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RunRunTako

takoのラン日記

橘湾岸野母崎ステージ2012ボラ記−3

2012年07月03日 15時36分31秒 | ボラ記

川原に行かなかった分
少し早く水辺の森についたので
車の中でみんなで仮眠しました。
隣の車の中でもぎんさんが仮眠してました。

小一時間ほど仮眠したとこで
80、55キロ部門の当日受付時間になりました。

受付業務やらエイド準備やらしてたら
飯盛峠の物品の届け忘れが発覚し
急遽持って行くことになりました。
抹茶んにナビしてもらいながら
夜明け前の飯盛峠を目指しました。
あんまし長崎の地理は知らないので
幹線道路の真ん中で道間違えてUターンしたりして
迷子しまくりです。
夜明け前の交通量の少ない時間で助かった・・・
飯盛峠は真っ暗で坂がきつくて
つづら折れではヘッドライトが道の先を照らせないので
ようわからんまま運転してチョー怖い。
でもなんとかエイド地点についたら
エイド食のぼたもちがおいしそうで・・・
ちょいと失敬してから
また水辺の森へと引き返しました。

その間に80キロ部門の選手はスタートしていました。
55キロ部門が午前8時にスタートしました。
わたしたちは、え〜と、つぎはどこだっけ?
日見エイドです。

日見は173キロと80キロ、55キロと
すべての部門のコースがここで合流する地点です。
選手が多いのでボラも大量投入で対応します。

ここも最終までの予定でつぎは唐比エイドの予定でしたが
急遽、飯盛経塚(ジャガイモ畑)の応援に行かないといけなくなって
撤収作業はせずジャガイモ畑に急ぎました。
で、また、迷子。
分岐で行き過ぎてUターンです。

ジャガイモ畑に行くと
Yamasitaさんとコーセーさんで
なんとかまわしてるから
次の有喜に行ってくれと。
エイド食の杏仁豆腐をくれたので
そそくさ食べたら有喜に向かいました。

コースをたどって有喜に向かいました。
今回、選手が多く
切れ目なく選手が続いてます。
有喜はテクさんひとりのはずなので
たぶんてんてこまいのはずです。

そういえば、今回は
川原でも茂木でも、ボラ展開が予定どおりにいかず
結局ボラチームが予定より不足する中で
なんとかふんばる状態になっていました。

有喜につくと、ひとりではやりきれなく
ごみの分別ができてなくて
着いたらがんがんゴミを片付けていきました。
ゴミが一段落したところで
ふと、ろくに食べてないことを思い出して
みんなでエイド食のサンドイッチをおいしくいただきました。

選手は切れることなくやってきてました。

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橘湾岸野母崎ステージ2012ボラ記−2

2012年07月02日 12時50分38秒 | ボラ記

ボラ記が途中でほったらかしだったのを
思い出しました〜\(;゚∇゚)/
もう、たいがい忘れちゃったよぉ〜!
ということで、うろおぼえなんですが
続きを書きます。
まちがってたら、遠慮なくご指摘ください〜(^-^;


7時スタート組が速いらしいということで
まだ序盤なのにもうエイドの開設時間を前倒しで展開です。
速いならレイトスタートしてほしいところですが
こればかりは走ってる選手も
そのときのコンディション次第でしょうから
仕方のないところなのでしょう。

女神大橋ではうどんといなりを提供しました。
ほぼ毎回、なにかしらエイド用品の積み忘れがあります。
今回も、トッピングのねぎとかまぼこが見つかりません。
麺だけのシンプルなうどんの提供となりました。

と、「あったあった!」とharuさんが。
車の中にトッピング発見!
その後のランナーにはちゃんとトッピングしたうどんを提供できました。
前半の人たち、ごめんね。

さて、ランナーのペースが速いので
本来なら撤収までいる予定の女神を
予定を早めて1チーム先発しないといけなくなりました。
わたしたちチームが行くことになりました。
途中、竿の浦、以下宿の無人エイドがありますが
以下宿にはてくさんが張り付いていてくれてました。
権現山には立ち寄らず、樺島へ直行しました。

