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黒鉄重工

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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その20【2018/9/19~23】

2024-10-12 18:49:00 | 旅行・イベント記
2018年9月22日(土)7時43分
鹿児島県鹿児島市 HOTEL&RESIDENCE 南洲館
九州旅行4日目の朝です。旅館で朝ご飯を食べています。黒豚のしゃぶしゃぶや鶏飯などの郷土料理が提供されており、満足度が高いです。
今日は鹿児島市内の名所と桜島を回ろうと思います。


旅館を出て市電の通りまで出てきました。今日はいい天気ですね。


これから乗る観光周遊バスが来るまでの間、鹿児島市電(鹿児島市交通局)と路線バスを撮影します。
これは鹿児島市電1000形。


鹿児島交通のいすゞ・キュービック(#795) #7系統慈恩寺団地です。車体をよく見ると「民営」を強調していたり「赤字補填はありません 頑張ります!」と書かれていたり、なんだか異様なメッセージを出しています。なんだこれ。
鹿児島交通、というかいわさきコーポレーションについてはいい話が聞こえてこないですが、このブログでは深入りするのはやめときます。


鹿児島市営バスのふそう・MP38エアロスター(#1753) #11系統鴨池港。


第31走者:鹿児島市交通局カゴシマシティビュー(いすゞ・エルガ)天文館9:09→仙巌園9:49
鹿児島市内の観光名所を回る周遊バス「カゴシマシティビュー」に乗って仙巌園に行きます。奥の黄色いバス(LV290エルガ)の方です。


名所を回るのでさながらはとバスのようにバスに乗りながら観光地巡りができます。この建物は鹿児島市中央公民館です。
公民館には不釣り合いなただものじゃない威厳を感じ取れるこれは、1927(昭和2)年竣工の鹿児島市公会堂をルーツとする建築物なのです。昭和天皇のご成婚記念事業なんだとか(当時は大正13年なので皇太子)。片岡安の建築。
立派な近代建築である上にいまだ現役で使われている建物です。車窓からは他にもいくつかの近代建築が見え隠れしていて、鹿児島市ってもしかして近代建築物の宝庫なのでは?


これは”民営”の鹿児島交通が運行するまち巡りバス「せごどん号」です。日デ・スペースランナーRN+富士8E。よそ様向けのバスだからか、露骨な市営バス批判...もとい民営アピールはこれには書かれていないですね。
これもカゴシマシティビューと同じ観光地周遊路線バスです。運行経路もだいたい同じで、どちらも1日乗車券あり。ガチンコに競合しています。外から来た観光客にはややこしいんで一本化してほしいものですが、仲良くやる気はなさそうです。
使う人がどう動くかにもよりますが、カゴシマシティビューで使える1日乗車券だと他の市営バス路線と路面電車にも乗れます。なので私も市営バスの方を選びました。


バス停を降りてすぐに仙巌園に着きました。
仙巌園というのは1658(万治元)年に薩摩藩主の島津家が建てた別邸です。鹿児島湾と桜島を借景とした庭園が魅力。


園内に入るとまず石垣が目に入りますね。屋敷の跡か何かでしょうか。
庭園は後のお楽しみのようです。


屋敷じゃなくて反射炉の跡でした。1851(嘉永4)年に建造に着手したものです。
反射炉は、鉄を溶かして鋳造するための施設ですね。外国からの脅威に備えるための大砲、砲弾、船に鉄が必要になるので建てられたわけです。そういう国家防衛のための一連の事業および工場群が集成館というやつで、反射炉もその一部なわけです。


初めに建てた反射炉は崩れて失敗しちゃったので、続けて建てた2号炉が最初に実用化した物だそうな。1857(安政4)年のことでした。
明治時代に焼失してしまい、いまはこのように基礎だけ残っています。基礎だけだとあんまり構造がわからないですな。


正門です。1895(明治28)年築。大河ドラマ「篤姫」で登場。


まだまだ夏ですねー。


錫門、江戸時代の正門です。屋根は薩摩藩特産の錫の板になっています。島津家当主とその世継ぎしか通れなかったんですと。


磯御殿です。明治時代になると島津家はここに移り住むようになり、その居住地とした御殿です。


あれも磯御殿。二階建てだし窓ガラスがあるし、なんだかあそこだけ異空間。


んじゃ、上がらせてもらいましょうか。


廊下も畳敷きなのね。


壺です。間違い探しか何か?
ではなく、島津家当主がロシアのラストエンペラー、ニコライ2世の戴冠式の時に贈った壺の複製です。一対でひとつです。


ロシア皇帝の王冠の下にはニコライ2世の頭文字Hを象った模様。


縄の衣装がおしゃれだな~と思い写真に収めていました。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その19【2018/9/19~23】

2024-10-10 06:22:58 | 旅行・イベント記
肥薩線の特急「はやとの風」で鹿児島中央へ移動中です。大隅横川駅を出発して、霧島温泉駅の次に停車したのは嘉例川駅です。ここも昔の駅舎が残っているのです。


