では、1967年に「They're Here (Rust)」という小ヒットも出しているそうですが、当然、私は聴いたこともありません。

しかし、この「ジェラルディン」は当時のラジオではウケまくり♪

イントロに使われた暴風のSE、ベンチャーズでお馴染みの「Walk Don't Run」を強く想起させるベースとギターのエレキなサウンドが、まず高得点♪♪~♪ もちろんキャッチーな曲メロと軽快なビートは、当時の洋楽には「お約束」ですし、おそらくは白人と思われるブーツ・ウォーカーのボーカルが実にイナタイ味わいで、如何にもAMラジオのヒットパレードにはジャストミートでした。間奏の肩の力が抜けたオルガンとか、バタバタした素人っぽいドラムスも良い感じ♪♪~♪

ちなみに、これが流行った昭和44年の日本は、既にハード&サイケロックにしても、またR&Bにしても、本格志向のディープなものが主流になりつつありましたから、この曲なんかは古い感じがモロに出ています。

しかし我が国には、昨日も書いたとおり、ベンチャーズの遺産が強くありましたから、それがヒットのポイントだったと思います。イントロからのエレキなノリや覚え易さ優先の曲メロの作り方は、ベンチャーズが作曲した我が国の歌謡曲、所謂「ベンチャーズ歌謡」に通ずるキモが確かにあるのです。

ジャケットの裏解説でも触れられていますが、当時の洋楽を発売企画する我が国のレコード会社は、その担当スタッフの感性がとても重要だったのでしょう。その意味では、この「ジェラルディン」の、どっかで聞いたことのあるような親しみ易い曲調、そしてベンチャーズ歌謡っぽさ等々は、和製洋楽に通ずる魅力だったと思います。

今となっては忘れられた曲かもしれませんし、片思いを歌った中身とは全く無関係の大作映画風なジャケットデザインにも苦笑させられるでしょう。

ただ、それが当時の日本の洋楽の一側面でした。

そして、B面収録曲のタイトルが「誰も知らない」とは、あまりにも出来すぎじゃないでしょうか?

個人的には高校時代の学祭でバンド演奏した、思い出の曲でもあります。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベンチャーズにシビレた昭和40年

2009-06-17 11:47:06 | Ventures

10番街の殺人 / The Ventures (Liberty / 東芝)

ベンチャーズのオリジナルメンバー、ボブ・ボーグルの訃報に接しました。

ご存じのようにベンチャーズといえば「テケテケ」と云われるほど、我が国では音楽面のみならず、社会文化にも大きな影響を与えた偉大なエレキバンドですが、そのスタートはボブ・ボーグルとドン・ウィルソンの2人によるギターバンドとして、1959年にデビューしています。もちろん当時でも、ちゃんとドラムスやベースも入ったロックバンド形態だったのですが、レギュラーがなかなか固定していなかったのです。

そこへノーキー・エドワーズが加入したのが1960年のことで、ついに2作目のシングル「Walk Don't Run (Dolton)」が大ヒットして人気バンドになったのが、アメリカでの結成当初の顛末です。

そして当時のドラマーには一応はハウイ・ジョンソンが入り、1963年頃までに多くのヒットシングル&アルバムを作り出していたのが、アメリカでの全盛期でした。ただしこの時期のバンドメンバーはドン&ボブ以外は決してレギュラーではなく、ノーキー・エドワーズにしてもベース奏者としてベンチャーズに参加したのが初期の真相ですし、スタジオレコーディングでは多くのセッションミュージシャンが起用されていました。

しかし、それでもベンチャーズが現役として人気を失わなかったのは、巡業における実演ライブが凄かったからに他なりません。1963年頃にはノーキー・エドワーズ(g,b)、ドン・ウィルソン(g,vo)、ボブ・ボーグル(b,g)、メル・テイラー(ds) という黄金の4人組が勢揃いし、まさにライブバンドとしての全盛期を築くのです。

こうして昭和40(1965)年1月、ベンチャーズが来日公演を行い、日本中にエレキブームを到来させるのですが、実はこれが初来日ではなく、1962年5月にドン&ボブの2人組ベンチャーズが来日したことになっています。しかし当然ながらブームになることもなく、サイケおやじにしても、それがどのような公演だったのかは知りません。

ところが昭和40年は凄かったです!

まず1月の公演は確かアストロノウツとのジョイントだったと記憶しているのですが、既に前年には、そのアストロノウツが「太陽の彼方に」のサーファンインストをエレキで大ヒットさせていましたし、ビートルズのブームもジワジワと実感をもって迫っていた時期のタイミングはジャストミート! 満員の会場ではメンバーも恐れるほどの暴動騒ぎがあったと、当時のマスコミが大袈裟に報道したのも、火に油の宣伝となりましたし、この時の新宿厚生年金会館でのライブレコーディングが「ベンチャーズ・イン・ジャパン (東芝)」という決定的な名盤アルバムとしてLP化され、当時だけで50万枚以上の大ベストセラーになるのです。

なにしろ当時、電蓄プレイヤーさえ持っていなかった叔父さんが、その頃でも決して安く無かった千八百円のこのLPを買い、我が家のステレオでギンギンに鳴らしまくったのですから、少年時代のサイケおやじもハナからケツまでシビレましたですねぇ~♪