着いたら、そそくさと開設。

あ〜〜〜、どんなだったか
やっぱり忘れてら・・・

matuo夫妻が来てくれたので
わたしはとにかく運転手なので
お座敷の部屋で2時間くらい仮眠しました。

その間は、なにがあったかぜんぜんわかりません〜。
ちょくちょく目が覚めるたびに
だれかれか仮眠しに部屋にきてましたが
だれかはよくわかりませんでした。

んで、寝たような寝なかったような
よくわかんないけど
とりあえず気が済んだところでボラに復帰し
どうもごはんが足りなくて
おかわりするならカレーうどんね、つうことで
でもそれがかえってランナーに喜ばれたりして
そうこうしてるうちに深夜になって
どうも関門時間が撤回になったとかいう話も入ってきて
ちょっと錯綜してきてます。
少なくとの関門で閉めると
多数のランナーがアウトになる状態になってました。
それで、予定の時間を過ぎて最終が来るまで
エイドを開設し続けることになりました。

日付が変わり、0時半に撤収完了。
幟1本を撤収し忘れ、お仕事をぎんさんにひとつ置き土産にして
樺島をあとにしました。
川原に行く予定でしたが
なんとか先発隊でどうにななるというので
わたしたちは水辺の森に帰り
2日目のボラに入りました。

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橘湾岸野母崎ステージ2012ボラ記−1

2012年05月09日 16時00分09秒 | ボラ記

きのう、歩きでのロングに
長崎街道を歩いて来て
きょうは、仕事がばたばたにならないうちに
走りでのロングに行こうと思ってたんですが
たまってる家事をかたづけてたら
すっかり時間が遅くなったので走りに行けなくなりました〜。
だもんで、ボラ記書くことにします〜。

大会ボラはそれぞれ事前準備で
大会前からいろいろ動いてます。
わたしは例のゼッケンでばったばた・・・
ほかにTシャツの袋詰めやゼッケン、安全ピンなどの
選手セットの袋詰めなどもあります。
ボラの行程表作りという重要なものもあります。
これがたいへんです。
なんせ橘のボラはほんの20数名しかおらず、
それをエイド、収容、設営、撤収などに振り分けるのですから。
エイドは、
城山台、あぐりの丘、蝶ヶ崎、福田霊園、女神大橋、竿の浦、以下宿、権現山、樺島公民館、岬木場サイクリングロード入り口、川原、千々バス停、宮摺、茂木、山川河内、日見、飯盛峠、飯盛経塚、有喜、唐比、千々石、富津、
これが173キロ部門。
ほかに80キロ部門に鍋冠山があり、
そしてスタート会場の水辺の森、ゴール会場の小浜があります。
コースは茂木エイドから80、173キロ部門が合流し、
日見エイドで55、80、173キロ部門が合流します。
これらのエイドに、選手通過時刻を予想して布陣していきます。

んで、前日はコース表示の白線矢印や立て札などの設置があります。
このころ、おいしいと評判の
エイド食の調理ももうはじまっています。
徹夜で調理は行われているそうです。たいへんだ〜。

んで、わたしは
前日は頭痛でほぼなんもできず。
5月4日の当日、5時に起きて
準備をばたばたし、ちょい予定より遅れて
7時30分頃長崎に向けて出発しました。
9時半頃長崎水辺の森公園に到着しました。
もう173キロ部門の7時スタート組は
コース上を進んでいます。

受付では80キロ部門や55キロ部門の選手の前日受付と
173キロ部門11時スタート組の受付が行われています。
エイドの荷物の積み上げや氷の買出しなど
いろいろ業務が行われて行くうちに時間がすぎ
ぎんさんのあいさつや橘湾岸173キロ部門初の
平成生まれのランナー、大学生コンビの紹介や
最多出場ookiさんの紹介、
コーセーさんのコース説明などなどがあり
いよいよ
173キロ部門のレイト、11時スタート組がスタートしました。
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橘湾岸秋の大会/ボラ記4

2011年11月03日 11時42分49秒 | ボラ記

souさんが2番手か3番手あたりのすごく速い段階でやってきました。
さわやかな雰囲気で元気にやってきました。
すぐあとに女性がやってきました。
彼女は大野木場エイドはスルーしてました。
souさん言うに、なんでも給食給水すべてリュックにしょって
自給自足で進んでいるそうで、
まあ、なにしに橘湾岸に走りにきたんでしょ、という
ランナーさんでした。
あ、好きに走っていいんですがね。
すごくもったいないことしてると思いますね〜。
参加費のほとんどがエイド食代なんですから。

