あの地震は、不思議な事を多く残している。
震源地が移動したはずなのに、今ではその証拠を探すことが出来ない。岩手県沖から宮城県、福島にかけて、最低3か所移動したと報道されたはず。
関連して、ロシアの発表は予想外の結果だった。地震波の波形が、いきなり最大に振れたという。これは自然界ではあり得ないと言われた。
津波予想が外れた。先端の地震学者がいる日本で、気象庁がなぜ津波の高さを誤ったのか。
ヨーロッパでは、地震の前に原発メルトダウンの報道があった。だから大使館は在留外国人を大量に帰国させた。
トモダチ作戦の米空母ロナルド・レーガンは、三陸沖に居て重篤な放射能被爆している。その事実を国内では報道しなかった。福島よりひどい放射能とは、一体ナニ。
地球深部探査船「ちきゅう」のこともある。あの時「ちきゅう」は八戸港に居た。「ちきゅう」が南海トラフを掘削した時、観測装置の代わりに小型核を置いてきたとしても、日本人には分からない。3.11以降、日本人は下船したと数年前の書き込みにあった。
地震があったら、まず高台に逃げる。古来伝えられていた伝承が風化した。それは頻繁な教職員の異動と無関係ではない。沿岸部出身でない教員に、その伝承が分かるはずがない。
3.11に先立つこと28年前。日本海中部地震があった時、合川南小学校の児童13名が、遠足に来ていた男鹿市加茂青砂海岸で津波に呑まれて亡くなった。
この事実を、秋田県は毎年ニュースにして伝えているが、他県は関心が無い。 日本中が関心を持っていたら、結果は違ったかも知れない。
そうすれば、景観を損ねる万里の長城を築くことなく、住民も住み慣れた場所に、また新しい生活を立て直すことが、出来たかも知れない。
三陸沿岸が「リアス式海岸」と呼ばれることは、学校で習った。海岸は奥に行くほど、狭くなる。波が来たら、だんだん奥に行くほど高くなる。
このイメージは、確立されたはずなのに。なぜ地元の人たちは、軽視したのか。
まあ、いろんな要素が重なって、あんな悲惨なことが起きた。
これを日本は、何年、語り継げるだろうか。
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