■Red Rubber Ball / The Cyrkle (Columbia / 日本コロムビア)
現在ではソフトロックの人気グループとして若い世代に再発見されたサークルも、サイケおやじにとっては、話題先行型のポップスグループでした。
本日ご紹介のシングル曲は、そんなサークルが1966年夏に放ったデビューヒットなんですが、当時は十代だったサイケおやじを何よりもワクワクさせたのが、ラジオのチャート番組や洋楽雑誌で知り得た彼等の正体(?)です。
それはサークルがビートルズのマネージメントだったブライアン・エプスタインの秘蔵っ子であり、ビートルズ最後の全米巡業の前座を務めたとか、さらにはサークルというグループ名はジョン・レノンの発案だったとか!?
するとサークルはビートルズの弟バンド的な存在?
と、サイケおやじは思い込まされました。
また肝心の楽曲は、正統派ポップスとフォークロックが最高に上手く融合した優良品♪♪~♪ しかも作曲がサイモンとガーファンクルのポール・サイモンだと言うのですから、たまりません。
つまり表面的にはビートルズ+S&Gという、実に魅力的なグループだったんですねぇ~♪
メンバーはドン・ダンネマン(vo,g)、トム・ダウズ(vo,b,g)、マーティ・フライド(vo,ds) という3人組で、本来はアメリカ東海岸で歌っていたフォークグループだったと言われています。そして1966年初頭からサイモンとガーファンクルの前座を務めていた事から、既に述べたようにポール・サイモンが書いた「Red Rubber Ball」を譲り受けたそうです。
そしてここで作られた「Red Rubber Ball」のデモテープがブライアン・エプスタインの手に届くという経緯は、あまりにも幸運優先モードでしょう。
まあ、人生には「運」と「出会い」が大切なわけですが、結果的にデビュー曲となった「Red Rubber Ball」が世界中で大ヒットした事は、ちょいとツキ過ぎ!?
その所為でしょうか、以降のシングル曲はヒット状況もイマイチでしたし、豪華なスタッフを配してコロムビアで2枚制作されたアルバムも、リアルタイムでの評判は芳しくなかったようです。
このあたりは実際、サイケおやじが後追いで聴いてみても、このデビュー曲の質の高さには叶わないと思うばかり……。
それが後年、再評価されるなんて、思いもしませんでした。
う~ん、サークルの運気は落ちていなかったんですからねぇ。
ちなみに今ではCD化もされ、すっかり人気盤になった「ザ・ミンクス (Flying Dutchman)」というポルノ映画のサントラ音源集が、最もポップな仕上がりなのも意味深です。なにしろグループそのものは1968年に解散したことになっていて、結局は1970年代に出た「ザ・ミンクス」にしても、実は1967年中頃にメンバーのトム・ダウズがひとりで作っていたものという説が有力なのです。
以降は全くの個人的な推察に過ぎませんが、サークルが尻つぼみに終わったのは、ブライアン・エプスタイン夭逝の影響かもしれませんねぇ……。
ということで、如何にもポップスがど真ん中の甘くて、胸キュンの名曲名演「Red Rubber Ball」を残してくれただけでも、サークルはポップス史上で忘れられないグループになっています。
それは実質、約2年の活動で消えた、淡い夢のようなサークルの真実を一番に表わしているんじゃないでしょうか。
機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。