日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ゲーテの名言・・・

2011-01-26 10:08:52 | Weblog
 ゲーテの名言を集めてみました。

1、今行っていること、行ったことを心から楽しめるものは、幸福である。・・・→そうですね、時は今ですね、今を楽しめなければ、この先も楽しめない。今こそ全てですね。

2、涙と共にパンを食べた者でなければ人生の味はわからない。・・・→そうですね、苦しいことが深ければ深いほど、喜びもその差が大きいだけに、大きいですね。苦は楽の種、楽は苦の種・・・。

3、生きているあいだは、生き生きとしていなさい。・・・→そうですね、どうせ生きるのですから、難しそうな顔をしなくて、柔和な顔で、周りにいいオーラを出した方がいいに決まってますよね。

4、貸し借りは友を失う。・・・→そうですね、私もその経験あります。お金を貸した時は、上げたと思うべきですね。返ってきたら、感謝しましょう。

5、世の中のことは何でも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。・・・→そうですね、人間って、同じこと飽くんですね。例え、こなりたいと思ってなっても、しばらくすると、又、悩むもの?!

6、欲望と愛とは、偉大な行為のための両翼である。・・・→そうですね、背後に愛する人の為にとの大きな愛があれば、人間って、頑張れること多いですね。

7、外国語を知らない人は自国語についても無知である。・・・→そうですね、その中だけにいると、そのこと自体を客観的に見れないですね。英語の先生も、英語以外の外国語、勉強すると、英語もよく理解できるのでは?!

8、人に欺かれるのではない、自分で己を欺くのである。・・・→そうですね、自分の弁護ばかりせずに、毎日謙虚に反省し、良心に従って、自分に素直になることが大切ですね。

9、結婚生活はすべての文化の始めであり、頂上である。それは乱暴者を穏やかにし、教養の高い者にとっては、その温情を証明する最上の機会である。・・・→子どもは、親を成長させる為にあるって言葉もありますが・・・?!

10、時を短くするのは何か、活動。時を堪えがたく永くするのは何か、安逸。・・・→そうですね、楽しいことは、アッと言う間に時間が過ぎることが多いですね。

11、王様であろうと、農民であろうと、自己の家庭で平和を見出すものがいちばん幸福な人間である。・・・→そうですへ、家庭の平和が、生きる上での幸福の基礎ですね。

12、われわれの本性は怠情へ傾いている。だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動に真の喜びを感ずる。・・・→そうですね、内もしなくても一生、しても一生、やはり、生きて来たからには、自分なりに何かを始めることですね。その時、何らかの形で、他人と接することが大切ですね。

13、歓びには悩みが、悩みには歓びがなければならない。・・・→そうですね、そんなもんですね。

14、苦しみが残していったものを味わえ!苦難もすぎてしまえば甘美である。・・・→そうですね、ホント、そんなもんですね。

*ゲーテのサイト↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86
*60年(!)もの年限を掛けて創られたゲーテの代表作に「ファウスト」がある。(読んでも、チンプンカンですが)60年何て、スゴイですね。

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イスラーム(5/5)

