黒鉄重工

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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その6【2018/9/19~23】

2023-10-01 21:29:00 | 旅行・イベント記
第11走者:JR鹿児島本線・区間快速八代行(817系)鳥栖15:55→熊本17:24
鳥栖駅から鹿児島本線の南下を再開します。熊本駅まで乗るので815系かと思っていたら、817系に乗ることになりました。転換クロスシート車ですが、座り心地が悪いので悩ましいやつです。
鳥栖駅は佐賀県にありますが、発車してすぐにまた福岡県へ戻りました。そこから福岡県の南端大牟田駅までは思っていたよりも時間が掛るものです。新幹線4駅分だからそれもそうかという。ところで新鳥栖駅から新大牟田駅までの九州新幹線の駅数って多くないですか?


熊本県に入ってからも軽快に走っていき、熊本駅へ着きました。今日はここまでです。
熊本駅に降りたのは2回目ですが、前回はまだ地上駅時代でしたのでまさに様変わりをしました。


鹿児島本線熊本止まりの815系(N004)。既に折返し八代行表示です。


豊肥本線熊本止まりの815系(N006)。815系は車内にゴミ箱があるので助かります。


熊本駅を出ました。改札口が広くなっているし商業施設は大きいし、以前と全く違う駅になっていました。
でも、まだ工事は終わっていないようでした。壁にはくまモンがいるので、くまモンを見たら負けのゲームをしたら残念ながらここで敗退です。


熊本市電こと熊本市交通局の路面電車です。見るのはほぼ初めてのことです。熊本駅前電停は途中駅なこともあって、JRの駅からはほんの少し離れています。写真の電車は1200形 (#1204)。
熊本市の中心街は熊本駅から歩いていくには遠く離れているので、路面電車等の二次交通が必須です。JRのこういう主要駅は中心街の外れに建てられることが多いですが、熊本駅ほど離れているところも珍しいと思います。


日本初の超低床路面電車9700形。早々にこれと対面できたのは良かったです。

第12走者:熊本市交通局・A系統健軍町行(9200形)熊本駅前18:00→慶徳校前18:06
路面電車に乗って今日の投宿先へ行きます。


ホテル法華クラブに来ました。今日から2泊します。


はい投宿。一般的なビジネスホテルですわね。


夕飯を食べにホテルから歩いて繁華街へ来ました。大きいアーケード街が目抜き通りです。こういうのは静岡市にはないのでちょっとうらやましいです。


そこらへんの飲み屋に入って軽く飲むなどをしました。


餃子ですね。普通です。


アジフライとフライドポテトでフィッシュアンドチップスとは笑止千万。
写真に残していなければ記憶に残っていない店でした。


露出ミスっているのでアレですが、ほっかほっか亭の店を見つけました。東日本ではほぼ全滅して久しいので、懐かしい気持ちになりつい撮影。


結局ホテルの部屋で飲み直しました。写真を見て思い出しましたがサッポロの99.99はいつの間にか見かけなくなってしまいました。チューハイの中では好きな方でした。今や檸檬堂があるのであまり不便していませぬが。
初日はこれで終了です。明日は熊本市内を観光します。

というところで今日はここまで。


その7へ→



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その5【2018/9/19~23】

2023-09-29 06:29:03 | 旅行・イベント記
鳥栖駅で乗り換え待ちの間に駅の外へ出ました。博多から鹿児島中央までの切符なので、途中下車ができるのです。
改札口を出て跨線橋を渡って駅前の反対側へ向かうと、跨線橋の上から大きい競技場が目に付きます。あれがサガン鳥栖のホームである鳥栖スタジアムです。駅前に競技場があるとは恵まれていますが、この敷地は元々鳥栖駅の機関区と操車場だったものです。


留置線に止まっていたキハ220形200番台(220-205)。


見に来たのはこれ、逓信省230形268号機です。230形は当初はA9形と呼称され、1902(明治35)年から製造が始まったわが国初の記念すべき国産蒸気機関車です。ただし実態はイギリス製A8形に改良を加えた模倣であることは付け加えておきます。まあはじめはそんなもんよ。
つまり、とても貴重な明治時代の古典蒸気機関車なのです。ここにその1機が保存されているとは、驚きなのです。来てよかったー。


1909(明治42)年までに41機が製造されましたが、保存され現存するのは鳥栖市の268号機と京都鉄道博物館の233号機だけです。
233号機と違ってこちらは屋外保存されているものの、屋根付きで周りに柵も囲ってあります。


初めに逓信省230形と書きましたが、この機体に限って言えば北越鉄道が1908(明治35)年に汽車会社へ発注した同型機、G形18号機です。北越鉄道は現在のJR信越本線の直江津~新潟を建設した会社で、1907(明治40)年に国有化されました。それに伴って18号機は230形268号機に編入されたのです。
それからの経歴は一時期空白になっていて、その後昭和10年代(1935年~1940年)に鳥栖機関区へ転属してきました。鳥栖機関区では入換機として従事し、1954(昭和29)年に除籍されました。貴重な古典機の価値を認めてくれたのか、廃車後も機関区内に保存された後、1970(昭和45)年に鳥栖市役所へ移設、さらに2005(平成17)年に現在地へ移設、市の重要文化財に指定されて今に至ります。


