OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ちょっと思い出の片平なぎさ

2012-11-19 15:09:48 | 歌謡曲

頬にかかる涙 / 片平なぎさ (東芝)

地方の食堂や喫茶店で主に見かけるのが俳優や歌手のサイン色紙なんですが、中でもテレビの所謂2時間サスペンス物にシリーズで出演しているスタアであれば、全国各地で珍しくもないと思われます。

なにしろドラマそのものが、ロケ地とタイアップした作りという、ある意味では「旅の番組」的な要素が強いですからねぇ~~。

とすれば、今や「2時間ドラマの女王」とさえ称される片平なぎさのそれは、さぞや多かろうと推察しています。

しかしデビュー時の彼女は歌手として売り出されたアイドルであり、一時は山口百恵の路線を継承するポジションが約束されていた感もあったんですよっ! なにしろ所属事務所がホリプロで、出身がテレビのスカウト番組「スタア誕生」でしたからねぇ~~~。

実は本日、こうした書き出しになっているのは、その片平なぎさがデビューした昭和50(1975)年、未だ若かったサイケおやじがバイト先の御曹司のお伴で彼女の「追っかけ」に付き合わされ、サインを貰うために大雨どしゃ降りの深夜にテレビ局の裏口で「張り込み」までやらされた経験があるからでして、具体的には件のボンボンをバイクの後ろに乗せ、彼女が乗り込んだタクシーを追跡したり、キャンペーン会場の場所取り等々、モロに社会(?)の厳しさを教えられたんですねぇ。

まあ、それも今では良い人生の勉強と苦笑いしつつ、こんな戯言を綴っていられるほどの「遊び」であったわけですし、実際にバイトの給料もそれなりに恵まれていたのですから、文句をタレたらバチがあたるでしょう。

さて、そんな日々の同年晩秋、ちょうど発売された新曲のレコードにサインを貰うべく、サイケおやじは厳命されて某所に赴いたのですが、ちょいとした手違いから預かっていたレコードを持っていくのを忘れるという大失態!!

しかも現場で本人を前にして、初めて気がついたというテイタラクでありました。

ということで、その時にサイケおやじの手元に残されたのが、掲載のシングル盤というわけです。

ご存じのとおり、片平なぎさは歌手としては大成したとは言えませんが、それでも発売されたオリジナルの歌は良いものが多いのは確かです。

この「頬にかかる涙」は4枚目のシングル盤A面曲として、作詞:千家和也&作曲:三木たかし! つまりは黄金のヒット狙いであり、愛する男と不条理な別れを嘆く彼女の渾身の歌いっぷりが胸に迫る名曲名唱だと思います。

う~ん、全く山口百恵の路線がモロ!?

しかし片平なぎさの場合、山口百恵ほどの翳りが潜在していない所為でしょうか、結局は歌の世界よりは、もっと直截的な演技演出の場で、個性を活かせたという事なのかもしれません。

特に今でも彼女の大ファンを続けている前述のボンボンに言わせると、片平なぎさは「スチュワーデス物語」に代表されるイジメ役が最高だそうですし、近年はすっかり悪役をやらないので勿体無い!

そういう事らしいですよ、サイケおやじは特にファンではないので、気がつきませんが。

ただし、ちょっとばかりでしたが、付き合わされた「追っかけ」で印象に残った彼女は、スタアらしくない、実に「腰の低い」素敵な女性だった事で、当時は新人であった事とは別に、きっと育ちが良いんじゃ~ないかなぁ、と思ったものでした。

そして最後になりましたが、結局は「サイン貰い損ね事件」の後、サイケおやじは割の良いバイトは自発的に辞めました。しかし雇い主のボンボンとは何かと関係が今も継続しているのは、人生の機微というものと思います。

片平なぎさに、感謝かなぁ~。

コメント (6)
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