日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

院内暴力

2008-04-22 07:56:45 | Weblog
(平成20年4月21日 西日本新聞より)
 全国の中小病院など約1100カ所の半数以上で、昨年1年間に職員が患者や家族から暴言を浴びせられたり、身体的暴力を受けたりするなどの「院内暴力」を経験していたことが21日、全日本病院協会のアンケートで分かった。警察へ届け出たのは全事例の5.8%、弁護士に相談したのは2.1%にとどまっていた。
 協会の飯田修平常任理事は「医療現場では患者や家族を思いやり、トラブルを病院内で解決しようという意識が強いのではないか。病院側は毅然とした態度で患者らに接するとともに、対応マニュアルの整備などが必要だ」と話している。
 昨年1年間に院内暴力が発生したと答えたのは52.1%に当たる576カ所で、件数は計6.882件。内訳は「(暴言など)精神的暴力」3.436件(49.9%)、「身体的暴力」2.315件(33.6%)、「セクハラ(性的嫌がらせ)」935件(13.6%)、「その他」196件(2.8%)で、全体の約9割が患者からだった。

 私の経験では、実にいろんなことがありました。殴られるのではと怖い思いをしたこともありました。どんなに一生懸命にしても、結果が悪いと、患者さん側から犯罪者の様に言われたこと、多々あります。
 しかし、今は、福島の事件の様に、まともにしていても、予想外の結果が出ると、手錠を掛けられる時代です。大変な時代になっています、ホントに。


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二人体制

2008-04-21 15:44:16 | Weblog
 小児科、時間外診療制限を緩和へ 救急車24時間受け入れ 大分・済生会日田病院(平成20年4月17日、毎日新聞)
 日田・玖珠地方の2次医療機関、済生会日田病院(日田市三和)の西田敬院長は15日の医師会理事会で、現在実施中の小児科の時間外救急診療制限を「5月12日から一部緩和 する」と報告。特に救急車は「24時間・365日受け入れる」と従来通りの対応に戻る。
 小児科では「軽症患者が夜間など時間外も殺到し、小児科医2人が過重労働」として、3月1日から(1)平日の診療時間外(午前11時半以降)と土・日・祝日の一般外来は受け付けない(2)紹介患者は平日午前9時-午後8時、土・日・祝日午前9時-午後5時(3)救急車は平日午前8時半-午後5時--などの緊急避難措置を取った。
 今回、(1)はそのままだが、(2)は平日、土・日・祝日とも午後10時まで延長し、(3)も常時受け入れる。小児科の危機的状況が広く知られ、時間外受診患者は2月の127人(うち救急患者12人)が3月には12人(同3人)に激減。西田院長は「内科医8人も小児医療への協力を表明。このペースだと夜間もこなせると判断した」と説明する。