窓口はこんなかんじ。当時ものっぽい雰囲気ですかねえ。


良い明治駅舎です。今まで見てきた肥薩線の明治駅舎と似た造りになっていて、これはやっぱり当時の逓信省が規定した規格によって建てられているんだと思います。


駅前ねこ。


隼人駅に着きました。肥薩線の線路はここで終点となって、この先は日豊本線となります。よってこれにて肥薩線は完乗です。


列車は鹿児島湾沿いを走ります。今日は雲がだいぶ低いですが景色がいいところですね。奥に見える山が桜島です。


終点の鹿児島中央駅へ到着しました。博多駅からの列車の旅もこれで終了です。まさに九州縦断でありました。
反対側から「はやとの風」のキハ47を撮影。


415系が入ってきました。415系は4両編成ロングシート車なので、朝夕ラッシュ時には重宝されているようです。


せっかくなので新幹線ホームにも上がってみます。N700系7000番台「さくら」557号が到着しました。


鹿児島中央駅は九州新幹線の終点です。東京駅から延びてきた新幹線の線路もここで終わりです。線路の終端の先には駅ビルが建っています。


800系「つばめ」338号が博多駅へ向けて出発しました。


また在来線乗り場に戻って、415系を撮影。満足行く記録ができたので鹿児島中央駅を出ます。


第30走者:鹿児島市電2系統鹿児島駅前行(2100形)鹿児島中央駅前17:55→天文館通18:17
鹿児島市電に乗り換えて旅館の最寄りの電停を目指します。鹿児島市中心部へ来るのは2度目ですが前回はレンタカーだったので路面電車に乗るのは初めて。どんなものか楽しみですがそれは明日以降。


天文館通で下車します。ここが鹿児島市の繁華街です。ここの商店街を抜けて旅館まで歩きます。
ちなみにこのカットは水曜どうでしょうの対決列島の企画で映った箇所だったはずです。


ついでにここで夕ご飯を食べることにしまして、今日のところは黒豚のとんかつにしましょう。黒豚と言っても六白黒豚という品種だそうな。


南洲館という旅館にたどり着きました。ここが明後日までの間、黒鉄重工の前線司令部となります。


お部屋。寝て過ごすには十分です。


疲れたところに芋焼酎のバーカウンターがあったのでひと通り飲んでみました。普段芋焼酎は飲まないですけど、うまいです。
では3日目はこんなところでおしまいです。明日は鹿児島市の観光です。

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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その18【2018/9/19~23】

2024-09-06 21:12:40 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 14時48分
鹿児島県姶良郡湧水町 JR吉松駅
肥薩線の観光列車「いさぶろう」号の終点、吉松駅へ着きました。さっきは宮崎県にいましたがすぐに抜けてしまい、もう鹿児島県に入ってしまいました。
肥薩線はこの先も隼人駅まで延びている他、吉都線が乗り入れています。矢岳越えの南側の拠点としてかつては機関区もある大きな駅でした。


吉松駅では列車を乗り換えるだけですが、待ち時間の間にどうしても見ておきたかった物が駅前にあるので、急いで一旦改札の外へ。それとは、駅前に保存されているC55形52号機です。実は吉松駅にはかつて2010(平成22)年に乗り換えで立ち寄ったことがありました。その時もC55を見に行ったのですが、すでに夜中で辺りも暗かったため実物は見れたものの写真撮影はできずに悔しい思いをしました。そのリベンジができる日が来たのです。

C55形は、1935(昭和10)年から1937(昭和12)年にかけて62機製造された亜幹線用のテンダー蒸気機関車です。一時、流線型の覆いを装着してスピード野郎を狙っていた頃もありました。あの頃は若かった・・・。
C51の後継機で、ひとつ前のC54が攻めた設計をした反省が取り入れられています。その割に生産数が少ないのは、早々にC57の生産に切り替えたからです。
スタイルでいえば鉄道省の制式機の中ではスマートさと力強さをうまく兼ね備えた素晴らしい形状で、一番好きです(流線型のアレを除く)。


あの時も感じましたが、ここのC55は状態が良いのです。今もほぼ変わらぬ状態を保っているのには当時以上に感動します。再び会うことができて本当良かった。とはいえ乗り換え時間短いのでやや慌てながらの観察です。


これの説明看板にも書かれている通り、スポーク車輪が大変魅力的です。さらにロッドには油が差されていて地金が出ています。ロッドがこういう状態だとよく手入れされている機関車だとわかる指標のひとつとなります。

ちなみに、おなじいさぶろう号に乗っていた乗客の1組がこのC55を見て「C55と比べると矢岳駅のD51はぼろぼろだね」みたいなことをつぶやいていました。私は矢岳のD51も状態は良好だと見受けましたが、塗装の表面状態は確かに荒れていました。そこがその乗客たちの評価の分かれ目だったと思います。
これは結構示唆に富んでいると思っていて、大抵の場合街や公園の保存車両の評価を下すのは鉄道オタクではない行政担当者や市民であるので、見た目の状態は案外重要なのです。構造が別に問題なく再塗装すれば元の姿を取り戻すような車両でも、見た目が悪いばかりに廃棄処分されてしまう事例は挙げられるでしょう。逆にとれば、とりあえず見てくれさえ良ければ素人の目は誤魔化すことができるとも言えます。まずは見た目をきれいにして、その後目に見えにくい部分の問題を直していけばいいのかもしれないですね。


この個体は1937(昭和12)年3月14日、汽車会社製。初めは小郡機関区に配置され、糸崎、鳥栖、大分、宮崎、若松、吉松、鹿児島を転々として1974(昭和49)年4月26日廃車。翌年1月14日に吉松まで無火回送されて、ここに静態保存されたのだと思います。
設置理由は書かれていませんでしたが、いつもの教育目的での国鉄からの無償貸与だと思います。機関区のある町でしたから、吉松に在籍歴のある機体を選んできたのはグッドですね。C55というのも渋くて良いです。吉松在籍時は肥薩線の吉松~西鹿児島と吉都線全線で運用されていました。