機体の形態としては、廃車時の状態をそのまま維持していると思われます。具体的には、自動連結器装備、空制化後の装備等です。鳥栖市の文化財としての保存なので、妥当と言えます。京都にある233号機は製造当初の形態に復元されているので、新造時と除籍時の形態差をその目で確かめることができるのは嬉しいものです。


新造時のきらびやかな姿も素敵ですが、時代に合わせて装備を追加した姿も捨てがたいのです。


一通り見終えたので、駅に戻ります。


機関区、客貨車区、操車場が消えて熊本方面の特急列車も新幹線に遷移して最盛期よりも小さくなった鳥栖駅ですが、それでも長いホームがいくつもあるのは貫禄を感じさせます。


大きな構内に似合わず小さな駅舎です。九州鉄道時代の1903(明治36)年築の古い駅舎なのです。


この時代の建築はこういう軒下の飾りなんかが凝っているので好きなんですよね。


軒下はツバメのマンションになっているようでした。ご丁寧にフン避けの板が貼られています。
ツバメはたくみに人間の生活圏の中に巣を作って普通に迷惑掛けているはずですが、巧みに人間の心を掌握して市民権を得て優遇を受けています。これも生存競争なのかも。


ホームに戻ってくると、イカ釣り漁船が止まっていました・・・。821系(U002)という新型車両です。試運転の様子でした。思いがけない遭遇なのでした。


鳥栖駅は駅舎も古ければホーム上屋も古いので、上屋の柱には古レールが使われています。特にここの柱はイギリス・キャンメル社の1885(明治12)年製の製造刻印が残っています。刻印の部分だけはペンキが塗られておらず、読みやすくしてくれています。


こういう説明板も吊るされています。珍しいですね。


817系1000番台(V112)の鳥栖止まりの電車。


885系(SM1)特急「かもめ」24号博多行が到着。


というところで今日はここまで。


その6へ→


 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その4【2018/9/19~23】

2023-09-05 06:16:10 | 旅行・イベント記
2018年9月19日(水)13時11分
福岡県朝倉郡筑前町 大刀洗平和記念館
というわけで大刀洗平和記念館に来ました。前回も書きましたがここは日本陸軍の飛行場があったところで、パイロットの教育や内地と中国大陸を行き交う中継基地として用いられてきました。大戦末期には沖縄へ向かう特攻隊の中継基地にもなっていたそうな。
その跡地に建てられた平和記念館ということで、戦争時の資料等を収蔵展示して平和へのメッセージを発信している施設です。九州は土地柄このような施設がいくつもあります。私も万世や知覧や鹿屋に行ったことがあります。


外には戦争とは関係のなさそうなヘリコプターが置いてありますね。三菱のMH2000ですな、これ。1996年初飛行した国産ヘリコプターです。この頃といえば新世紀ブームで、何でもかんでも2000とか2100とか21とか新世紀とかを型番やタイトルに付けていた時代です。丸っこいところは新世紀感ありますけどね。
なんだかんだあってびっくりするほど売れず、これも三菱の黒歴史になりました。開発中止時に現存していた機体は当館のように各地に引き取られて黒歴史を晒しています。
MH2000の頃はそういう動きもしていたんですが、スペースジェットはどーなるんでしょうね。葬り去られてもおかしくないと思いますけど。


館内は基本的に撮影禁止なのですっ飛ばします。太刀洗飛行場の歴史とか特攻兵の遺書や形見とかの展示が主でした。
売店でハセガワの九七式戦闘機とゼロ戦の当館限定版プラモデルが売っていてお持ち帰りしたくなりましたが、まだ旅行の初日からプラモデルの箱を持ち歩くのは邪魔すぎるので、諦めてます。

それで、館内で唯一撮影が許されているのがゼロ戦の実機(Y2-128)です。正確には零式艦上戦闘機三二型です。まともに残る三二型としては唯一と言われています。


三二型はエンジンを栄二一型に換装して馬力を強化し、翼端を角型に切り詰めて速度向上を狙った物です。


この個体もマーシャル諸島のジャングルに墜落していた残骸を日本で復元したものです。
Y2-128は、サイパン島で保存されていた個体を福岡航空宇宙協会が交渉の末譲り受けたものです。日本へ移送して復元後には太宰府天満宮や名古屋空港や朝倉市の音楽館を渡り歩いてここにたどり着いたようですぞ。


角型に詰められた主翼です。従来の二一型と比べて航続距離が減ってしまったそうな。三二型の登場時期がガダルカナル島への長駆任務と重なったこともあって、この航続距離減少はいい評価を受けなかったとされています。
他国の機体と比べてお粗末だったロール性能は三二型になって改善されたといわれてるんで、悪い話ばかりじゃないんですよ。