 ムー、大変そうだなあ。
 しかし、今まで過重労働で頑張ってきたことに対しては、感謝の念の言葉はないなあ。まあ、それは別の問題として・・・。
 小児科2人体制、自分の場合は、今、正にそうだが、具体的にどうするか、どこもそれなりに苦慮して、いい方法を暗中模索していると思う。 
 かって5人で24時間365日、小児科医5人で、小児(新生児も)全てを診ていたことがある(その病院では、外科と内科以外に、小児科も当直体制も取り、小児科医が交代で毎日当直していた。皆の集まる医局で昼休みに、疲れ切った小児科医がよくホントに眠っていたが・・・)。2年7カ月の間。で、5人が1人欠けて4人(その後、私がいなくなって、3人→2人→1人となり、他の大学から来る様になって、今は6人で365日24時間している様だが)になった時、残りの4人が言った言葉が不思議な様に皆同じだった。「1人欠けるとこんなに違うのか、急にどっときつくなったなあ・・・」と。
 救急病院では、小児科医1人でする場合、2人でする場合、3人でする場合、4人でする場合、5人でする場合、それぞれ、仕方が違うと思っている。その後、別の救急病院で、小児科医2人~4人で2年2カ月したこともある(その後、私がいなくなって、3人→2人→1人→0人となり、今は、1人で孤軍奮闘している様だが)。上手く行くかどうかは、小児科医数だけでなく、他の科のドクターの協力度、コメディカルの協力度(特にナース)、患者数などが大きな要因になるかと思う。
 1人でする場合は、兎に角、肉体的なことよりも精神的に参ってしまう。かなりモチベーションが高くないと出来ない。それで、3カ月おきとか、6カ月おき、長くても1年間と言うことになると思う。1年おきだと、周りに頑張る開業の先生がいれば、共存して何とかやっていけるかも知れない。3カ月おきに替わって来ている小児科医の本心は、「3カ月だけ頑張ればいいから・・・」とのことらしい(あるナースの話)。又、1人で短期間だけ、それも制限して診ていれば、患者数もさほど増えなくて、小児科の売り上げが科の中では一番下になっているかも知れない。
 2人体制では、又、別の感じになる。小児科医2人の上下関係が、同じか、上と下か、かなり上と下の関係かで、違うと思う。一番いいパターンは、上の先生が指導的立場にいて教え好きのベテラン先生で、その下の先生が症例が多くて勉強できると思って来ている場合で、それも下の先生に体力があって時間外もやる気満々であれば、確かに上手く行く。しかし、下の先生が、労働基準法などを言い出すと、ややこしくなってくる。
 1+1=2となるのは、数字の上のことで、忙しい科のドクターの場合は、1+1=3以上になる。何故なら、1がしている時、他の1がそれなりに休めるからである。休むことで、エネルギーが充電できる。放電しっぱなしでは、いつかは、必ずショートしてしまう(ショートすることが先々明白なのに、病院側がそれを改善しようとしなくて、将棋の駒の様に扱われているケースが現実にあるので、就職する前によく情報を得て就職するべきかどうかを慎重に決めることが極めて大切なことだと思う。沢山お金を払っているから、それに見合う様に仕事をするのも当然と思っている経営者も確かにいますので・・・)。沢山息抜きをしていれば、いざと言う時、それなりに頑張れることが多いと思う。
 3人や4人や5人ではどうだろうか。多くなれば多くなる程、周りからの期待がそれなりに加速度的に増幅して行き、小児科医の人件費と小児科の売り上げのことで、又、別の問題が起きる可能性がある。多くの病院で、一人当たりの小児科医の売り上げ、どんなにガンバッテも、たかが知れている(マッ、在院日数で貢献している例も確かにありますが、経営者は、そのメリットの有り難さを小児科医に余り言わない傾向にあるんじゃないかな?)。
 周りに救急をしている医療機関がなければ、時間外に小児科医が頑張れば頑張る程、時間外の小児の患者さんがどんどん来る様になります(私の知る限りでは、この現象に例外はありません!)。で、救急車も頻回に来る様になり、お産も鰻登りに多くなって、小児科医の常時24時間態勢なんてことになると、小児科医が7人以上いても、よほど上手くしないと出来なくなるだろう。ただ、新生児・未熟児でさほど手を取らなければ、それなりに若い先生の1年間の交代を入れて行けば、そして、若い先生も、そこで給料や症例や教育でそれなりに満足していれば、やって行けるだろう。
 病院が救急中心で行くと、確かに時間外の患者数は増えてくるが、昼間は、かかりつけの医療機関に掛かる為に、ある小児病院では、次第に売り上げが減少して、深刻な問題になっているとか?!