そして同時に我が国青少年が目覚めたのが、自分でエレキを弾く、バンドをやるということです。これはもう、あの映画の「エレキの若大将(東宝)」でもご覧になれるとおり、テレビでは勝ち抜きのエレキ合戦が放送され、また楽器屋主催のコンテストや学生バンドのライブが毎週土日には恒例でした。もちろんプロのバンドも、例えば寺内タケシとブルージーンズやシャープファイブ等々が驚異的な大ブレイク! これが後のGSブームに直結していくのです。

その原動力となったベンチャーズの魅力は、何といってもバンドが一丸となったロックのグルーヴの物凄さです。これは断言しても後悔しないのですが、ビートとリズムのニュアンスやイントネーションが4人のバンドメンバーでがっちり纏まっているのですねぇ~。そして微妙にツッコミ気味のメル・テイラーのドラムスにノセられるように突進して作り上げていくロックンロールの壮絶感が、見事にエレキで増幅されているという感じでしょうか。

ノーキー・エドワーズのアンタッチャブルな神業リードギターは言わずもがな、十八番の「テケテケ」と強烈なビートを刻むドン・ウィルソンのサイドギターも凄いのですが、今になって気がつくのは、ボブ・ボーグルのペースが完全に8ビートを弾いていることです。しかも映像を見てわかるのですが、当時の他のペース奏者と決定的に違うのは、高いポジションでビートが強いフレーズを弾いてることです。これは本来、ボブ・ボーグルがギタリストだった個性の表れかもしれませんし、それゆえにドライブしまくったハードなフィーリングがベンチャーズだけの凄いロックを聴かせてくれたのだと思います。

このあたりは同年7月の3度目の来日公演で、完全に日本人を狂喜乱舞させた大ブームとなり、そこから作られた映画「ザ・ベンチャーズ '66 スペシャル~愛すべき音の侵略者達(松竹富士)」にはっきりと記録されています。現在はDVD化もされていますから、ぜひともご覧くださいませ! 物凄いライブ演奏はもちろんのこと、当時のエレキブーム真っ只中の日本、そしてロック全盛期の日本が懐かしくも楽しめます。

エレキは不良!? なんて、かんけーねぇ!

当然ながら人気も、当時はビートルズを凌駕していたんですよっ!

さて、本日ご紹介のシングル盤はその頃に発売された、全盛期ベンチャーズの人気曲のひとつです。そしてサイケおやじにしても、初めて買ったベンチャーズのレコードが、これでした。原曲は古いミュージカルの中のメロディなんですが、それを痛快なロックビートとドライヴの効いたエレキサウンドでインスト化した極みつき! モズライトの高出力エレキギターを活かしたナチュラルな歪み効果に加え、各種最新エフェクトも適宜使いながら、例えばサックスを不思議な音に作り替えた間奏を入れるなど、工夫が凝らされています。

つまり幸せなことに、我が国のファンはリアルタイムで全盛期を迎えていたベンチャーズに感化されたんですねぇ~。当時のアメリカではシングルヒットはイマイチの時期でしたが、それでも売れていたアルバム制作は実に意欲的でしたから、全くの必然!

ちなみに、この曲をライブで演奏する時はシンプルなギターロックになっていますが、それがまた、こたえられないという魔力が、前述した映画「愛すべき音の侵略者達」でも尚更に楽しめますよ。

ということで、今となっては「テケテケ」の出稼ぎバンド、なんていうふうにしか感じてもらえないベンチャーズかもしれませんが、このグループが来日しなければ、我が国の文化風俗は絶対に違ったものになっていたと確信しています。

またメンバーチェンジも度々行われた長い歴史のバンドにあって、創設者の2人がいる限り、例えどんな曲を演奏しようとも、確固たるベンチャーズサウンドの本質は普遍でした。それは特にポブ・ボーグルのペースワークに秘訣があったように、今は思っています。

ボブ・ボーグルよ、やすらかに……。

そしてベンチャーズ、永遠なれ!

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シカゴソウルもよろしく

2009-06-16 09:19:31 | Soul

Oh Girl / The Chi-Lites (Brunswick / ビクター音楽産業)

黒人大衆音楽の所謂ソウルミュージックには様々なスタイルがあって、それは地域別に称されることが多々あります。

例えば本日ご紹介のボーカルグループ、シャイ・ライツはシカゴソウルという一派ですが、この「シカゴ」というのが、1960年代ではモータウンでお馴染みのデトロイトと双璧をなす黒人音楽の中心地でした。それはご存じのように、古くは黒人ブルースやモダンジャズでも同様だったわけですが、ソウルミュージックではカーティス・メイフィールドが中心となっていたインプレッションズは、当時の流行だったダンスミュージックばかりではなく、コーラスを重視した歌物にも限りない魅力を発揮していましたから、それがシカゴソウルというひとつのスタイルに定着していったようです。

つまり都会的なムードが強いメロディを黒人コーラスグループが歌うところに、シカゴソウルの味わいが楽しめるわけですが、もうひとつ、黒人独特のファルセットボーカルの魅力というのも、確かにあります。