スタイル抜群です、はい。トミックスのNゲージが出たときは買いましたからね~。


キャブにも入れます。どのハンドルがどういう役割をしているのかが分かり、ありがたいです。計器類も揃っているみたいで、これすごいね。


石炭投入口の蓋が赤いのも現役の再現?
とにかく、吉松駅のC55は必見です。ぜひ行ってみよう。


そろそろ時間なので急ぎ吉松駅に戻ります。駅舎はこんな感じで地方拠点の鉄筋コンクリート造の駅舎を地で行っています。


改札内へ再入場して跨線橋を渡っていると、次に乗る列車特急「はやとの風」が出発待ちでした。発車まで残り数分なので駆け足です。


「いさぶろう・しんぺい」と「はやとの風」それぞれのキハ47形が並んでいる光景です。こういうのがいいんですよ、こういうのが。


第29走者:JR肥薩線・日豊本線特急「はやとの風」3号鹿児島中央行(キハ40系)吉松15:01→鹿児島中央16:44
それでは「はやとの風」に乗ります。2004(平成16)年、九州新幹線の部分開業時に肥薩線用に、一般用のキハ40系を観光用に大改造して特急列車用に仕立て上げてできた観光特急です。それまでの観光列車は快速列車主体でしたが、特急扱いにして特急料金を巻き上げるようになったのはこのあたりからだったような記憶です。知らんけど。
「はやとの風」はすでに走っておらず、車両は西九州新幹線開業に伴う観光列車のために召し上げられてしまいました。今の肥薩線は線路は不通だし観光列車も走らないし、一時期よりもさみしくなってしまいました。


特急料金を取るので、座席は回転式リクライニングシートです。車体の改造は例によって水戸岡鋭治によるもの。木目調の内装にこの木材の薄い座席です。やっぱり枕や座布団が薄いんですよね。


とはいえ、車内に入った時に感じる高揚感とか非日常感とかそういう演出はうまいんだよなと。


最初の停車駅、大隅横川駅に停まりました。約5分間停車するので外に出てみます。


反対側に吉松行のキハ47形が停まっていました。


大隅横川駅の駅舎。やはりこの地域は明治時代に建てられた駅舎の宝庫でありますな。


ほおずきが干されていました。こういうのは季節性や人間の営みを感じさせるので、駅舎が生きているものと認識できるのでいいですね。


三和土の床、角材の柱、土壁と、間取りは駅舎のそれですがそれよりも古民家の土間を感じさせる内装です。


大隅横川駅は1903(明治36)年開業で、駅舎は開業時のものが現存しています。太平洋戦争中は米軍の空襲や機銃掃射にも見舞われましたが生き残っている幸運な駅舎なのです。
5分間だけではちっとも堪能できませんでした。またゆっくりと来ます。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その17【2018/9/19~23】

2024-09-05 06:46:00 | 旅行・イベント記
JR肥薩線の観光列車「いさぶろう・しんぺい」の「いさぶろう」の方に乗って人吉駅へ向かっています。
各駅停車の観光列車なので、大畑駅の次は矢岳駅へ停まります。ここも当時物の駅舎が残っています。


広い待合室ですねー。


国鉄時代に建てられた駅舎とはなんとなく造りが違うような気がします。


さて矢岳駅といえば、駅の隣に建っている「人吉市SL展示館」です。ここにはD51形170号機が静態保存されています。いさぶろう号の停車中に合わせてここを開けてくれていて、停車時間の間に見学することができます。
なんでこんなところに・・・という感じもします。ちなみに、矢岳駅へ繋がる道路は隘路なので鉄道車両の陸送は難しそうです。なので矢岳駅までD51を走らせてきて、クレーンか何かでここへ移動させたのだと思います。


D51形170号機。1939(昭和14)年製造。九州に来たのは1945(昭和20)年で、そこから1972(昭和47)年の廃車まで熊本周辺で運用されました。
廃車後は人吉市が国鉄から無償貸与を受けて矢岳駅で展示。なので施設の管理運営は人吉市ですが、国鉄OBの方々がよく手入れをしてくれているので良好な状態を保っています。
ちなみにいまはD51だけですが、かつては8620形58654号機も隣に静態保存されていました。そう、SL人吉号として走っているハチロクと同じです。はじめここに保存されていた物をJR九州が胴体復活させるために引き取ったのです。
今は58654号機は現役を退いてしまいました。機体は人吉市に譲渡されて元の鞘に収まる形となりました。人吉駅の機関庫に置かれるようですが、かつては同じ屋根の下で過ごしていたデゴイチとハチロクが離れ離れなのはなんだかもどかしい感じがしますね。


良好な状態を保っていると評判のデゴイチですが、ちょっと表面が荒れているのが気になります。足回りには油が差されていて、見た目ほど悪いようには見えませんでした。でも時期は不明ながら今は国鉄OBの手入れが入らなくなった噂もあります。
ここの機関車に限らず、国鉄OBが手入れしていた蒸気機関車はOBの高齢化でなり手不足に陥っているような物が増えている印象があります。もちろん手入れの継承ができているところもありますので、そういう機関車が増えてくれるといいですね。


駅へ戻ってきました。1面1線ホームですが右手には平場が広がっていて、往時の構内はもっと賑わっていたのが想像できます。


水飲み場。これは近年のものっぽいですかねえ。
標高536.9mは肥薩線内最高地点で、人吉駅からえっちらおっちら登ってきた列車はここを境に下り勾配になります。


朝顔形手水鉢。奥には貨物ホームもあります。SL時代の香りです。


矢岳駅を出発するとすぐに矢岳第一トンネルに入ります。いわゆる矢岳越えの区間で、トンネル入口のあたりで熊本県から宮崎県へ入ります。矢岳第一トンネルは2,000mを超える長さで地盤も弱く、難工事だったと言われています。「いさぶろう・しんぺい」号の名前は、矢岳第一トンネルの両側に掲げられている扁額に揮毫した山県伊三郎、後藤新平に由来するのです。
矢岳第一トンネルを抜けると、日本三大車窓のひとつとして知られる矢岳越えの景色が広がります。雨も深々と降る天気だったので手前しか見えませんでしたけど・・・。次の宿題にしようと思っていますが、肥薩線は不通になってしまいました。また乗れる日はくるでしょうか。