2011-01-25 19:17:08 | Weblog
  イスラームを誤解している人、周りに多い。
 一番多いのは、4人の妻を持つと言うことかな?確かに、ある裕福な国(その国の女性からの情報なので、確かと思うが・・・)では、とても経済的に恵まれた男性の半分ほどが、2人以上(2人を含む)の妻と結婚しているとか。
 しかし、そんな国は、アラブ世界では、例外!今や、大半のアラブの人は、一夫一婦制なのだ(!)。そうでない所も、次第にそんな傾向になりつつある。
 当時のメッカ周辺では、男性は何人でも妻に出来た。それを4人までと限定したのは、画期的だったのだ。そして、その理由は、男の色欲を満たすためではなくて、未亡人や孤児を救うため、救済のためのものだった(今は、その必要があまりないかな・・・)。(・・・←しっかりと、訂正してくださいね!)
 もしも、複数持った場合、妻を全く平等(!!)に愛さないといけない(・・・←仕事に追われ、ストレスの多い日本では、1人の妻を満足させるのも、至難の業って感じなのに・・・?!)。
 複数の妻を持つ場合の多くは、子どもが出来ない時(イスラームでは、子どもをとても大切にしているので)、初めの妻に許可を得て、二人目を持つケースが多い様だ。
 ダッカのあるムスリムが言われていた、「2人何て、いないですよ。99%以上が1人ですよ。もしも2人持っている人がいたとしたら、周りから、人間として扱ってもらえないでしょう・・・」と。
 イスラームの世界では、子どもにしても、夫婦の間の子も、妾との子も、全く区別なく平等に扱わないといけないことになっている。
 イスラームの世界では、犯罪に対しては、非常に厳しい。窃盗罪であれば、初犯であれば右手首、再犯なら左足首、三犯であれば左手首、四犯なら右足首が切断される。現実に、サウジアラビアの国では、公前で、それが今でも行われていたのを日本人が現に見ている(?!)。
 姦通罪では、未婚者であれば、皆の前で100回の鞭打ちと追放刑が、既婚者であれば、石が投げつけられ、死刑が科せられる。
 犯罪に対する厳しさからか、イスラームでは、エイズも現に少ないし、凶悪犯罪も、少ないと言われている。
 ムスリム(イスラーム教徒)の人と話すと、悪いことをしようと思っても、アッラーが全てを見ているので、出来ないと言われる。

 難問めいた質問をムスリムにしてみました。
 どうして、豚肉食べたらいけないの(世界では、鶏肉以上に牛肉、牛肉以上に豚肉が摂られているのに・・・)?・・・→クルアーンには、はっきりと豚とは書いていないが、それが豚であろうと思われる動物が書かれている。豚の姿が不潔に見えるからとか何とか、明快な解答が出来なくて、困った感じで言われていたけど・・・。(本当の理由、ムスリムも、よく、分からないんじゃないのかなあ?)
 医学的に、生の豚だと、有鉤条虫がいるので、そんな感じになったのかなあ・・・?!(ムスリムに聞くと、クルアーンの内容、先々の事まで書いているので、解明されていないことの方が多いとのこと。・・・←宇宙の果ての研究にしても、研究すればする程、奥が深くなって振り出しに戻る感じになって来ている感じだが、それと似ているのかな?)
 もしも、豚肉を食べて、後でそれに気が付いた場合、どうなるの?・・・→その時は、たまたま知らなかったということで、アッラーは許してくれます。
 もしも、食べるものがなくて、豚肉を食べれば生きられると言う時でも、豚肉は食べられないの?・・・→その時は、アッラーの許しで食べられます。
 もしも、奥さんが浮気をしたら、どうなるの?・・・→多分、相手の男性を殺して、妻も殺すかも知れません。(姦通罪に対するムスリムの意識は、極めて厳しい!仏教国であるタイの女性にしても、風俗でない普通の女性の貞操観念は、実にしっかりとしている!
 イスラームでは、飲酒も喫煙も御法度である。食べ物の制限は、いろんな宗教で見られる。モルモン教徒の女性(佐伯でホームステイしてもらったことがありますが・・・)は、コーヒーは御法度とのことでした。(10億人近くの信者を持つ)ヒンデゥー教では、牛肉は、御法度とであり、仏教にしても、肉は御法度となっています(・・・→性欲を抑える為でもあるらしい?!)

 ここまで、読んで頂きまして、誠にありがとうございます。私も、今、勉強中です。世の中は、グローバル時代です。そんな中で、15億人ものムスリム(イスラームの信者)を持つイスラームを知ることは、今の我々日本字に課せられた課題の様にも思っております。私なりに解釈している宗教です。「イスラーム(1)~(5)」を読まれて、アラブ世界により関心を抱く様になって頂けれが、私にとって、こんな嬉しいことはありません。

*写真でお点前している(インドネシアのムスリムの)人は、私が(マンツーマンで教えた)茶道の弟子です。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20061003/2