さて、本日ご紹介のシャイ・ライツは、そうしたメロウなフィーリングとメロディ中心主義の歌でブレイクしたグループのひとつてす。メンバーはユージン・レコード、ロバート・レスター、マーシャル・トンプソン、クリーデル・ジョーンズという、何れもソロ歌手としてのキャリアも輝かしく、またシャイ・ライツ結成以前に所属していたグループでもヒットを飛ばしています。

その彼等が1972年に大ヒットさせたのが、この「オー・ガール」ですが、掲載した日本盤シングルのジャケットには「チャイ・ライツ」とグループ名があるのはご愛敬♪♪~♪

ミディアムスローなテンポで歌われる素敵なメロディが実に心地良く、後年にはホール&オーツもカバーしていましたから、きっと皆様も一度は耳にしたことがあろうかと思います。

ちなみに曲を書いたのはグループのリーダー格だったユージン・レコードですが、この人はシカゴの黒人音楽界では顔役的な存在で、ラムゼイ・ルイスのトリオから独立したヤング・ホルト・アンリミッドのヒット曲「Soulful Strut」をはじめ、多くのヒットを制作していますので要注意! もちろん歌手としての実力も流石だと思います。

ということで、本日は簡単ではありますが、ちょっとシカゴソウルについてふれました。我が国では山下達郎が、このシカゴスタイルを上手く継承しているのかもしれません。

そしてジャズでもブルースでもロックでもR&Bでも、自分の好きな音楽を辿っていくと、何故かそこはシカゴへと至ります。やっぱり何か、あるんでしょうねぇ。これは今後の課題でもあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れえぬデイヴ・メイソン

2009-06-15 12:00:20 | Rock

とどかぬ愛 / Dave Mason (Columbia / CBSソニー)

世の中には、何をやっても憎めない人が必ずいますけど、デイヴ・メイソンも私にとっては、そのひとりです。

その略歴では、何といっても大衆音楽史に残る名バンドのトラフィック創成期のレギュラーであり、優れた楽曲を発表しながら、同バンドのスタアだったスティーヴ・ウインウッドとソリが合わなかったのか、グループを出たり入ったりする問題児となりました。また独立してからはイギリス人でありながら、逸早くアメリカ南部の音楽性に根ざした所謂スワンプロックに目をつけた活動をしながら、結局はエリック・クラプトンの後塵を拝したり……。

中でもツイていないというか、エリック・クラプトンのキャリアでも一際輝かしい、あのデレク&ドミノスにしても、本来はデイヴ・メイソンがエリック・クラプトンに持ちかけた企画だったという真相もあると言われています。

しかし実際、バンドを立ち上げた直後にデイヴ・メイソンは自分のリーダーアルバムのプロモーションを優先させるようにレコード会社から要請され、デレク&ドミノスから脱退……。しかも、肝心の自分のアルバム発売を巡って、レコード会社間の契約訴訟問題に巻き込まれるという不運は、身から出たサビとばかりは一概に言えないものがあります。

つまり、きっと口下手だろうし、世渡も上手い人ではなかったのでは……。

ただしデイヴ・メイソンの音楽的な才能や資質は、やはり魅力です。

決して達人とは言えないギターの腕前にしても、実直に弾くという基本姿勢が私には好ましく、十八番の三連フレーズが出ると嬉しくなりますねぇ~♪ また作曲能力の高さも、なかなかサイケおやじにはジャストミートしています。

さて、本日ご紹介のシングル曲「とどかぬ愛 / Baby...Please」は、そんなゴタゴタの末に心機一転、レコード会社も移籍して1973年末に発売された魅惑の名曲♪♪~♪

幾分重い8ビートのドラムスに蠢くエレキベースをバックにしながら、イントロでのギターのリズムカッティングがイナタイ魅力ですし、もちろんリードを弾くエレキギターは泣きまくり♪♪~♪ さらに曲メロが実にキャッチーで覚え易く、ほとんどデレク&ドミノスの「愛しのレイラ」と「恋は悲しきもの」をミックスさせたといえば、全くそのとおりと納得される皆様が大勢いらっしゃると思います。

しかも歌詞の内容が、叶わぬ恋にベイビー、お願いだ……、なんてひたすらに片思いの情けなさも、いやはやなんともM男!?! 如何にもデイヴ・メイソンらしいと言えば、贔屓の引き倒しでしょうか、それでも私は好きです。

演奏にはチャック・レイニー(b) やラス・カンケル(ds) といった実力者も参加しているらしく、実際、ここでのシャープで力強いドラムスやマシンガンのようなベースのパッキングは圧巻! さらにジャケットにはステレオ仕様と記載されながら、実は限りなくモノラルに近いミックスは、当然ながら後に出されたアルバム「忘れえぬ人 / It's Like You Never Left (Columbia)」に収録のバージョンとは異なっています。

う~ん、それにしても「官能的なギターにのせて歌う、デイヴ・メイソンの“愛の叫び”…」なんていうジャケットに記された売り文句は、本当です♪♪~♪ 今では有名になった猫ジャケットも、良い感じ♪♪~♪