 私の場合は、1人で(開業生活8年半を含めると)18年間してきている(開業医の時は、応援全くなし)。ベッドも持ち、1人で毎日時間外も診てきた。しかし、一貫してしてきたことは、時間を決めて時間外を診てきたことである。つまり、診る時間帯をコッソリと患者さんに知らせておいて、その時間帯は裏切ることのない様に診てきたことである。20:00~21:00と佐伯では19年半毎日診ていたが、都合により、20:30からになったり、時には、21:00前になったりすることもあったので、来院前に電話をしてもらっていた。新生児やけいれん重積や意識障害の時は、後遺症が残ると困るので、直ぐに診ていた。トラブルが起きるのは、新患の場合で、それも熱があって心配で来院しているケースであった(開業してからはトラブルは少なかったが、病院勤務の時は、しばしばであった)。しかし、私は、0:00~6:00まで、体力維持の為に、極力診ない方針で、元々、生活のリズムが朝型だったので、朝6:00からだと診ると言っていたが、深夜熱で騒いでいた親御さんも、その時刻に来る人は、まずいなかった。(若くて、体力があり、周りの温かい理解があったからこそ、出来たこと。結果的には、体を確実に壊して行った。)
 小児の救急医療は、当たり前のことだが、小児科医だけで出来るものではない。小児科医の犠牲的精神では、限界がある。他の科の医師や他の医療機関との協力も大切だが、家族の犠牲の上で成り立っていること、そして、それ以上に、患者さんへの啓蒙活動が大切だと思っている(多くの機関が積極的に、小児の救急のかかり方の啓蒙活動を、もっと積極的にしていくべきである)。
*若い親御さん達は、昼間熱があっても慌てないのに、暗くなると、深夜ひどくなったらどうしようと不安なって医療機関に掛かることが多いと思う。で、痙攣が止まらなくなったり、意識がおかしくなったり、ホントに一刻を争う場合は、心配しなくても起きて診ますからと説明していた。そう言っても、どうしても心配な親御さんは、20:00に来ていた。しかし、掛かりつけの患者さんで、深夜に熱で起こされることはまずなかった(初めから、熱は3日あり、熱だけは、急患ではないと説明していたので)。昼間来院して自分が診ていて、再び、深夜に喘息やクループで来た場合には、(私は原則的に診ることなく)私の前もって指示しているマニュアル通りの処置をナースがして、親御さんもそれで納得していた。親御さんと医療側の信頼関係が上手く行くまでには、それなりに時間が掛かかった。問題は、やはり掛かりつけでなくて初めて掛かる患者さんの場合で、年末年始やゴールデンウィークの時に多く、救急病院の場合は、患者さん側から、「救急病院なのに何故診ないのか」とひどい剣幕で言われ、間に立つナースを困らせたことも度々ありました。

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ママさんパワー爆発

2008-04-21 08:01:23 | Weblog
 子育て中のママさん達が自転車の前後に2人の子どもを乗せての「3人乗り」に関して、自転車に砂袋を乗せて3人乗りに見立てて運転した結果、ハンドルが大きくぶれるなど安全面で問題があるとの結果が出た。
 で、平成19年12月に、警察側が突如として、「規則を守らせることが難しいケース」として、例外的に見て見ぬ振りをしていたのを、突如その例外的な扱いを止めると表明した。すると、全国アチコチから猛烈なママさん達の攻撃にあって、今まで通りに見て見ぬ振りをすることになった?!
 「3人乗りがダメだと言うなら、どうやって保育園まで送迎すればいいの」「警察は、私達に子育てを止めれと言うの」「少子化で、子どもを産めと言いながら、これがなければ生活出来ないじゃないの」などと、予想もしないほどの猛烈な攻撃にあって、ママさんパワーに屈したのだ。(スゴイ!!)
 3人乗りは、法律上は、「2万円以下の罰金又は科料」となっている。が、それまでは、幼児を抱える家庭では送迎や買い物などでやむをえない面もある為に、黙認してきていたのだ。が、水面下で、自転車メーカーの団体に、安全な3人乗り自転車の開発が可能かどうかを打診していて、前向きな解答があった為に、解禁に転じたのだ。現在、メーカ側も、新型自転車の開発に積極的だ。
 今後、注目されるのは、新型自転車以外の自転車で3人乗りをした場合、取り締まりの対象となるかどうかということ。ママさんパワーに負けた警察庁は、「急に取り締まるつもりはない。新型の自転車がどこまで普及するのかを見ながら慎重に考えたい」と答えている。
 ムーッ、こんな感じで、政治も教育も医療も、バシバシいい方向に変えてもらいたいなあ。ママさんパワーを甘くみたらあかんで・・・?!(納得!)