そのうちに、
救急車が戻ってこなくて心配してた
sakamotoさん本人が現れました。
無事でした。よかった〜。
今回はどうもばてたようでした。
でも速いんです、十分に。

sakamotoさんは、しばらく休んでお話しして
元気を回復してエイドを出発していきました。
エイドを出てからすぐに出会ったちゃりんこ乗り(ライダーというのか?)に
なにやら話しかけています。
すっかり元気のようでした。

さわやかkosakaさんは最終エイドでも
さわやかでした。
いやぁ〜、うれしいですね〜。
すごく楽しいんだ、というのが伝わってきました。

小浜ですでに膝を痛めていたogawaさんも
故障をもってるわりには元気にやってきました。
すごいなぁ。

明石のたこ嬢さんが元気を回復して
ひとりでやってきました。
河内のおっちゃんと一緒じゃありませんでした。
置いて来たそうです。
それにしてもすごい回復力です。
堂崎で会ったときは
ひどい胃痛で涙をながしながら
それに耐えながら進んで行ってましたから。
見ていて、たこ嬢さんは完走はむずかしそうだと思えるほどだったのに。
でも、そのとき「絶対完走する!」と
涙ながらに強い目で言ってました。
そのとおりに、きっと完走できそうです。
ほんとうに強いウルトラランナーなんだなぁと思いました。

少しして、元気のない河内のおっちゃんが
やってきました。
こんなに元気のないところを見たことがありません。
やはり273キロを走破するなんてことはフツーじゃないですね。

プリンスいわちゃんは元気に両手を上げてやってきました。
去年リタイアしたときとは別人です。
めちゃくちゃ強くなっちゃったんですね〜。

ゆきひろとうさんは、あいかわらず
ろれつがいまいち回ってない。
なんか、しゃべりとか無駄なことには
エネルギーは省こうとしてるようです。
口に力が入ってない。
いつものマシンガントークじゃないゆきひろとうさんです。
レアなので、よぉく記憶にとどめたいと思います。

反対側からランナーが来ました。
無人エイドからの脇道に気がつかなかったようです。
下り坂の途中にあるので
かっ飛んでいたんでしょうか。
グリーンロードをそのまま進んでたらしいですが、
ここはチェックポイントなので必ず来なければいけません。
よくたどり着けましたね。
こういうランナーが2人いました。

大学生グループのひとりが森@宮崎さんたちと一緒にやってきました。
すごい!完走確実です。
いくら若くてもここまで来れるとは!
こういう若い人たちの挑戦は
大歓迎ですね。
ランナーのほとんどが中高年ですが
中高年と一緒にスポーツするということも
あまりないでしょうし、
中高年がこんなにがんばるところを見られる経験もまた
あまりあるものではありませんから。
自分自身の挑戦以外に、
戦いの時間が長いだけに
若い感性はいろんなものを吸収できるんじゃないかと思いますから。

久留米のnakasimaさんは疲れきってましたが
にこにことうれしそうです。
よかったですね〜。なんか、こっちまでうれしくなります。
堂崎で「肉が食べたい」と言ってましたが
ゴールしての中華まんはさぞおいしいことでしょう。

miuraさんも元気で、100キロや43キロ部門のランナーと
一緒にやってきて、彼らとおんなじくらいの疲れ具合に見えて
最初気がつきませんでした。

たぁみ隊長は具合の悪い100キロ部門のランナーと一緒に
やってきました。
彼につきあって歩いて来てたので
元気を余らせていたようで
元気です。
やっぱりたぁみねーたーだったんですね。

関門時間に100キロのランナーnabetaさんがぎりぎり到着しました。
はじめての100キロ挑戦だったそうで
ほんとうによかったですね!

最終ランナーが通過し、
リタイア者収容もおわり、撤収になりました。
わたしたちエイド隊も終了です〜。
前日の受付にはじまって
わたしたち2日目からのボラも24時間を超えました。
選手とおんなじくらいの達成感で
エイド地点をあとにしました。

ゴールの小浜についたら
ゴール写真を何人か担当しました。

大学生はついに100キロ完走!
家に帰ってまわりに話しても
きっと「何人で走ったの?」て聞かれて
ひとりで全部だと言っても信じてもらえないでしょうね〜。
ほんとにおめでとうございました。

たぁみ隊長は、遠くに見えた!
と思ったら、すごい勢いでこっちに向ってきてます!
怒濤のラストスパートです。
やっぱ、たぁみねーたーだ〜っ!!
いやぁ〜、感動でした。
すばらしいのひとことです!

nabetaさんも、無事完走でした〜。
よかったですね〜!おめでとうございます!

