確かあの時日本はハングルを教えたんだよね。だから今、韓国人は読み書きが出来る。ハングル自体も、日本人が考えたと思っていた。さすがにそれは無かった。
併合から21年後の昭和6年。リットン調査団のマッコイ米国代表は、朝鮮総督・宇垣一成にこう語った。
「自分は昨夜来、東洋における一つの驚異を発見した。
我々は、朝鮮という所は大体満州の延長であるから、相変わらず匪賊が横行し、産業も振るわず、赤土色の禿山の下で民衆は懶惰な生活を送っているものとばかり思っていた。
しかるに、列車が一度 鴨緑江の鉄橋を超えるや、車窓に隠見する時々物々、皆我々の予想に反し、見渡す山々は青々として繁茂し、農民は水田に出て孜々として耕作に従事している。
そして平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に見受ける民衆は皆さっぱりした衣服を纏い、治安はよく維持されていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し且つその顔に憂色がなく、満州に比べて別世界の感がある。」
先進国の仲間入りを果たした事に比べたら、徴用工?慰安婦? あの頃の時代背景で、それが言えるかい?
慰安婦像の代わりに、日本人を祀った神社が立ち並んでいてもいいくらいだ。 僕らの祖父・祖母は、偉大なことをやってのけたもんだ。
いつの時代も、負の側面はある。
オレの目は大きいから、小さいものは見えない。
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