↓食のタブー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC
↓私のイスタンブール記
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1197

http://islamcenter.or.jp/jpn/NihontoIslam.htm

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イスラーム(45)

2011-01-25 11:41:25 | Weblog
 実際に、バングラデシュのダッカでホームステイしたり、トルコのイスタンブールに行って、イスラームの世界に自分を置いてみた。又、それ以前に、ムスリム(イスラーム教徒)の人で、インドネシア(佐伯に住んでいたインドネシアの沢山の研修生)やエジプト(私のアラビア語の先生)に住んでいた人と、イスラームに付いていろいろと教えてもらっていた。
 一番初めに、佐伯に来たインドネシアの人が、アラビア語で「アッサラーム・アライクム」とスラスラッと上手に書いた時、感動してしまった(13年前?)。又、私のアラビア語の先生(半年ほど教わった。CDで予習していたので、発音に付いて注意されることは、少なかった。)とエジプトに1カ月行くはずが、私の都合で、行けなくなってしまった。
 ダッカの人からは、2年近くベンガル語を教わっていたが、彼の誘いで、「断食」が終わった後の(APUのムスリムの学生さんの作る)食事に誘われたり、バングラデシュのダッカでは、彼の家にホームステイまでさせてもらった。
 イスラームの世界では、客人をとても丁重にもてなす。ダッカでのホームステイでは、いろんな所に連れて行ってもらって、とても楽しく過ごさせてもらった。自分が、魚が好きだと言えば、朝早くから、魚市場で魚を買って来た(肉よりも魚の方が高い)。自分が、マンゴが好きだと言えば、マンゴジューズが冷蔵庫に入っていた。フォークも用意されていたが、初めの日以外は、皆に合わせて右手で食べた。(・・・←誰でも出来ます!)
 イスラームでは、信仰を心の内だけに留めずに、具体的な行為で示す様に義務付けている。その中に、「六信五行」がある。前者には、「唯一神アッラー」「天使」「啓典」「預言者」「来生」「運命」があり、後者には、「信仰告白」「礼拝」「義務の喜捨」「断食」「巡礼」がある。
 「信仰告白」は、「アッラー以外に神はなしと私は証言する、ムハンマドはアッラーの使徒であると私は証言する・・・」と祈る前に唱えている。「礼拝」の中には、毎週金曜日の正午に、男性のみの集団礼拝(偶然、イスタンブールでこれに出会ったが・・・)がある。「喜捨」には、自発的な喜捨(サダカ)と義務としての喜捨(ザカート)がある。
 弱者を助ける相互扶助として存在する「ザカート(義務としての喜捨)」は、イスラーム社会を支える社会原理の一つになっている。
 ザカートの課せられる対象は、1年以上所有している通貨、家畜、果実、穀物、商品など。税率は、ものによって異なり、通貨の場合は、2.5%となっている。集めらたザカートは、極貧者、貧しい巡礼者、旅行者(!)、借金を返済できない者などの援助に用いられる。
 クルアーンでは、次のような内容になっている・・・→「・・・どんなことに金を使ったよかろうかとみんながお前に訊いてくることであろう。答えてやるがよい。善行に使う金なら、両親と親類縁者、孤児と貧民と路の子(旅行者!)のため。お前たちがする善行については、アッラーは何から何までご存知だぞ。・・・汝ら、己れの施しごとを、目立つようにしてももちろん結構、だが、そっと隠して貧乏人にくれてやるならもっと自分の身のためになり、その功徳で前に犯した悪事まですっかり帳消しになる。・・・」
 これまで、ザカートの徴収は、政府によって行われていたが、今は、ムスリム個人が自発的にモスクなどに支払っているケースが多くなっている。

*写真は、イスタンブールにある「アヤソフィア」。 

 
http://www.youtube.com/watch?v=MJg0I-81nZs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=O_iUJ_LEW7w&feature=related

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イスラーム(3/5)