このときはゼロ戦の他に九七式戦闘機の実物大模型が置かれていました。なんでか九七戦は撮影禁止だったんですけども。
2022年には震電の実物大模型も追加されています。また行かなくちゃですね。


大刀洗平和記念館からはこれで退散します。60分ほどの滞在でした。ちょっと立ち寄るにはほどよい規模でしたな。


表に出てみると駐車場に観光バスが5台止まっていました。観光ツアーでも立ち寄る場所なんですな。
手前のバスは長崎県営バスの日野セレガHD (A452) です。


第9走者:甘木鉄道・基山(AR300形)太刀洗14:26→基山14:42
それでは甘木鉄道に乗って鹿児島本線へ復帰します。車両の入れ替えがあったようで、やってきたのは急行色のAR305号でした。


乗り換え待ちの間に基山駅の駅舎を撮影しておきます。


折り返し待ちのAR300形も撮影。LE-DCと急行色は案外似合うものです。
ちなみにAR300形は富士重工のLE-DCシリーズですが、製作当時富士重工は鉄道車両事業から撤退していたので、実際にこれを造ったのは事業を引き継いだ新潟トランシスです。製造銘板も新潟トランシスになっています。


第10走者:JR鹿児島本線・区間快速鳥栖(813系)基山14:56→鳥栖15:03
鹿児島本線に乗り換えて南下します。


鳥栖駅に着きました。古い造りの駅だなという印象で、ホーム上屋の柱は古レールを使っているんですな。


鳥栖駅で八代行に乗り換えますが、乗り換えの電車を1段落としてその間に列車撮影とかします。
783系 (CM14) 特急「みどり」18号博多行が来ました。


783系の反対側。815系に似た形状なのは御存知の通り。


鹿児島本線から来た815系 (N007) 区間快速鳥栖。現在まで続く九州顔の元祖です。久しぶりに見ましたね。


長崎本線から来た817系0番台 (V030) 鳥栖。


N007は折返し八代行になります。けどもこれには乗りませんでその1本後の列車に乗ります。

というところで今日はここまで。


その5へ→


 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その3【2018/9/19~23】

2023-09-02 06:23:50 | 旅行・イベント記
JR鹿児島本線の基山駅で乗り換え待ちをしているところです。程なくして甘木鉄道AR300形(AR303)が基山駅に入ってきました。これの折返しに乗ります。


AR300形はこのところ車体の塗装を変えていて、303号は国鉄キハ20系風の塗装になっています。


甘木鉄道は国鉄甘木線を引き継いで運営している第三セクター鉄道です。沿線人口の多さに裏打ちされた高頻度運転により第三セクター鉄道としては運行本数が多いです。朝夕は15分間隔、日中も30分~40分間隔で走っています。これだと動きやすくて良いです。


第7走者:甘木鉄道・甘木(AR300形)基山11:55→甘木12:22
車内は一般的な富士重工製LE-Carという感じ。


甘木線は全長13kmの短い路線なので30分ほどで終点に着いてしまいます。この短さも良いんだと思います。


甘木駅は車庫がありまして、運用に入らない車両が留置されています。
これは青のツートンカラーに塗られたAR302号です。


唯一登場時の塗装を残すAR301号。80年代の塗り分けという感じはします。


AR305号は国鉄キハ58系風の塗装をしています。


甘木駅の外へ出ます。少し離れたところには西鉄甘木駅があります。駅舎は国鉄時代に建てられた物だと思いますけど、一般的な駅舎よりもちょっと凝った造りになっているような気がします。
ちなみに甘木にも卑弥呼伝説があるっぽいです。


甘木観光の路線バスで、一般路線バスと市街地循環線用の2台がいます。どっちもふそうエアロミディMJですかね。


甘木駅から先の西鉄甘木線とか秋月とかも気になるところですが、今日のところはここで退散します。
駅舎の通路もちょっと凝った造りの国鉄風です。石川県の穴水駅を思い出しました。


朝倉市観光協会の事務所も入っています。観光には困らなさそうです。


第8走者:甘木鉄道・基山(AR300形)甘木12:31→太刀洗12:41
ここまで乗ってきた列車で折り返します。横にいるのはイベント用車両のAR400形です。


大刀洗駅で下車します。


大刀洗駅の駅舎は掘っ立て小屋のような物が建っています。というか隣に建っている大刀洗レトロステーションの建物に取り込まれているような感じです。


その大刀洗レトロステーションは開いていなかったのでどんな中身なのかよく分かりませんでしたけど、入り口にはジェット練習機が置いてありますね。あれもレトロの範疇なんですかね。古いっちゃ古いですけど。


航空自衛隊で使われていたロッキードT-33シューティングスター練習機です。どこにでもある飛行機ですけど、こんなところにもあるとは。
不安定そうな足場の上に置かれているので機体の下面を観察できるのは良いですよね。


そろそろ昼ごはんと行きたい時間です。ローカル線の途中駅にしては意外にも駅チカに飲食店が複数あり、しかも久留米ラーメン屋とあっては入らずにはいられないでしょう。
ということで「丸八」で昼ごはんとします。


