「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」
これを知らない人はいないでしょう。平安時代前期の小野小町です。解説しますと、ながめ=長雨と眺め、ふる=経ると降る。ま、そんな感じです。
次は紫式部。「源氏物語」ですね。そして清少納言「枕草子」この頃は、女性しか居なかったのか。それくらい、だれでも知っている女流作家の有名人です。
それより少し前、「竹取物語」というのがありました。これも私は女性の作だと思います。だって、次々求婚を迫る貴族たちを、手玉に取る話ですよ。女性にとって痛快じゃありませんか。
この頃は、家を継ぐのも女性の「女系社会」だったと言われています。男は女性の家に通い、マスオさん状態で母の援助の元、独立していくのです。
通い婚が成立する前、「求婚」の事を「妻問い」と言います。あの貴族たちのしている事が「妻問い」です。かぐや姫はひと言「ハイ」と言えば結婚成立ですが、そこは難問・奇問の宿題を出すわけです。「蓬莱という山にある、白銀(しろがね)を根とし黄金(こがね)を茎とし白き玉を実として立てる木あり。それをひと枝折りて賜はらん」なんてね。
さらに遡りましょう。飛鳥・奈良時代。女帝の時代ですね。女帝は和歌も詠みます。詩人です。教養も権力もありました。
しかるに、あーた。そこのガイジンさん。その頃、あーたの国に「国名」がありましたか。名前も無かったじゃ、あ~りませんか。
海賊かなんか、してたでしょ。
今頃、「女性の権利」だ「女性活躍社会」だなんて。何年前の話をしてるのよ。一回りどころじゃなく、生まれ変わりで周回遅れなのよ。1000年遅れてるのよ。わかってる?
でもね。オレは両親共稼ぎの家に生まれ、祖母に溺愛されて育った。いわゆる「マザコン」だと思う。女性がそばにいないとダメな性格。
それで考えたね。80年代、バブル前夜。一人で所帯を回すのは大変だった。で、30になった。そこでやっと家に妻を置いて、心置きなく子供に愛情を注ぐ。そういう生活ができた。
これはオレの価値観だ。母は、子供のそばに居なきゃダメ。それがオレの家族観。ヒトに強制はしないし、ほかの価値観も尊重する。
それで、いいじゃない。