最期の途中駅、真幸駅が見えてきました。ここもスイッチバック駅です。駅構内がカーブを描いているあたり、平地の確保に苦労したと感じられます。


真幸駅に着きました。


ここも広い構内付き駅舎です。


のんびりしていていいです。


真幸駅というのは縁起の良い字をしているので人気があるようです。みんな自動車で来るんですけどねー。


待合室はちょっと狭い。


待合室にはねこちゃんが住んでいました。


漆色のキハ47は案外矢岳の新緑と合っていて、いい景色を作り出しています。車両転用に伴ってこの列車が無くなってしまったのは惜しいですね。
では、終点人吉駅へ向けてラストスパートです。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その48【2016/6/15~22】

2024-09-01 21:18:30 | 旅行・イベント記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。引き続きブッシュプレーンを見ていきますよ。
これはユンカース W 34f/fi (Junkers W 34f/fi) です。1926年初飛行。ドイツ製ですね。
定員8名(うち乗務員2名)の軽旅客機で、安定した飛行性能と高い頑丈さがブッシュプレーンに適しており、1930年代のブッシュプレーンの最高峰と評価の高い機体です。ただし全金属製の機体とドイツの重い関税のため機体価格が高く、カナダに輸入されたのは9機だけでした。
この個体は1931年製で、翌年カナディアン航空に納品。何度か所有者を変えたあと、最終的にカナディアン航空創業者婦人のもとに行き着きました。1962年に当館へ寄贈されています。このときブリティッシュコロンビア州から当館まで自力で最終飛行してやってきています。博物館入りするために自力飛行してやってくるというのは、こっちでは珍しいことではないですね。たぶん陸上輸送のほうがお金がかかりそう、というのもあります。



当時のユンカース機らしいコルゲートの入った全金属製ボディです。このボディを見たのは初めてだったかも?ちょっと感動しますよね。ブッシュプレーンのはずですが低翼機です。たぶん最初からブッシュプレーンとして開発されていなかったからだと思いますが・・・。
ちなみに機体の周りには小道具が置かれていて、ブッシュプレーンとはなんぞやという演出に機体ともども使われています。


ユンカースで運ぶんだろう物資ですね。この時代に段ボール箱は無いので、当然木箱です。こういうのもあって当時材木の需要は高かったわけです。


サムソン・モデルMというトラクターです。物資をここまで運んできたのかな?


機体は何をされているかと言うと、フロートの横についている車輪を外しているご様子です。そして、その横にあるスキー板へ履き替えようとしているみたいです。
車輪を浮かして取り外すためにホイストで機体を吊り上げています。


エンジンのある機体前部が重心近くなので、そこを持ち上げるほうが良いということでしょう。


車輪を取り替えているパイロットのジョー(仮名)です。一人でも交換作業ができるのが汎用性の高さに繋がっているのだ、という展示なんでしょうかの。


横に置いてあるスキー板です。これを履けば雪原で離着陸できるのです。というか冬季だとカナダ北部の辺境の湖は全面結氷するでしょうから、離着水できないんだと思います。


何年もの間ず~っと機体の横で「車輪が外れない・・・」と困って固まっているジョーくん(仮名)。飛び立てる日は来るのか。いや来ない。


フェアチャイルドFC-2W-2 (Fairchild FC-2W-2) です。1926年初飛行。
アメリカのフェアチャイルド社が航空測量用に開発した7名乗りの多用途機です。カナダ北部の遠隔地での運用にも適していて、1920~1930年代のカナダ開拓に重宝されました。カナダ空軍でも写真調査と連絡用に使われていました。
この個体は1928年製で、1940年代初めまで航空測量に使われていました。引退後はブローカーの手により保管され、その会社の創業者によって当館に寄贈されて今に至ります。
塗装はカナディアン・トランスコンチネンタル航空の形態ですが、この個体の経歴には無いはずです。


主翼は根本で折りたたむことができます。これにより小さな納屋に格納するなどが可能です。北極圏での運用では、翼を畳んで防氷シートで覆うことがあったそうな。


スティンソンSRリライアント (Stinson SR Reliant) です。1933年初飛行。
アメリカのスティンソン社で開発された4~5名乗りの多用途機。190機くらい生産されたんだそうな。
カナダでの運用実績はあまり無いそうで・・・。この個体は1933年製でウィリアム・リアの個人所有でした。ちなみにこの人がビジネスジェットのリアジェットの創設者となります。胴体の後ろ側にジェットエンジンを搭載しているからリアジェット・・・ではなくて、人名が由来なんですよね。英語の綴りを見ればすぐ分かる話なんですが、勘違いしやすいです。
その後1953年にI・I・ハンドバーグに購入されるまで幾人もの所有者の間を渡り歩き、ハンドバーグによりカナダの登録番号を得ました。これがカナダの登録番号を持った2機目のリライアントです。1963年にノースランド航空が購入してこの時に内外装を色々改造されたようです。
最後は1983年にアキーラ航空機修理社がこの機を復元して、博物館に売却したそうな。


樹体に加えて小道具が置かれていて、情景展示になっています。整備中のご様子。エンジンカウルは外された状態です。


機体に積み込む貨物もあります。


1930年代になると機体も金属化されているようです。後年の改造によるものかもしれませんけど・・・。


デ・ハビランド・カナダDHC-2ビーバー (De Havilland Canada DHC-2 Beaver) です。1947年初飛行。
ご存知、カナダの産んだ名作です。カナダで開発されたブッシュプレーンとしては初めての全金属製です。比較的重いペイロードでも発揮される短距離離着陸性能と陸上、水上、雪上で運用可能な汎用性の高さが魅力です。
1968年まで長期間製造され、製造数は1,600機以上と大ヒットでした。そのうち大半はアメリカ軍の発注でしたが。今も現役機が多数飛んでいますね。
この個体は1,600機いるビーバーの中で最初に製造された初号機です。カナダでこういう初号機が博物館で保存されている例は意外と無いんですよね。初めてかもしれないです。