そして、その裏に掲載された解説文には、サイケおやじを愕然とさせる事実がありました。なんとデイヴ・メイソンは下積み時代に、トラフィックを結成する以前にスティーヴ・ウインウッドが既にスタアの地位を確立していたスペンサー・デイビス・グループのローディをやっていたんですねぇ。

ご存じのように、デイヴ・メイソンが在籍していた初期のトラフィックは、スティーヴ・ウインウッドが歌もギターもキーボードも、時には打楽器やベースまでも一人舞台で演じていたバンドでしたから、当然、実際のステージでもデイヴ・メイソンはギターソロを弾くことも許されず、また自分の作った歌が演奏されることも少なかったと言われていますが、なるほど、確かに全ての面でスティーヴ・ウインウッドの才能がデイヴ・メイソンを上回っていたのは認めざるを得ないにしても、こういう主従関係が尾を引いていたんですねぇ……。

そして、そのあたりを上手く解消していくことが、きっとデイヴ・メイソンには苦手だったのでしょう。だとすれば、サイケおやじには、ますます共感出来る部分が多々あります。

結論から言えば、このシングル曲も、また続けて発売された前述のアルバム「忘れえぬ人 / It's Like You Never Left」も、アメリカはもちろんのこと、我が国でも全くヒットしていません。

しかしデイヴ・メイソンは、やっぱり「忘れえぬ人」なんですねぇ。どうにかこうにか、1970年代後半になって中程度のブレイクがあり、アルバムやライブ活動もそれなりの成果を上げています。

現在はCDの再発状況も芳しく無く、やはり「忘れられた人」なのかもしれませんが、この曲あたりがCMで使われたりすると、再注目は間違いないかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好き好きリンジー♪

2009-06-14 11:48:39 | Pops

Sugar Me / Lynsey De Paul (MAM / キングレコード)

今更言うまでもなく、サイケおやじはお姉さん系美女に弱いですから、本日ご紹介のリンジー・ディ・ポールにも、イチコロでした。

ジャケットからして凄い美人シンガーだと一目瞭然なんですが、その略歴はイギリスのロンドン出身、そして本来は職業作家として業界入りしたそうです。しかし、その音楽的な才能に加えて、このルックスがあれば、芸能界も放ってはおきません。

トム・ジョーンズやギルバート・オサリバンを育て上げたゴードン・ミルズという敏腕プロデューサーにあれやこれやを仕込まれて、ついに1972年、22歳のデビュー曲が、本日ご紹介の「Sugar Me」です。そしてもちろん、自作自演による大ヒット♪♪~♪ イギリス本国をはじめ、欧州全土から我が国でも人気を獲得しています。

まずミディアムテンポの抑揚のないメロディラインが、妙に絶妙な胸キュン感覚♪♪~♪ さらに無機質でありながら、実はお色気ムンムンのキュートなボーカルで歌われる歌詞の内容が、「私を救って、シュガー・ミー」なんてことばかっりなんですから、たまりません。もちろんタメ息系の囁きは、最高の「お約束」であり、演奏パートのアクセントに、こりゃ~、鞭打ちの効果音♪♪~♪

ほとんどSMポップスなんですねぇ~~~♪

当然ながら、サイケおやじが大好きなのは言わずもがなでしょう。

しかしリンジー・ディ・ポールは、あくまでもプロ! こういう路線は百も承知の見事な演技というか、自らがどうすれば売れるか、完全に納得していたと思われます。

したがって業界人にもウケが良かったみたいですし、実際、エレクトリック・ライト・オーケストラを作ったばかりだったロイ・ウッドは当時、相当にご執心だったと言われています。そして自らプロデュースを申し出て、なかなかマニアックな楽曲を作りだしているほどでしたからねぇ。しかし結果は、あえなく……。

そういう彼女は、今、どこでどうしているんでしょう。

再発CDもチラホラと出回っているのですが、ここは一念発起、素晴らしいボックスセットでも発売されることを願っています。

ということで、些か疲れ気味の本日は、ここまで……。

あぁ、リンジーに癒されたいなぁ~~♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3DNが教えてくれた

2009-06-13 13:01:00 | Rock

Mama Told Me / Three Dog Night (Dunhill / 東芝)

1970年代前半、カーペンターズと並んで洋楽ヒットを連発していたバンドに、スリー・ドッグ・ナイト=3DNがあります。

彼等は3人のリードシンガーと4人のバックバンドからなる7人組の大所帯でしたが、それゆえに当時の流行だったハードロックからニューソウル、そしてソフトロックやファンキーポップス等々を包括した、実に幅広い音楽性を基本にしつつ、しかもオリジナルよりは専業作家の曲を歌って当たりをとるという、今日的な視点でも最高のプロフェッショナルだったのです。

特に素晴らしいのが、その選曲のセンスであり、しかもリアルタイムでは無名に近いソングライターを注目させた功績は無視出来ません。

例えば本日ご紹介のシングル曲は今日でも局地的評価しか得ていないランディ・ニューマンの手によるものですが、実は作者本人のバージョンは、この3DNの大ヒットに接した後では、正直言って面白くありません。

