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2015年4月12日14時49分
山口県周防大島町 陸奥記念館
というわけでレンタカーで拉致られてきた場所は陸奥記念館です。帝国海軍の戦艦「陸奥」にまつわるあんなものこんなものを置いているわけですね。
たしかにここは自動車でないと来にくい場所だわ。一応バスは通ってるんですけどね、本数はお察しという状態ですのでね。
記念艦の表には「陸奥」の主錨が置いてあります。左右についているもののうちの右側の錨です。
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さて、戦艦「陸奥」といえば長門型戦艦の2番艦で41cm主砲を装備した戦艦「世界のビッグセブン」の一角でした。現代では日本の戦艦といえば「大和」ですが「大和」は竣工後も軍事機密だったらめ、当時の日本国民に親しまれていた戦艦は「陸奥」とその姉妹艦「長門」でした。
しかし、1943(昭和18)年6月8日、柱島水道警泊中に後部の第三砲塔が謎の大爆発を起こし沈没。乗員1471名中生存者は350名と悲惨な結果となりました。
みんなも火遊びには気をつけよう。
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爆発した後の「陸奥」のスケッチです。
海底に横たわるように沈没しています。そして、第3砲塔の部分で船体が見事にふたつに分かれてしまっているのが分かります。
戦艦の船体って装甲が厚いので丈夫というイメージがありますが、それを破るほどの大爆発だったのか、それとも内側からの衝撃には弱いのか。
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「陸奥」乗員の遺品です。下士官の見回り品から艦長の勲章まで色々。遺品ということで生前のご本人たちや遺族が寄贈したと思われ。
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こちらが戦後サルベージされた「陸奥」から引き揚げられた品々。指揮刀、日本刀、南部式拳銃などなど。基本的に腐食してしまっていますが、日本刀に関しては水洗いしただけであとは引き揚げられた時のまま。25年以上海底に沈んでいながら、当時の輝きを保っていたのです。これはすごいですね。
「陸奥」のサルベージは1970(昭和45)年から8年がかりで行われ、船体の約75%が引き揚げられました。ちなみにサルベージの作業にあたったのはサルベージマニアで知らないものはいないという深田サルベージです。
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電池、弾丸、圧力計などこちらは船体の装備品です。
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陸奥が沈んだ地点の模型。手前に沈んでいるのが「陸奥」、奥の赤い目印が今いる陸奥記念館です。大体3kmくらいの距離です。
他にもこれでもかというくらいありますが、あとはあなた自身で確かめるのだ。
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屋外にも展示物があります。
記念館の裏には新明和工業PS-1哨戒飛行艇。海上自衛隊の対潜航空機です。デカくて迫力があり何しろ航空機が保存されているというのは比較的珍しいことで良いわけなのですが、周りに木が乱立していていかんせん全体を撮りにくい。もうちょいどうにかならなかったのか。
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記念艦は海岸沿いに建っています。ちょうど「陸奥」の沈んでいた地点も見晴らせるわけですねぇ。だいたい写真のあたりのはず。
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そして記念館の目玉、ちょっと離れた高台にはサルベージされた「陸奥」の部品の一部が置かれています。
まずは陸奥の脚ことスクリュー。26.5ノットまで出せます。なおこれだけで11トンあります。重い・・・。
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次、陸奥の肘とでもいうべきか、50口径14cm単装副砲。「陸奥」はこれを左右9門ずつ計18門装備していました。射程は14.8km、砲身長は7m、重量は砲座含めて18トン。どいつもこいつも見かけの割に重いです。そりゃ排水量4万トンにもなるわ。
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中でも貴重なのが、陸奥の頭頂こと艦首です。もう先端の先端だけですが、それでも太平洋戦争時の艦船の船体としてはたぶん唯一の保存例。ちなみに正面に飾られていた菊の御紋は江田島で保存されているとのこと。さすがに野ざらしにはしないか。
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副砲は2門あります。
ぶっちゃけあまり手入れが行き届いてないような気はしますが、あまり腐食が進んでいないのはさすが戦艦といったところでしょうか。
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「陸奥」の慰霊碑ですね。
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「陸奥」を象った柵もあります。戦艦は正面から見るとカッコいいですね~。
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今日のレンタカー。マツダ・フレアです。
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ZeBonさん、撤退する前に艦これをプレイして午後の演習だけやります。ここは陸奥記念館なので旗艦はもちろん陸奥です。後は適当。結果はもう覚えていないです。
ちなみに午前の演習は大津島で既にプレイ済み。旗艦はもちろん伊58です。
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また次の場所へ移動します。途中でバスの廃車体を見かけました。何者なのかはさっぱり分かりません。
ちょっと遠目から見るだけですぐに車をまた走らせました。
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