機体は水上機形態で展示されています。フロートの後ろには水上タキシング中に方向を変えられるように舵が付いています。


フロートの脚と胴体はこんな感じで繋がっています。意外と細いなっていう。


尾輪の接続穴。


尾部。このくらいの小型機が好きですね。矩形断面の胴体は貨物を積むのに適していそうなのです。
ビーバーに乗ったことはないですが、撮影では何度も見かけている機体なので、ここで初号機に会うことができて嬉しかったです。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その16【2018/9/19~23】

2024-03-28 22:44:54 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 12時20分
熊本県人吉市 JR人吉駅
偶然出会った「ななつ星in九州」の出発を撮影するために人吉駅の外に出ます。駅前にあるのは、機械仕掛けの時計です。前に来た時は雪が降っていたような・・・。


先頭のディーゼル機関車DF200形7000号機が停まっていました。列車が長いのでホームからは見えませんでした。
JR貨物の貨物用ディーゼル機関車をななつ星用に特注した機関車です。主に装飾がななつ星専用です。機番も列車名に合わせて7000号機としています。日本の鉄道において、一番頭の番号の下一桁は1から始まることがほとんどなんですが、これは珍しく0から始まりますね。
このDF200が見られただけでも少なくとも良しとしましょう。



駅の駐車場に停まっていたのは、ななつ星専用の観光バスです。駅からの二次交通手段として各地に先回りして乗客を待ち受けるのです。
車両はいすゞ・ガーラ+西工92MCです。ボディは92MCですが、マスクが02MCに改造されていると言われています。また外観は列車と合わせてあります。内装も列車と合わせているようですが普通の4列座席のようで、ななつ星に乗るような方たちからすれば狭いのかも。それか、1人2席使用なのかもしれませんが。
ナンバープレートの番号が7なのは、ちょっとしたこだわりですね。


線路沿いを八代方面へ歩いていくと100mちょっとで「人吉鉄道ミュージアムMOZOCA」というところにたどり着きます。主に家族連れ用の遊戯施設のような場所です。
建物の屋上はテラスになっているのを見つけ、ここから俯瞰で撮影できるかもと登ってみた次第。するとやはり眺めが良く、ここを撮影地としました。
人吉駅名物の石造りの車庫もよく見えます。8620形58654号機も折り返し運転へ向けてしばし休憩を取っていました。
余談ですが2024(令和6)年に廃車になった58654号機は、どうやらこの車庫に保存されるみたいですね。


12時45分ごろ、「ななつ星in九州」が人吉駅を出発しました。客車列車らしいゆっくりとした引き出しで構内を少しずつ加速していきます。
機関車と客車で統一された塗装なのは、アメリカのかつての大陸横断鉄道のような雰囲気も感じられて、良いものです。屋根の高さやRが揃っているのも見どころです。
どうにか限られた時間と場所の中にしてはまともな写真を撮ることができて、やれやれというところです。
列車が行き去ったら、踵を返して人吉駅へ再入場します。途中下車可能な長距離切符なのでこういう小技もできるわけです。


第28走者:JR肥薩線普通「いさぶろう」3号吉松行(キハ40系)人吉13:22→吉松14:48
駅の中に入ると、もう次に乗る列車が私を待ち構えていました。肥薩線おもしろ列車2号の「いさぶろう」です。右側の漆色の気動車がそれです。人吉~吉松を一日2往復走ります。吉松行が「いさぶろう」、人吉行が「しんぺい」と上り下りで列車名が変わる珍しい列車です。どうでもいいですが人吉も吉松もどちらも吉が入っているので、一瞬混同しがちになりませんか?
左側はさっき八代駅で見た特急「かわせみやませみ」です。八代駅ですれ違ってから追いついてきたんですね。
肥薩線の中でも特に矢岳越えと呼ばれるような山間部を走る区間で、スイッチバックやループ線といった重厚な線路設備が目白押しです。もちろん景色もよいです。
本数の少ない同区間の普通列車も兼ねているためか、この手の観光列車には珍しい普通列車で、自由席車も連結されています。


このフォグランプを追加したキハ40系は見た目のバランスが良く、好きです。原型の芋っぽさを打ち消し垢抜けた印象を与える秀逸な改造ですね。
矢岳越え区間は実は一度乗ったことがあります。でもその時は夜間でした。明かりひとつ無い山間部、特殊な線路設備も絶景も何も見えないまま吉松駅まで運ばれるだけでした。なのでこの「いさぶろう」に乗ることは念願だったのですね。


車内は割とキハ40系の原型を留めていると思います。もちろん座席や照明や化粧板などは交換されていますが。
座席は生来の4人がけボックスシートに毛が生えたようなやつ。普通列車ならこんなもんでしょう。
なおこの列車、1往復は車庫への送り込みと返却を兼ねて人吉~熊本も走るんですが、その区間は特急列車扱いです。正直、これで特急料金を取るのかという内容です。同区間には特急「かわせみやませみ」も走っていますが、これは特急では一般的なリクライニング付き回転座席です。
同じ区間、同じ料金、同じ車種なのに接客設備に格差があるんですから、遜色特急と言われても仕方ないでしょう。
閑話休題。


食堂に入って昼ご飯を食べる時間が今日はないので、人吉駅のホームで立売していた駅弁を買いました。その名も「鮎ずし」です。
ここらへんでは鮎の弁当が多いですね。この鮎ずしは人吉駅で1950年代から販売されているベテラン駅弁です。


酢飯の上に酢締めされた鮎の開きが丸ごと乗っている、ビジュアル抜群の弁当です。鮎は程よく引き締まった固さで、骨も取り除かれているので食べやすいです。これは食べてみてよかった駅弁でした。また食べたいな。