つまり3DNは選曲のセンスと同時に、アレンジも含めて、最高の歌と演奏能力を兼ね備えたバンドだったのです。

メンバーはダニー・ハットン(vo)、コリー・ウェルズ(vo)、チャック・ネグロン(vo)、マイケル・アルサップ(g)、ジミー・グリーンスプーン(key)、ジョー・ジェルミー(b)、フロイド・スニード(ds) ですが、いずれも3DNを結成する以前、既に様々なグループやソロシンガーとしてレコーディングのキャリアがあった者ばかりです。

まずボーカルの3人はポピュラー系フォーク歌手のジュディ・コリンズを担当していたプロデューサーのデイヴィッド・アンダーソンに見出された後、最初はソロ活動をやっていたのですが、成り行きから意気投合し、ボーカルグループを組むことになります。

そして、この3人組をスカウトしたのが、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンだったのですから、やはりタダ者ではなかったのですねぇ~。これが1967年頃の話で、3人組はレッドウッドというグループ名で、しかもブライアン・ウィルソン直々のプロデュースによってデビューする予定だったのですが、諸事情から実現せず……。

しかし、この繋がりから敏腕プロデューサーのヴァン・ダイク・パークスとガブリエル・メクラーが後を引き継ぎ、ライブ活動も同時進行させるべく、バックバンドの4人が選ばれて、ここに7人編成の3DNが正式に誕生するのです。

ここで大切なのは、演奏パートを実際に担当するレギュラーグループとしての形体が優先されたことでしょう。3DNは当時の西海岸では一番の勢いがあったダンヒルレコードと契約するのですが、ご存じのように、このレーベルはフォーク&サイケロック等々の、どちらかと言えばアングラ系の音楽を、如何にもハリウッド的な音楽産業システムでメジャーに仕立てるのが十八番であり、つまりはスタジオで作りだされた架空の部分も含んでいたのですから、決してライブステージが魅力というミュージシャンは少ないのです。

しかし時代の流れから、ロックやソウルと言えども、ジャズのようにライブでの長い演奏は必須であり、またPAシステムの充実から、従来のパッケージショウのような短いステージは過去の遺物になりかかっていましたから、実力派ボーカルグループがブレイクするにはレギュラーのバンド形態が必須だったと思われます。

実際、3DNは1968年春頃に正式デビューするのですが、やはりライブの素晴らしさが先に評判となってからシングルヒットが出るようになり、初期の人気を決定的にしたのは、3作目のアルバムにして最高に熱いライブ盤「白熱のライブ! / Captured Live At The Forum」でした。

実はサイケおやじは中学生だった昭和45(1970)年、それを先輩から聴かせてもらい、3DNの凄さを知ったのです。そこにはビートルズやオーティス・レディング、ローラ・ニーロのバージョンで既に知っていた有名曲をメインに、実にロックでソウルな歌と演奏がぎっしり! 告白すれば、サイケおやじは3DNの魅力は選曲センス、なんて書いてきましたが、しかし最初にシビレたの、バンドとしての歌と演奏の凄さにだったのです。特にハードな黒っぽさは良かったですねぇ~♪

そして追い撃ちとなったのが、同年夏に発売され、忽ちの大ヒットとなった、本日ご紹介の「Mama Told Me」です。

ミステリアスな雰囲気と黒っぽさが強く滲むエレピにギター、強いビートを刻むベースとドラムス、そしてトーキングスタイルのリードボーカルと一緒に歌える覚えやすいサビのハーモニーコーラス♪ グングンと熱気を高めていくリードボーカルのキメのシャウトも痛快至極ですし、サイケなエレキギターもウルトラにご機嫌です。

まさに当時の私が求めていた曲でしたねぇ~♪ 速攻でシングル盤を買ったのは言わずもがな、3DNのそれまでのレコードを聴き漁った日々が確かにありました。

皆様ご存じのように3DNは以降、ますます破竹の勢いで「喜びの世界 / Joy To The World」や「An Old Fashioned Love Song」「Black & White」等々の大ヒットを連発し、いよいよ選曲センスの良さを発揮していきますから、サイケおやじにしても、それらのオリジナルバージョンが気になり始めたというわけです。そしてもちろん、多くの素晴らしい作曲家や無名でも優れたミュージシャンに邂逅出来た喜びがありました。

つまり私には、3DNに教えられたものが、非常に沢山あるのです。

結論として3DNには、知るほどにアメリカ音楽産業の実態や秘密、方法論が確認出来ると思います。それは後の「産業ロック」なんていう、実に忌まわしい言葉のルーツかもしれませんが、3DNが多くのファンを掴んだのは、ライブの現場の真摯な姿勢もあってこそだったと、今は思っています。

その意味で、彼等のライブ盤は前述の「白熱のライブ!」、そして来日公演の録音も含んでいる「Around The World」が残されているのは素晴らしいことです。

しかし、そんな3DNにも弱点がありました。

それはラジオから流れてくる彼等のヒット曲が、いったい3人のボーカリストの誰がリード歌っているのか!? 顔と名前と実態が個人的には、なかなか一致しなかったことでした。なんというか、3人とも実力が有りすぎて、いろんなスタイルを余裕で表現出来たことが、裏目だったような……。

