法事に行って来ました。秋田から象潟まで、ずっと雨でした。スタッドレスに替えておいて良かったです。道路に深い2本のわだちが出来て、すり減ったタイヤだと滑ったかも知れません。慎重な車が多かったです。
法事の参加者は、少数精鋭の6名でした。勤務を抜けられない若者が一人。それも含めて身内だけです。
寺から来たのは娘さんで、お父さんは葬儀の方に行っているそうです。今日、間近で見て、結構念入りにお化粧しているな、と感じました。
慣れない宗派なせいか、いつもと違って新鮮、かつ旋律が上がったり下がったり。フラフラしたり。坊主というよりは巫女さんのようでした。
一通り終わって、世間話になりました。
「秋田の方は、水害で大変でしたでしょう。」いきなりオレに向かって聞いて来ます。ドキッ。「ああ、全然、なんも・・」すると義弟がフォローして「金足の方だから、駅東とは大分離れてるから・・」年齢を言っちゃ失礼ですが、妖艶な感じがしました。するどい、艶のある目でした。
それとは反対に、義母は霊感がある方なので。部屋の中が「もやもやでくて」落ち着かなくて疲れたそうです。関係のある方々が大勢、見えているらしいです。
オレはむしろ、お経をバックミュージックに聴きながら、心がほぐれたというか。懐かしい場所に帰って来た時のような、すがすがしい気分になって、シャキッとしました。
もしかして、同じものに囲まれていても。オレにはふるさとで、義母には行きたくない場所。ってことも、あり得る。
お医者さんによると、ガンで死ぬのが一番楽に死ねる方法だという。老衰は最悪だそうだ。心肺機能が止まる直前まで意識がある。痛みも感じる。下々の世話をさせる。
体に機械が繋がれ、痛い痛いと言いながら、死ぬことも許されない。延命治療も最悪だ。人間は死ぬ方法も選べない。或る意味、ガン患者は幸せだという。計画が立てられるという利点も・・。
手書きだよね。印刷じゃなさそう(推理:プリンターだったら紙のサイズがあるからつぎはぎになるだろうし、既成の印刷物でこんなに大きさジャストフィットな訳ないだろうし。ここの窓に合わせて大きな書道用の紙か模造紙か障子紙か何かを切って、ここ用に書いた作品に違いない)(掃き溜めに鶴:表装じゃなしに両面テープでガラス窓。美術館じゃなしに何かの事務所みたいな建物)
ここ、お寺じゃないよね。坊さんは隷書だもんね。
そもそも、これは何?謎は深まる。
メッセージを筆に託した思いを受け取っています。前は金足農業の東北大会結果を張り出していました。追分のために走り回っている、情熱あふれる方です。
そしたら、一個も出て来ず。その代わり、金農の日経記事やら追分商店会の活動やら市民スポーツ祭の柔道やら色々。ユーチューブやってる。こんなSL動画も乗せてました。
https://www.youtube.com/watch?v=Fabmzt7Vnmk
日経記事から推測すると、私らと同じくらいの年配。エネルギー有り余ってるね、この人。ああいう字を書くの、分かる気がする。大きくて太いけど、きちんとした字だったね。
コロナに負けるな、とか。結構、電車通学・通勤の人は見てると思う。