RunRunTako

takoのラン日記

復帰に向けて進んでいきたい

2022年02月16日 09時44分08秒 | ランニング
きのうは100mでしたが(;・∀・)
けさは1km練習しました。
前半はランで後半はウォークでした。
最後に流して終わりました。

日一日と「お、きょうはここがうまくできた」
というところがあって改善が進んでるように思います(^^)
ただ、きょうは背骨付近が筋を違えたような痛みがあって
そのぶん少し硬さがあった気がします。
軸の旋回が硬くて内転がちょこちょこ出ました。
こういう痛みは改善への過渡期だからじゃないかと考えてます。
長年ズレてた骨格を元の位置に戻そうとしてるので
年も年だから少々痛みはあるだろうと思うんですよね。
なので、この痛みに対しての不安は持たなくていいと思ってます。
それよりも
ずーーーーーーっと抱えてた坐骨の痛みがなくなったことが
めちゃくちゃうれしいです(^^)
これはもう、復帰できるに決まってると思わせてくれることだと思います。
なにせこの故障の発端は坐骨神経痛だったんですから。

それにしても、
よく自力でここまで改善できたなと思います。
これまでたくさんの病院や整骨院や鍼灸院に通って
時間とお金をさんざんかけてきたし
たくさんの知り合いがあれこれとそういうところを紹介してくれたりと
気遣ってくれたけど
最後はもう自分でどうにかするしかないと思い
あれこれと観察研究し試行錯誤を重ねてきました。
このまま完治するのかどうかは
いまだに確信までは持てませんが(ぶり返しを何度もしてきたので)
ここまできたら、あせらずじっくり
復帰に向けて進んでいきたいです(  ̄^ ̄)ゞ

ところできのうのとしさんのコメントで
2013年の記事を読み返してて
いまこうして装画の仕事ができるようになった
きっかけとなるコンペに入選したときのことを思い返しています。
2012年のギャラリーハウスMAYA主催のコンペで
準平川賞を受賞したんですが
そのときの審査員は
坂川栄治さん、祖父江慎さん、平川彰さんという豪華なメンバーでした。
祖父江さんはこれを最後に審査員はお引き受けしないとおっしゃってました。
坂川さんからはその後少ししてお仕事をいただきました。
亡くなられてしまって貴重な経験となりました。
平川さんがいらっしゃる幻冬舎さんからも
お仕事をいただくようになりました。
おかげで今の自分がいるんだなと思います。
あのころは仕事が少なくてパン屋さんで働いてたけど
またいつ仕事が減るかわからないけど
いまは食べていけるくらい仕事が来るようになりました。
感慨深い思い出です。

んで、その年はじめてのオーバー100kmとなる
橘湾岸173kmを完走し
秋には276kmに挑戦し208kmでリタイアしたけど
これもいい思い出になってます。

それもこれもず〜〜〜〜〜っと故障してる間のことで
不自由を抱えながらのことでした。
自由なからだだったらもっと楽しかったろうにと
あのころの時間を取り戻したいと思うんですが
完全復活できたら
そういう思いもチャラになるんだろうなと思うし
むしろ苦しさが大きかったから
普通にすごせてきた人の何倍も
幸せを感じられるんだろうなと思います。
そしてその日は近いと思ってます(  ̄▽ ̄)
これは2013年のWのときに撮った写真の中でいちばん好きな写真です。
女神大橋をおりてきたところでライトの装備をしながら進むO庭さんです。
これはとんの山への登り口でのY中さん。追い越される直前。