松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

スパルタ特訓が容認されたレアなケース、金足農。

2019-02-23 11:52:47 | 日記・エッセイ・コラム

 娘が誕生日を祝ってケーキを買ってくるという。じゃあ外食しよっか。てなわけで、歩いて行って飲んで帰って来られる場所はココしかない。鉄板焼き「大雅(タイガ)」だ。

 あの事件以来初めて行く。「この店も全国区になったなあ、儲かってるだろ」「いえいえ、お兄様だけよ」ほんと良くテレビで見た、お兄様だけ。

 カウンターには、ずらり写真と色紙。ナインが揃ってお礼に来たそうな。全員のサインが入った色紙。生意気だよな、自分のサイン持ってるなんて。

 「一番遠い人、どっから来た?」「沖縄から」ゲーおきなわ!すげえ。

 甲子園が特別な存在だということを、いやと言うほど思い知った夏だった。これだから高校生は皆、目標にするんだ。それは正しい。その上のオリンピックは、目標に値しない。勝手な都合で種目が消えたりする。あの金にまみれた大会は、目標に値しない。

 甲子園は、ルールを知らない女子までが注目する。「今、何回戦?」「何回戦って、1回戦だよ」「勝ってる?」「まだ終わってない。勝ち負けは9回が終わってから」甲子園では起こらないが、突然5回で終わったり、7回で終わったりする。

 冬合宿をテレビで見て、膝が悪くなった。吉田君が100kgもある4番を担いで、雪の斜面を登る。若いから出来る。今じゃ無理。良く故障しなかったな。

 毎年のことだが新入生は、ごっそり入ってすぐに抜けていく。彼等は結局10人しか残らなかった。前の監督がおっしゃっていたが、救急に担ぎ込まれた生徒のうち一人でも死んでいたら、今はない。それは綱渡りのような特訓だ。この非科学的特訓が今時、許されるなんて、不思議な現象だ。

 甲子園だから。許されるんだろうなあ。

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バブルの頃の仕返し

2019-02-21 11:11:18 | 日記・エッセイ・コラム

 由利本荘市という所は、最初の赴任地であったという事もあるし、人生に於いて一番印象に残る土地になった。

 最初の仕事は授業料徴収だった。窓口で現金を徴収する。その学校は1,200人ほど生徒がいて、目が回るほど忙しかったが、女生徒の大部分の名前と顔を覚えてしまった。

 デスクマットの間にランキングを挟んでいたら、ある担任に見つけられて、うちの放送部の子が入ってないじゃないか、と言われたこともある。

 ある、こまっちゃくれた子と授業料を収めた収めないで、もめたことがあった。こっちは授業料袋がカラだったことに自信があったが、相手も頑固だった。仕方なし立て替えたので、オレはずっと根に持っていた。

 そしたらある学校で、卒業後そいつに会った。立派になって養護教諭となって、3番目の赴任校にやって来た。

 保健室というのは、学校の避難場所であると同時に、たまには厳しく教室に帰してやらなければならない。そういう意味で、あいつは男勝りな性格もあってぴったりだった。ことに男子生徒が多い学校ではそうだ。

 その年の秋、楽しみにしている慰安旅行の時期が来た。学校職員は国語科、英語科と言う風に科ごとに積み立てしたりして旅行に行く。事務室は守備範囲が広く、その他の保健室や購買や技師、果ては校長・教頭も入れる。計画を立てるのはオレの仕事だ。

 その年の行く先は忘れたが、多分山形だったろう。酔った勢いで女性部屋にお邪魔し、その子の布団に潜り込んだ。まだ全員起きているし、小耳をそば立てて聞いている。

 あの時、授業料ごまかしたろう? はっきりと否定はしなかったが、肯定もしなかった。そんなことして、じゃれていたが。会話が少なくなると、周りの無言の圧力を感じて、後ろ髪引かれながら自分の部屋へ戻っていった。