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中田英寿氏

2008-04-20 08:50:18 | Weblog
日本のサッカーファンなら知らない人はいないと思われるオリンピックでの元サッカー選手の中田英寿氏、彼は何かを探しに外国への旅に出た。
 で、平成20年4月17日23:00過ぎの民放のテレビでは、彼はアフリカにいた。そこでは、アフリカの子ども達へメッセージをと頼まれて、次の様に述べていた(英語で、彼は、イタリア語も流暢であるが)・
 ・・・勝てば神様、負ければ犯罪者って感じで言われてきた。そんなこと、気にする必要はない。自分がしたいことは何か、今の自分が出来ることは何か、自分がしなければいけないことは何か、それを常に考えること。結果として、出来なくても、落ち込む必要はない。何で出来なかったのかを考えれば、それもそれから生きる上で、いい肥やしになるから。・・・
 ムッー、名言だと思った。長い海外での彼の自分なりの旅で得たモノは、大きかったなあと思った。
 女優の高木美保さんも、自分を救ってくれたのは、人ではなく自然だったと言われたことがあった。
 仕事から離れて、客観的に自分を見つめる時間が、今の多くの日本人には必要だと思う。時間に追われっぱなしでは、自分が本当にしたいこと、自分が出来ると思うこと、自分が今からしなければいけないことが見えてこない。
 他人から強制的にしなさいと言われても、それにどうしても付いて行けなくて、落ち込んでいる例が多いのだ。
 自分にしても、外国でゆっくりと考えて、今の方針が決まっている。自分の長女にしても、「パパ、やっと自分のしたいことが見つかった!」と(航空会社系統の会社の事務員をしばらくしてから)言って来た。で、現在、その道(カイロプラクターになる為の道)にまっしぐらに進んでいるが。
 18歳にして、はっきりと決まっている人もいるだろう。しかし、高々18歳前後では、人生の経験不足と言わざるを得ないケースが大部分だと思う。それも、日本で受験勉強に明け暮れての結果だったら、お粗末としか言いようがないだろう。
 人は皆一人一人顔立ちが違う様に、やりたい事、できる事、しなければいけない事が違うはずだ。自分を知るには、やはり、いろんな体験をした方がいい。それも、出来るだけ若い内に。
 90歳を越えたある僧侶が、次の様にも言っていますが、・・・「やっとこの歳になって分かることもあるんですヨ」と。



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矢島助産院

2008-04-19 13:02:07 | Weblog
 平成20年4月19日(土)の朝の民放のテレビで、矢島助産院の助産師の矢島床子(ゆかこ)院長の自宅分娩で取り上げる様子が紹介されていた。(子どもを取り上げるのを、助産師にすべきか、産婦人科医にすべきかの問題は別にして)
 何と、驚くなかれ、そこでは、母親自らが取り上げるのだ。取り上げる主体は、母親で、助産師は、母親がお産するのを手伝うって感じだ。 赤ちゃんが子宮から出てくる時、仰向けになって寝ているお母さんが、助産師の力を借りて自分で最後の方は引き上げ、そしてそのまま直ぐに抱いている。ムーッ、これはスゴイと思った。何よりも、母親が自分の力で引っ張り出して産んだ我が子をそのまま直ぐに抱きしめて、極めて満足そうな顔をしていたのが(子どもと母親の絆がこれでしっかりと出来、産後の母乳の出もとてもいいはず)。
 政府は、助産院は、何かの時に紹介できる病院と提携しないといけない方針(19条)を作ってしまったので、現在、多くの助産院の中には、その存続が危ぶまれている所があるはず。更には、新規に助産院をオープンすることは極めて難しくなっていると思われる。
 矢島助産師の場合で注目すべきは、母親が自ら取り上げ、そして、母親が今までのお産と違った感じで満足していること。それに、そこでは、20年間に3.300人以上の実績を作っていることだ。
 お産は、戦後、GHQにより、産婦人科医中心でないといけない感じにしてしまったが、私の経験では、お産では、新生児を扱える小児科医の存在が、産婦人科医に勝るとも劣らずに大きいと思っている。出来れば、小児科医と産婦人科医は、セットにして考えてもらいたいと思っている。
 帝王切開で、赤ちゃんが生まれた時、産まれてきた直後の赤ちゃんと手術中の母親同時に診ないといけないのは、独りの産婦人科医にとっては極めて過酷だと思っている。
 私の場合、20年以上前には、しばしば、近くにある助産院からの新生児の紹介を受けて治療していた。その時にずっと思ってきたことは、24時間、小児科医が、異常で産まれた赤ちゃんを直ぐに扱える体制が極めて大切だと言うこと。