本場の豚骨ラーメンです。しっかりと炊かれたスープがうまいのです。満足ですぞ。


大刀洗駅下車後の目的地「大刀洗平和記念館」へ来ました。ここを見学しますよ。
写真の門柱は、第五航空教育隊正門の跡です。ここは日本陸軍の太刀洗飛行場があった場所なんです。主に操縦教育を行っていたと言われています。飛行場は農地やビール工場に転用されて跡形は残っていないそうです。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その2

2023-08-11 06:24:33 | 旅行・イベント記
第3走者:JR鹿児島本線普通二日市(811系)博多9:58→10:01
では博多駅から鹿児島中央駅へむけて南下を始めます、といきたいところですが電車に乗ってひと駅目の竹下駅で降ります。JR九州の列車を撮影できる機会もあまりないものですから、ちょっと時間を取ったのです。30分くらい待てば貨物列車が通るようなので、それを待ってみるとします。
最初に来たのは811系1500番台更新車(P1512)快速荒木です。見た目はあまり変わっていないですが、実際は大掛かりな工事が行われたそうな。


車体はステンレス製だけあって帯が貼り替えられたくらいです。水戸岡鋭治っぽい単色に文字がたくさん入った意匠ですね。
一方車内は転換クロスシートだったのがロングシートに変わっています。走行機器もサイリスタ位相制御からVVVFインバータ制御に交換されて、これに伴い電動機も直流電動機から交流の誘導電動機に替えられました。結果、車体のドンガラ以外はだいたい全部いじられたことになります。あと20年くらいは使うのかな。


これは811系100番台(P103)鳥栖。これは未更新車ですな。


885系(SM7)特急「かもめ」8号博多。


787系(BM-2)特急「かもめ」15号長崎。


811系0番台(P15)二日市。


キハ71系「ゆふいんの森」3号別府。キハ71系の足回りはキハ58系由来なので随分長生きなものです。更新工事を受けてから20年くらい経っているし、いい加減乗りたいですな。


783系(CM14+CM24)特急「みどり」8号博多。


後ろはオレンジ色のハウステンボス塗装でした。一応撮影できたので良し。


813系200番台(R210+R211)快速荒木。


783系(CM11)特急「みどり」7号佐世保。


ED76形1021号機の貨物列車・・・なのですが、貨車なしの単機運行でした。残念です。


第4走者:JR鹿児島本線普通南福岡(811系)竹下10:43→南福岡10:48
811系1500番台(P1504)で移動を再開します。


第5走者:JR鹿児島本線区間快速二日市(813系)南福岡10:55→二日市11:10
乗り換えが続きます。二日市までは813系100番台(R107)に乗りました。


二日市駅でキハ185系特急「ゆふ」2号博多行が通過していきました。


第6走者:JR鹿児島本線区間快速羽犬塚(811系)二日市11:16→基山11:27
811系0番台(P13)に乗り換えます。


基山駅で下車します。ここで甘木鉄道に乗り換えるのです。まだ列車は着いていないようですね。


787系(BM-8)特急「かもめ」14号博多行が待っている間に通過していきました。


813系200番台(R207+Rxxx)区間快速福間。ちょっと撮影するにはいい場所ですね。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その1

2023-08-10 05:52:48 | 旅行・イベント記
2018年9月19日(水)7時5分
静岡県牧之原市 富士山静岡空港
今回は夏の九州旅行5日間です。福岡県から鹿児島県まで、九州島を縦断します。
福岡県まではフジドリームエアラインズ(FDA)の飛行機でひとっ飛びで行きます。なんだかんだ行って飛行機で1時間強で博多まで行けるのは便利です。静岡空港の利用者数は長年伸び悩んでいるようですが、近くにこんな便利な交通機関があるのに利用しないのはもったいないと思います。


チェックインして保安検査場を過ぎます。地方空港は空港到着から搭乗までの動線が短く済むのが利点です。
確かこの頃から国内線出発ロビーが建て替えられたのでした。広くきれいになりました。



第1走者:フジドリームエアラインズJH141福岡(E175)静岡7:35→福岡9:30(20分早着)
これから乗る機材はエンブラエルE175 (JA07FJ) です。色はイエローです。


定刻に出発して離陸。


静岡あたりは雲が多かったです。


機内サービスの軽食です。軽食には通常お菓子が出されるのですが、朝方出発の便にはクロワッサンが提供されます。うれしいですね。


琵琶湖上空です。右下の湖が琵琶湖の端ですね。大津とか草津とかそのあたり。


もう福岡です。福岡市奈多あたりです。RWY16から着陸します。


無事着陸して誘導路を走行中。ANAのB767-300 (JA604A) とすれ違いました。スターウォーズのR2-D2特別塗装です。


駐機場に入ると隣にはまたJA604Aが。あれ、左右でデザインが違うんですか。こっちはBB-8です。
スターウォーズ飛行機はもう1機見ましたけど写真は撮れませんでした。
機材を降りて、バスに乗り換えて空港の建物まで移動します。定刻よりも20分も早く到着しました。ラッキーです。