人吉駅を出発して20分、距離にして10km、ここまでずっと山を登ってきて、最初の停車駅が近づいてきました。スイッチバック駅なので隣から線路が迫ってきます。
写真は、奥の線路は吉松方面への本線、手前の線路は駅へ延びています。


大畑駅に着きました。「おこば」と読みますが、書くのは簡単でも読み方が特殊で初見では読めないパターンです。



駅舎は開業当初からの建物だそうな。おびただしい数の名刺が貼られていますが、名刺を貼っていくと出世するらしいです。出所不明、本当かいなそれ。


名刺のない方がいいですね。
必ず列車が停車しなければならないスイッチバック駅ということで、駅舎はそれなりにあります。ここが鹿児島本線だった時代はもっと多くの設備や建屋があったんだと想像が膨らみます。


駅前にレストランがありました。なんでまたこんなところに。列車での利用を想定しているのかな?でも時刻表を読んでみるとちょっと難しそうだ。


大畑駅を発車して、来た道を後退します。一度本線から分岐する折り返し線に入ります。
この線路は人吉方面の本線です。線路の枕木が半分だけPC枕木になっていますね。たぶんここを七つ星が走るようになったので線路を強化したんだと思います。


折り返し線で停車して再度進行方向を変更、吉松方面の本線へ転進します。その際に大畑駅の構内がよく見えました。


慰霊碑のようなものが見えました。肥薩線建設時の殉職者のためのものかもしれません。


大畑駅を出発するとすぐに肥薩線名物のループ線に入ります。ここでまた一気に標高を稼いでいくのです。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その15【2018/9/19~23】

2024-03-22 05:45:55 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 10時32分
熊本県八代市 JR八代駅
私とその他大勢を乗せたJR九州の蒸気機関車の観光列車「SL人吉」は、熊本を出発し、次の停車駅八代駅で停車。ここまで鹿児島本線を走ってきましたが、八代駅からいよいよ肥薩線へ入ります。
八代駅では肥薩線から来た特急「かわせみ・やませみ」熊本行と列車交換します。2017(平成29)年3月に登場した観光特急です。車両はキハ47形を改造の上使用しています。キハ40系改造の観光列車も続々と増えている時期です。


2両編成の前後で車体塗装が異なっていて、緑色のほうが「やませみ」、青色のほうが「かわせみ」です。


八代駅に停車中の8620形58654号機と50系客車。


八代駅を出発して肥薩線を走ります。客車の最後尾は展望席になっていて、後方展望を楽しむことができます。180度ガラス張りになっていて開放度が高く、最前席でなくとも流れる車窓を堪能できます。これはいい改造ですね。
展望デッキと言うと車外に設けられた開放型を思い浮かべますけども、欧米だと人吉号のような密閉型も多かったですし、これはこれで良いものです。特に今日は雨天なので、密閉型日和なのです。


特等席は子供用の椅子が据えられています。水戸岡列車のこういうところは共感できますね。一方大人用の椅子も意外としっかりした作りなので長居しがち。普通は長居できないように座り心地の悪い椅子を置きがちなんですけども。なので適度なところで次の人に譲りましょうね。


坂本駅で停車。


球磨川沿いを走ります。昨日からの降雨で球磨川は増水しています。この時も結構増水しているな~と思っていたんですが、まさかその後豪雨であんなことになるなんて・・・。


球磨川第一橋梁で球磨川の本流を渡ります。肥薩線は今や超のつくローカル線ですが、元々は鹿児島本線の一部だった区間です。東海道線で言うところの御殿場線です。なので地上設備は立派なものが施工されています。
第一橋梁も立派なアメリカ製トラス橋の威容を誇っていましたが、2020(令和2)年7月豪雨による球磨川氾濫により、橋の一部が落ちてしまいました。被災した肥薩線復旧の大きな支障のひとつです。


川沿いの険しい地形を進んでいるのです。一方の岸には肥薩線、対岸には国道が走っています。


蒸気機関車のばい煙が登っていくでも散るわけでもなく、長いこと留まり続けているな、と思って撮った写真。


白石駅で停車。対向式ホームなので、今まで撮れていなかった編成写真をここで押さえます。停車時間長くはないので手早く済ませます。


渋いですねえ。こういうのがいいんだ。


ホームの間は構内踏切で結ばれているので、真正面の撮影もできました。


次に一勝地駅に停車。ここで約10分間停車します。
縁起の良い駅名なので、ゲン担ぎに来る観光客がいるんだとかで。意外にも無人駅じゃなくて球磨村が管理している簡易委託駅なのでゲン担ぎグッズを売っているのです。
肥薩線の観光促進に注力してからは観光列車も止まるようになったので、グッズや特産品を売る店も有りにけり。


一部改築していますが、基本的には1914(大正3)年に建てられた2代目駅舎が現役でいます。


一勝地駅に停車中の58654号機。


定刻で終点の人吉駅に到着しました。これで肥薩線おもしろ乗り物1号とはおさらばです。
そしてここでサプライズ!JR九州の豪華周遊列車「ななつ星in九州」と並びました。これの運用は調べずに来たので偶然の出会いです。見るのも初めてだったので、人吉号がホームに滑り込む時にななつ星の客車が見えたときはびっくりしました。
機関車の連結向きから進行方向は熊本方面と分かったので、人吉号の到着と同時に出発する可能性もあり、人吉号の余韻に浸る間もなく急いで58654号機と客車の並びを押さえに行きました。


存在感が他の列車と違いますね。水戸岡鋭治も、何かと制約のある既存車両の改造と違って新造車両なので、これは好きなように設計できたんじゃないんでしょうか。
駅の発車標を見てみると、自分が乗り継ぐ列車の出発までの合間に発車するようなので、駅を出て撮影できるところをどうにか探してみたいと思います。
本当に人吉号の余韻に浸る間はなさそうです。この時はまた乗りに来ればいいやと思っていたのですよ・・・。