ほいで、
後片付けを今回はさぼらずにできて
無事に宴会にも参加しました〜!
やったね!春のリベンジ果たしました。

そんで、翌日朝、部屋から出て
ふとラウンジを見ると
悔しいリタイアの縞猫さんとぽん哲さん、
それにたこ嬢さん、河内のおっちゃん、ゆきひろとうさんが
ビール飲んでしゃべくってて、
そこに吸い込まれてしまいました。
河内のおっちゃんは、そういえばきのうの宴会は
体調不良で不参加だったんでした。
それのリベンジで夜中の1時から飲んでたそうです。
2次会の前に眠りこけてしまったゆきひろとうさんが
2時からつきあいだして、
そこにあとのメンバーが加わって来たそうです。
その後、hirasueさん、nisidaさんと加わり、
そこで河内のおっちゃんから
「眉山ロードってどこや?」という話が出て
えっ!いままで知らんかったんか!とつきあげられたりして
それやこれやで盛り上がりました。

それから朝食のあと、
みなさんそれぞれのおうちへと
帰って行きました。
今回もすごく楽しかったです。
また会いましょうね〜!
またお会いする時も、わたしはボラですが、
走れるようにはなっていたいと思います。


橘湾岸秋の大会/ボラ記3

2011年11月02日 18時29分01秒 | ボラ記

つぎの担当エイドは246.6キロ地点の大野木場です。

次のエイドの話をするまえに
前回書き忘れたいくつかのエピソードを
話したいと思います。

堂崎で最終ランナーを待ちたかったので
大野木場先行担当のinaokaさんに連絡を入れると
「こちらはだいじょうぶだから、待っていていいです」との
返事が来ていたので
安心して最終ランナーを待っていました。
最終ランナーは、100キロ部門の本来23時アーリースタート組の
若干遅めのランナーさんでした。
それが仕事の都合で1時レイトスタートに
なってしまっていたとのことでした。
レイトスタート組はフルサブスリーや100キロサブテンなどの
速いランナーたちです。
きっとばたばたと仕事から会場にかけつけてスタートし
そのあと速いレイト組に置いてかれて
ずっと一人旅をしていたはずです。
だから、エイドは極力維持したいんです。
最終ランナーの後ろ姿を見送りながら
次に参加したときには、ちゃんと間に合って
ちゃんとマイペースがきざめる走りをしてほしいと思いました。

その最終ランナーが到着する少し前に
大学生5人組のうちの2人が来ました。
彼らは揃って20才の100キロ初体験組です。
だれかが一括して申し込んだらしく
誕生日が1月1日と、みんないっしょくたに記載されてました。
これはひやかしじゃないかな?
と申込リストを見た時に思っていたので
受付にちゃんと現れたときにはちょっとびっくりしました。
しかもこのあとすぐに試合が控えているひとりをのぞいて
あとの4人は島原城よりも先の60キロまで、
さらに1人は100キロを完走したのです。
びっくらこきました。
しかも案外見かけに寄らず素直で
エイドの食べ物に「うめー」と喜んで
楽しそうに進んで行ってました。

そんなランナーたちを追い越しながら
次のエイドに向いました。

深江方面に進んだ220キロ地点あたりのバス停に
抹茶んが座っていました。

車を下りて話しかけると
リタイアを決めたとのことです。
このへんはわりあいアップダウンがあり
痛めた足ではもう限界と判断したようです。
このバス停から先は数百メートルの
けっこうきつい下りです。
小浜から約50キロ、あの足でよくがんばったと思います。
「走れなくて辛かった」そうです。
いつも走れないわたしは、
その気持ちが痛いほどよくわかりました。
リタイアを決めた心の苦しさが見えました。
島原まで送ろうかと言いましたが
収容担当のikedaさんにもう連絡したとのこと。

ほどなくikedaさんが来ました。
抹茶んの220キロに及ぶ戦いが終わりました。

途中223キロ地点の深江エイドに寄り
そこの担当のみねっちとはるさんと少し話して
その後、軽く迷子しつつ
近道で大野木場に行きました。

大野木場エイドでは
先行のinaokaさんたちがいました。
ここではざる豆腐とおにぎりを出していました。
それと、コーセーさんプロデュースの
飲み物豪華ラインナップが
選手を待っていました。
何人かのランナーがその中の泡の出るヤツに
ありついてました。

