OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

若大将とモズライト

2010-09-21 16:37:48 | 日本のロック

夕陽は赤く c/w 蒼い星くず / 加山雄三 (東芝)

先日の週刊新潮(9月23日号)に、エレキのロールスロイス「モズライト」から詐欺と訴えられたエレキの若大将「加山雄三」、なんていう記事が出ましたですね。

そこで読んでみたんですが、簡単に言えば「モズライト」という商標登録権の真偽と所有権争いじゃないでしょうか?

これについては以前にも裁判沙汰があったはずで、一応の決着はついていると思っていたのですが、わざわざ蒸し返したような記事の書き方も???です。

ちなみに「モズライト」というのは、1950年代に設立されたアメリカの楽器メーカーで、確かリッケンバッカーから独立したセミー・モズレーが創業者とされていますが、なんといっても有名になったのは、同社製のエレキギター!

特にベンチャーズが1963年頃から、所謂モズライト・ベンチャーズ・モデルを使い始めてから、他に類がない高出力のエレキサウンドを作れるギターとして、一躍注目されたのです。

それはおそらく同年に発売されたアルバム「サーフィン」のセッションからという説が有力で、しかも翌年に出たLP「ファビュラス・ベンチャーズ」のジャケットには、モズライトの宣伝が掲載されているほど!?!

そして当然ながら、昭和40(1965)年から本格化する我国エレキブームの象徴的なギターとなるのですが、もちろん当時は高価な本物のモズライトを手にすることが出来るのは大金持ちか、極一部のプロだけでしたから、それを堂々と使っていた、例えば寺内タケシや加山雄三のスタア性がますます高まるというわけです。

しかしモズライトのエレキギターは、実は扱いが非常に難しく、何よりも当時としては極端な高出力がありましたから、直ぐにハウるんですねぇ。またナチュナルディストーションと言えば聞こえは良いんですが、その歪みもコントロールするのが至難の業で、サイケおやじも1980年になって本物のモズライトを弾かせてもらいましたが、とても……。

つまり名人級の腕前が無いと、そう簡単には弾きこなせないのですから、前述のふたりが如何に上手かった知れようというものです。

さて、そんな高級ブランドの「モズライト」でしたが、1960年代末頃から数回の倒産を経て、その製造権利や商標が転々した事が、今回の騒動の根っこにあります。そして1992年に創業者のセミー・モズレーが死去した後の混乱が、さらに大きい様です。

そこには遺族となった妻や娘がそれぞれに権利を主張してギターを制作販売した事や、アメリカ以外の各国でのライセンス契約問題が残され、特に我国においては根強いベンチャーズ人気がありますから、リアルタイムのエレキブームの頃から偽物コピー商品が出回り続けて、今日に至っているのが現実……。

このあたりの経緯はサイケおやじの知る限りでも複雑怪奇を極めているんですが、日本で一応はきちんとしたライセンス契約を認められていたのがファーストマン社だと言われていますし、実際に日本製のモズライトギター「アベンジャー」を堂々と出していました。

ところが本家モズライトの倒産の連鎖でしょうか、その後にファーストマンも潰れてしまい、その下請けだった黒雲製作所が「ジャパンモズライト」を引き継いだと記憶しています。

しかし日本には、もうひとつの「モズライト」関連会社があり、それが本家の代理店として営業していたフィルモア楽器でした。

そして黒雲製作所とフィルモア楽器の間で権利関係の裁判があり、結局は双方とも正式な権利は無いという判決だったはずなんですが……。

それは日本国内の事情であり、本国アメリカでは既に述べたようにセミー・モズレーの元妻と娘が、それぞれに権利を主張しているばかりではなく、元妻側の会社が実際にモズライトブランドのギターを製造販売していたというのですから、穏やかではありません。

結局、今回の加山雄三の名前が出た騒動にしても、そんな権利関係の縺れが大きいわけで、サイケおやじにとっては真相どころから、経緯までも全く見えていませんので、それについては、ここまでしか書きません。

ただ、加山雄三が使っているモズライトがフィルモアというところに、注目点があるのかもしれません。

はっきり言えば、若大将にとっては、迷惑な話以外の何物でもないでしょう。

ちなみにフィルモアも黒雲も、どこでモズライトを作っているのかは現在不明らしく、それなのにギターだけが市場に出回っているという現実が、ねぇ……。

またサイケおやじは、その両方を弾かせてもらった事もあるんですが、個人的には黒雲モズライトの方が鳴りが良かった感触です。というか、コントロールが楽だったというのが、本音ではありますが。

さて、そんなこんなは別にして、本日掲載したシングル盤は両面とも、加山雄三が自作した代表曲にしてエレキ歌謡の決定版!

発売されたのは昭和41(1966)年で、もちろん同時期に公開された「アルプスの若大将(東宝・古沢憲吾監督)」の挿入歌でもありましたが、まずA面の「夕陽は赤く」は、若大将にしては珍しくアンニュイなムードも強いスローな曲調ながら、そのシンミリ系のメロディと強いエレキのビートがジャストミート♪♪~♪ 本当に忘れ難い印象を残します。

一方、B面の「蒼い星くず」は軽快なエレキギターのリフも鮮やかなアップテンポの痛快曲で、まさに加山雄三=弾厚作モードがど真ん中の傑作になっています。

ちなみに、このシングル盤はAB面が逆になったブツも同時期に出回っていて、つまりは両A面扱いだったんでしょうねぇ~♪ それほど出来が素晴らしいという証ですよっ!

そしてジャケットが、もはや加山雄三のイメージのひとつでもある、エレキの若大将ですからねぇ~♪

ご存じのとおり、「夜空の星」から「ブラック・サンド・ビーチ」、そしてこのシングル盤まで、所謂「モズライト三部作」と呼ばれるほど、常にジャケ写にはモズライトと加山雄三のツーショットが使われているのですが、それにしても今日、あまりにも曖昧模糊としたモズライト騒動に巻き込まれるとは、本当に神のみぞ知るでしょう。

ただし件の週刊誌の記事は、完全なる取材不足ですし、ありがちな一般論や憶測が漠然と書かれたものという感じがしています。

まあ、そのあたりは皆様がそれぞれのご判断ということで、やっはりエレキに血が騒いでしまうのは、昭和世代の宿業かもしれませんねぇ。

コメント (4)
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