2011-01-25 09:24:22 | Weblog
 イスラームに付いて、多くの日本人、あまり(と言うより、殆ど)長い間、知らされてこなかった。
 今の中国に唐があった時代、日本では、最澄と空海が唐から帰って、その後、天台宗と真言宗を開いている。日本人が唐の長安を世界最大の都会と思っていた時、その西方では、長安をしのぐ世界最大の都市である(今のイラクの首都)バクダードが栄華を誇っていたのだったが・・・!
 イスラームでは、第1の聖地は、「メッカ(マッカ)」、第2の聖地は、「メディナ(マディーナ)」、第3の聖地は、イェ(エ)ルサレムとなっている。
 実際にモスクに行くと、まず、高くそびえる「ミナレット(尖塔)」がある。これは、礼拝への参加を呼び掛ける「アザーン」を朗誦する塔である。お浄めの「水場」がある。ムスリム(イスラーム教徒)は、礼拝前に、必ずそこで、決められた手順で体を清めている。
 どのモスクも、内部構造は極めて単純で、4方向にほぼ対照的な造りとなっているが、内部の装飾が実に素晴らしい。装飾には、神や人や動物などはいっさいなくて、植物紋や幾何学紋、アラビア文字を使った装飾が数多く見られる。(イスラーム世界では、書道も盛ん!)
 内部構造には、メッカの方向を示す目印の「ミフラーブ」があり、大きなモスクには、その右側には、階段状の「説教檀(ミンバル)」がある。
 預言者の預言とは・・・→神の言葉=啓示を「預かる」ので預言と言い、未来の事を予想する予言とは違う。預言を預かった者が預言者であり、それを人々に伝える義務を負うと、「神の使徒」となる。啓示をまとめたのが「啓典」であり、アッラーからそれを与えられた最後の人が、「ムハンマド」となっている。
 「アッラー」には、家族はいなくて、飲み食いはせず、睡眠も休息も取ることなく、姿形もない。その耳や目は、人間一人一人の心の奥底こまでおよび、善悪の判断を誤ることもない。アッラーは、目に見える世界のことも見えない世界のことも何でも知っている。実に、無限の智慧と知識を備えている。
 天地創造以来存在し、未来永劫生き続け、万物の創造者であり支配者、唯一絶対であり、全知全能の神、それが「アッラー」なのである。
 イスラームには、仏教での僧侶やキリスト教で牧師など、神と信徒の間に入る人が全くいない。つまり、アッラーの前では、ムスリム(イスラーム教徒)は、全て平等であり、一人一人のムスリムが直接アッラーと結び付いている。
 人間のものさしではとうてい計ることの出来ない森羅万象を超越した存在、それがイスラームでの「アッラー」なのです。

*写真は、イスタンブールにある「ブルーモスク」。
 

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イスラーム(2/5)

