6月18日(火) 天気:雨のち曇りのち晴れ 室温:27.5℃
きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭さんの 「赤松氏ゆかり
の史跡」 です。 10月から 赤松氏の話が 5回にわたり 進められてきましたが、今回は 最終回で、10月17
日 赤松円心、11月21日 則祐、12月19日 義則、2月20日 満祐、3月19日 義村 の5人のゆか
りの史跡の紹介です。 歴史教室は、7、8月は 休講で、9月から 新しい講義が 始まります。
。。。。。。。 赤松氏ゆかりの史跡 。。。。。。。
1.主なゆかりの史跡紹介
・室津の見性寺
・伊和神社
・書写山圓教寺
2.主な城郭(城跡)の紹介
・苔縄城:築年・南北朝時代初期、築城者・赤松円心、標高・400m、幅8m、縦22mの平坦地が残る
・白旗城:築年・現行3年、赤松円心築城、国史跡、連郭式山城、二の丸、三の丸、櫛橋丸、土塁、堀切
・室山城:御津町室津、鎌倉時代末期築城、平山城(丘城)、新田義貞追討軍に対し 嫡男・範資に防衛に
当たらせるも 敗れる。 嘉吉の乱では 赤松満政が 室津から 満祐らを攻撃、義雅は千代丸を満政に預ける。
・城山城:分和元年(1352)赤松則祐 築城(尼子晴久再興)、標高458mの亀山の山城、本丸跡、土塁、
石垣が遺構として残る。 祇園嶽は 出城。 嘉吉の乱で 赤松満祐らが この地で 自刃。義雅は 脱出し
千代丸(後の時勝)を 室津・室山城で 満政に 預ける。
・置塩城:文明元年(1469)赤丸政則?築城、標高370mの山城、国指定史跡、東西二つのピークに 東西
600m、南北400mにわたり 大小約70の曲輪が 造られ、本丸、二の丸、三の丸に区分される。
※支城・構えは、小屋谷城、鞍掛山城、御構、清水谷構などで 周囲を防御
置塩城が 廃城になった際、本丸跡にあった守護神の三柱のうち、一柱を麓に移して 櫃倉神社と
いい、他の一柱を 香寺町恒屋に移して 櫃倉神社といい、残りの一柱を糸田の栢森神社といった。
・坂本城:築城・南北朝時代、赤松円心築城の平城、室町時代 赤松氏が拠点の一つとした 播磨で最大級の平地居館。
廃城後、江戸時代前期までに 土塁が堤に転用され 城跡は ため池に変貌。発掘調査が進み 実態が明らかに。
・感城山城:相生市矢野町、鎌倉時代、瓜生左衛門尉 築城、標高301mの連郭式山城、国指定史跡、壮大な石垣、
・中道子山城:加古川市志方町、至徳年間(1384~86)、赤松氏則 築城、標高271mの山城、一の丸、二の丸、三の
・参考
・安国寺・利生塔:足利尊氏・直義兄弟が 夢窓疎石の勧めにより 国家安穏を祈願し、後醍醐天皇以下、南北
両朝の戦没者供養のため、日本の各地の建立させた禅寺。 塔も 建立され 利生塔と称す。 嘉吉の変で 暗殺
された 足利義教の首は、足利家ゆかりの安国寺に 手厚く葬られました。 境内裏の首塚・宝篋印塔(重要文化財)
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