鳥栖駅で乗り換え待ちの間に駅の外へ出ました。博多から鹿児島中央までの切符なので、途中下車ができるのです。
改札口を出て跨線橋を渡って駅前の反対側へ向かうと、跨線橋の上から大きい競技場が目に付きます。あれがサガン鳥栖のホームである鳥栖スタジアムです。駅前に競技場があるとは恵まれていますが、この敷地は元々鳥栖駅の機関区と操車場だったものです。
留置線に止まっていたキハ220形200番台(220-205)。
見に来たのはこれ、逓信省230形268号機です。230形は当初はA9形と呼称され、1902(明治35)年から製造が始まったわが国初の記念すべき国産蒸気機関車です。ただし実態はイギリス製A8形に改良を加えた模倣であることは付け加えておきます。まあはじめはそんなもんよ。
つまり、とても貴重な明治時代の古典蒸気機関車なのです。ここにその1機が保存されているとは、驚きなのです。来てよかったー。
1909(明治42)年までに41機が製造されましたが、保存され現存するのは鳥栖市の268号機と京都鉄道博物館の233号機だけです。
233号機と違ってこちらは屋外保存されているものの、屋根付きで周りに柵も囲ってあります。
初めに逓信省230形と書きましたが、この機体に限って言えば北越鉄道が1908(明治35)年に汽車会社へ発注した同型機、G形18号機です。北越鉄道は現在のJR信越本線の直江津~新潟を建設した会社で、1907(明治40)年に国有化されました。それに伴って18号機は230形268号機に編入されたのです。
それからの経歴は一時期空白になっていて、その後昭和10年代(1935年~1940年)に鳥栖機関区へ転属してきました。鳥栖機関区では入換機として従事し、1954(昭和29)年に除籍されました。貴重な古典機の価値を認めてくれたのか、廃車後も機関区内に保存された後、1970(昭和45)年に鳥栖市役所へ移設、さらに2005(平成17)年に現在地へ移設、市の重要文化財に指定されて今に至ります。
機体の形態としては、廃車時の状態をそのまま維持していると思われます。具体的には、自動連結器装備、空制化後の装備等です。鳥栖市の文化財としての保存なので、妥当と言えます。京都にある233号機は製造当初の形態に復元されているので、新造時と除籍時の形態差をその目で確かめることができるのは嬉しいものです。
新造時のきらびやかな姿も素敵ですが、時代に合わせて装備を追加した姿も捨てがたいのです。
一通り見終えたので、駅に戻ります。
機関区、客貨車区、操車場が消えて熊本方面の特急列車も新幹線に遷移して最盛期よりも小さくなった鳥栖駅ですが、それでも長いホームがいくつもあるのは貫禄を感じさせます。
大きな構内に似合わず小さな駅舎です。九州鉄道時代の1903(明治36)年築の古い駅舎なのです。
この時代の建築はこういう軒下の飾りなんかが凝っているので好きなんですよね。
軒下はツバメのマンションになっているようでした。ご丁寧にフン避けの板が貼られています。
ツバメはたくみに人間の生活圏の中に巣を作って普通に迷惑掛けているはずですが、巧みに人間の心を掌握して市民権を得て優遇を受けています。これも生存競争なのかも。
ホームに戻ってくると、イカ釣り漁船が止まっていました・・・。821系(U002)という新型車両です。試運転の様子でした。思いがけない遭遇なのでした。
鳥栖駅は駅舎も古ければホーム上屋も古いので、上屋の柱には古レールが使われています。特にここの柱はイギリス・キャンメル社の1885(明治12)年製の製造刻印が残っています。刻印の部分だけはペンキが塗られておらず、読みやすくしてくれています。
こういう説明板も吊るされています。珍しいですね。
817系1000番台(V112)の鳥栖止まりの電車。
885系(SM1)特急「かもめ」24号博多行が到着。
というところで今日はここまで。
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