RunRunTako

takoのラン日記

癒しの三日月山とツイスト

2014年05月30日 20時14分35秒 | ランニング

きょうは、バイトのストレス発散と
本業の忙しさからのしばしの解放やら、
これまでの故障への対処の効果をたしかめたいのとで、
バイト帰りに三日月山へ。

まずは、公園で歩く練習で、
とても上手に歩けるようになり、
いい感触でダムサイトへ。
でも、30度を超える炎天下で、
ただでさえ体力落ちてるので走り続ける気力がなく、
また、なんとか走り続けながら
走りを修正することを試みたけど、できず、
数回歩いて仕切り直しての走行となってしまいました。
それでも20'07(6'42"/km)なので、
阿蘇のペースとしては合格のペースです。
なかなかいいぞ( ̄▽ ̄)

んで、山は暑いのでゆっくりめで。
序盤でちょっときつくなって、
丸太でこしらえてあるベンチに座って給水。
最近は途中でとまらずに進んでるから、
これはめずらしいこと。
でも、これからは暑くなるから、
タイム気にせず、
こうして休みを入れながら走る方が安全だろうと思いました。
足の裏にしっかり力がいくのを実感しながら
じっくり進みました。
最後、きついところで腰を入れることを意識してみたら、
うまくできて、走りやすさを感じました。
頂上まで29'06"。
頂上は33度あった( ̄◆ ̄;)
暑いはずだ。
暑いのですぐ下山しました。

くだりで保育園児の遠足にかちあい、
あららと思ったけど、
これがかわいくて見ていて飽きないので、
うしろでのんびり子どもたちがおりるのを待ちました。
いや〜、思いがけず山の中で
癒されました〜(o^-^o)
と、そんなこともあって、下山は17分以上かかりました。
でも、腰がちゃんと入り、いい走りができました。

下山して、公園をとまらずに駐車場まで走りました。
疲れたせいで、また足の運びがわるくなったけど、
それでもだいぶうまく動くようになったと思います。

きょうは、腰がうまく入るようになってきて、
あともう少しで右足にちゃんと力を
もっていけそうに感じることができました。
そうしたら、もう、
完治、とまではいかなくとも、
少なくとも、復活宣言かなあ( ̄▽ ̄)

夕方、阿蘇の地図の打ち合わせで
ボラスタッフの方に会いにいくときも
だいぶ上手に歩けました。
いいぞ、いい感じだぞ!
あと少し!あと少し!!
・・・と思います(*^-^)

で、ここに至るまでの対策のひとつとして
ツイストをやっていました。
そう、ダンスのツイスト。
以前、ダンスをして腰をほぐすと書いてましたが、
このところは、ツイストをしています。
腕をあげてツイストすると、
遠心力に対抗して脇や腹筋あたりががんばるし、
肩や背中のコリもとれてきたんです。
これは、かなりの効果があります。
肩や背中が軽くなり、
それが、この故障の改善にかなり効いているようです。

きょうは、とてもいい感触で走ることができたし、
歩きも上手にできてきたし、
ルンルンルンで、今夜も踊ろうっと!


ただのケツイタ

2014年05月28日 19時51分03秒 | ランニング

うじうじしたり、がんばってみたりとやってるうちに
だんだんに阿蘇が近づいてきました。
ちょっと待っててくれりゃあいいのに、
ちゃくちゃくと近づいてきます。
で、わたしはだんだんに出走をあきらめる方向に
傾きつつあり、迷い中です。
いまはまだ、橘のときの状態とかわらないからです。
このままでは、キロ9分で進むことしかできません。
第一関門までも行かせてもらえそうにありません。

でも、ずいぶん改善してきたんですよね〜。
運動神経の暴走とでもいえる硬直がなくなって、
いまはもう、神経障害が消えたと言っていいと思います!
やった〜\(^o^)/

単純に悪い部分があるために稼動域が制限されている状態だったり
うまく動かせない状態になっている、
つまり、普通の故障の状態になってきたんです!!

