抵当権が消滅したこの住宅は、25年前に1軒だけ残っていた建売住宅だ。南隣りの住人は、何かと世話焼きと言うか、口を出したがる方だった。
地下水がJRの撒いた除草剤で汚染されれば鉄道に物を言い。通学の高校生がゴミを捨てて行けば、学校に電話を掛け。境界ぎりぎりに物置を建てようとすると、法律を教えてくれる方だった。
しかしお年が召し、息子に引き取られるようになる前に、境界線上に庭木を植えようと提案された。樹種は何がいいかと聞くので、何でもいいですと答えた。ややうちの敷地寄りかなとも思ったが、文句は言わなかった。
今は感謝している。どれも紅葉が綺麗な樹木を選んで、植えてくれた。おかげでこんな寒くて雨が降って、どこへも出かける気にならない日でも、ふと目を楽しませてくれるのだ。
人の家の庭を覗いて歩いて感じることは、ブロック塀が高くなったなあと感じることだ。昔は垣根は低くて、庭全体を鑑賞できたもんだ。
それから比べると日本は、住みにくくなったのかも知れない。