2011-01-24 11:08:13 | Weblog
 「ムハンマド」って、どんな人だったのでしょうか?
 実は、ムハンマドは、孤児でした。(クルアーンが孤児への慈善を推奨するのは、彼の生い立ちと無縁ではないと思われますが・・・。)
 母親のお腹にいる時に、父親が亡くなっている。母も、彼が6歳の時に亡くなっている。孤児になったムハンマドは、80歳近い祖父に引き取られるが、ムハンマド8歳の時に、この祖父も亡くなって、亡き父の弟(伯父)の下で育てられることになる。
 伯父は、ムハンマドをとても可愛がったが、ムハンマドは、孤児と言うことで辛い目、悔しい目、悲しい目にあうことも多かった。それで、内向的な人間に育っていった。12歳までは、羊飼いを手伝ったりしていたが、伯父から商売の技術を教えられて、少しずつその才能を発揮させていった。
 青年期になると、ムハンマドは、商売で伯父の家計を助けるようになった。そのようの誠実な人柄は広く知られ、ムハンマドは、「アミーン(正直者)」と呼ばれていた。
 そんな中で、「ハディージャ」という富裕な未亡人が大きな仕事を依頼してきた。彼女は、二度の結婚歴を持ち、子どももいた。その彼女がムハンマドの技量と性格を見込んで、結婚を申し込んだのだ。ムハンマドは、それを受け入れて結婚した。ムハンマド25歳、ハディージャ40歳(?)であった。(ムハンマドが年上の女性と結婚した為、イスラームには、姉さん女房を嫌う習慣はない。むしろ、好ましいと論じる人もいる。再婚に付いても推奨される。)
 二人の間には、2男4女が生まれるが、男2人は若くして亡くなり、長女・次女・三女は、成人して結婚するが、3人とも、ムハンマドよりも先に亡くなっている。末娘だけ、ムハンマドよりも長生きしている。イスラームの世界では、ハディージャを最高の女性として、誉め称えている。何故なら、彼女は、最初のムスリムであり、ムハンマドの苦悩の人生を支えたので。彼女は、ムハンマドが50歳の時に亡くなっている。
 イスラームにおいては、ムハンマドの地位は、あくまでも預言者であり、単なる人間に過ぎない。
 ムハンマドは、最初の啓示を受けた時、妻のハディージャに相談している。ハディージャは、キリスト教徒のいとこ(ワラカ)の下へ連れて行く。詳細を聞いたワラカは、「それは神の啓示に他ならない。貴方は神に選ばれたのだ!」と説明をした。それを聞いてムハンマドは、次第に預言者としての自覚を抱くようになった。
 最初の啓示を受けてから数年後に、ムハンマドは街頭に出て大衆への伝道を開始するが、順風満帆とはいかず、信者は(推定人口1万人と推定されるマッカで)わずか200人にも満たなかった。
 その後、ひどい迫害を受け、622年9月24日、ヤスリブに移る。これが、ヒジュラ(聖遷)と言われ、ヤスリブは、預言者の町:マディーナ・アン・ナビ(略して、アル・マディーナ、日本では、冠詞を省いて、マデイーナ又は、メディナ)と呼ばれることになった。
 ムハンマドは、亡くなる時、9人の妻たちを集め(ハディージャが生きている時は、妻だけを寵愛した。)、(それまで、妻たちの家を1日ずつ順番に回るのを常としていたし、遠征に出かける時は、妻たちにクジを引かせ、当たった一人だけを連れて行くのを常としていた。)これからずっとアーイシャ(当時、18歳)の家に留まりたいと言い出し、彼の願いは受け入れられ、・・・→最後は、日中の最も暑い時間に、アーイシャの膝の上で息を引き取った。ムハンマド、享年63歳だった。
 イスラームでは、ムハンマドをただの人間として、崇拝の対象とすることを否定している。

*イスラームは、啓示宗教である。セム的一神教の系譜に属する。セム諸語(モーセのヘブライ語、イエスのアラム語など)の人々の間の宗教・・・→ユダヤ教、キリスト教、イスラームである。その世界では、唯一神が実在する、宗教が啓示で始まる、啓示は天使によってもたらされる。


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夫との会話・・・

2011-01-24 09:49:09 | Weblog
 今朝(1月24日)のNHKの「あさイチ」で、”夫との会話:ここがイライラ”に付いて、実例なども交えて、考えさせられる内容が紹介されていた。
 妻が夫との会話でイライラする原因として、「声を掛けても反応がない」「話が押しつけがましい」「大事な話に向き合わない」の3点が挙げられていた。
 実際に、長く連れ添った夫婦なのに、子どもと実家のこと以外で、話させると、10分ぐらいで、ギブアップしている。
 そうだなあ、海外旅行に行ってみると、老夫婦が手をつないで歩き、食事する時も、楽しそうに話しながらしている。日本では、夫婦が一緒に旅行していても、あまり話さない感じだなあ。それに反して、数人での熟女同士の旅行、途切れることなく、滝が流れる如くに、実に楽しそうに、ずっと話しているなあ・・・。
 そうだなあ、自分も、仕事で疲れて、家に帰った時、家内が話すこと、上の空で聞いていたなあ・・・。言う時は、押しつけがましく言っていたなあ・・・。そして、子どもの事で大事な話をしている時でも、妻任せって感じだったなあ・・・。
 話す気が失せる妻からの一言では・・・
・稼ぎが悪い!(夫が一番気にしていることを言われると・・・)
・それは貴方が悪い!(仕事の不満を相談しても、いつも、そんな感じで言われると・・・)
・子どものことは私一人でやってきた・・・(俺の存在は、何・・・)
・私だって・・・(俺が真剣に悩んでいるから話してんだろう・・・)
・・・
 結婚して、5年も経つと、脳が正常化して(?!)、相手の姿が客観的に見れる様になる?!・・・→思っていた人と違っていた、こんなはずじゃなかった・・・。で、不満が年限と共に貯まって行って、ついには、修正不可能な感じの破局となり、そして、離婚・・・
 離婚を考えそうになった時、長いこと連れ添ってきた夫に付いて、次の事を冷静になって書き出すといい・・・
・夫の長所
・夫にしてもらったこと
・夫にしてもらっていること
・夫の好きなこと
・・・
 時間を掛けても、何日も掛けて、思い出しながら書き出して行くと、・・・妻側に「感謝の気持ち」が生まれ、そして、和解で目出度し目出度し・・・?!