これ、すごくうれしいです。
ずいぶんの進歩です。
これまでずっと神経がまともじゃなかったせいで
わけがわからなかったですから。
やっと、そんな状態から解放されました〜ヽ(´▽`)/

でもまあ、ひどい座骨神経痛であり、
運動神経の暴走はなくなったものの、
神経圧迫はあるようで、力が十分にいかなかったり、
少ししびれるような感覚はあって、
そうそうよくなりそうにはないんですけどね。
でも、完治は難しくても、
こうすれば、そして、こうできるようになれば、
それと、ここが悪いから、
というものがわかって、
故障が単純でわかりやすいものになってきたので、
改善させる方向が見えるようになってきたと言えます。
まえは、こうすればよくなりそう、
と思っても、わけのわからない神経障害が現れて
なんで?と絶望的になることがしばしばでしたが、
これからは、単純に、
ここがよくなればよくなっていくだろう、
と思えます。

ということで、いまは、
単純なケツイタの状態で、
このケツイタがもとで足が上手く出せない、
こうすればだんだんよくなりそうだ、
というのが見えてきたという点で、
橘のときから大きく前進しました。
そして、なんで動かないの?と困惑するのではなく、
改善をはかって試行錯誤したら、だんだんよくなってくる、
という状態に、いまはなってきたので、
この調子で改善をはかっていけば、
きっとよくなりそうです。

でも、阿蘇には間に合わない。
ムリとしか思えない。
でも・・・

う〜ん、
ぎりぎりまで、たぶん当日まで
迷うつもりです。

そんな阿蘇を今月描いてました。
阿蘇災害記録冊子制作の
お手伝いのボランティアで阿蘇地方の地図を描いてるんです。
だいたい完成。あともうちょいかな。

走りたいなあ。


いつまで

2014年05月25日 18時34分39秒 | ランニング

きょうは日曜日なんですね〜。
今日くらいが、阿蘇前の最後のロングの日に
している人もおおいのではないでしょうか。

わたしは、きのうとおととい、三日月山を走り、
きょうは仕事で時間がなくて
走りませんでした。

それに、まだロングをするような状態じゃないし。

でも、状態はいいと思います。
もちろん、治ってないですけどね。
でも、ほんとにずいぶんよくなりました。
ここまで回復できたことは
ほんとうにうれしいです。
ああ、ちゃんと、足が地面についてるなあ、
と感じることの幸せ・・・

一番悪かったときは、足がどう動いているのかさえ
わからなかったんですからね〜。
もしかしたら、足の裏ではなく、足の甲で着地してしまうかもしれない、
というくらいに動きをコントロールできなかったし、
動きを感知することもできなかったですからね〜。

辛かったなあ。
いや、辛い以上に、自分の足がどうなってるのかわからない恐怖感さえありました。
え、なに?これは、どういうことなの?
て、いまでも、足のことを感知できなくなったときのことを覚えています。
どう動いてるの?
こう動かしたいけど、足がぜんぜんその指令をキャッチしてくれない!
指令をキャッチできずに制御不能に動く右足が左足をひっかけて転ぶ・・・
あのころの不安感は
ほんとうに闇の中をさまよってるようでした。

あのころから、やっとここまで来れました。
はたして治るのか、結局は治らないのか、
それはわからないけど、
でも、あのころを思うと、
ほんとうにいまはよくなれてよかったと思います。