 あのあたりが、オレのバブルを象徴する時代だったかもな。公務員としては・・。

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朝鮮併合の、おさらいをしよう。

2019-02-20 10:40:43 | 日記・エッセイ・コラム

 確かあの時日本はハングルを教えたんだよね。だから今、韓国人は読み書きが出来る。ハングル自体も、日本人が考えたと思っていた。さすがにそれは無かった。

 併合から21年後の昭和6年。リットン調査団のマッコイ米国代表は、朝鮮総督・宇垣一成にこう語った。

 「自分は昨夜来、東洋における一つの驚異を発見した。
 我々は、朝鮮という所は大体満州の延長であるから、相変わらず匪賊が横行し、産業も振るわず、赤土色の禿山の下で民衆は懶惰な生活を送っているものとばかり思っていた。
 しかるに、列車が一度 鴨緑江の鉄橋を超えるや、車窓に隠見する時々物々、皆我々の予想に反し、見渡す山々は青々として繁茂し、農民は水田に出て孜々として耕作に従事している。

 そして平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に見受ける民衆は皆さっぱりした衣服を纏い、治安はよく維持されていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し且つその顔に憂色がなく、満州に比べて別世界の感がある。」

 先進国の仲間入りを果たした事に比べたら、徴用工?慰安婦? あの頃の時代背景で、それが言えるかい?

 慰安婦像の代わりに、日本人を祀った神社が立ち並んでいてもいいくらいだ。 僕らの祖父・祖母は、偉大なことをやってのけたもんだ。

 いつの時代も、負の側面はある。

 オレの目は大きいから、小さいものは見えない。

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美大の卒展

2019-02-19 12:17:09 | 日記・エッセイ・コラム

 ある美大の卒展を見に行った。

 こういう触れる展示が、大好き。

 写真もほとんどOK。ついでに会場係りの女の子もOK、なわけないか。

 みな美人に見えた。視力が低下してるのか。

 曖昧な犬。どっかで見たぞ。上小阿仁プロジェクトだ。

 こういうタッチは、好きです。

 名前からすると、女の子のようだ。

 ひときわ暗い場所に、たたずむ女の子。

 「抱っこ、してみて下さい」いや、教養が邪魔して、無理。

 でも持ってみた。重かった。

 テレビに出ていた女の子の作品がコレ。タイトル「あわわ」

 お菓子に見えるが、石鹸だ。

 あまり期待したほど、奇抜な人間は居なかったが、女の子と5人くらい、受付を含めて会話して来た。若返った、かも知れない。

 

 

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吉田輝星と柿木

2019-02-18 07:54:19 | 日記・エッセイ・コラム

 日本ハムの紅白戦、吉田と柿木の先発を見た。大概の女性ファンは、ホームランを打たれた吉田君を見て「あーあ」とがっかりしたことだろう。そして三者凡退に退けた柿木のピッチングに嫉妬したことだろう。

 ニュース番組では全球を見られなかったためにストレスを感じ、誰かが撮ってくれたユーチューブの映像を確かめた。

 吉田の一人目。簡単に追い込み、ゴロで打ち取った。二人目、ストレートで1ボール1ストライク。そのあとの、お辞儀するような「らしくないストレート」でバックスクリーンにホームラン。あれは直球かな。バッターもすくい上げたように見えたがなあ。

 清宮は初球から打ちに行き、セカンドゴロで2アウト。そこから二人フォアボールで出したが、カウントは先にバッターを追い込んでいた。

 前に飛ばせないバッターのファウルボールをポロリ落としての四球だった。それで終わったら、なんてことの無いデビュー戦だったが、そこから魅せるのが吉田輝星。最後のバッターは手応えをつかんでのアウトコース一杯の低めのストレート。あれは良かった。あの締め方が吉田輝星。

 二人は対照的だ。柿木はヤマ掛けられないようなピッチング。コントロールもいい。吉田は今頃ならまだ雪の中だよ。金足農業というチームは春の大会は弱い。夏の大会に向けて、調子を上げるチームだった。昔から。

 だからこれでいいんです。吉田君は甲子園でもアンパイアーのジャッジに泣いた。でもここぞという時の集中力で切り抜けてきた。あれが素晴らしい。意気に感じて思わぬ力が出る。むしろそういう場面が、プロになって毎回出現するか。それの方が心配だ。

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