史上最強の空港連絡鉄道、福岡市営地下鉄で博多の方へ出ます。新型車の305系がいたので一応程度に撮影。またいずれしっかりと撮影しておきたいですね。


第2走者:福岡市営地下鉄空港線筑前深江行(303系)福岡空港9:37→博多9:37
これに乗って博多駅まで移動します。希少なJR九州の303系でした。


博多駅のJR九州の券売機に直行して切符を受け取ります。すでにネット予約で手配済みでしたから、予約照会して受け取るだけです。
福岡市内から鹿児島中央までの乗車券が旅のお供です。後々乗ることになる特急列車等の切符も同時に受け取ります。


魅力的な特急列車の多いJR九州ですので、列車待ちの間に撮影をば。883系です。


こっちは787系。奥には885系もいます。


90年代前半の一部のJR特急車に見られる”肩幅”の広い車体断面が好きです。この787系もそうですね。前面は流線型ですが、真横から見ると傾斜は実はそんなに無いことが分かります。アムトラックのP42ジェネシスと似たような処理の仕方をしているのかなと思います。

というところで今日はここまで。


その2へ→







北陸project ~Hokuriku Master Side M. 最終回【2018/4/28~5/3】

2021-09-17 23:08:15 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)17時17分
滋賀県大津市 京阪電鉄 三井寺駅
比叡山の滋賀県側に降りてきた後は京都駅に戻るわけですが、まだ日が沈んでいないので石山坂本線でもうひと撮影していきます。そういうわけで三井寺駅で下車しました。


駅から石山寺駅方面へ歩きます。これは途中見つけた滋賀県大津市のマンホール蓋。


石山坂本線の三井寺~びわ湖浜大津の400mは、併用軌道となっていて沿線のハイライトのひとつです。
車道の幅は狭くてなんだか路地裏のような慎ましい併用軌道です。


併用軌道を往く京阪700形。石山坂本線は京阪電車の旧塗装が残る最後の路線でしたが、2017(平成29)年から現行塗装への塗替えが進んでいる最中だったので、それの記録も目的でした。


!!


700形の702Fが来ました!これは80形運行開始55周年を記念した80形を模した復刻塗装となっています。これを見れるとはラッキーです。
ハイエースとの対比も良いですね。ワンボックスの中では大きめのハイエースも電車と比べると小さいのだ。


電車単体でも。前パン電車は構図がカツカツになりがち。


びわ湖浜大津駅まで歩いてきました。すぐです。
以前は浜大津駅でしたがここに来る数ヶ月前にびわ湖浜大津駅に改称しました。


駅を発車する700形の新塗装も見れました。


第44走者:京阪京津線太秦天神川行(800系)びわ湖浜大津17:31→京阪山科17:44
びわ湖浜大津駅から京津線に乗ります。京津線の800系はだいぶ塗装変更が進んでいる印象でした。乗ったのも新塗装でしたしね。以前は独自の水色の塗装をしていましたが、統一感が出たようにも没個性的になったようにも感じます。
で、途中の京阪山科駅で降りました。隣接するJR山科駅で、帰りの新幹線の特急券と指定席券を予め買っておくためです。何時の新幹線で帰るのかはこの時まで決めていなかったんですが、目処が立ってきたので購入することにしました。
この後京都駅に戻ってきたときにも買うことはできますけど、コインロッカーに置いてある荷物の回収があることと、発車直前に駅に着く可能性もあることを考えるとここで予め買っておいた方が良いと判断しました。
ちなみにGW中の当日発券でも「ひかり」だったら余裕で指定席を取ることができました。


京阪山科駅にも石山ともか嬢の等身大ポップがありました。この立ち絵はかわいい~~~と当時は思いました。


第45走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)山科17:55→蹴上18:00
蹴上駅で降ります。


琵琶湖疏水を見に来たわけです。琵琶湖疏水というのは、琵琶湖の湖水を京都市へ流すため1890(明治23)年に建設した水路です。引いてきた水は、水道水、発電用水、工業用水、あとは水路を活用した水運に使われてきました。
通り道なので寄ってみたわけですが、見どころが多い上に範囲も広いのですべて回りきることはできず。書くこともたくさんありそうなので、今日のところは軽く触るだけに留めておきます。


あの建物は日本初の営業用水力発電所の蹴上発電所です。



このあたりには、今はもう使われていない水運用のインクライン設備が残っています。
青い鉄骨の骨組みの構造体はインクラインの台車で、三十石船の復元模型が乗っかっています。


インクライン特有のクソ幅広レール。


琵琶湖疏水が開通した1890(明治23)年にはすでに東海道本線大津~京都間が1880(明治13)年に開通していましたが、そこから東の大津~長浜間は未だ建設されておらず琵琶湖を介した水運が主流でした。なので京都~大津以東の物流では琵琶湖疏水を経由した水運がブイブイ言わせてたと思います。調べてないからしらんけど。