少しずつ少しずつ、ほんとうに少しずつ
改善してきました。
阿蘇を走るには、奇跡を願うしかないけど、
でも、走れないにしても、ここまでこれたことを
喜びたいです。

これまで、わたしにいちばん必要なことは、
がんばることではなく、
耐えることだったと思います。
こうして治ってなくても、よくなっていることを
喜びたいのも、まだ治らない辛さに耐えるためです。
まわりのランナーががんばれているのに
自分は走ることさえままならない状況に耐えないといけない。
歩く人に抜かれるほど遅いペースで
じっくりとLSDに取り組んでいたときもありました。
気持ちよく走りたい思いをおさえて、
これに耐えないと自分に完治はないんだと思って。
これまでそうして耐えてきたのは、
いつかきっと治ると信じてきたからです。
いつか、耐え続けることにも
終わりが来ると思ってきました。
そうしてもうすぐ7年がたとうとしています。
幼稚園児が小学校に入学し、卒業し、
中学生になってしまう年月を
ずっとこんな足できてしまった。
10年前にはじめて阿蘇を完走し、
8年前に2回目の完走を果たして以来、
もうずっと阿蘇の完走など望めない状態できてしまいました。
いつになったら、
この足の自由がもどるんだろう?
いつまで耐えないといけないのかなあ?

走りたい。
自由に走りたい。

また泣いています。
泣いてもいいよね。
泣くことは耐えなくてもいいよね。


復帰ラン

2014年05月21日 16時52分52秒 | ランニング

きょう、やっとこさ、復帰ランしました┗(^o^)┛
バイト帰りに普通の服装のまま、公園を歩いたり走ったりして、それだけで帰るつもりだったけど、もしかして走れるか な?と、お試しのつもりでウェアに着替えてダムサイトコースへ。
最初は1キロ走れればいいかな、という気分で、とにかく100m走りきろう、と、とりあえず走り出しました。やっぱり、やや右足がいまいち足先が伸びず、着地が心もとないながら走ったら、とりあえず100mクリア。「よし!100mいけたぞ!」と、自分を元気づけるために声に出して言いました。で、200mもクリア。「よし、200mもいけたぞ!つぎは300mだ!」と。
で、1キロクリアできたところで歩いて仕切り直して、その後も500mおきくらいに仕切り直して、だんだんに右足の着地に力がちゃんといくようになってきて、ほぼ普通の走りができるようになってきて、結局長谷まで行きました。500mごとのラップは 3'18",3'10",3'42",2'58",3'58",3'22"。力をちゃんと伝えるために、前半はしっかり動かしたので、ハーハーゼーゼー。後半は力がいくようになってきたので、ゆっくり走る練習をしたのでゆっくりに。で、最後はゆっくりでもスピードがあがってきてました。長谷までにいい感じでいけました。

そしたら山に行きたいに決まってら〜( ̄▽ ̄)
水も何も持たないのが不安だったけど、ゆっくりいけばいいでしょう、てことで入山。
動きを観察しながら、問題箇所を確認しつつ29'06"で山頂到着。ゆっくりのわりにはまあまあのタイムでした。動きも普通に動けました。頂上は27度。暑いはずだΣ(;・∀・)
くだりはやや脱水のせいか、ふくらはぎに痙攣がでかかってゆっくり行きました。14'43"でした。

とりあえず、走り終えて、
今現在問題なしです。
どうやら、復帰できたっぽいです。
まだ阿蘇を出走するかどうかは悩み中ですが、
ぼちぼちと走ろうと思います。


橘湾岸春のステージL173完歩記-2

2014年05月15日 18時48分25秒 | 大会記

野母崎の漁港をすぎて、権現山ののぼりに入ります。
ここは往復するので、先行したランナーに会えて元気が出ます。
出ますが、坂がすごくてそれどころじゃないっつうか・・・
でも、気持ちは前向きになれます(^^)
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さあ、これから夜が始まるぞ。

樺島漁港でコーセーさんがハデな電飾で
樺島灯台への道案内をしてくれてました。
暗い中を灯台へ行くと
今年もH田さんご夫妻がエイドをしてくれてました。
樺島灯台CPで80キロを越えました。
くだりではしばらくbianchさんと一緒でした。
ムカデとかが道にいるのが楽しいそうな。。。
樺島のエイドではカレーのほかに