そのあたりはバンドとして聴けば、全く問題は無いのでしょうねぇ……。

ちなみに、この「Mama Told Me」はコリー・ウェルズがリードシンガーとされていますし、掲載ジャケットでは左がチャック・ネグロン、真ん中がコリー・ウェルズ、そして右側がダニー・ハットンという並びです。

ということで、3DNは前述のライブ盤「Around The World」を出した1974年頃から急速に人気が低下し、契約レコード会社も移籍するのですが、ついに1977年頃には活動停止……。その背景には、彼等が得意技としていた無名ソングライターの作る優れた楽曲が、そうした作家達が所謂シンガーソングライターとして自作自演でデビューしていくブームがあり、おそらくは著作権料の値上がり等々があったものと推察しております。

しかし近年はノスタルジックサーキットながらも、活動を再開しているようですし、個人的には新作を聴いてみたいバンドのひとつです。そして願わくば、全盛期の未発表ライブ音源や纏まった映像作品を望んでいるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遥かなるカーペンターズの影

2009-06-12 11:11:07 | Pops

遥かなる影 / Carpenters (A&M / キングレコード)

この時期になると、カレンの歌声が聴きたくなります。そう、あのカーペンターズのカレンです。

そして本日、聴いてしまったのは、カーペンターズの初めての大ヒット♪♪~♪ パート・バカラックとハル・デイヴィッドの名コンビが書いた名曲で、1970年に本国アメリカはもちろん、世界中でチャートのトップにランクされ、我が国でも昭和45年夏からのロングヒットを記録しているのですが、実は楽曲としては1963年頃に発表されていたもので、この名コンビが御用達の歌手だったディオンヌ・ワーウィックのバージョン等々が既に世に出ていました。

それをカーペンターズが堂々のシングル盤A面曲として発売したのは、もちろんバート・バカラックの強力な後押しがあったからです。

皆様ご存じのように、リチャードとカレンのカーペンター兄妹はファミリー・グループで十代の頃からセミプロの活動していました。しかも当時はリチャードがピアノ、カレンがドラムス、そしてベース奏者が入ったトリオとして、ラウンジ系ジャズやソフトロックっぽい歌と演奏を聞かせていたと言われています。

そして1966年、ハリウッドの某バンドコンテストに出場し、チャンスを掴むのですが、レコーディングには恵まれず……。しかし地味道な活動と売り込みの結果、当時は中道路線のソフトロックやイージーリスニング系のジャズを制作していたA&Mレコードと契約するのです。

こうして1969年、デビューシングルと最初のアルバムを発売し、カーペンターズとなった兄妹は、当時A&Mに所属していたバート・バラカックの巡業コンサートにコーラスと前座で参加することになり、そこで歌っていたのが本日ご紹介の「遥かなる影 / Close To You」でした。そしてそれを気に入ったバート・バラカックが次のシングル曲にするよう、カーペンターズを強くプッシュしたのです。

しかし、はっきり言って、当時のカーペンターズは無名……。

その所為でしょうか、この日本盤ジャケットにしても、「カーペンターズ / バート・バカラックを歌う!! 全米にふき荒れるバカラック旋風の最新盤はこれだ!!」なんていう、実に率直なキャッチフレーズが入っています。

そしてもちろん、カーペンターズのバージョンは完全なるバカラックサウンド♪♪~♪

じっくり構えたドラムスと深いビート感が心地良いエレキベースを軸にしたソフトな演奏パート、静かに喜びをかみしめるようなトランペットの間奏等々は、同時期にヒットしていた B.J.トーマスが歌うバカラックメロディの傑作「雨にぬれても」を想起させられるほど、売れる要素がいっぱいです。

さらにカレンのハートウォームなボーカルが最高です。幾分の無機質なフィーリングと低音域に不思議な魅力が潜む声質、そしてナチュラルな節回しというか、無理にひねらない歌い方が快いんですねぇ~♪

それと多重録音を駆使したコーラスワークも、兄妹のコンビネーションの冴えに加えて、アレンジやサウンド作りという技巧を超えた、まさにカーペンターズならではの音楽センスだと思います。

こうした部分は、もちろん所属レコード会社の設立者だったハープ・アルパート&ジェリー・モス、バート・バラカックやロジャー・ニコルス等々の優れたソングライター、そして実力派のスタジオミュージシャンやアレンジャー達という、縁の下の力持ちの存在が大きいわけですが、それを自分のものにしていったリチャードの音楽的才能も無視出来ません。以降、多くの名曲を書き、秀逸なアレンジと選曲センスの良さを発揮したのも肯けます。

そして実際、活動末期にカレンが単独で別なプロデューサーと組んだ歌と演奏を聴いてみると、非常に良くカーペンターズのサウンドを継承しているようでも、実は「冴え」がありません。

また逆も同じく、というのは言わずもがなでしょう。

ですから、この曲で大ブレイクを果たしたカーペンターズが1970年代前半にヒット曲を連発し、素敵なアルバムを作り出していけたのも、兄妹の切っても切れない絆によるところが大きいのです。