しばらくしてinaokaさんたちがほかのエイドに行き、
もどってきて、徹夜のわたしたちを気遣って
忙しくない最終エイドにいまから行って
仮眠したら?と言ってくれました。
お言葉に甘えてそうさせてもらいました。

最終エイドは268.8キロ地点、小浜木場です。
途中、俵石エイドに寄ると
ぜんざいを出してくれました。

雲仙エイドにも寄りたかったですが
車をとめるところをみつけられなかったので
通過しました。

雲仙道路から左に入り、
カーブをいくつかまがったところで
去年の100キロ覇者、sakamotoさんが
へろへろで歩いてました。
なんだかあぶなっかしい足取りで
「だいじょうぶですか?」と声をかけると
「だいじょうぶです。なんとかがんばります」と
返事がかえってきました。
う〜ん、心配。
でも、sakamotoさんのことだから
きっとだいじょうぶだろうと信じて
先に進みました。

少し先に無人エイドがあり
そこから狭い脇道に入ります。
ここからは林の間を通っては
きれいな石段の棚田のあいだをぬっていく
この橘湾岸のコースの最後にある
のどかな癒される道です。

でも道が狭く
対向車が来たらどうしよぉ〜!
という道です。
と、救急車が来ました!
幸い離合できるところでした。

ああ、もしかしてsakamotoさんが
倒れたんじゃないだろうか?
90キロも走ってるんですから、
43キロ部門のランナーも終盤ですから、
さらには273キロ部門のランナーにとっても最最終盤です。
たいていのランナーはもうへろへろです。
沿道の地元の人が通報しちゃったのかも!
心配しつつ最終エイドに向いました。

最終エイドはチェックポイントにもなっていて
関門があります。
17時30分までに到着しないといけません。
エイドは先行でしゅんさんご夫妻が来てました。

ここは公民館前ですが
今回は公民館が開いておらず
トイレが使えません。

しゅんさんたちと交代で小浜まで
トイレ休憩に行きました。
そういえばまともに食事をしてませんでした。
お腹がすきましたが、最終エイドは
最終と言うことでランナーはあまり食べません。
だから軽いおかしとバナナしか置いてません。
トイレのついでに肉まんを買いました。

肉まんを食べてから
エイドに戻りました。

しゅんさんが仮眠してていいよというので
車の中で少し仮眠しました。

そういえば、さっきの救急車が
もどってきません。
sakamotoさん、だいじょうぶかな〜?


橘湾岸秋の大会/ボラ記2

2011年10月26日 18時50分07秒 | ボラ記

そういや、ボラ記を最初だけ書いて
ほったらかしてました。
すみまそん。

ああ、もう、忘れたな〜。
覚えてるところは、わたしの胸の中にそっとしまっときましょう。

ちゅうわけにはいかないっすよね。
ここまで書いてるなら
せっかくなので、続きを書くとすましょう。

え〜〜〜と、
どこまでいったっけ。

あ、そうそう、
ふたつ目のエイド担当場所
213キロ地点の堂崎に向ったんでした。

前の原城が203キロ地点なので
10キロ先です。

この間、点々とランナーが続いてました。

堂崎は、先行しているmatuo夫妻ボラチームが
バス停にエイドを設置してました。
バスは午前6時半に始発が来るので
それまではそこにいて、
バスが運行されだしたら少し移動することにしました。
Dscn3309
なんとか島原まではがんばりますと言って
歩いて行きました。

最終ランナーを送り出すことができて
ほっとしました。

最終ランナー通過の報告をして
大野木場に向いました。


橘湾岸秋の大会/ボラ記1

2011年10月16日 18時05分58秒 | ボラ記

今回はひびきちゃんと行きの車から
ずっとコンビの楽しいボラとなりました。
ひびきちゃんは一見しずかな大和なでしこさんですが
じつは内面ひそかにハイテンションな張り切りガールさんなので
めっさ楽しかったです。

そんなひびき嬢を8日の朝、春日駅で拾ってから
いざ、橘湾へ!!