こんなエイド食が!!
まあ、豪華!!
さあ、元気貰って夜の道を出発しました。
漁港であずきさんに会いました。
ちょっと元気がなさそうでした。
そして、樺島大橋をわたる手前で12時スタートの一番手の人に
元気に声をかけられながら抜かれました。
脇岬の街をすぎたら、いよいよのぼりのはじまりです。

真っ暗〜。
ひとりだとこわいだろうなと思ってましたが、
案外そうでもなかったです。
川原までにときどき抜かれながら
ほぼひとりでした。
途中、うずくまっている人がいて
「だいじょうぶですか?」と声をかけたけど、
よく見たらストレッチをしているのでした。
その人としばらく一緒に進みました。
わたしがストレッチのために止まったら
自然とその人とは別れました。
でも、しばらく行くと、またその人がストレッチしていて
つぎのエイドでリタイアします、と言いました。
わたしは先行しました。
収容担当のキタさんが車で来て
「乗ってく?」と誘います。おい、こら。
ランボーさんが途中元気に抜いて行きました。
夜中のことは、川原の手前だったか、茂木の手前だったか
記憶がさだかではありません。
川原でテーピングをしてから出発しました。
すねの痛みと、ともに足首が痛くなってました。
くだりの衝撃がさらに辛くなってました。
どうやったら走れるかがさらに難しくなりました。
でも、茂木まで進めました。
今回は暗いうちに茂木に到着できました。
エイドにはkimiさんたちがいてくれました。
N国さんと会いました。
去年のWのときに帰りに彼女とシューズを取り違えて
後日送りあったということがありました。
彼女も足が痛くなっていて、
くだりしか走れないと言ってました。
ここまで来るとみんな故障者状態で、
わたしの仲間だ( ̄▽ ̄)
妙に勇気づけられて出発しました。

それにしても、今回は痛み止めがききません。
茂木を過ぎてしばらくしたら夜が明けてきたけど、
ぜんぜん痛みが弱まることはありませんでした。
まともに走るのはあきらめて、
このへんからオクラホマミキサーのステップのような走りで走っていました。
そうして、だんだんに、なんだって、治らないんだ!
なんでいつもこんなめにあわないといけないんだ!
と、腹がたってきました。
走りたい!走れる足になったっていいじゃないか!
わたしだって走ったっていいじゃないか!
と、泣きました。
そして、日見の街へのくだりを
泣きながら、走りたい!走りたいんだ!と言いながら
痛みを無視して走ってみました。
そしたら、普通の走りができました。
でも、異常です。走るべきでない痛みを無視している状態です。
それでも、わたしだって走りたいんです。
好きで歩いていたり、ビッコで進んだり、オクラホマミキサーしてるんじゃない。
普通に走りたい!
やぶれかぶれとはこういう状態をいうんでしょう。
怒りにまかせて走れるだけ走りました。
むちゃくちゃに痛かった・・・(≧д≦)
そうやって日見のエイドについたら
抹茶んに思い切り愚痴りました。
そして元気を回復して、また走って出発しました。

でも、かなりまずい状態のようです。
てか、痛さがハンパじゃない。
これを無理しているというんだろう。
ほんとうに壊れてしまうかもしれない。
走れない足になりそうな気がしてきて
歩くことにしました。
結いが浜でじゅんじゅんやS島さんやいび先生に抜かれました。
いいなあ、みんな走れて。
てくてく進みました。
飯盛峠のエイドには、てくさんがいました。
来れないと思っていたのでうれしかったです。
おいしいぼたもちを食べて
遠くに見える島原半島をながめました。
あそこまでいくのか〜。遠いわ。歩きじゃ。
気が遠くなりそうでしたが、スタートしました。