*私の場合、一緒にいない時は、必ず、夜、1回、電話連絡していますが・・・「今日、別に何もないけど・・・何かあった・・・」何て内容で?!
 
http://www.youtube.com/watch?v=jyEu_2BLPgE&feature=related

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イスラーム(1/5)

2011-01-23 15:44:27 | Weblog
 日本人の生活と密着している仏教徒、世界で4億人もいない?!キリスト教徒は、約23億人(その内、カトリック系11億人、プロテスタント系4億人)、次に多いのが、イスラム教徒(ムスリム)で、15億人?
 昔、「回教」や「マホメット教」という言葉が社会の教科書に載っていた様に記憶している。
 今は、「マホメット」は「ムハンマド」と言い、マホメット教は、イスラム教と言っていたが、それも変更になり、「イスラーム」と言うべき(イスラーム・・・→アラビア語で、アッラーへの帰依を意味する)。又、「コーラン」も「クルアーン」(クルアーン・・・→読誦されるもの)と言い、「アッラーの神」って言い方でなくて、「アッラー」と言うべき?!
 メッカ(南アラビア語で、聖地の意味)は、正確には、「マッカ」と言うべきで、メディナも、正確には、「マディーナ」(・・・→マディーナ・アン・ナビーの略で、アルの冠詞がNの前でアンと発音されている。マディーナは、町の意味・・・→預言者の町の意味)」と言うべきである。
 コーランとキリスト教の聖書、よく似ている。コーランでは、アッラーから啓典を与えられた者は、「ムーサー(:モーセ)」、「ダーウド(:ダビデ)」、「イーサー(:イエス)」、そして、最後に、「ムハンマド」となっている。
 コーランに出てくる名前がユダヤ教、キリスト教の聖書に出てくる名前とよく似ているし、内容も、コーランと聖書、似ている個所が多い。
 コーランでは、「神」は「アッラー」と言い、「アダム」は、「アーダム」と言い、ノアは、「ヌーア」となっている。
 「アブラハム」は、「イブラヒーム」となり、「イサク」は、「イスハーク」、「ヤコブ」は、「ヤアクーブ」、「ヨセフ」は、「ユースハ」となっている。
 「モーセ」は、「ムーサー」、「ダビデ」は、「ダーウド」、「ソロモン」は、「スライマーン」、更に、「ヨハネ」は「ヤヒヤー」、「マリア」は「マルヤム」、「イエス」は、「イーサー」となっている。
 内容も、似ていて、初めの個所にしても、やはり、アッラーが天地を創造したと書かれている。アダムとエバ(イブ)の個所では、エバの名前は、コーランには出てこなくて、アーダムの妻となっている(コーランにはなくても、ムハンマドの言行録のハディースには、ハウワーとなっている)。ノアの箱舟の記載も、聖書とほぼ同じ内容となっている。
 聖書では、神がアブラハム(:イブラヒーム)に、アブラハムの息子イサク(:イスハーク)を神に差し出すことが本当に出来ることを確かめる個所があるが、コーランでは、アッラーがイブラヒーム(:アブラハム)に差し出させたのは、女奴隷との間に産まれたイスマーイール(:イシュマイル)となっている。
 「カアバ神殿」は、コーランでは、イブラーヒーム(:アブラハム)とその女奴隷との間に生まれたイスマーイール(:イシュマイル)が一緒になって築かれている。又、コーランでは、イスハーク(:イサク)とヤアクーブ(:ヤクブ)の存在感は薄いが、ユースフ(:ヨセフ)に関しては、詳細に記載されている。
 コーランでは、「イスマーイール(:イシュマイル)」がアラブ人の祖先で、「イスハーク(:イサク)」が、ユダヤ人の祖先となっている。
 又、聖書では、イエスが神の子であるとしているのに対して、クルアーンでは、イーサー(イエス)は、マルヤム(マリア)の子であって、アッラーには子が出来るはずはないと強調している。
 アラブの世界では、詩人は、高く評価される。クルアーンは、声に出し、節を付けて、詩を朗誦するように読むべきものとされている。日本の謡曲(!)の様に、決まった節回しをしなければいけない。どこで息をつぐか、どの様な声音を出すかといったことを示す記号が書き込まれている。
 厳密な意味において、クルアーンを翻訳することは許されていない。クルアーンは、アッラーの言葉そのものであり、その文体の美しさは、アラビア語以外では表現できないという認識によっている。