http://www.yajima-j.net/

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結婚記念日

2008-04-19 11:31:59 | Weblog
 昨日は、結婚記念日だった。4月18日は、又、父の誕生日でもある。もしも父が生きていれば、1912年(明治45年)生まれだから、96歳の誕生日にもなる。父は、1月22日の大雪の日に、84歳で亡くなった。自分がかって勤務していた病院の特別室に1カ月余入院していて、殆ど毎日、(自分は開業していたが)様子を見に行っていた。様子を見に行く度事に悪くなっている父を知って、自転車で帰る時には、涙が自然と出ていた。悲しかった。胆石があって、胸水があり、熱と咳が続いていた。主治医は、自分と同級生の内科医だった。最後は、自分が瞳孔の対光反射がないことを診て、お父さんは亡くなったらしいことを告げた。自分の見る夢の中では、父が亡くなっ姿を一度も見たことがない。次兄が送ってくれたDVD(私の結婚式の内容も入っているが)も、しばしば見ているが、夢の中の父は、いつも元気だ。自分が兄弟で一番下なので、父が「一番下は、お父さんと一緒に生きている時間が一番少ないことになるので、その分だけ却って可愛い」と言ったことがあった。郷里の佐伯に就職した時には、佐伯に戻ったことで、とても喜んでいた。「たはら小児科医院」を開業して、いろいろちょっとしたことで手伝ってもらっていた。私の自宅に母の作ったモノを自転車に乗って持って来る時に、交通事故に遭ってしまった。で、それから少し元気がなくなった感じだ。開業しても、経営があまり上手く行っていなくて、父に心配を掛けたなあと思って悔やまれる。今生きていたら、今の自分は、勤務医に戻っても、こんなに元気で楽しく過ごせていると言うことを父に知ってもらいたいなあと思う。

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死刑制度

2008-04-18 07:58:56 | Weblog
 国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、4月15日、2007年に世界24カ国で少なくとも1252人に死刑が執行されたと発表した。
・中国・・・470以上
・イラン・・317以上
・サウジアラビア・・・143以上
・パキスタン・・・135以上
・米国・・・42
・イラク・・・33以上
・ベトナム・・・25以上
・イエメン・・・15以上
・アフガニスタン・・・15以上
・リビア・・・9以上
・日本・・・9
・・・

 以上と言うことに注目。中国は、2.006年は、1.010となっていた。どうして日本では、判決が出るのにあんなに時間が掛かのかと中国の人から尋ねられたことがあった。中国では、中国の人でも驚くほど、判決が出るのが早くて、直ぐに死刑が実行され、犯罪者の臓器も償いとしてしっかりと役に立たされているとのこと。
 人口比では、サウジアラビアが一番多くなっている。サウジアラビアでは、今でも、多くの人の前で、モノを盗めば、手関節から、もう一度同じ事をすれば肘関節から、切断される。それも面前で、今もそれは現存とのこと。何でも、ある人の話では、とてもお金持ちの国で、国民1人に国から1億ほどのお金がもらえるとのこと。で、お金がないと言うことで盗むことは、絶対い許されないとの考え方らしい。
 死刑執行が頻繁にされている国の多くが、イスラムの国だ。倫理に反することに対しては、厳しいのだ。
 しかし、私自身は、死刑制度には、反対である。罪人と言えども、人は変わるべき存在と思っているし、命は、何よりも尊ぶべきものと思っているから。それに、人間が他の人間の命を奪うなんて、それこそ、人間の思い上がりだと思っているから。他人の命を奪ったことに対しては、奪われた人には誠に気の毒ではあるが、奪った人に対しては、死ぬまで、それを償うべき生活を一生背負って生き抜くべきだと思っている。

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小さなことでも・・・

2008-04-17 08:48:48 | Weblog
 佐伯に帰った時に、(よく昔、利用していた)スナックに行った。私がここに訪れたのは、数カ年振りかも知れない。向こうも、珍しがっていたが。
 佐伯に20年近くいて、このスナック、小児科の2次会では、貸し切ってよく利用していた。昔は、ママさん以外に1人~2人いて、忙しそうだった。しかし、暇な時が多くなって、かなり前から1人でしているとのこと。自分と余り歳は変わらないが、歳の割には若く見える(統計上、スナックのママさんには、認知症の人は殆どいないらしい)。
 店を開けても、誰も来ないことが週に1~2回あるとのこと。不景気の関係で、もう止めようと何度も今まで思ってきたみたいだが、他にいい仕事がないので、やむなく続けているとのこと。昔は、結婚式での司会などもして、忙しそうであったが、今は、ヒマヒマって感じだ。
 目がかすんできて、スゴク落ち込んだらしい。今から、目が見えなくなったら、独りでどうして生きていけばいいのか、不自由になることを想像して、とても憂鬱で、そんな日が何日も続いたそうな。で、勇気を出して眼科を受診したとのこと。そしたら、単なる老眼だったとのこと。
 で、その教訓からか、平凡であることで幸せを感じることにしたとのこと。先のことを悩んでも仕方ないことは、もう、悩まないことにしたとのこと。平凡なことでも、ちょっでもいい事があれば、それを大きな幸せに思うことにしたとのこと。
 今日も生きられて、3食摂れ、ちゃんと歩け、更に、仕事も出来ること何て、とても幸せだと思うことにしたとのこと。
 思うに、幸せの度合いなんて、本人の気持ちの問題だと思う。

