40歳を超えて結婚して、流産も経験し、ロシアでの代理母出産によって自分のDNAを受け継いだ子供を授かる。
そうまでして血筋を大切にした気持ちに、敬意を払う。
でも今思うと、自分のDNAなんて、さほど重要ではない。むしろ大事なのは、産んでからの愛情の注ぎ方だと思う。
自我を形成する年代まで育てたら、あとは子供がいかに努力するかだ。そのスタート台に引き上げてやるのが、親の務め。その時、DNAが果たした役割なんて、大したことはない。
例えばの話、自分の運動神経が抜群だったとしよう。いなかの運動会レベルでは、負け知らずだった。そして野球をやり、甲子園を目指した。そこから本当にプロになれる人間は、どれほど居るか。期待に圧し潰されるのがオチだろう。
血のつながった親子は、往々にして衝突することが多い。同じ傾向の「くせ」があるせいだ。親子ならではの、頭にくる言葉が存在する。私の場合は「うまそごなれ」だった。つまり、実の親子ならではの、教育上の欠陥が生まれるのだ。
今ではDNAなんて、もう古い考え方だと思う。日本人全体で、生まれて来る子供を育てたら、いいじゃないか。
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