*佐伯市に研修生で来ていたインドネシア出身のムスリム(イスラーム教徒)の人が、私の名前をアラビア語で書いてくれました。
*参考図書:(これだけは知っておきたい)コーラン入門 大川玲子・島崎晋 洋泉社 2007年出版 1300円
*参考図書:イスラームとは何か 小杉泰 講談社現代新書 1994年出版 740円  
*百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版に世界の宗教人口割合が紹介されている。その数字は2008年中期の六大陸の宗教人口である。
キリスト教:22億5400万人(33.4%)
 ・カトリック:11億3040万人(16.7%)
 ・プロテスタント:3億8500万人(5.7%)
イスラーム:15億人・スンニ(84%)、シイア(14%)
ヒンズー教:9億1360万人(13.5%)
無宗教:7億6900万人(11.4%)
中国の伝統的な宗教:3億8720万人(5.7%)
仏教:3億8400万人(5.7%)・大乗56%、小乗38%、ラマ教6%
土着:2億7030万人(4.0%)
無神論:1億4830万人(2.2%)
新宗教:1億070万人(1.6%)
シーク教:2380万人(0.4%)
ユダヤ教:1509万人(0.2%)
心霊主義:1366万人(0.2%)
バハーイ教:786万人(0.1%)
儒教:641万人(0.1%)
ジャイナ教:557万人(0.1%)
道教:337万人(0.1%)
神道:278万人(0.0%)
ゾロアスター教:18万人(0.0%)
その他:134万人(0.0%)
合計:67億4960万人

 