 テレビで、「アラウンド40」と言う番組の1回目があった。そこでは、内科小児科医の奥さんが亡くなって53歳の後妻をもらっている。先妻の奥さんの子どもが(女性で)精神科医になり、歳が39歳で、悩んでいる。で、本人は、独身でも自分は幸せなんだからと言い張るのだが、周りからいろいろ言われ、それなりに本人はつらそう。
 まあ、結婚してからずっと悩み続けている女性もいるし、結婚しなくても、楽しそうにしている女性もいる。男性も、同じ感じだ。血がつながっていると言うことだけで、遠くにいて殆ど面倒を見ていないのに、亡くなった時だけ自分の権利を主張してお金のトラブルを起きす例も多いみたいだ。頼りなるのは、やはり、血のつながった人よりも、身近にいて、親しくできる友達だ。どっちみち、人間は、死ぬ時は独りになると思うべきだ。男性も、自分のことは(食事洗濯掃除など)自分で出来る様になっておくべきだと思う。
 (つい最近、国立社会保障・人口問題研究所の公表した”日本の世帯数の将来推計”によれば、2.006年の)1人暮らしは、1.471万世帯に達し、夫婦と子の1.455万世帯をとうとう抜いてしまっている。1人暮らしの割合は、今後、どんどん増加して行くと予想される。
 現在、世帯の単独化に合わせる様に、都会では、24時間体制で総菜や弁当などがコンビニで売られ、それなりに困らない様になっている。しかし、高齢者の孤独死の増加が問題になっていて、1人でも安心して暮らせる社会になっているとはとても思えない。
 地域で高齢者を見守る仕組みや作りがちゃと出来ていることが求められる。老人施設では、何故か、一番喜ばれるのは、園児の訪問だとか。


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カーリング型

2008-04-16 08:17:41 | Weblog
 今年4月の新卒入社者の特徴を検討した結果、彼らは「カーリング型」と言われているそうだ。
 そのネーミング詳述は、以下の如く。
 2006年、トリノオリンピックでの日本女子代表チームのあわやメダル獲得か、という活躍ですっかりおなじみになった「氷上のチェス」カーリング。大学、高校に入学の時点では氷河期まっただ中で、正社員として就職できるか心配しただろうが、幸運なことに、バブル期を上回る空前の売り手市場に遭遇し、氷(河期)の上を滑走する石のごとくスムーズに就職できた。複数の内定を獲得し選択に迷ったなどという話は、氷河期時代に入社した先輩が聞いたら地団駄をふんでくやしがるだろう。就職活動が売り手市場であったか、買い手市場だったかで社員の意識が大きく異なることは新入社員意識調査の結果からもよく知られており、氷河期入社組の先輩との意識のギャップが懸念される。数が多くて今後も同期会は盛り上がるだろうが、「氷」には要注意だ。「氷」があったからこそ、今年の大量採用だったことを忘れてはいけない。新入社員は磨けば光るとばかりに、育成の方向を定め、そっと背中を押し、ブラシでこすりつつ、周囲は働きやすい環境作りに腐心する。しかし、少しでもブラシでこするのをやめると、減速したり、止まってしまったりしかねない。また、売り手市場入社組だけに会社への帰属意識は低めで、磨きすぎると目標地点を超えてしまったり、はみだしてしまったりということもあるだろう。就職は楽勝だったかもしれないが、昨秋以降、サブプライムローンの問題等で経済の先行きは一気に不透明になった。これからも波瀾万丈の試合展開が予想され、安心はしていられない。自分の将来は自分の努力で切り開いていくという、本人の意志(石)が大事になろう。