とにかくなんとかして関門を通過して
最後までいけるようにしなくちゃ。
くだりの終盤は痛みをがまんして駆け下りました。
じゃがいも畑でことしも颯爽と
とっきゅうさんに抜かれました。
ジャガイモ畑のエイドにはkimiさんたちがいてくれました。
それに大会前に怪我をしてDNSのゆきごんさんも
エイドをしてくれていました(^^)
膝を不安がっていたがっつさんが元気に走って行きました。
80キロのトップも元気に走って行きました。
kimiさんたちに
歩いても間に合うから!と言ってもらえて
歩きに徹して最後までいく!
腹をくくりました。
だいじょうぶ、間に合うから。
あせらず、からだをさいごまでもたせることを考えて進もう。
このころ、ときどき足から力が抜けたり
頭がふらふらするようになっていたので、
無理したら最後までもたない感じでした。

それにしても、進まない。
正直、かなり萎えました。
前後に人がいないときには、ときどき泣きました。
走りたい。走りたい。

このころには、元気な80キロ部門、55キロ部門のひとたちが
どんどん抜いて行きました。
有喜のエイドも人がたくさんいました。
あいあいさんや抹茶んたちがいてくれてました。
173キロ部門の人たちは、
わたしと似たような状態の人たちが多くなってます。
わたしもがんばろう。

唐比に行く手前くらいから、おなじ人たちとずっと一緒でした。
でも、わたしは早く歩けなくなっていたので
彼らが休んだら追いつく、という状態でした。
唐比のエイドで絶対関門はだいじょうぶだよと言ってもらえて
安心してまたぼちぼちとスタートしました。
千々石海岸の道で、オールスター総出演なみに
たくさんの走友に会いました。
さかっち、N島さん、H房さん、H田さん、Dさん、N野さん・・・・
まるで同窓会みたい。

やっとのことで、最終関門千々石集会所CPに着きました。
けがでDNSしてスタッフにまわっていたキタさんがいました。
「うらやましい」と言われました。
そう、出走できるだけでも幸せです。
そして、関門通過できて、ゴールまで行けます。
あと9.8キロだ。

軽便鉄道あとの道を進みます。
しまねこさんが声をかけてきました。
今年はちょっときつそうでした。
トミーさんは軽快に走ってやってきました。
ありっちもいい走りで抜いて行きました。

どうも最終走者になりそうだぞ。
でも、とにかくどうでもいいからゴールに行くしかない。
しかし、きつい・・・
と、ガードレールにつかまって休んでると
見ず知らずのおばさんが車をとめて
「乗せて行きましょうか?」と言ってくれました。
なんと親切な!
でも、乗るわけにはいかないので、事情を説明してお礼を言い、
丁重におことわりしました。
んで、最後の国道に出てからの3キロの長いこと・・・
まだかい、まだかい、とストレッチしつつ
のろのろと進みました。
のろのろとしか動けなくなっていたんです。
ときどき、車の人から
「がんばって!」と声をかけてもらえました。
がんばってるけど、そうは見えないだろうな〜。
必死にのろのろ歩いていたら、
やっとゴールが見えてきました。
そしたら、Y中さんが迎えにきてくれました。
去年、ともにWを走った人です。
うれしかったです。
そうやって、たくさんの人に迎えてもらって
やっとこさゴールにたどり着きました。
34時間48分。
長かった〜〜〜〜〜〜。

みんながばんざーい!ばんざーい!とやってくれて、
そしたら
うれしいのと、辛かったのと、ゴールに着けてほっとしたのとが一緒になって
涙があふれてきました。

ああ、やっぱり、感謝です。
こうして思い返してみたら。
スタッフのみなさん、それに応援してくださったみなさん、
それと、ともに走ってくださったみなさん、
ありがとうございました!!!
やっぱり、あんなに辛かったのに
楽しかったぁ〜!て、思います。
なんででしょうね?