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FM佐伯取材・・・

2011-01-22 11:09:44 | Weblog
  今朝(平成23年1月22日(土))、8:45から、「FM佐伯」から電話での取材があった(前もって約束していた)。何でも、1月25日(火)16:30から10分間程、ラジオで流れるとのこと。この時間に、自分が直接聞けないが、・・・放送内容を後で送ってもらえるとのこと。有り難い。
 いろいろ自分の事や天草のことを話したけど、・・・まあ、実際は、どんな内容になっているのかな?
 思うに、電話だけだと、身なりも整えなくてもいいし、楽だ。しかし、声だけで全てを表現するとなると、それなりに(少し)緊張したかな。初めに挨拶する時も、自然と自分の頭が下がっていたけど・・・。
 佐伯と今住んでいる天草がとても似ていること、印象深かったイスラム世界のダッカ滞在でのこと、タイのチェンマイのサンデーマーケットでの路上演奏、ホノルルとの友情都市調印式での演奏などを話した。仕事の事は、あまり話さなかったかな・・・と言うより、仕事に付いては、あまり聞かれなかった感じ。
 昨日は、夕方17時過ぎに、生後5日目の男児が来院して(初診)、「肺炎」で状態が悪かった(APRスコア3点、SpO2が90%以下)ので、直ぐに救急車で大学まで送った。遅い時間でヘリコプターが利用できなかったので、1時間半掛けて救急車で搬送したのだ。常勤医の小児科の先生が大学まで同乗してくれた。
 今度の取材では、へき地医療での新生児を含む小児医療の問題点など、話さなかったけど・・・。
 大分県では、新生児カー(カンガルー号)が小児科医2人を乗せて県内24時間、どこにでも来てくれる。熊本県では、医師会立の地域医療センターが小児救急を一気に引き受けている感じになっている。子どもの場合、小さければ小さい程急変するので、一刻も待てないケースも現実にある。
 どこも、それなりに頑張っているなあ・・・。


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般若心経・・・

2011-01-21 14:28:30 | Weblog
 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」って言葉、しばしば耳にしますが・・・で、ちょっと自分なりに、勉強してみました。
 仏教には、「大乗仏教」と「小乗仏教」がありますが、「大乗」には、名前の通り、大きな乗り物と言う意味があります。皆で一緒に悟りを開いて幸せになりましょうって感じのもので、「小乗」では、個人的な扱いって感じです。
 大乗仏教の経典も沢山出来て、その中でも、「般若経」には、数多くの種類があります。その中に、「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」が漢訳した「大般若経」では、600巻もあります。
 「大般若経」の内容を、わずか262文字にコンパクトにまとめた感じのものが、「般若心経」となっています。
 「般若」とは、鬼女の能面とは関係なくて、「真実の智慧」のことを言います。「心」は、中心の核の意味で、「経」は、お経、つまり、「般若心経」とは、「般若の核となるお経」の意味です。
 般若つまり真実の智慧を得るには、それなりの修行が必要です。その修行が、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」なのです。
 その6つの修行とは、「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(じんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」です。
 その中の「布施」では、・・・慈悲の心を持って施(ほどこ)しを与えること、・・・→具体的には、「財施(お金や物を施す)」・「法施(精神的に施す」)・「無畏施(恐怖のない安心できる生活を施す)」・・・→これらの布施では、見返りを求めず惜しみなく施す(!)・・・→自分が幸せになる為には人を幸せにしなくてはならないという精神の実践なのです。
 「般若心経」は、真実の教えを説き、私たちを真実の生き方に導いてくれるものです。


摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受・想・行・識亦復如是。
舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。
無智亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
故説、般若波羅蜜多呪。


即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経



*写真は、京都市にある「(浄土真宗の)東本願寺」。

*http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C
*http://www.youtube.com/watch?v=fO7xcRlR78I&feature=related
*http://www.youtube.com/watch?v=3CcIH7oxBP4&feature=related
 

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日本の仏教の宗派・・・

2011-01-21 10:36:22 | Weblog
 日本に仏教が伝えられたのは、お隣の国の(韓国の)百済から、仏教伝来ご参拝(538)何て感じで、538年と覚えた記憶があるけど、・・・?!
 それにしても、仏教には、いろんな宗派があるので、頭の中がゴチャゴチャって感じになっているけど・・・。
 滋賀県の比叡山延暦寺は、「(中国の唐から帰った)最澄」が始めた「天台宗」の総本山。「浄土宗(南無阿弥陀仏)」の開祖「法然」、「浄土真宗」の開祖「親鸞」、「臨済宗」の開祖「栄西」、「曹洞宗」の開祖「道元」、「日蓮宗(南無妙法蓮華経)」の開祖「日蓮」などが、ここで修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
 「真言宗」は、「(唐から帰った)空海」が始め、京都市に行った時、そこにある「(五重塔を持つ)東寺」と空海の関係の説明をガイドさんから受けたけど・・・。
*写真は、「東寺」の五重の塔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99

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