インクラインの軌道は歩くことができますよ。






ここがインクラインの下流側の船着き場ですね。奥に広がるのは南禅寺船溜。


南禅寺船溜。船に積んだ貨物の積み下ろしとか船頭の休憩所とかで使われた物流拠点です。琵琶湖疏水と鴨東運河の接続点でもあります。


ここから鴨東運河。


平安神宮へと続く神宮道のクソデカ鳥居。でかすぎでは・・・。バスがあんなに小さく見えるぞ。


いい感じのアパートメントだと思いました。


白川です。柳がいい感じだと。


同日18時38分
京都府京都市東山区 三条大橋
第46走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)東山→三条京阪
降りた蹴上駅からひとつ隣の東山駅から再び東西線に乗り、ひとつ隣の三条京阪駅で下車。ちょっと三条大橋を見たら、ここらで夕飯とします。


京都に来たので、ここは餃子の王将とします。うまい。


第47走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)三条京阪→烏丸御池
第48走者:京都市営地下鉄烏丸線竹田行(10系)烏丸御池→京都
最終走者:JR東海道新幹線「ひかり」482号東京行(N700系)京都19:59→静岡21:34
JR京都駅へ戻り、預けていた荷物を回収し、新幹線に乗って帰りました。
この時乗った「ひかり」は、静岡駅に降りた時に気づきましたが、初日に静岡から新宿へ行く時に乗ったのと同じ列車でした。丸6日ぶりに静岡駅へ戻ってきたのです。

というところで、2018年ゴールデンウィーク旅行は完結です。
今回は、初めて訪ねた地域は黒部立山アルペンルートくらいで、他は以前の旅行で行ったことのある地域ばかりでした。しかし、その中でもちょっとマイナーな地区へ足を踏み入れて、以前よりも少しはその土地を知ることのできた旅行だったのではと思います。

ではこれにて終了。
完。

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 最終夜

2021-09-04 21:55:34 | 旅行・イベント記
引き続きジーライオンミュージアムの続きです。
イギリス車・・・というかロールスロイス車がズラッと並んでいます。


ロールスロイスのなにかです。


これも分かりませぬ。もう調べるのを止めた。


これは1966年式ファントムVです。年式までわかったのは説明板が立っていたから。
ファントム軍団はロールスロイスの最上級モデルでフラッグシップなのです。


1975年式ファントムVI。ファントムVの正常進化版といったところ。
全体的に箱型のボディですけどフロントフェンダーやボンネット周りは昔ながらの形状で、やはり超高級車のデザインは超保守的だという印象。


またもやビュイック。なんでビュイックだけアメ車館に入れてもらえないんだろう。


たぶんクラクション鳴らす伝声管。蛇の形をしているのがおしゃれ。


ほぼ一人乗りでは。


ここはロールスロイス以外のイギリス車っぽいです。


フォード・モデルAロードスターです。これもアメ車館には入り切らなかったか。


オースチン・7。1920年代のイギリスの自動車市場を席巻して売れまくった乗用車です。


MG・MG TDだと思われ。はしご型フレームに2人乗りのボディを載せた安価なスポーツカーのT系列の4番目のモデルです。

これでイギリス車はおしまい。隣の倉庫へ移ります。


最後はドイツ車館、というかほぼBMW車館。ここにあるBMW車は、故・土居君雄氏が個人的に蒐集したいわゆる土居コレクションの一部です。氏が他界した後、コレクションは堺市に寄贈されたんだそうな。
これは1955年式イセッタ250。自動車というより三輪スクーターに密閉型ボディを乗せたようなものです。乗降用ドアが正面についているっていうまともな発想じゃねーなという車。
BMWはイタリア・イソ社のイセッタをライセンス生産して販売していました。本家イソよりも多く生産したので、どっちが本家なのかわからない状態になってるらしいです。
250型は、エンジンにBMWのバイク用のR25型を搭載した改良型です。


1938年式328ウェンドラー。328のシャーシにウェンドラーというコーチビルダーがボディを装荷したモデル。BMWの戦前最高峰といわれるんだそうな。


1938年式328ロードスター。328のスポーツモデルです。2000cc車としては当時破格の80ps、全輪独立懸架、油圧ブレーキなど最高の技術を満載していました。


ご存知腎臓グリルです。捉えようではこの時期の車のほうがよっぽどクソデカですけど、この頃の自動車のグリルはどれも縦長なので別に違和感があるわけじゃないんですよね。これを現代の形状の自動車にオマージュとして取り入れようとしても似合わんじゃろ・・・というんが感想です。


1938年式327/328カブリオレ。
327のボディに328のエンジンを乗せたモデル。さすがコレクター、複数台持ちは普通ですか。


1958年式507ロードスター。特に書くことなし・・・。


1935年式315/1ロードスター。エンジンに改良を加えたモデルで、自動車レースで優勝するなどしてBMWの宣伝に一役買っていたとか。


これはどう見てもフォルクスワーゲンのビートルですけども。なんだか窓からドアからボンネットから、謎の茶色のパネルで覆われていて、どういう車なんじゃと思いました。中身はがらんどう?