橘湾岸春のステージL173完歩記-1

2014年05月15日 18時47分46秒 | 大会記

もう、あれから10日もたったんですね〜。
日にちがたってしまいました・・・
覚えているのは、走れなくて辛かったことと
それにもかかわらず、夢のような素敵な時間を過ごせたという
嬉しい気持ちがいちばんです。
で、細かいことは、
かーなーり忘れてしまいましたΣ(;・∀・)
なので、今回は覚えてる範囲で
おおざっぱにいきたいと思います。
もしかしたら記憶違いも多々あるかと思います。
違うよ、と気がつかれた方は、
ご指摘お願いします。。。

5月3日、バイトが終わったら速攻でJRの鈍行に乗り込みました。
GW期間中なので、特急だと座れないと思ったからです。
博多駅で席が空いたので座ったら、速攻で爆睡・・・
鳥栖で乗り換えるのに寝過ごしてしまい
久留米まで行ってしまいました。
あの電車じゃないと鈍行乗り継ぎで夕方に長崎には着けず、
仕方なく特急に乗りました。
案の定座れず、立ちっぱなしで長崎入り。
水辺の森の受付会場で受付をすませ、
トミーさんや東京のK池さんたちと夕食をとり
早めに就寝しました。

5月4日、7:00スタート。
なごやんさんが自転車で並走してくれてました。
でも、足の状態が悪く、ときどき歩かないと進めず、
もどかしい状況。またか、とがっかり。
どこまでもつかなあ、とかなり不安になりました。
稲佐山ののぼりは、一緒になった人たちと
おしゃべりしながら、もはや走る気ナッシングで
のんびりのぼりました。
P1000994b
特製の小さなおにぎりを持たせてくれました。感謝!
あぐりの丘からのくだりでは
前日腰を痛めたというはぎ〜さんが苦しい走りをしていました。
式見の街の少し手前でわたしが先行しました。
海岸線の無人エイドでは、む〜さんご夫妻がいてくれました。
今回は、このむ〜さんをはじめ、
エイドスタッフにずらりとウルトラの猛者たちが並んでいました。
そんな方々にサポートしていただけて、
なんとも贅沢な大会になりました。
む〜さんたちにお礼を言ってほどなく、
今度は福田霊園にむけてののぼりになります。
スタスタ歩いてのぼりました。
ここのエイドでもあいあいさんや抹茶んが先回りして
いてくれました。ありがたや〜!
くだりはがんがん走りました。ときどき歩きが入りますが。
くだって福田の街で、なんといなちゃんに会いました!
会えると思ってなかったので、感激して、
ハグしたい衝動にかられましたが、おさえました(^^;)
氷とアイスと、痛み止めをくれました。
いなちゃんの思いも連れて出発しました。
しばらく平坦ですが、今度は女神大橋へののぼりがあります。
もうあんまり走れなくなっていました。
もうかいっ!早すぎです。まだ40キロくらいしか進んでません。
女神大橋も歩きの割合の方が多い状態でわたりました。
でも、45キロまで進めました。
ここからはわりあい平坦な道が続きます。
どうやったらたくさん走れるかをいろいろ試しながら進みました。
すると家族連れで応援してくれている人がいました。
明日80キロに出場するというO川さんでした。
飲み物とチョコレートをいただき、元気が出ました。
ありがとうございました!
O川さんは翌日みごとに完走されました!
忙しい中で練習されてすばらしいです\(^o^)/
やがて軍艦島が見えてきます。

アップダウンのある、ちょっとせまい道を進みます。
以下宿のエイドでは先日のネイチャーで故障し、
やむなくDNSしボラにまわったきぜんさんや
UTMFを見事完走された川りゅうさんたちがいました。
くだものと飲み物をいただいて、えっちらおっちらスタートしました。
エイドで元気をもらうと、50歩くらい走れるようになりますが、
まただんだんに走れなくなります(´-д-`)
このへんで60キロです。
あと約110キロ。
去年、このへんでM崎さんと
「わかる距離になってきましたね」と喜んだのを思い出しました。
さあ、もうすぐ権現山だ。

書き出したら、いろいろ思い出してきました。
続きます。


阿蘇

2014年05月14日 19時01分17秒 | ランニング

走友のがっつさんに紹介してもらった災害ボランティアの方から
阿蘇の水害被害記録集のための地図制作を依頼されて
いま、製作中です。
さっき、下書きが完成しました。

下書きだけでも、たいへんだった( ̄◆ ̄;)
でも、大好きな阿蘇を描けて
モチベーションは十分!