大会は7日の273キロW部門10時スタートで
すでに始まってます。
出発する前日から、
ボラ専用メーリングリストから
どんどん状況が配信されてきていて
わくわくしながら聞いてました。

お昼に小浜に到着し、
受付準備等をしてひびきちゃん案内で
おいしいチャンポンを食べに行きました。
やっと、みんながおいしいよと言ってたお店に
行くことができました〜。
なんか知らんけど、みんなお店の名前を覚えてなくて
教えてくれる場所も、いまいちはっきりしてなくて
ずっと行けずにいたんですが、
ついに!念願が叶い、あたしゃもうあとはなんも言うことはない。
そんじゃあ、さようなら。

じゃなくて、
まだボラはじまってない。これからだ。

てな、昼食を終えて
いろいろごそごそ雑務をしてたら
三々五々100キロ部門参加のランナーのみなさんが来だしました。

受付時間を少し前倒しして開始しました。

その間にもどんどんW部門の状況が伝えられて来ていました。

15時過ぎに7日12時スタート組のkosakaさんが
W部門先頭で到着しました。
元気で、えらいさわやかです。
173キロ走って来たように見えませんでした。
温泉に入りに行かれました。

ボラもだんだんてんやわんやになってきました。

W部門の選手はそれぞれのやり方で進んでます。
小浜でじゅうぶんに休む選手とさっさとリスタートする人など。

抹茶んは、足の爪の内側に血豆ができてふくれあがって
爪が浮き上がってしまい、でも
皮一枚で爪がつながってる(つまりいちばん痛い状態)で
やってきました。
どうしよう、とボラたちに見せたら
そこにいたkimiさんから「ああ、これくらいだいじょうぶ」と
あっさり続行「可」の判断をされ、
看護士や怪我もろもろ経験者だらけのボラたちから
処理をしてもらい、
あれよあれよというまに試合続行決定!状態に。
ひどい痛みにもうだめだと言われるかと思っていた抹茶んは
「わたし、走れると?」と。
走って当然の態度のボラたちに乗せられて
リスタートとなりました。

小浜リスタートできたのは出走27名のうち21名。
19時〜19時35分、3名、20時〜20時30分、6名、21時〜21時30分12名。
靭帯を痛めて小浜で断念したまめくまさんは
気丈に気持ちをおさえていましたが
ほんとうに悔しそうでした。
橘のエースogawaさんは膝がかなり痛そうですが
いけるとこまで行くと
やめる気配なしです。
明石のたこ嬢さんはいままで見たことないシリアスな顔で
小浜にやってきました。かなりきつそうでした。
ゆきひろとうさんも7日20時スタート組なので
ペース的にかなりシビアな設定で
マジモードでした。

わたしたちは小浜から約30キロの
203キロ地点、原城エイドが最初の担当だったので
100キロ部門の22時と23時スタートを見送ってから
出発しました。

夜中の街灯も少ない海岸線を
もくもくとランナーたちは進んでいきます。

原城に着いてから
ランナーが来るまではだいぶ時間があり、
yatiyoさん、sibataさんとわたしたちボラ4人で
いつのまにか居眠りしてました。

しかし、100キロ部門が来だしてからはばたばたになりました。
なんせ今回は100キロは108名参加です。
途中から口之津エイドを終了したkimiさんとおとうさんが
応援に駆けつけてくれて
ぱっぱか中華粥を出しますが
だんだんランナーがだんごになってきました。
エイドへの誘導でおとうさんが流れを作ってくれて
奥のチェックポイントにランナーを行かせて
それからタイムチェックを自分で書いてもらってから
おかゆにありつく流れができました。
それでもおかゆを出すのが追いつかず、
必死についではお椀をわたす作業を脇目も振らずにしてたら
最初はエイドのテーブルのまわりに群がってたのが
なんとなくみなさん右側に並んで、きれいな行列になってきました。
なんか、混んでる学食状態になりました。
ちゃんと文句も言わずに待ってくれてる。
みんな、おりこうさんです。