1960年式502アウテンリート(左)、1956年式503カブリオレ(右)。
これで博物館の見学は終了です。他の自動車博物館とは毛色の違う揃え方で、興味深かったです。初めて見た車種がほとんどでした。というか自動車博物館って所有者の嗜好によって揃え方が変わってくるものですね。この辺は、種類がある程度限定される鉄道や航空系の博物館とは違う面を持っていて面白いところです。


最後に屋外に停めてあった車を見てみましょうか。
これはスバル・360です。てんとう虫とか和製ビートルとか言われているあれです。


クライスラー・ニューヨーカーです。1949年生産開始の3代目のモデルです。たぶん1949年式?


クライスラー・300です。高級セダンですね。クソ重そうな見た目をしてます。


で、これは全長を延ばされたストレッチリムジンなのでした。ホイールベース長すぎでダックスフントってかんじ。こんなホイールベース、運転するの難しいでしょ・・・。


パッカード・ワントゥウェンティ。1939~1941年に生産された2代目のモデルです。


マスコットはこんな感じ。羽のところはガラスを使っているのかな?おしゃれですね。

というところでジーライオンミュージアムはおしまい。今回のサイコロの旅5にまつわる一連の話もこれでおしまいです。
では。

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その32【2018/4/28~5/3】

2021-08-31 06:39:28 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)16時14分
滋賀県大津市 比叡山鉄道ケーブル延暦寺駅
鉄軌道と索道で往く比叡山越えも次で最後、比叡山鉄道の山頂駅、ケーブル延暦寺駅に着きました。
最寄りのバス停の無動寺からケーブル延暦寺駅までは少し離れていて徒歩連絡しないといけないですが、未舗装の山道を歩かされてどういうこっちゃと思いました。たぶん本来の経路ではないんじゃなかろうかと思います。
山道を少し下ってたどり着いたのがこの駅舎。なんでこんな黄ばんでいるんだろうと思いました。そういう石材を使っている?経年劣化?よく分かりませんでしたが、建物の作りからしても相当に古い建築物だろうとは想像がつきました。たぶん地元産の石材を使っているんだと思います。
実際、この駅舎は1927(昭和2)年に比叡山鉄道が開業した時から使われているものです。


もう滋賀県側に入っているので、山から見える麓の景色も滋賀県です。琵琶湖が見えますな。
天気は山頂を境に曇り空になってしまいました。


切符を買ってケーブルカーに乗り込みます。駅舎の待合室は山を降りる人達で大混雑でした。


第41走者:比叡山鉄道ケーブル坂本行(1号)ケーブル延暦寺16:30→ケーブル坂本16:41
比叡山鉄道というより坂本ケーブルの方が名前の通りが良いケーブルカーに乗ります。


前方の麓側のかぶりつきを確保できました。坂本ケーブルは、距離が2.0kmあって日本最長のケーブルカーです。標高差は484mで、所要時間は11分。長い時間ケーブルカーを楽しめそうです。


距離が長いからなのかケーブルカーにしては珍しく途中駅があります。もたて山駅です。


谷を橋で渡っていきます。
ところで車両には確かにパンタグラフが付いていましたが、実際走ってみると架空線はどこにも見当たりません。最近になって撤去されて非電化されたのかもしれないです。ケーブルカーの車両自体には動力が付いていないので非電化でも問題ないですが、車内照明等のサービス電源はどこからやって来るのやら。


数日前に乗った立山ケーブルでもそうでしたが、ケーブルカーで曲線があるのいいですよね。ケーブルカーは離合部を除いて直線だけであるという先入観があったので、意外性が強いです。ケーブルがよく外れないなと思います。
なお線路脇をよく見ると、昔は建ってたと思われる架線柱の土台が残っています。


隧道もあります!すごいな坂本ケーブル、いち路線の中に要素を詰め込んできてますね!とても楽しい!



しかも結構長いし途中でカーブしている。


隧道を抜けるとようやく中間地点の離合部に到達しました。


ここらへんはまあ普通なのかな。


ここの架線柱の土台は柱が根本でぶった切られていますね。


2本目の短い隧道を抜けるとほうらい丘駅を通過。


そして麓のケーブル坂本駅へ進入。


前面展望が楽しいケーブルカーでした!登る時もかぶりつきたいものです。


ケーブル坂本駅も開業以来の駅舎を使っています。間取りや柱なんかは当時物でしょう。戦前昭和っぽい雰囲気です。


駅舎はケーブル延暦寺駅と似たような外観ですが、外壁は吹付のようなもので、色も違うんで印象は結構変わりますね。


ケーブル坂本駅からは京阪電車の石山坂本線に乗り換えます。ただし両者の駅は900mくらい離れています。歩いていけない距離ではないですが、路線バスが接続しているのでこれに乗ります。日が傾く前にもうひと撮影したいですからね。