ああ、このへんが85キロ地点だなあ、
この道を内牧にむかって駆け下っていくんだよな〜、
ここまで今年は行けるかなあ?
なんて思いながら描いてます。

そういえば、阿蘇のナンバーカード引換券が
届いてました。
わたしのナンバーは2126です。

じつは、まだ出走するかどうか悩み中です。
この地図が出来上がる頃には
決めるつもりです。
いいものに仕上がるように
がんばりたいと思います。


来たぞ、青襷!

2014年05月13日 18時45分21秒 | 日本中を襷で繋ぎませんか?

この1週間、いろいろありすぎたうえに
自分はグロッキーなうえに
仕事がつまっているので、ここの更新が
かなり厳しい状況で、なにをまず報告すべきか?
と考えた場合、やっぱ、これでしょ!
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このとおりΣ(;・∀・)
へろへろと歩きながら、襷くんを運びました。
EKIDENでは、ほかにうっちーくんやじゅんじゅんも
襷くんを走らせてくれました。
ありがとおーーー!!
140513_181713
洗濯されて、さっぱりしています。

さあ、つぎは、
わたしのホームグラウンドを案内したいと思います。
ぼちぼちいきますので、
襷を待っているみなさん、もう少々お待ち下さいね。


おやすみなさい

2014年05月11日 19時08分51秒 | ランニング

橘が終わってから、ずっとなんだかだるくて眠くて悪寒がしてるけど、
忙しくて毎日夜睡眠時間をまともにとれなくて、
もう、きつくてたまらないです。
コメントを返したいけど、
まだ7時だけど、
ごめんなさい、
寝ます。
もう、たまらん〜( ̄◆ ̄;)
あ、駅伝の報告だけちょこっと。
わたしは、やっぱり走れませんでした。
ほかの猛者とちがって、やっぱりわたしは
フツーの人でした。
でも、楽しかった〜!!


宗像ユリックス24時間EKIDEN最終連絡!

2014年05月08日 21時36分45秒 | ランニング

いよいよ今週末5月10日13:00スタートです!
Yurikkusu_acsess
交通アクセスはこうなってます。

持ち物分担、現時点
たくやんさん:Hさんからの借り物のタープ1、バーベキューコンロ、炭、テーブル2、カセットコンロ1、クーラーボックス小1、それからみしんさんから預かった紙コップ、皿、割り箸、椅子3、ブルーシート2
さっちゃん:ストーブと鍋と、食材(夜のおでんなんかの材料)、飲み物
じゅんじゅん:
クーラーボックス1ケ、テーブル1ケ、イス(小)5ケ、ブルーシート1枚、ガスバーナー、テント1人用
kimiさん:
タープ1張り、クーラーボックス2こ
たこ:6人用テント、電池式ランタン1、カセットコンロ1、ボウルとざる類、まな板、おたま、ふきん、バーベキュー用食材、朝食用パン
以上
で、ランタンがわたしの1個しかないので足りませんが、だれか持ってないですか?
それから、各自、夜の冷え込み対策に、毛布やシュラフを持ってきてください。
防寒対策のジャケット等も必要です。
わたしは土曜日11時にバイトが終わるので、終わったらさっちゃんに電話します。
お店で購入できるものは、買って行きます。

みなさん、この他に持ってくるもの、あと、これが必要だよ、
あと、何時頃に行くよ、との連絡よろしくお願いします。