そうこうしてたら、
次の堂崎213キロ地点のエイドに行かないといけない時間になりました。
あとをkimiさんたちに頼んで向いました。


橘湾岸スーパーマラニック野母崎ステージ/ボラ記

2011年05月05日 22時52分10秒 | ボラ記

ただいま〜。
ぎんさん主催の橘湾岸のボラに行ってきました〜。

今回もいろんなことがありました。
楽しかったです。
参加されたみなさん、ありがとうございました。

5月3日は3時45分頃起床し、
ちょこっと家事をしてから
4時50分頃家を出発しました。
長崎の水辺の森公園のスタート会場に着いたのは
6時30分頃でした。

L173キロ部門の7時アーリースタートで大会がはじまりました。
その後、8時アーリー、9時、
そして11時にレイトスタート。
Jagaeid
炎天でかなり暑いです。
ここまで来るともうランナーたちはかなり消耗しています。
わたしたちももうばてぎみでした。

最終ランナーを見送ったあと、
3人でエイド食の残りをちょっと食べて
しばし、ぼ〜〜〜〜っと。
なんか、永遠にぼ〜〜っとしてしまいそうになったので
気を取り直して
片付けはじめました。
エイド用具一式をぎゅうぎゅう詰めで
車に押し込み出発しました。

ゴール会場に向かうのですが
途中のエイドに寄っていってもいいのです。

有喜、唐比、千々石のエイドがあります。
寄る?
どうする?
もう、寄る気力がありません。
まっすぐゴールに向かうことにしました。

もうすぐゴールです。
ランナーが点々と走っています。
もうすぐですよ!
わたしたちももうすぐ!が、がんばれっ!
自分に叱咤激励しへろへろで運転し、
やっとの思いでゴール地点に到着です。

もうすでにたくさんのランナーがゴールしていました。
とっきゅうさんがトップで20時間そこそこでゴールしていました。
最初のトップだったランナーは
やはりつぶれてしまい、リタイアしたそうです。
残念でした。
初ウルトラ挑戦者の無謀な走りではあったものの
最後までいけたらいいなと願ってましたからね。

今回はゆっくりいくといっていたogawaさんも20時間台の
大幅自己記録更新をしてしまってました。
うそつきですね〜。

わたしは最後のじゃがいも畑エイドあたりから
頭痛がしだして、
ゴール会場についてから悪化し、
とうとう立っていられないほどになったため
がまんしてても回りに心配おかけするばかりなので
片付け作業にも参加せず、
楽しみにしていた宴会にも参加せず、
早々に寝てしまいました。

みんながんばれてるのに自分だけ潰れてしまって
ほんとうに情けなかったです。
実はボラの時は、いつも後半頭痛がしてたんですが
これほどひどくならずにすんでたんですが、
今回のことで、自分は弱いんだと自覚しました。
次回、秋のWの大会の時には
ぜったいつぶれないように
ムリをせず、ちゃんと体調に気をつけながら
参加したいと思います。

朝起きたら頭痛は治ってました。

ゆきひろとうさんがロボット歩きになっていました。
はじめて見ました。
股関節を痛めたとのことでした。
本人にはわるいけど、
ゆきひろとうさんも人間だったのだな〜と
ちょっと安心しました。

それにしても、
宴会に出られなかったのは
ほんとうに痛恨のミスでしたっ!
なにが楽しみって、宴会に出たいが為に
ボラしてるっつうに・・・
秋の宴会には絶対に参加するぞっ!!!

でも、初日は終日ボラでビールは飲めないことは
予定していましたが、
2日めは宴会だから休肝日にならないなと思っていたところ、
思いがけず宴会欠席で休肝日となってしまいました。
おかげで2日休肝日になりました〜。
今月の目標3日まであと1日だっ。

んで、宿を出る前に
トイレに行ったとき、
なんとトイレがつまってしまい
わたくしたこは落としみやげを
置いて行くこととなりました。
宿の方に、おあと、よろしくお願いしました。