八代行のキハ40形(40-8103)。前照灯がHID化された車両でした。

というところで今日はここまで。




九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その14【2018/9/19~23】

2024-02-18 23:21:10 | 旅行・イベント記
2018年9月21日。
九州旅行の3日目です。昨日と同じホテルで迎える朝です。昨日も言ったけどこのホテルは朝食おいしいと分かったので、今後も覚えておきます。


2018年9月21日(金)8時48分
熊本県熊本市中央区 JR熊本駅
今日はざっと言うと熊本市から鹿児島市へ移動するだけです。移動の道中ではおもしろ乗り物が3種類待ち構えていて、それをひとつずつ攻略していきます。
ちなみに今日も雨模様でテンションは初めから半分しかありません。熊本市に来る時は雨ばかりなんですよ。


第26走者:産交バス西11系統玉名駅(エアロミディ)河原町8:36→熊本駅前8:45
ホテルから熊本駅までは少し離れているので、路線バスで移動します。路面電車も並行していますが、バスのほうが先に来そうだったので、それで。
乗ったのは産交バスのふそう・エアロミディMK (#1096) 西11玉名駅。


ついでに熊本駅に入る前の朝練です。産交バスのいすゞ・キュービック+西工96MC B-I (#3160) 県18県庁・本山。


九州産交バスの日野・セレガHD (#1127) ひのくに号福岡・天神。


熊本市交通局(熊本市電)のレトロ電車101号。


熊本駅構内に入りました。まだおもしろ乗り物が来るまで時間があるので珍しそうな電車が来ないか待ち構えておきます。
三角線のキハ147形(182+1044)が止まっていたのでとりあえず撮影。キハ147形はキハ47のエンジン換装型です。九州南部だとあんまり珍しくないっぽいです。


817系(V012)と415系(FO105)です。415系は4両編成でロングシートで詰め込みが効くからか、朝と夕方に見かけますね。九州の415系も減る一方なので記録するに越したことはありません。


ED76形1018号機の貨物列車が通過。ありゃりゃ、知っていれば反対側のホームに行っていたのに・・・。


三角線のキハ31形(22+6)がやってきました。これは2019(令和元)年にすべていなくなってしまいました。車両にトイレがないので運用に制約が多い(駅にもトイレがない区間もあるので催しても救いようがない)、廃車発生品の台車が老朽化、などが理由っぽいです。


黒いディーゼル機関車と黒い客車の列車が来ました。あ、あれは・・・!


これから乗る、おもしろ乗り物一号こと「SL人吉」号です!


人吉号と言えば、蒸気機関車の8620形58654号機です。JR線を走る蒸気機関車としては最古の機体です。ただ実態はテセウスの船状態で、実はJRで一番新しい蒸気機関車なのかもしれませんけど。
8620形は1914(大正3)年に登場したわが国初の国産蒸気機関車です。設計から含めて国産です(外国機をコピーした国産機はこれよりも前にありにけり)。
58654号機は1922(大正11)年製造です。この時点で96歳。御長寿すぎるんですな。客車3両だけですがこれを補機無しで牽引しているのでなおすごい。


415系(FO-122)が来ました。


SL人吉の止まっているホームに移りました。客車は50系という九州や東北で使われていた一般型客車です。でもこれは観光用に徹底的に改造されていて、車体に原型という文字はありません。編成の両端は展望用の大型窓が据えられています。後で見ますが結構眺めが良いですよ。




58654号機。テセウスの船なので基本的にきれいですが、使い込まれたことによる汚れもあり、とても趣のある見た目です。九州独特の除煙板、門鉄デフも実にかっこいいです。
8620形は旅客用蒸気機関車で、ほぼ同時に貨物用の9600形も登場しています。

生きている蒸気機関車の足回りはとても見とれてしまうのです。


ランボードの色差しがいいアクセントになっています。金のライニングも珍しいです。おそらく現役時代には存在しなかった、SL人吉専用の装飾でしょうけど、列車全体のイメージと合っていて似合っています。


客車へ入りましょうか。
列車の牽引機は基本的に58654号機に限定されているので、客車にも蒸気機関車の機番が大きく描かれているっていう。
ちなみに、58654号機だからって5万機も造られているわけではないです。8620形は製造番号の数え方が独特かつ分かりにくく、こんな型番にした設計者はどういう思考をしていたのかわかりませぬ。
まず、1号機は8620号機です。8699号機の次は、下2桁の数字はまた20に戻ります。なので、下2桁は80しか使えないことになります。00~19は使えんのです。なんだこれ。
下2桁が20に戻ると、86xxの前に1が付きます。なので8699号機の次は18620号機です。そこからまた80機作ると、今度は28620号機となります。5桁目の数字が1つずつ増えていくわけです。インフレが激しいやつなんです。
以上から導かれる製造番号を割り出す公式は、「万の位の数字×80+(下二桁の数字-20)+1=製造順」となります。
58654号機にこの公式を当てはめると「5x80+(54-20)+1=435」なので、435機目の機関車なのです。
以上。

閑話休題。


第27走者:JR肥薩線快速「SL人吉」人吉行(8620形+50系)熊本9:45→人吉12:09
車内は観光列車チックに改造されています。50系の原型がうかがえるのは窓枠くらいじゃないでしょうか。

SL人吉号が熊本駅を発車するところで、今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その13【2018/9/19~23】

2024-02-15 06:54:30 | 旅行・イベント記
熊本市電の水前寺公園電停で下車しました。
電停の名前通り、ここの近くには水前寺成趣園という庭園があります。今日は一日中雨だったんですが、ここにきてちょっと小康状態になったのと、ホテルに帰るにはやや時間が早かったので、立ち寄ることに・・・。