第42走者:江若バス41系統比叡山坂本駅行(日野レインボーRJ)ケーブル坂本駅16:50→坂本比叡山口駅16:53
江若バスの路線バスに乗って京阪電車の駅まで乗ります。ケーブルカーの乗客はだいたいこれに乗り継ぐので、ケーブルカーよりも小さいバスの車内は満員でした。


第43走者:京阪電鉄石山坂本線石山寺行(600形)坂本比叡山口17:02→三井寺17:15
個人的には京阪本線より馴染み深い石山坂本線に乗ります。
駅名がいつの間にか坂本比叡山口駅に改称していました。JRの比叡山坂本駅と紛らわしいような。



三井寺駅に着きました。こんなところに石山ともか。

というところで今日はここまで。次回やっと最終回。


最終回へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その31【2018/4/28~5/3】

2021-08-26 22:55:14 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)15時1分
京都府京都市左京区 叡山電鉄 八瀬比叡山口駅
叡山電鉄とはこれでおさらばです。
八瀬比叡山口駅の駅舎は1925(大正14)年に開業した頃から残っているものです。軒の屋根の下から出ているのこぎり型の飾り板やホーム上屋のトラス構造といい、2代目京都駅のホーム上屋のような雰囲気を感じます。同じ設計者なのかもしれません。


高野川を渡ってケーブル八瀬駅へ。ここまで来ると緑豊かな感じ。


叡山ケーブルのケーブル八瀬駅です。京都滋賀の県境にある比叡山の京都側から登る経路です。
しかし八瀬比叡山口駅でぼやぼやしているうちに先発列車は行ってしまったみたいで、次の便を待つことにします。


ケーブル八瀬駅の改札口。内装はリフォームされていますけど、構造自体は1925(大正14)年から使い続けているそうな。
叡山ケーブルの運営はどこがやっているんだろう、というのは現地にいた時は分からなかったんですが、後で調べてみたらケーブルカーの上のロープウェイともども京福電鉄の経営だったんですな。嵐電以外にも路線を持っているのね。


ゴロゴロと音を立てながら山を下ってくるケーブルカーを撮影。ケ1というらしい。
パンタグラフが4つも付いてますけど、トロリーバスと同じで+と-の架線があるということかしら。鉄道だけど線路にはアースさせないのか?これに関してはネットを調べただけでは分からなかったので不明としておきます。


第38走者:京福電鉄叡山ケーブル(ケ1)ケーブル八瀬15:25→ケーブル比叡15:34
それでは比叡山を登ります。山頂駅との標高差は500m以上、最大勾配は530‰あります。


登っています。


中間のすれ違い設備。


ケ2とすれ違い。ちなみに、この白地に赤青帯の塗装は2021(令和3)年に新塗装に塗り替えられて消滅してしまいました。あれま・・・。
新塗装は叡電の観光列車「ひえい」のような緑と金の塗り分けです。統一感を出したんだね。


ケーブル比叡駅に着きました。


ケーブル比叡駅は山頂ではありません。ここからさらに叡山ロープウェー(ロープウェイではない)に乗り継いで降りたらようやく山頂です。


結構登ってきましたね。今いるところの標高は690mあるのだそうな。
奥に見える町並みは左京区岩倉ですね。


昔使っていたロープウェイに関する機械ですね。左から山頂駅で操作するノッチハンドル、手ブレーキ、あとは索道を動かす主電動機です。



第39走者:叡山ロープウェイ比叡山頂行(1号)ロープ比叡15:45→比叡山頂15:48
乗り継ぎ時間は10分なのでそそくさと乗り場へ行きます。ロープウェイですが乗り場は傾斜しているのか。


いい駅だ。色使いがレトロチック。


ロープウェイに乗る時は麓側を見たほうが面白い派です。


霧が出てきたけど・・・。


比叡山頂駅に着きました。標高は840mあります。


山腹に駅を建てているから乗り場も傾斜せざるを得ないということか?


いやぁ~ガスってますねぇ。標高840mにしてはちょっと涼しいし。


第40走者:京阪バス57系統京都駅前行(ふそう・エアロスター)比叡山頂16:05→無動寺16:13
はい、それでは、比叡山を降ります・・・。あれ、延暦寺は・・・?
実は、延暦寺は24時間立ち入れるわけではなく、確か15時か16時が最終入場時刻なのです。比叡山頂に着いた時点でどの道ムリなのでございます。
確かケーブル八瀬駅の切符売り場のおばちゃんにそんなことを言われたような気がします。内心ガビーンと気落ちしましたが、まあおもしろ交通機関を乗り継ぐのが主目的でしたので、延暦寺は再履修するということで。
ていうか延暦寺は中々に敷地が広いらしいのでこんな時間に行ってもどうせろくに回れなかったと思います。


山道を大型バスで走るのはダイナミックで良いんですが、酔いやすいので乗車中は油断ならないんですよ。


バスに乗り続けていれば寝ているうちに京都駅まで連れて行ってくれますが、それはせずに途中の無動寺バス停で下車します。ここから比叡山坂本ケーブルカーに乗り換えます。

というところで今日はここまで。