松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

もしかしてアレは、原液?

2019-04-23 07:59:27 | 日記・エッセイ・コラム

 久々に清吉そば屋に行ってきた。道路が広くなって新しい店が出来てから初めて。

 その前はと思い出すと、まだおばあちゃんが元気で、風呂屋の番台よろしくチョコンと座って食券を勘定していた頃だからなあ。

  その食券はまだ生きていた。あの色を見て、おばちゃんたちは厨房に注文を入れる。

  普通、清吉と言ったら、そばじゃなくてラーメンだ。由利本荘、広しと言えども清吉を知らない人はモグリだ。象潟の妻も知っていた。「せえぎぢ」と訛ったら分かってくれた。

 たいがい郡部から出てきたら、昼めしは清吉と決まっている。今はどうか、知らない。

  注文したのは、天ぷらそばと親子丼。意外と風が冷たかったので、温かいソバにした。そしたらこれが天罰が下ったみたいに強烈だった。

  美味いんだけどもね。うまいんだけど、強烈に甘辛い醤油の旨さ。きじょっぱいというか。舌が思い出した。そう、コレコレ。

  しかし今のオレには、毒物と同じ。一滴も飲めなかった。おいしいんですよ。多分、しょっぱぐちの人は、泣いて喜ぶと思う。そういう懐かしい味。持ち帰りして、2倍から3倍に薄めたら、きっとおいしい。

  あの汁飲んだら、昇天していたと思う。もうこれ以上、箸を進めるか、じっと見つめて、迷ったほどだ。

  世の中、激辛の時代ったってあーた、そんなもん食べても死なないス。コレは違うよ。命がけ。

  そういう、くせになる、味だんス。まんず、ためしてけれ。

  妻が残した親子丼も強烈だった。うまいんですよ。二品に対してお茶を3杯お代わりした。都合4杯。セルフだから、何回通ったっていい。

  角切りにした鶏肉もまた強烈だった。まるで歯と歯ぐきの丈夫さを試し切りされているような、強烈にダシの取れたシナイ(秋田弁)肉だった。

 まだ生きていることに感謝して、

 ラーメン、もといっ、アーメン!

 

コメント (2)
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