とはいえ雨天日に日本庭園に行っても景色が微妙だという感想しか出てきませんわね。軽く散策して終わりにしましょう。


水前寺成趣園は江戸時代に熊本藩主の細川氏により造園された日本庭園です。


出水神社です。歴代細川家当主が祀られているんだそうな。


日本庭園については何も知らないので、あまり書けることもなく。


これは稲荷神社の鳥居。





庭園の見どころ、富士山を模したと言われている築山です。宝永山がないので、宝永噴火が起きる前の造形か山梨県から見た富士山かも。そもそもそこまで考えていない、ということかもしれませんが。


案の定、雨脚が強くなってきたのでこれで急いで退散します。また来ます。


第23走者:熊本市交通局A系統健軍町行(1200形)水前寺公園17:15→健軍町17:27
それでは当初の目的だった健軍町までの乗り通しを済ませます。


終点の健軍町電停に着きました。あたりを散策してみたかったですが、雨中の散策で疲れてしまったのですぐに折り返すことにしました。来た道をただ折り返すのはあまりやりたくないんですけどね。
電停のすぐ近くにはアーケード街があるみたいでした。


第24走者:熊本市交通局B系統健軍町行(0800形)上熊本駅前17:40→辛島町18:11
それでは折り返します。折り返す電車は1本落としたのでさっきとは違う電車です。新型の0800形でした。

繁華街の辛島町で下車して、飲んでいきました。


鶏肉の炭火焼です。ここらへんの名物でしたかね。


締めにうどんです。九州のうどんにはごぼう天があるので好きなのです。


第25走者:熊本市交通局A系統健軍町行(100形)熊本駅前・田崎橋19:04→慶徳校前19:07
飲み終わったら熊本市電に乗ってホテルの最寄り電停まで行き、ホテルに帰りました。
熊本市街地の散策は雨で思うようにいかなかったので、再履修です。またいつの日か。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その12【2018/9/19~23】

2024-01-28 23:06:45 | 旅行・イベント記
第20走者:熊本電鉄菊池線藤崎宮前行(6000形)須屋14:50→北熊本15:01
本降りの雨の日の熊本電鉄放浪です。( ˘ω˘)・・・もとい須屋駅の訪問を終えたので、次は北熊本駅へ行きます。
やって来たのはくまモンだらけの6000形です。炭素繊維強化プラスチックでできた台車efWINGを履いていることをイメージしているのか、カーボンっぽい色をした前面が妙にかっこいいんですよね、これ。


北熊本駅で下車。駅舎は小綺麗ですがたぶんリフォームしたやつだと思います。


乗客が通る通路が意外と狭いです。駅の事務所には熊本電鉄グッズが売られていたので物色。何点かお買い上げしました。


ホームは2面3線で国鉄っぽい配置。島式ホームとの行き来は構内踏切です。雨に日にはつらいということ。


北熊本駅は列車の運行拠点でもあり、車庫もあります。
さっきは乗り換え待ちで流し見するだけだった5000系をもう少しよく見てみます。東急5000系の中古車で、最後まで現役に就いていたことでオタクの注目の的でした。今はもう引退していますが、たまに構内を動いているようです。


車庫で寝ている方の6000形。この時代の電車は抵抗器の数がおびただしいですねえ。


200形という電車。南海22000形の中古です。熊本電鉄に導入する前に西鉄で改造されています。南海時代はおでこヘッドライトだったんですが、西鉄らしさが爆発しているデカライトユニットに交換されています。あとは乗降扉を片側1箇所ずつ増やしています。
これが動いているところは見たことないです。一応この頃は現役だったようですが、そのうちに引退してしまったようです。


いやあいいもんですよ、これ。



モハ71形。好ましい戦前型電車です。パンタグラフが通常よりもやや中心寄りに乗っているのが特徴的か。
広浜鉄道という今のJR可部線に当たる路線で導入されたモハ90形のお古です。1928(昭和3)年デビューの超古参電車。1981(昭和56)年に引退していますが、今も入換用として残っています。


5000系は1両編成でも運転できるように妻面に運転台を追加しています。妻面はまっ平らです。


上熊本~北熊本をシャトルランする01形が来ました。


第21走者:熊本電鉄藤崎線藤崎宮前行(01形)北熊本15:31→藤崎宮前15:37
乗る電車が来ました。
01系の前面意匠はやはりこの車体断面に最適化されている感があり、後に出てきた丸ノ内線用の02系は横長でちょっと似合わないという印象を持っています。


御代志行の6000形も来ました。


藤崎宮前駅に着きました。経年は感じますが立派な駅ですね。どうでもいいですが、藤崎宮前という名前は、すべての文字が東急田園都市線の駅みたいなもの(藤が丘、宮崎台、宮前平など...)を連想させるので読むたびにちょっと反応します。
この駅と隣の駅の間には熊本電鉄名物の併用軌道がありまして、ぜひ寄ってみたかったんですがこの雨では諦めるしかないでしょう。次回への宿題にします。


ここが熊本の市街地に一番近い駅なので改札口も大きいです。


駅の外へ出てみると、立派な構内の正体はビルの中に電車の駅が入居しているというものでした。新静岡駅みたいで何やら親近感があります。ただし駅の所在地は市街地の中心地からやや外れにあり、ラストワンマイルが届かないという歯がゆい状況。


第22走者:熊本市交通局B系統健軍町行(8500形)通町筋16:03→水前寺公園16:17
さて路面電車に乗り換えるわけですが、藤崎宮前駅から最寄りの通町筋停留所との間は700mくらい離れています。ちょっと苦しいですよね。途中商店街を通ると、屋根付きのアーケード街を歩けるので幾分か良かったですが、それでも距離のうちの半分くらいでしたね。
今日は乗りつぶしと決めたので、熊本市電の反対側の終点健軍町へ向けて進みます。

というところで今日はここまで。


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