 ちなみに、それまでの年の詳細は、以下の如くに名前が付けられいる。私の時には「鯛焼き君型」ってなっているが、ベテランナースに可愛がれ過ぎて?!、よく鯛焼き君の替え歌を歌っていたなあ。(毎日毎日僕らは小児科で、ナースに叱られっていやになっちゃうよ・・・)

48・・・パンダ型
49・・・ムーミン型
50・・・カモメのジョナサン型
51・・・鯛焼き君型
52・・・人工芝型
53・・・カラオケ型
54・・・お子様ランチ型
55・・・コインロッカー型
56・・・漢方薬型
57・・・瞬間湯沸かし器型
58・・・麻雀牌型
59・・・コピー食品型
60・・・使い捨てカイロ型
61・・・日替わり定食型
62・・・テレフォンカード型
63・・・養殖ハマチ型
1・・・・液晶テレビ型
2・・・・タイヤチェーン型
3・・・・お仕立券付ワイシャツ型
4・・・・バーコード型
5・・・・もつ鍋型
6・・・・浄水器型
7・・・・四コマ漫画型
8・・・・床暖房型
9・・・・ボディシャンプー型
10・・・再生紙型
11・・・形態安定シャツ型
12・・・栄養補助食品型
13・・・キシリトールガム型
14・・・ボディピロー(抱き付き枕)型
15・・・カメラ付ケータイ型
16・・・ネットオークション型
17・・・発光ダイオード型
18・・・ブログ型
19・・・デイトレーダー型
20・・・カーリング型
(資料出所:タイプ命名等は、現代コミュニケーション・センター所長 坂川山輝夫氏による。)

 今の若い人と我々団塊の世代では、かなり価値観が違う。私は、今の若い世代を見て、我々定年前の団塊の世代は、今までの生き方を謙虚に反省すべきだと思っている。

 単身赴任は、出来るだけしない。(当然です)
 有給休暇をしっかりもらう。(当然です)
 長の付いた役職をもらって責任を取りたくない。(当然です)
 家族を大切にしない会社なんか最低だ。(当然です)
 仕事よりも、人付き合いや家族を大切にしたい。(当然、当然です)
 上司と飲みに行きたい。(私も、部下と飲みたい)
 終身雇用を望む。(私も、出来ればそうしたいが、リストラにいつなるか、不安です。)
 体を壊すまで仕事をしたくない。(そう、今になってやっと気が付いています。今の若い人の感覚の方が、正解だと、恥ずかしながら、今になってそう思います。)

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消防署との懇親会

2008-04-16 08:12:01 | Weblog
 外来の救急に関わる病院の看護師とドクターと、いつも救急車での搬送や、救急の講習会でお世話になっている消防署の人との懇親会が、平成20年4月14日(月)の19:00からあった。病院のドクターは、殆どが出席し、消防署の方も、担当の半分近くが参加していた。
 小児の救急での搬送がとても困っていたそうで、2時間近く掛けて送らないといけなかったのが、近くの病院に小児科医がいることで、とても良くなったと言われた。救急隊の人達は、総務省(昔の自治省)に所属し、定年は60歳で、その後の5年間の心配もそれなりにしないといけないと言われていた。
 和太鼓とハーモニカを老人施設で時々演奏していると言ったら、ある人が、「和太鼓とハーモニカが好きな人は、ホントに音楽の分かる人だ」と言った(ホントかな、しかし、嬉しかった)。で、私も負けずに、「アメリカでは、救急救命士は、子どもの最も憧れる職業ですよ。医者じゃないです。9・11で亡くなられた救急救命士、正に、アメリカでは、ヒーローになっていますヨ・・・」と言い返したが。
 懇親会は、病院側の圧倒的パワーって感じで、私の篠笛から始まり、整形外科の先生の体をはっての?(今回初公開の)演技「与作」や、院長の女装をしての唄、終わりは、私の3本締めで終わった。年に2回したいですねとの消防隊の感想であった。
 時間の使い方は、3つある。その内の、「仕事の時間」と「遊びの時間」の使い方は、イスラムの世界では、生きる上では、大したことない。最後の3つ目が極めて大切で、この様な人と人との親睦で時間を使うこと、これが一番価値があるのだ。
 それにしても、日本の場合、アルコミニケーション、独特のストレス解消の仕方だと思う。これ、日本の誇れる文化かな。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080410/1


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