それゆえに如何にもアメリカの良心的なイメージと活動を義務付けられたカーペンターズは、レコードジャケットや宣伝写真では常に笑顔で写っていますし、コンサートやテレビでは子供達との共演や明るい振る舞いばかりが強調されたのですが、その裏側にドロドロしたものがあったのは、皆様ご存じのとおりです。

カレンは自分の命をも失わせた拒食症を患い、またリチャードは悪いクスリ……。ついに1979年頃には活動停止状態となり、その頃から、例えば兄妹は結婚したなんていう、心無いスキャンダルネタまでもが飛び交う始末でした……。

そして1983年2月、カレンの訃報……。

彼女が天国へ召されたことにより、カーペンターズは消滅しました。しかし残された楽曲は、いずれも良質のポップスであり、安らぎや哀しみ、笑いと涙、音楽的高揚感と気分はロンリーなものが、いっぱいつまった宝物だと思います。

ちなみにカーペンターズの音源は、意外なほどに別バージョンやミックス違いが多いのに驚きます。私がそこに気がついたのは、妹が持っていた4チャンネル仕様のベストアルバムを聴いてからで、普通のステレオで鳴らしても、明らかにミックスやボーカルテイクが異なっていたのですから、吃驚仰天!

またシングル盤にしても、初期はモノラル仕様ですから、要注意でしょう。当然ながら、このシングル盤もモノラルミックスで、アルバム収録のステレオミックスとは雰囲気が決定的に違っています。なんというか、リズム隊とボーカルが強いんですよ。

実は告白すると、サイケおやじは積極的にカーペンターズのレコードを買ったことは、全盛期には全くありません。ラジオからは恒常的にヒット曲が流れていましたし、友人から借りたアルバムを聴けば、既にオールディズ趣味に染まりかけていた私の感性にはジャストミートしていたんですが、中古屋にもそれがゴロゴロしていましたし、何時でも買えると思っていたわけです。

そこで前述した別バージョンに気がついて以降、中古盤を漁りまくったという次第です。もちろん値段は超安値♪♪~♪

そして聴きくらべていくほどに、その奥の細道には結論が出せません。本当に激ヤバ! アナログ盤で、それなんですから、1枚も持っていないCDはいったいどうなっているのか!? やっぱり買うしかないのか!?

極言すれば、リアルタイムのカーペンターズはお子様向けと決めつけられていた事実を否定出来ません。なにしろ時代はハードロックにニューソウル、そしてシンガーソングライターとウエストコーストロックが第一線の流行だったのですから!?! その中で大輪の花を咲かせたカーペンターズの存在は、ある意味では奇蹟だったのかもしれません。

また、このシングル盤のジャケットに写る兄妹は笑っていません。当時19歳のカレンはふくよかでしたし、些か渋皮の剥けていない雰囲気も、尚更に愛おしいのですが、既にして才気を感じさせるリチャードの表情も頼もしいですね。

そして、いろんな意味で、はかない透明感のようなものが、楽曲共々に感じられるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動くフィリー・ジョーに感涙

2009-06-11 10:40:06 | Jazz

Bill Evans Trio 1978 & Quartet 1972 (Jazz Shots = DVD)

近年、ビル・エバンスの映像物はいろいろと出回って嬉しい状況ですが、またまた凄い発掘が、本日ご紹介のDVD♪♪~♪ ジャケットに記載されたメンツを見ただけで、サイケおやじは、うっ、と呻いてしまったですよ。

☆1978年7月19日、イタリアのウンブリア・ジャズ祭 (約28分)
 01 The Peacocks
 02 Theme From Mash
 03 Midnight Mood
 04 Nardis / Announcement By Bill Evans

