OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

モータウン元ネタ先祖帰りの名曲

2012-11-28 14:54:07 | Soul

Band Of Gold / Freda Pyne (Invictus / 東芝)

1960年代後半から1970年代中頃にかけて、それこそ世界中のポップスファンをシビれさせたバブルガムヒットの数々は、定説としてアメリカの黒人ポップスだったモータウンサウンドの剽窃ではありますが、しかしモロにそれをやっていたわけじゃ~ない事は、皆様ご承知のとおりです。

つまり制作側の創意工夫があっての事で、例えばイギリスのトニー・マコウレイにしろ、我国の筒美京平にしろ、モータウンサウンドやそれに関連するノーザンビートの黒人歌謡ヒットを土台にしつつ、それぞれのお国柄に合わせたリメイク(?)をやっていたと思います。

しかし、それはアメリカでも同様であった事は言わずもがな、些か本末転倒ではありますが、具体的には所謂ダンヒル系のグラス・ルーツあたりに代表される諸作ヒットに顕著でしょう。

そしてもうひとつ無視出来ないのが、黒人側からの白人ポップスの創成というか、もちろん1960年代の全盛期モータウンサウンドには、そうした側面があったわけですが、大衆音楽の最先端がサイケデリックロックの時代以降は、黒人音楽も後のニューソウルの萌芽の如き混濁フィーリングを滲ませるようになりましたから、セールスも限定的に……。

さて、そこで原点回帰を目指したのでしょうか、モータウン系サウンド工房では中心的役割を務めていたブライアン・ホーランド、ラモント・ドジャー、エディ・ホーランドのソングライターチーム、通称H=D=Hが本家から独立する形で1969年に発足させたのが、インヴィクタスというレベールでした。

そして狙いは往年のモータウンサウンドの再生と進化!?!

無論、それは楽曲やサウンドプロデュースだけではありません。中心となる歌い手の存在こそが一番重要ということで、特に本日ご紹介のシングル曲「Band Of Gold」と、それを歌ったフレダ・ペインは忘れ難いスタアでありました。

しかし、ここまで書いてきた事をサイケおやじが知ったのは、例によっての後付けです。

リアルタイムでは前述のグラスルーツとか、イギリスのエジソン・ライトハウス、我国のポップス歌謡等々に浸り込んでいたところから、そのルーツを探索する過程と言えば大袈裟でしょうが、ある日突然にラジオから流れてきた件の名曲名唱にハッとさせられたのが発端となり、様々に調べた挙句の経緯なのです。

とにかくイントロから重心の低い溌剌ピートを叩き出すドラムスとベースの共謀、そして背後にはキャッチーなリフが提供され、しかもキュートな声質と素直な節回しでシンプルなメロディを歌ってくれるフレダ・ペインのナチュラルな上手さは絶品♪♪~♪

おそらくバックの演奏はモータウン所縁のファンクブラザーズ、つまりアール・ヴァン・ダイク(key) やピストル・アレン(ds) 等々がやっているんでしょうねぇ~♪ だって、これは1970年の制作ヒットながら、サウンドのフィーリングは丸っきり1960年代中頃の味わいですからっ!

とすれば、フレダ・ペインのボーカルが失礼ながらダイアナ・ロスっぽく聞こえてくるのもムペなるかなです。

もちろんサイケおやじは一発で曲も歌手も好きなり、特にフレダ・ペインには殊更夢中にさせられたわけですが、なんとっ!? ここでサイケおやじをシビれさせる以前にはジャズボーカリストとしてのキャリアもあり、名門レーベル「インパルス」で作られた彼女の実質的なデビューLPが最高の仕上がりになっている事はジャズ者には常識と言われるほどです。

また、これも後追いで知ったんですが、クインシー・ジョーンズの自伝によれば、彼女とは不倫関係にあったとか!?

う~ん、ジャケ写からも一目瞭然、フレダ・ペインは美人歌手の典型であり、しかもグラビアモデルもやっていたそうですから、当時は19歳だった彼女にクインシー・ジョーンズが夢中になったのも納得されますねぇ。当然ながら、前述のインパルス盤の実質的なプロデュースは? という推察も易いでしょう。

閑話休題。

そこで肝心の話に戻りますが、サイケおやじがフレダ・ペインの歌う「Band Of Gold」で目覚めたのは、それがなかなか白人っぽいポップス感に彩られていたからでしょう。

今更言わずもがなの事実ではありますが、筒美京平の洋楽パクリの上手さは原曲元ネタよりも素晴らしいメロディやアレンジを作ってしまう才能の凄さであり、リアルタイムの最新ヒットを研究し尽くしていたに違いないとすれば、この「Band Of Gold」も俎上にあったと確信するところです。

それがトニー・マコウレイにも該当するであろう事は、同時代に作っていた前述エジソン・ライトハウスの一連のヒット曲等々で明らかでしょう。

逆に言えば、「Band Of Gold」を作り出したインヴィクタスの制作者達も、同様の意識で白人ウケを狙っていたんでしょうねぇ~~~。

そうしたロックフィーリングの導入は、きっちり後のボズ・スキャッグスやドゥービー・ブラザーズあたりに受け継がれていくわけですが、その意味でもフレダ・ペインのジャズもソウルも見事に融合させた歌いっぷりは流石だと思います。

ということで、サイケおやじのソウル歌謡趣味を導いてくれたのが、フレダ・ペインの「Band Of Gold」でありました。まあ、今となっては彼女の偉大なキャリア中では、それほど大きな意味合いがあるとは思えないかもしれませんが、機会があれば皆様にはお楽しみいただきたい名曲名唱です。
 

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