ほんで、帰りの道中は
ゆきひろとうさん、ひびきちゃん、
抹茶ん、たぁみ隊長の同乗でわいわい
にぎやかに帰ってきました。

今回は、最後にみなさんに
ご心配おかけしてほんとにすみませんでした。
次回はかならず宴会に参加します(そっちかい)。

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橘湾岸スーパーマラニックW部門ボラ5

2010年04月19日 16時38分32秒 | ボラ記

途中ぎんさんんとusirodaさんを追い抜いて
大野木場町民グランドエイドに向かいました。
なんと上り坂でもふたりはまだ走って登っていました。

大野木場は245.3キロ地点です。
ここの関門は13:00でしたが
ふたりは13:44に到着しました。
深江ではかなり遅れる見通しだったのに
すごいがんばりです。
ふたりとも行きたそうです。
これから先は、歩道がなくなり危険なので
意識がしっかりしていない消耗してる選手は行かせないことにしてましたが
ふたりともだいじょうぶそうです。
ぜんぜんやめる気なしです。
コーセーさんが、「すみません、関門時間をまちがってました。14:00でした!」
と言うと「そうでしょう」と、usirodaさんが返してました。
この期に及んでも、こんなジョークが飛び交い、
笑いがおこるこの大会のすごさったら・・・
usirodaさんは、「何時までいい?」とご主人に聞いてます。
ゴール予想時間は19:30くらいか?
ご主人はとてもだめだとは言えないでしょう。
そうなるとわたしとookiさん、yamasitaさんは最後までつきあえません。
ゴールは見たい。
きっとこのふたりはゴールするだろう。
でも、ここにそんな時間までいたら帰りが遅くなります。
残念です。

コーセーさんが雲仙の自然歩道は暗くなるから
国道を通るように必死にさとすのに
ぎんさんは聞きません。
「usirodaさんは俺が守る!」なんて言ってます。
「足があればいのししから逃げれるかもしれんが
そんなんじゃだめだろうが」というけど
聞く耳をもちません。
後ろでそのやりとりをおもしろそうにusirodaさんは聞いて笑ってます。
どこまでも楽しそうなusirodaさんです。

Dscn0290

ookiさんとyamasitaさん、ダンクさんとは、
このエイドでお別れすることになりました。
コーセーさんはダンク車で一旦小浜に戻り
車をとって来ることになりました。

usirodaご主人が途中エイドしながら
雲仙まで登ります。

わたしは261.2キロ地点の小地獄入り口付近の
自然歩道から出てくるところで待つ事にしました。

見えてきました。
Dscn0292
ぎんさんが蛇行しています。
でも、走ってます。
見ての通りの急坂を。

もうぎんさんの消耗がはげしいので
何度も溝に落ちそうになってて危ないということで
inaちゃんが伴走するそうです。

わたしは最後の声援を送って
みんなの姿を見送ると
小浜へ向かいました。

小浜では留守エイドを
東京から応援に駆けつけてたkikuchiさんが
守ってくれてました。

ぎんさんが蛇行してあぶないので
コーセーさんが車で後ろをガードして
進んでるとの連絡がありました。
ゴール到着は19時30分くらいだろうとのことでした。

名残惜しかったですが
わたしは帰途につきました。

高速道路の鳥栖JCに近づいた頃
携帯が鳴りました。
inaちゃんからの連絡で
19:18に、ぎんさんとusirodaさんが無事にゴールしたそうです。
記念写真とったりなんだかんだとてんやわんやで
連絡が遅くなったそうです。

ああ、よかった。
ほんとうによかった。

運転しながら泣いていました。

こんなたこに応援よろぴこ〜!


橘湾岸スーパーマラニックW部門ボラ4

2010年04月19日 15時28分27秒 | ボラ記

もうこのころになると、
当初決めていた大野木場の関門時間に間に合わない公算が
強くなって来ていました。
usirodaさんは、「関門がどうこう言ったって行くしかない」
と言ってました。
強さを感じました。
そして、まだまだ上り坂でも走りで進んで行ってました。

このころ、後続ふたり(ごろさん、いわちゃん)は
もっぱら歩きで進んでいました。
Dscn0250

ごろさんが深江のエイドにてくてく歩いてやってきました。
リズムはいいです。
Dscn0262

ごろさん情報によると
いわちゃんはコーセーさんにマッサージをしてもらって
その後、コーセーさんと一緒に進んでいるとのことでした。

先に、ookiさんが車でやってきました。
これでサポートが4台体勢になれます。
yamasitaさんはookiさんと組む事になりました。
わたしはひとりで動く事にしました。

いわちゃんが、手負いの鬼監督、
コーセーさんとやってきました。
ひとしきり休んでコーセーさんの指導のもと
出発していきました。
Dscn0273
すぐusirodaさんとぎんさんが来ました。
のぼりで使ってたコーセーさんに借りたストックを
じゃまそうにぶんぶん振り回しながら
ぎんさんは駆け下りてきます。
ふたりともすごいペースです。
ぎんさん、回復したようです。

給食してすぐにふたりは出ていきました。
こんなたこに応援よろぴこ〜!