OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ベンチャーズにシビレた昭和40年

2009-06-17 11:47:06 | Ventures

10番街の殺人 / The Ventures (Liberty / 東芝)

ベンチャーズのオリジナルメンバー、ボブ・ボーグルの訃報に接しました。

ご存じのようにベンチャーズといえば「テケテケ」と云われるほど、我が国では音楽面のみならず、社会文化にも大きな影響を与えた偉大なエレキバンドですが、そのスタートはボブ・ボーグルとドン・ウィルソンの2人によるギターバンドとして、1959年にデビューしています。もちろん当時でも、ちゃんとドラムスやベースも入ったロックバンド形態だったのですが、レギュラーがなかなか固定していなかったのです。

そこへノーキー・エドワーズが加入したのが1960年のことで、ついに2作目のシングル「Walk Don't Run (Dolton)」が大ヒットして人気バンドになったのが、アメリカでの結成当初の顛末です。

そして当時のドラマーには一応はハウイ・ジョンソンが入り、1963年頃までに多くのヒットシングル&アルバムを作り出していたのが、アメリカでの全盛期でした。ただしこの時期のバンドメンバーはドン&ボブ以外は決してレギュラーではなく、ノーキー・エドワーズにしてもベース奏者としてベンチャーズに参加したのが初期の真相ですし、スタジオレコーディングでは多くのセッションミュージシャンが起用されていました。

しかし、それでもベンチャーズが現役として人気を失わなかったのは、巡業における実演ライブが凄かったからに他なりません。1963年頃にはノーキー・エドワーズ(g,b)、ドン・ウィルソン(g,vo)、ボブ・ボーグル(b,g)、メル・テイラー(ds) という黄金の4人組が勢揃いし、まさにライブバンドとしての全盛期を築くのです。

こうして昭和40(1965)年1月、ベンチャーズが来日公演を行い、日本中にエレキブームを到来させるのですが、実はこれが初来日ではなく、1962年5月にドン&ボブの2人組ベンチャーズが来日したことになっています。しかし当然ながらブームになることもなく、サイケおやじにしても、それがどのような公演だったのかは知りません。

ところが昭和40年は凄かったです!

まず1月の公演は確かアストロノウツとのジョイントだったと記憶しているのですが、既に前年には、そのアストロノウツが「太陽の彼方に」のサーファンインストをエレキで大ヒットさせていましたし、ビートルズのブームもジワジワと実感をもって迫っていた時期のタイミングはジャストミート! 満員の会場ではメンバーも恐れるほどの暴動騒ぎがあったと、当時のマスコミが大袈裟に報道したのも、火に油の宣伝となりましたし、この時の新宿厚生年金会館でのライブレコーディングが「ベンチャーズ・イン・ジャパン (東芝)」という決定的な名盤アルバムとしてLP化され、当時だけで50万枚以上の大ベストセラーになるのです。

なにしろ当時、電蓄プレイヤーさえ持っていなかった叔父さんが、その頃でも決して安く無かった千八百円のこのLPを買い、我が家のステレオでギンギンに鳴らしまくったのですから、少年時代のサイケおやじもハナからケツまでシビレましたですねぇ~♪

そして同時に我が国青少年が目覚めたのが、自分でエレキを弾く、バンドをやるということです。これはもう、あの映画の「エレキの若大将(東宝)」でもご覧になれるとおり、テレビでは勝ち抜きのエレキ合戦が放送され、また楽器屋主催のコンテストや学生バンドのライブが毎週土日には恒例でした。もちろんプロのバンドも、例えば寺内タケシとブルージーンズやシャープファイブ等々が驚異的な大ブレイク! これが後のGSブームに直結していくのです。

その原動力となったベンチャーズの魅力は、何といってもバンドが一丸となったロックのグルーヴの物凄さです。これは断言しても後悔しないのですが、ビートとリズムのニュアンスやイントネーションが4人のバンドメンバーでがっちり纏まっているのですねぇ~。そして微妙にツッコミ気味のメル・テイラーのドラムスにノセられるように突進して作り上げていくロックンロールの壮絶感が、見事にエレキで増幅されているという感じでしょうか。

ノーキー・エドワーズのアンタッチャブルな神業リードギターは言わずもがな、十八番の「テケテケ」と強烈なビートを刻むドン・ウィルソンのサイドギターも凄いのですが、今になって気がつくのは、ボブ・ボーグルのペースが完全に8ビートを弾いていることです。しかも映像を見てわかるのですが、当時の他のペース奏者と決定的に違うのは、高いポジションでビートが強いフレーズを弾いてることです。これは本来、ボブ・ボーグルがギタリストだった個性の表れかもしれませんし、それゆえにドライブしまくったハードなフィーリングがベンチャーズだけの凄いロックを聴かせてくれたのだと思います。

このあたりは同年7月の3度目の来日公演で、完全に日本人を狂喜乱舞させた大ブームとなり、そこから作られた映画「ザ・ベンチャーズ '66 スペシャル~愛すべき音の侵略者達(松竹富士)」にはっきりと記録されています。現在はDVD化もされていますから、ぜひともご覧くださいませ! 物凄いライブ演奏はもちろんのこと、当時のエレキブーム真っ只中の日本、そしてロック全盛期の日本が懐かしくも楽しめます。

エレキは不良!? なんて、かんけーねぇ!

当然ながら人気も、当時はビートルズを凌駕していたんですよっ!

さて、本日ご紹介のシングル盤はその頃に発売された、全盛期ベンチャーズの人気曲のひとつです。そしてサイケおやじにしても、初めて買ったベンチャーズのレコードが、これでした。原曲は古いミュージカルの中のメロディなんですが、それを痛快なロックビートとドライヴの効いたエレキサウンドでインスト化した極みつき! モズライトの高出力エレキギターを活かしたナチュラルな歪み効果に加え、各種最新エフェクトも適宜使いながら、例えばサックスを不思議な音に作り替えた間奏を入れるなど、工夫が凝らされています。

つまり幸せなことに、我が国のファンはリアルタイムで全盛期を迎えていたベンチャーズに感化されたんですねぇ~。当時のアメリカではシングルヒットはイマイチの時期でしたが、それでも売れていたアルバム制作は実に意欲的でしたから、全くの必然!

ちなみに、この曲をライブで演奏する時はシンプルなギターロックになっていますが、それがまた、こたえられないという魔力が、前述した映画「愛すべき音の侵略者達」でも尚更に楽しめますよ。

ということで、今となっては「テケテケ」の出稼ぎバンド、なんていうふうにしか感じてもらえないベンチャーズかもしれませんが、このグループが来日しなければ、我が国の文化風俗は絶対に違ったものになっていたと確信しています。

またメンバーチェンジも度々行われた長い歴史のバンドにあって、創設者の2人がいる限り、例えどんな曲を演奏しようとも、確固たるベンチャーズサウンドの本質は普遍でした。それは特にポブ・ボーグルのペースワークに秘訣があったように、今は思っています。

ボブ・ボーグルよ、やすらかに……。

そしてベンチャーズ、永遠なれ!

コメント (5)
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