 まず、このライブ、メンツに仰天!
 ビル・エバンス(p)、マーク・ジョンソン(b)、そしてフィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) ですよっ!
 う~ん、動くフィリー・ジョーの映像って、極めて貴重じゃないでしょうか!?
 サイケおやじは、この偉人ドラマーの実演はもちろんのこと、ライブ映像にしても見たことがありませんでしたからねぇ~。内容はどうあれ、その事実だけで迷わずゲット! そして歓喜悶絶♪♪~♪
 と、ノッケから何時も以上に大袈裟な書き出しになりましたが、実際、画質も演奏もAランクの「お宝」でした。そして当然、カラー映像♪♪~♪ 
 まず冒頭の「The Peacocks」は、このライブ直前に完成させていた究極耽美の名盤「You Must Believe In Spring (Warner Brs.)」でも一際印象的に演じられていましたが、ここでは聴衆を前にした緊張感がアグレッシブなピアノタッチに結実したというか、よりナチュラルなジャズっぽさが実に良いです。気になるフィリー・ジョーはブラシ主体で幾分地味ですが、流石にツボを抑えた名人芸だと思いますし、マーク・ジョンソンの控え目なペースワークも良い感じ♪♪~♪
 そして続く「Theme From Mash」もまた、「You Must Believe In Spring」で演じられたメロディ優先主義のエバンス風耽美主義が、尚更に熱く再構築されていきます。フィリー・ジョーのドラミングも一転してスティックでビシバシ、やってくれますよ。
 ちなみにビル・エバンスとフィリー・ジョーのコンビネーションは、1962年頃までは鉄壁の相性で名演・名盤を残しているのは皆様ご存じのとおりですが、それが時代の流れとビル・エバンスの音楽性の深化によって、例えば1967年のライブを収めた「California Here I Come (Verve)」あたりを聴くと、如何にもミスマッチになっていました。それゆえに、ここでのコンビ復活は正直、ちょっと悪い予感もあったんですが、結論は問題無し!
 ちょうど晩年のビル・エバンスは、何かに急き立てられるような強いピアノタッチとハードなドライヴ感を前面に出すようになっていましたし、前述の名盤「You Must Believe In Spring」を制作した直後には長年のパートナーだったエディ・ゴメス(b) とも別れ、新たなメンバーでのトリオ演奏を試していたのでしょうか? 晩年のレギュラーとなるマーク・ジョンソンにしても、おそらくはビル・エバンスと共演して間もない時期の記録だと思います。
 そのあたりの勢いが如実に出たのが「Midnight Mood」で、なかなか前向きなピアノトリオ演奏として、各人の技も冴えまくり! ひたすらな自己表現に没頭するビル・エバンス、躍動的なペースワークでピアノに絡み、さらにアドリブソロでは相当にツッコミ鋭いマーク・ジョンソンは、やはりタダ者ではありません。そしてフィリー・ジョーの余裕のドラミング! 今まで写真でしか見ることの叶わなかった、あのポーズで動いている、それだけでシビレますよっ♪♪~♪
 そのクライマックスが、ビル・エバンスのライブには必須の「Nardis」ですから、たまりません。いきなり一人舞台の独演で攻撃的なピアノソロを披露するビル・エバンスには怖いものさえ感じますが、さらにドラムスとベースを呼び込んでからのテーマ演奏の荒っぽさは、如何にもジャズのライブ! そこからマーク・ジョンソンが渾身のアドリブを演じる場面のカメラワークが、完全に「1970年代」しているのも、嬉しい限りです。
 こうして、いよいよ最大の見せ場というか、お待たせしましたっ! フィリー・ジョーのドラムソロには、一瞬も目が離せません! あぁ、あのリックは、こうして敲いていたのかっ! 2連のバスタムや追加されたトップシンバルを駆使しながら、独特のアクションと如何にも黒人らしいファッション♪♪~♪
 本当に、長生きはするもんですっ!

 05 Solar (incomplete)
 このトラックは、上記と同日の演奏で、ビル・エバンスのトリオにリー・コニッツ(as) が加わっていますが、残念ながら途中で終了……。しかもビル・エバンスのピアノソロが切られているような感じですし、マーク・ジョンソンのアドリブに入ってから、すぐにフェードアウトは勿体無い!
 リー・コニッツの何時もながらの十八番という、何を吹いているか分からないのに気持ちが良いアドリブが冴えているだけに、完全版の復刻に期待を残します。

☆1972年2月12日、ドイツでのスタジオリハーサル (約26分)
 06 Waltz For Dissention
 07 Stockenhagen
 08 What Is Thing Called Love ?
 09 Sao Paulo
 10 Northem Taril

 これがまた、驚愕の映像で、メンバーはビル・エバンス(p)、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds) という当時のレギュラートリオに、その頃は欧州で活動していたハーブ・ゲラー(as,fl) が加わった凄いバンド! どうやら翌々日に予定されていた特別コンサートのリハーサルらしいです。
 その所為でしょうか、緊張感とリラックスしたムードが有名ジャズメンの日常をも包括した興味深さで、咥え煙草のエディ・ゴメスとか、譜面ばっかり見ているマーティ・モレルとか、ジョークかマジか意味不明の打ち合わせとか!?!
 しかしハーブ・ゲラーの本気度は高く、久々にアメリカの超一流と共演出来る喜びだけとは言えないものを感じます。特に「What Is Thing Called Love ?」のアルトサックスは良いですねぇ~♪ フルートを聞かせる「Stockenhagen」は、ちょっと大野雄二のサントラ音源みたいで、これも素敵ですよ。
 ただし演奏は、その性質上、全てが完奏されているわけではありません。しかしメンバー各々の見せ場というか、アドリブはしっかりと披露されていますし、なによりもスタジオリハーサルという、一般のファンには普段見られないところが、カラー映像で楽しめるのは高得点でしょう。画質はフィルムの劣化により「-A」程度ですが、特に問題は無いと思います。

ということで、けっこう個人的には、たまらないブツでした。

演奏場面はもちろんのこと、例えば前半のパートではビル・エバンスがマーク・ジョンソンに落ちている譜面を拾ってあげたり、ちょっと悪いクスリの影響すら感じさせる演奏中の表情、さらに当時のステージならではの照明と映像の兼ね合いが日活ニューアクションしていたり!?! また後半のスタジオリハーサルでは、ハーブ・ゲラーの生真面目なところが、ファジーなビル・エバンスのトリオと絶妙に連携していく過程が、興味深々でした。

収録時間はトータル約54分ですが、なかなか密度の高い作品だと思います。

そして動くフィリー・ジョー♪♪~♪

サイケおやじは、それだけで満足しています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする