私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

長崎観光  ながさきかんこう

2010-10-10 16:01:08 | 旅行
 10月10日(日)  天気:晴れ

 一泊二日で 長崎観光をしてきました。 難しいお天気で 空模様には 悩まされました。 メインは ”長崎くんち”
です。 ”長崎くんち”は 370年の歴史を持つ 江戸時代から続く 諏訪神社の例大祭です。 7日の前日、8日
の中日、9日の後日の三日間行われます。 龍踊(じゃおどり)や 曳き物、傘鉾、本踊りなどの演じ物が 披露
されますが 演じ物も 「踊町」の順番が 7年に一度しか回ってこないので すべての演じ物を見るのに 7年か
かるそうです。 「踊町」は 毎年 7町が演じる? くんち とは 旧暦の9日に行われたことから くにち→くんち
になったそうで 中国から伝わった龍踊など 異国文化を感じることができます。
 10月8日は 新幹線で 博多へ行き バスで長崎へ。 市内観光をします。 翌9日は まず くんちを観る予定
でしたが 雨で開催が遅れるため 先に 大浦天主堂、グラバー園を散策し くんちを観て バスで博多に戻り
新幹線で帰ります。 長崎市内は テレビの影響もあり 坂本龍馬ブームで 賑わっていました。

 下の図が 今回のマップ(パンフレット”長崎さるく”から)です。 まず ①の湊公園から中華街に入ったとこ
ろの桃華園で昼食。 バスで 標高152mの風頭(かざがしら)山へ移動し ②風頭公園の坂本竜馬之像を見
て 亀山社中へ下ります。 亀山社中は 渋滞中につき パスして ③眼鏡橋へ降りて 近くのべっ甲店へ。 さら
に ④長崎歴史文化博物館へ移動。 展示物を見て 稲佐山・南中腹にある⑤ホテルで 夕食・宿泊。
 翌日は まず ⑥大浦天主堂から グラバー園を散策。 ⑦諏訪神社へ移動し 境内の桟敷席で くんちの演じ
物を見ます。 もう一度 ホテルに戻り 昼食後 帰路につきました。
※さるく とは 長崎弁で 街をぶらぶら歩くことを言うそうです。


 博多から観光バスに乗り込み 九州自動道・長崎自動車道を走っている間 雨が降っていましたが 桃華園
で 昼食中に雨はやみました。 バスで風頭山に登りますが 長崎は坂道が多く 道も狭く 曲がりくねっているの
で 運転手は大変です。 坂道が多いので 自転車は少なく バイクが多く 一人当りのタクシー使用料は 日本一
とか。 14:22 歩いて風頭公園に。 ここは 標高150mの高台で 展望台になっていて 長崎市街が見降ろ
せます。 


 西に稲佐山が見え 山腹にあるビルが きょう宿泊する”ホテル清風”でしょうか? ここに 坂本龍馬之
像があります。 腕を組んだ龍馬は 長崎港を眼下に 遠く世界を見据えています。 像は彫刻家・山崎和
國の作。 ガイドさんは この龍馬像が 一番男前と言っていますか・・。 風頭公園の黄色いヒガンバナを
見ながら 「龍馬通り」を下ります。 狭い 石段の下り道です。


 龍馬通りの石畳の道は 今朝の雨で濡れていますが これが 意外と滑りにくい。 急な下りを亀山社中跡近く
まで 降りてくると 狭い道が渋滞しています。 亀山社中は1時間待ち? 亀山社中は 坂本龍馬や近藤長次郎
などの同志により結成された貿易会社で 海運、通商、商業活動などを行った。 主は武器の輸入? 今は 記
念館として復元され 書状、海援隊士の写真などが展示されているようです。 亀山社中は パスして 降りること
にしました。 従って 近くあった”龍馬のブーツ像”も 見ることが出来ませんでした。 途中 お寺の並ぶ 寺町
の興福寺の前を 通ったのですが 大雄宝殿と呼ばれる 国の重要文化財の本堂を見忘れ・・・。


 15:10 眼鏡橋。 眼鏡橋は 岩国・錦帯橋や お江戸・日本橋とともに 日本三名橋。 錦帯橋に比べ
ると かなり小さいが 我が国最古の石造アーチ橋で 寛永11年(1634)架設された。 その後 洪水で
損害を受け 修復された。 国の重要文化財。 下の中島川では 色鮮やかな錦鯉が泳いでいます。
ぶらぶらしていると 竜宮船が「庭先回り」をしていました。 明日の奉納を前に 挨拶回りしているのです。


 眼鏡橋近くの老舗”江崎べっ甲店”に寄りましたが 小さい耳かきが 数千円もするので 買うのは止め。
べっ甲は 黄色いものが 高いそうです。 バスで移動し 15:55 歴史文化博物館へ。 ここは 長崎奉行所?
龍馬伝館? テレビの 「龍馬伝」の放送に併せ 龍馬ゆかりの品が展示してありますが 撮影禁止。 幸い
龍馬には 関心がないので ウォークスルー。 1階の岩崎弥太郎の像だけ撮りました。 外に出ると 昔の
長崎奉行所跡だけに 雰囲気のある外観でした。 右側の昔の奉行所のような 木造の門を撮れば良かった・・。


 きょうは よく歩いて 疲れました。 これで ホテルへ行けると思いきや さらに カステラの老舗・福砂屋へ寄る
の? 福砂屋が どこにあったのか 分かりませんが 舟大工町? 狭い店に 4、50人が押し寄せ 芋の子状
態。 一人1万円買ったとしても 約10分間で 50万円ほどの売上? 今回の旅行は これが目当てだった人
も・・。 仕方がないので 私も毒味のため一本買いました。 底の紙に付いているザラメが 食べられない・・。



 長崎市内には 約80両の市電が 走っているそうで どこかの市電を 譲り受けるため 色々な車両が
あります。 長崎駅前から北へ廻り 稲佐山南山腹のホテルへ行くのも 観光バスでは 大変です。 18時
前に ホテル清風に到着。 高台にあるので 見晴らしは 最高です、天気さえ良ければ・・。 全室ハーバ
ービューで 1000万ドル?と言われる夜景が 堪能出来ます、天気さえ良ければ・・。
 残念ながら ドル安で ドルは 値下がりして 夜景も100万ドル? 長崎の夜景は 函館、神戸とともに
日本三大夜景? 窓は嵌め殺しのため ガラスの反射で 夜景は撮りにくい。 おまけに 夜は 雨が・・。
” あアぁあー ながさきィーはー きょうもー あめエだあったァー♪♪ ” 細川たかし?じゃネェよ (前川清)
 かくして 夜の帳は 降りてゆきました。  朝も 雨が残り パノラマビューも さっぱりです。



 二日目は 6時起床、6時半朝食、7時半 出発です。 雨で 長崎くんちが 遅れるので 先にグラバー園
に向かいます。 オランダ坂の前を通り 8:00 バスから降りて 石畳の坂を 大浦天主堂へ上がります。
 いつの間にか 雨はやみ ガイドさんは 傘を持って行くよう言いましたが 必要なし。 大浦天主堂は 元
治元年に 建てられた現存する最古の木造ゴシック様式の教会で 国宝です。 中で ステンドグラスを見
ながら 説明を聞き 右に出ると グラバー園の入口。 エスカレーターや動く歩道で 一番高いところに上が
り 園内を散策しながら 一番下のグラバー亭へ下ります。


 ここも高台で 長崎港が見渡せます。 正面の大きな船のあるところが 長崎造船所でしょうか? 戦時
中 戦艦武蔵を造るとき ドック周りに高い塀を設けたが ここから見えるので 立退き令がだされた?
 景色を見ながら 園内を散策し 旧グラバー住宅に降りて 前の石畳にある?ハート形の敷石を探し
ます。 ひとつは 方位盤の下にありましたが もうひとつは・・。 恋は 実らないか・・。



 オランダ坂のような石畳の坂を下って バスに戻り 9:40 諏訪神社へ向かいます。 バスは神社の前
には停められないので すこし離れた所から 地下道を歩きます。 鳥居を潜り 石段を上がり 10時頃
に桟敷席(桝席)に着きました。 狭い席に四人座り 身動きできません。 また 高い位置にあり ”舞台”
まで 遠いし 前方の席の人が 邪魔で 前が見えにくい・・。



 長崎くんちは ここだけで演じられるのかと 思っていましたが 御旅所(長崎港)や 八坂神社でも行
われるようです。 「長崎観光ガイドブック」に 長崎くんちは 日本三大祭りの一つと書いてあるので ウェ
ブで 調べると 京都・祇園祭、東京・神田祭は はっきりしていますが あとひとつが はっきりしません?
大阪・天神祭? 博多・どんたく とか 青森・ねぶた祭りも 有名ですが・・。
 今年の長崎くんちの「踊町」は 馬町、東濱町、八坂町、銅座町、築町、籠町(特別参加)、湊町、広馬
場町だそうですが 湊町と広馬場町は 辞退した?



 10:20 演じ物が始まり 最初は 八坂町の傘鉾。 各町で 上の飾りに特徴があるようです。 見る
のは 面白くもないのですが 重量が50キロ以上あり 演じる人は大変なようです。 八坂町の曳き
物は 川船で 4年生の男の子が 船の上から投網をうち 地面の魚を捕えるのですが これがうまく
いき 拍手喝さい。 特別参加の籠町は 「龍踊」。 今では 「龍踊」が出来るのは 四町だけとか・・。
 金の玉を 龍が追うのですが 写真が 撮りにくい・・。 全長20mの龍も 結構重いようで 支えてい
る人 一人当り20キロ以上とか。 馬町は 「本踊り」。 踊りは 日本舞踊の先生が 指導するので 本
格的な踊りです。 一町の持ち時間は 約30分。


 11:50 築町が始まるころには 雲の切れ間から日が差し始め 一気に気温が5度以上上がり 物凄
く 暑くなりました。 始まる前 神様の前なので 帽子は 被らないよう言われています。 餅や お菓子の
投げ込みもあります。 長崎音頭の踊りの後 「御座船」の曳き回し。 初めて見るので これが 面白い。
 初めは さざ波状態で 動きがゆっくりで 観衆の手拍子に併せ 大きく動きます。 走る前 姿勢を低く
して静止、一気に走り 一気に止めます。 階段の方へ走るとき 階段を一段落ちて 止めるのも にくい!
 回転する際も 勢いを見せるため 後ろの人は 足を宙に浮かせます。 回転を止めるときも 前後方
向にぴたりと止め 観衆も動きに併せ 一体となって盛り上げます。



 伝統的な演じ物が 多い中 新しいものもあり 薄い布をまとった女子高生?による新体操風の踊り
「天女の舞」は良かったァ。 撮ろうとした瞬間 前を 人が横切り 広い布を広げた場面は・・・。 
 演技が終わると 船は階段を降りるのですが 降りようとすると 観衆が 「もってこーい」と叫び アン
コールを要求します。 白装束の係員もいて 引き留めに行くと 帰ってきて もう一度 船を曳き回し・・。
これを 3、4度やります。 このやり取りも面白い。 最後に 船の後ろに綱をつけて 長老が 後ろから
引きながら階段を一段づつ降りて行きます。 




 バスの時間が迫ってきたので 13時に席を立ちました。 バスは また狭い坂道を登り ホテルに戻
り 遅い昼食。 天気はすっかり回復し 長崎は秋の空です。 長崎市の花は アジサイで 消火栓の蓋も
アジサイです。 
 途中の自動車道が混むことが予想されるため 大急ぎで帰路につきましたが 幸い 渋滞は大したこ
となく 予定の時間に博多に着きました。 18:00の新幹線に乗り 帰ってきました。
 行く前は あまり期待は していなかったのですが 意外と楽しい旅行となりました。


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研修旅行 ( 湖東三山・彦根城 )

2009-10-17 10:41:09 | 旅行
 10月16、17日(金・土)  天気:晴れ 後 曇り 一時雨 後 曇り?

 今回は 山登りでは ありません。 広島発の一泊二日の研修旅行に 参加しました。
一日目は 広島から新大阪まで 新幹線で行き 新大阪から観光バスで 琵琶湖 湖東三
山 金剛林寺・西明寺・百済寺を めぐり 長浜温泉泊。 二日目は 国宝彦根城・玄宮園
へ。 鯉の里で 昼食後 近江八幡水郷めぐりの後 近江の街散策。 バスで 新大阪へ
戻り 新幹線で 広島へ帰ります。 私は 高速千均を利用して 12日の体育の日に 実家
へ帰り 18日 日曜日に こちらへ 帰ってきました。

 16日 廿日市市の実家から JRで 広島駅に行き 姉妹と合流し 三人で 参加します。
受付を 済ませ 8:44の のぞみ118号で 10:15 新大阪へ。 駅前で 観光バスに乗り
替え 10:40 出発。 バスガイドさんは みゆきさんで まだ新人です。  アナウンスに
間違いがないか 要チェックです。 どの道を 走ったか よく分かりませんが 新御堂筋
を 北へ進み 万博公園の太陽の塔?の下を通って 名神高速に 入ったようです。


 バスは 天王山トンネルを通ったのですが ガイドさんは 天王山の歴史的な意味を
ご存じなかったのかな?  11:40 草津PAで 休憩し 八日市ICを 降ります。
この先 どの道を 走ったのか 全く 分からないので 割愛させていただきます。
12:30頃 金剛輪寺前に 到着。 バスを降りて 華楽坊で 精進料理の昼食を 頂き
再び バスに乗り 坂道を登り 参道の少し上から 金剛輪寺の参道へ入ります。

 松峰山金剛輪寺は 聖武天皇の祈祷寺として 行基菩薩が 天平十三年(741)に 開山
された 歴史のあるお寺です。 本尊は 聖観世音菩薩で 行基菩薩作。 湖東三山は いず
れも 天台宗の お寺のようです。 頂いたパンフレットの 「略縁起」 には 詳しく書いてあり
ますが 割愛・・。 参道脇には 赤いよだれかけを 掛けた千体地蔵が 赤い風車を持って
並んでいます。 湖東三山(三寺)は いずれも 紅葉の名所ですが 今の時期 紅葉には
少し早いのが 残念ですが 一部 紅葉を 始めた モミジもあります。
 ここの紅葉は  ”血染めの紅葉” と言われ 行基菩薩が 本尊を刻んでいると 赤い血が
流れたことから ここの鮮やかな紅葉を そのように 言うそうです。


 大きな わらじが下げられた 二天門を 潜って 本堂へ。 団体行動なので 自分勝手に 撮
影場所を 探せない・・・。 現在の本堂 大悲閣は 七百年を越える歴史を 持つ大堂で 鎌倉
期の和様建築物の代表的なものとして 国宝に 指定されています。 中に入って 説明を聞
きますが 何も記憶できません。 本堂内部は 内陣、外陣、後陣に 分かれていて 内陣、
後陣には 多くの仏像があり ひとつ、ふたつ持って帰っても 分からない?
秘仏の本尊・聖観世音菩薩のほかに 阿弥陀如来像、十一面観音像、四天王像・・・。
 本堂の脇には 薄紫のシュウメイギクが 咲いていましたが 華楽坊の脇に咲いていた
白いシュウメイギクとは 色も形も 全然違う花ですが どちらも 秋明菊(キンポウゲ科)だそ
うです。


 寛元四年(1248) 建立の重文・三重塔を見て ガイドさんを 撮りながら 参道を降りて
名勝庭園に 寄りました。 池泉回遊式庭園で 江戸時代に 造られたそうですが ゆっくり
観る時間がありません。 
 14:20 次の西明寺へ向かいます。 場所は 分かりませんが あっという間に 西明
寺に着きました。 距離にして 2km?ほど 北。 名神高速道の上にあります。
 龍応山西明寺は 平安時代の承和元年(834)に 三修上人が 仁明天皇の勅願により
開創された寺院で 薬師如来が本尊。 平安、鎌倉、室町時代を 通じて 祈願道場、修業
道場として栄え 十七の諸堂、三百の僧坊が あったといわれるそうです。
 源頼朝が 戦勝祈願に来たこともある? 織田信長による 焼き討ちに遭うが 本堂、三
重塔、二天門は 難を免れたそうです。


 山門を入った所に ”不断桜” があり 花が 咲き始めていました。 この桜は 11月が
満開だそうです。 本堂は 山の中腹にあり 石段の坂道を 登りますが これが 結構 しん
どい。 モミジが 紅葉していれば 愛でながら 歩けるのですが・・。 脇にある大教大師
尊像や 十一面観音像を 見ながら登ります。 二天門の手前に 杉の大木があり 根元
近くから 二股に分かれ ”夫婦杉” (千年杉)の表示があります。
 その上が 二天門で 仁王さんの代わりに 四天王の持国天と増長天が 守っているので
二天門と言われるそうです。 これは 初めて見ます。 二天王とも 立派な寄木造りの像で
高さは 2m近くあり 院尋インジンの作。 応永14年(1407)の建立で 国の重要文化財。 
やっと 本堂に 辿り着きました。


 本堂は 鎌倉時代の初期 飛騨の匠が建立した純和様建築で 屋根は 桧皮葺きで 
国宝第一号に指定された・・。 本堂に上がり 説明を聞きます。 ここにも たくさんの
仏像があります。 本尊の薬師如来の両側に日光菩薩と月光菩薩像があり どこか
に 運慶?快慶?が 彫った仏像もありました。 光を当てると 顔の表情が 変わります。
 ここは 干支の寺とも 言われるそうで 十二支の干支を 頭に乗せた仏像があります。
暗いので 住職さんが 子、丑、寅と順に 懐中電灯で 照らして 説明してくれます。
 本堂の右に鎌倉時代建立の国宝・三重塔があります。 名勝庭園・蓬莱庭に 寄り
バスに戻ります。  15:20 西明寺を 後にして 百済寺に 向かいます。
湖東三山では 百済寺が 一番  南にあります。


 15:35 百済寺に着きました。 釈迦山百済寺は 推古天皇の時代に聖徳太子の
御願により 百済人のために 創建された古刹で 百済国の龍雲寺を 模して 建てられ
たそうです。 平安末期から 鎌倉室町に至る頃には 壮大な寺院だったようですが
戦火により 多くを焼失した。 本尊は 木造十一面観世音菩薩(秘仏)です。 
 ここも 本堂まで 長い石段の参道がありますが バスで 途中にある駐車場まで 上が
ってくれるので 助かります。 入口で 住職の長い説明を聞いて 表門から 参道を
登ります。 もう 日が落ち始め 薄暗くなってきたので 早く 拝観しないと・・・。


 表門を潜って 参道を上がります。 仁王門を 潜って 本堂にお参りして 説明を聞き
ました。 本堂は 唐破風付入母屋造だそうですが 建築学の知識のない私には 特徴が
よく分かりません。 戦火で 焼失後 慶安三年 本堂、仁王門、山門等が竣工し 現在に
至るそうです。 五重塔を 探したのですが 見当たりません。 現存しない?
 表門を出て 本坊を右に廻ると 立派な庭園があります。 喜見院の庭園は 池泉回遊
式で 山上眺望の見事なパノラマ庭園だそうですが 時間がないので 高台の遠望台に
上がることはできませんでした。 西方には 「比叡の御山」 が 眺望できたらしいのです
が・・・。 庭の奥には 不動岩があり 渓流が流れ落ち 池には 錦鯉が 悠々と泳ぎ・・・。
 湖東三山のお寺では この庭園が 一番良かった。
バスに戻り 16:30 百済寺を 後にして 宿泊する長浜温泉に 向かいます。


 名神高速道に入り 北陸道に廻り 長浜ICで降りて 17:30 琵琶湖・湖畔にある長浜温泉・
長浜ロイヤルホテルに到着。 予定より30分遅れ。 立派なホテルで 5階の部屋に入ると 窓
から黄昏の北の景色が見え 左に 琵琶湖が 右下に 長浜城も見えます。 夕食は7時からなの
で 先に温泉に入りましたが 空腹で 疲れもあり 貧血気味だったのか 一瞬 ふらっとしました。
一命は 取り留めましたが・・。
 7時からの ”竹生の間” での 夕食は 懇親会で ビンゴゲームあり カラオケ大会ありで 9時
まで 楽しく過ごし 皆さん賞品を貰い 満足されたことでしょう。 そうそう 夕食のお膳に ”四方
より 花吹き入れて 鳰(にお)の湖” の一句が 添えてありましたが 誰も 鳰の字が 読めません。
勿論 私も・・。 調べると 鳰は カイツブリのことで 琵琶湖は 昔 鳰の湖(うみ?)と 呼ばれて
いたそうです。 カイツブリは オシドリくらいの大きさの水鳥のようで 滋賀 県の鳥。

 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 二日目は 6時半起床、7時から朝食。 和洋中華のバイキングです。 皆さん 朝から よく
食べます。 朝食後 売店で お土産を買い バスに乗り込み 8:45 出発。
 まず 国宝・彦根城へ向かいます。 調べたところ 明治時代以前に 建てられた天守閣で
現在 残っているお城が 全国に 12あるそうで そのうち 姫路城、犬山城、松本城、彦根城
の四つが 国宝です。 彦根城は この前の台風19号で 石垣に 一部 被害を受けたようです
が・・・。 被害は 軽微で 見学するには 何の問題もありません。

 彦根城は 井伊直継、直孝により 約20年の歳月をかけて建設され 元和八年(1622)に
完成。 初代藩主・井伊直政より 14代藩主・井伊直憲に 至るまでの 260年間 国替えや
城攻めがなく 今なお 彦根の象徴として 気高い雄姿を誇ります・・・。 初代藩主・井伊直政
は 関ヶ原の合戦での 大功により 城主となり 18万石を授かった。 彦根城は お城好きの
人には 見所が多く たまらない魅力があるようです。


 9:10 観光協会のある駐車場に到着。 彦根城は 中堀、内堀の二重の堀に囲まれた城郭
ですが その中堀に沿って いろは松の並木道を ガイドさんに 付いて進みます。 道がやや
複雑で 往路と復路で 道が違うので 初めての人は 迷子になりそう・・・。
表門橋を渡り 表坂を登ります。 この辺りには 赤い服のガイドさんが たくさんいますが 観光
案内ボランティア? ここに ”登り石垣” と言われる斜面を登るよう 築かれた 石垣があったら
しいが・・。
彦根城は 石垣にも 特徴があるそうで 湖東の流紋岩が 使われ 石垣の積み方や 使われ方
が 多様で 自然石を そのまま用いる ”野面積み” や 接合面を加工した ”打ち込みハギ”(落
とし込み)といわれる積み方が 使われているそうです。 大きな石の隙間に 小さい石を詰めた
ところも 多く見られました。 北の玄宮園の方へ廻ると 中堀の水面から1mほどの高さに 石垣
を積み 石垣の上に 土塁を盛った ”腰巻き石垣” もありました。


 ループ状に 廻って廊下橋に出て 正面の左右対称に建てられている 天秤櫓(重文)を潜ると
本丸への最後の関門 太鼓門櫓。 これを 潜ると 広場に出て 正面に 天守閣が望めます。
 三層白亜の天守は 400年前の姿を とどめています。 金の飾りが 気になりますが 大きな
屋根が 何層にも重なる複雑な構造です。 屋根の端が合わさって三角になった部分を 「破風
(はふ)」 というそうですが 彦根城は この破風が 多いことも特徴だとか・・。
 最上部に 入り母屋破風があり その下に ウエーブを描いた 「唐カラ破風」 が施してあり これ
は 格式が 高く 神社などに多く 用いられるそうです。  きのうの百済寺の本堂が そうだった?


 天守閣に上がることはできたようですが 止めました。 右の一段高い所が 月見台で 左の
琵琶湖から 北の山並を望む展望台ですが きょうは 雲が厚く 遠くは 望むことができません。
天守閣の左から 石垣の間を 北へ降ります。 


 黒門を抜け 内堀を渡ると玄宮園(名勝)。 西から玄宮園に入りました。 玄宮園は 近江八景
を模して 造られた縮景園で 第四代藩主・井伊直興が造営した 大庭園です。 魚躍沼と言われ
る池に 臨んで 臨池閣や 鳳翔台(茶室)などの建物が設けられ 彦根城を借景とする江戸時代
の大名庭園です。
 西の楽々園は 槻御殿と呼ばれた彦根藩の下屋敷で 大老・井伊直弼(第11代藩主の十四男)
も ここで 生まれたそうで 32歳まで 彦根で過ごしたそうです。
 左に 彦根城の腰巻き石垣を見ながら バスに戻り 10:40 昼食場所の鮎家の郷に向かい
ます。 走っていると バスの窓に 水滴が付き始めました。
 11:30 鮎家の郷に着き 鮎鴨亭で昼食です。 鮎の塩焼きと 鴨の鉄板焼き。 これに マッ
タケごはんがあれば 申し分ないのですが・・。 昼食を終えて バスに乗り込もうとすると 急に
雨が降ってきました。 12:30 出発。 近江八幡・円山水郷めぐりに 向かいます。


 車中で 誰かが ガイドさんに 懺悔しなさい と言っていましたが 懺悔の甲斐があったのか
13:00 水郷めぐりに着くと 雨は 気にならなくなっていました。 二番船に乗ったのですが
お歳を召した船頭さんは 櫓をこぐのも 説明も 上手でした。 櫓をこぐと 6人乗りの小さい船は
左右に 揺れるので 写真を撮るのは 水平度が傾き 大変です。
 アシの茂る水路を進みますが アシも 春に水面で 切り取って 成長する高さを 揃える作業は
大変なようです。 アシは 水を浄化する作用があるそうですが 水路の水は 濁って 深さが 分
かりません。 水鳥や柳の木を見ながら 橋をくぐり 水路の広くなった所から 引き返します。
 前方に 安土城跡の山が 見えるらしいのですが 私には よく分かりません。 水路は 安土城
の近くまで 続いているそうです。
14:10 船を降りて 次の近江八幡の街へ向かいます。 雨は すっかり上がりました。 結局
傘は使わずじまい・・・。 14:30 近江八幡の狭い駐車場に着きましたが 満車です。


 バスを降りて ガイドさんに付いて 北の日牟禮神社へ歩きます。 近江商人の街並みを 歩き
ましたが それほどの情緒はありません。 悪いことに 神社の近くに 行列のできる相談所?が
あり マイシスターズが 並んで オミヤを買うのです。 待ってられないので 独りで 日牟禮神社
にお参りしました。 どっさり 御土産(バームクーヘン?)を買ったので 手に持つと 写真も撮
れません。 トホホ・・・。 姉妹と はぐれそうになりながら なんとかバスに戻りました。


15:40 近江八幡を 後にして 新大阪に戻ります。 16:04 竜王ICから 名神高速に入り
ました。 ガイドさんが 皆さん お疲れでしょうと言って ビデオをかけてくれました。 U2主演の
洋画でしたが 最後のクライマックスシーンというところで 突然 ビデオが切られてしまい お疲
れさまでした 間もなく 新大阪に 到着します・・・。
 いつもは 小学生の修学旅行の相手をしている若いガイドさんも 口の悪い年寄り連中相手で
さぞ お疲れだったことでしょう。 でも 最後に 未熟な私ですが 今度 お会いできるまでに 成
長した 私が 見せられるよう精進しますと 言われ 皆 拍手して お別れしました。 
 バスは 渋滞もなく 17:10 新大阪に到着。 18:09の のぞみ41号に乗り込み 19:38
広島に 着き 今回の研修旅行を 楽しく終えることがでました。 気分転換にもなり いい歴史の
勉強を させていただきました。
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京都小旅行

2008-12-22 11:08:32 | 旅行
 12月20・21日 天気:晴れ・晴れ後曇り 小雨ぱらつくも暖かい

 今回は 山登りではありません。 姉の希望もあり 豊臣秀吉夫人の北政所(ねね)ゆかりの高台寺をめぐる
小旅行をしてきました。

 きょうの天気は まずまずですが 明日は 午後から 降水確率が高くなります。 どうなることやら・・・。 今回は
時間記録は ありませんが 8:20 出発。 近くの網干駅まで 歩き 少し早く着いたので ホームで待っていると
智頭急行の青い電車 ”スーパーはくと” が通り過ぎました。 孫のために撮りたかったのですが・・。
 姫路駅にも 1時間前に着きました。 きょう 播但線の高架切替工事が 行われるようですが・・。
新幹線ホームに上がり 孫のために写真を撮ろうと思ったのですが N700系の新しい車両は 停まりません。
時速300kmで  一陣の風とともに去りぬ だったのが N700系だった? 9:54 やっと 私の乗る ひかりレール
スターが来ました。 姉妹と合流し 新大阪で 乗り替え 京都駅に10:54着。

 今日は 自由行動なので 時間は早いが ランチにすることに。 駅ビルの15Fに上がり グランビアへ行きました
が ランチは 11:30 から。 しばらく待ち ランチを済ませ 嵐山へ向かいます。 JR山陰本線で 嵯峨・嵐山へ
約20分。 とりあえず 宿泊予定のホテルの方へ歩くと 天龍寺があり まず 天龍寺を 訪れることにしました。
門を潜り 境内へ入り 参道を進みます。

 広い境内なので 何所から何所までが 天龍寺なのか? ふと 右を見ると 仏像が・・。 これは 航空安全・飛雲
観音でした。 後背は 雲を表し 空を飛ぶ イメージなのでしょうか?  航空安全とは・・・。
 天龍寺は 臨済宗天龍寺派大本山で 後醍醐天皇の菩提を弔うために 足利 尊氏が 夢窓国師を開山として
創建した。 京都五山第一位の寺格を誇ったが 八回も 大火に見舞われ 堂宇の多くが 失われ 明治期に再建
された・・・。
 まず 法堂へ。 法堂は 七堂伽藍のひとつで 住職が 仏法を説く空間です。 こんなことは どうでもいい・・・。
平成12年に 描かれた加山又造画伯の 「雲龍図」 を見なくては。 法堂の天井に 描かれた龍は 八方睨みの
龍で 堂内どこから見ても 龍に睨まれます。 龍は爪が 五本ある方が 高級らしい。 この「雲龍図」は いつ
でも見ることが 出来るのかどうか? 残念ながら 写真撮影は禁止。 私は 特別に 許可を貰って撮影しましたが・・。    



 大方丈の建物の中にも 龍の絵はありましたが 無視。 縁側から夢窓国師による庭園が見られます。
庭園・曹源池は 国の史跡・特別名勝第一号に指定され 世界文化遺産にも登録。 紅葉の時期は 終わっていま
すが 素晴らしい紅葉を見ることが出来ました。 後方の借景の山は 嵐山です。 お金を出せば 庭園を参拝する
ことも出来ます。 曹源池の立派な錦鯉が 悠々と 泳いでいるのを見ながら 書院の前から 桜の咲いていない
多宝殿まで行って 引き返しました。 大方丈への入口になる庫裏の二階建ての屋根は カマドの煙を 逃がすた
めのもので 今は 使われていないとか。 



 天龍寺を後にして 次の天龍寺塔頭・宝厳院へ向かいます。 道に不慣れ
な我々は 門を出て まっすぐ 渡月橋まで 行ってしまい ついでにと 渡月橋を
渡ってみましたが 何もありませんでした。 奥には 鈴虫寺や苔寺があるよ
うですが。 渡月橋を流れる川は 桂川かと思いましたが この辺りでは 大
堰い川というようですし 上流では 保津川?



渡月橋から川沿いに 西へ進み 北へ戻ると 宝厳院(ほうごんいん)。
宝厳院は 天龍寺の塔頭寺院で 室町時代に 創建された。 その後 変遷を経
て 現在地に移転再興された。 本堂には 本尊 聖観世音菩薩 脇仏に 三十
三体の観世音菩薩 足利尊氏が 信仰した地蔵菩薩像が 祀られており 西国
三十三ヵ所巡りに等しいと伝えられているそうです。 
 中へ入ると 獅子吼の庭で 寺院の雰囲気ではない。 この庭園は 室町時
代に 中国に渡った禅僧策彦周良師によって作庭された名園中の名園で 京
都随一の紅葉の名所らしい。 獅子岩、碧岩、響岩などの巨岩が 巧みに配置
されている。 狭い庭園で 紅葉の終わったこの時期 5分もあれば 一周でき
ます。 本堂も 普通の民家のような感じです。 私は 特別に紅葉を見てきまし
た。 庭園では 学生のボランティアグループが 庭園ガイドの訓練をしていた。 



 庭園の中にも数体あったが 門前には 「嵐山羅漢」 が祀られており 「羅漢」
とは 釈尊の弟子で 「悟りを得た人」を 意味する?  加西の五百羅漢に 比
べ ここの羅漢は 笑ったり 怒ったり 非常に表情が豊かで 穏やかな表
情のものは 少ない。



 ここまで来ると ホテルは直ぐ近く。 今日の宿 嵐山温泉「嵐亭」へ行き とり
あえず 荷物を預け 渡月橋周辺を散策した。 この辺りは お土産屋さんがある
だけ。 ホテルに戻り 6時から夕食。 コース料理で 食べるのに時間がかかっ
た。 ここの爪楊枝は 多分 クロモジ製です。 7時過ぎてから 嵐山花灯路を
見に行くことに。 行く前 WEBで 「但馬の里から」の画像掲示板を見ていて き
れいなライトアップの写真があったので・・。 しかし 何所にあるのだろうか?
 ホテルで貰ったパンフレットの地図を頼りに 常寂光寺へ行くことに。 渡月橋
から真直ぐ北へ 踏切を越え 左へ曲がり ホテルから約2km歩いて やっと
常寂光寺まで辿り着くと もう 8時。 閉門の時間です。 お寺のカラーのライトア
ップを見ることは 出来ませんでした。

 小倉山の麓に広がる この辺り 嵐山・嵯峨野地域は「小倉百人一首」撰集の
舞台で 山紫水明の地です。 昼間 明るいときなら 長神の杜、紫式部・歌碑
など見所は多いのでしょう。  南の小倉池辺りまで行き 引き返しました。
あーァ 花灯路には騙された。 足元を照らす小さい露地行灯が並んでいるだ
けでした。 渡月橋は橋桁から下を照らしているだけだし。 でも歩いた道に 人
通りが多かったのは・・・。 渡月橋を渡って 近くの法輪寺へ行った方がよかっ
たか? ライトアップもライブもあった?  ホテルに戻り 温泉に入り 1日目は
終了。  ベットが固く 安眠できず・・・。 むにゃむにゃ・・・。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二日目は 7時起床。 7時半朝食。 8時半出発。 嵯峨嵐山駅まで歩きます。
午前中は いい天気でした。 途中 天龍寺にちょっと寄り道して 駅まで約
20分。 8:55 の電車に乗り 京都駅に9時過ぎに到着。 9:30 予約して
いた観光バスに乗り込みます。



 きょうは 全国高校駅伝の日なので 走るコースと関係のない洛東コースを
観光します。 バスガイドの松尾まちさん 宜しく。 最初は南禅寺。 駅からど
の道を走ったのか 分かりませんが 平安神宮の前を通ったことは確かです。
 南禅寺は禅宗の臨済宗南禅寺派の大本山である。 詳しくはパンフレット
を見てください。 ガイドさんに付いて 玄関から本坊に入り 方丈庭園へ。



 書院から広廊下を進むと 方丈(清涼殿)広縁に出る。 そこに禅院式枯山水の
庭園があり 優雅 枯淡で品格のある小堀遠州作の借景式庭園で 樹木と石組
みを一ヵ所にまとめた名園。 配置する岩の数は奇数? 凡人には理解できず。
 清涼殿に接続された後方の建物 小方丈には 狩野探幽の傑作といわれる
「水呑の虎」の襖絵があるが 暗くて見えなかった。  如心庭、六道庭、中庭を
巡り 建物の外へ出て 赤レンガのローマ風水路を潜って 石段を上がり 南禅
院へ。 水路を流れる疎水を見て 降りる。



 法堂の横から三門へ。 三門は一般に山門と書かれるが 正しくは三門。
三門は空門、無相門、無願門の意味で 仏教修行の三解脱を表す? 知り
ませんでした。 南禅寺の三門は 天下竜門と号し 日本三大門の一つで
焼失後 1628年に再建された入母屋造りで 高さ22m。 バスの時間が
あったので上に上がったが 市内の展望は いまいちでした。
 バスに戻り 次の高台寺へ。 東山霊山の山麓 八坂法観寺の東北にある
鷲峰山・高台寺は 豊臣秀吉没後 その菩提を弔うために秀吉夫人の北政
所(ねね)が 慶長11年(1606)開創したお寺です。 



 勅使門から入り 方丈の内部に展示してあるゆかりの品(秀吉の着物や杖
など)を見て 鶴亀の庭へ降りて 臥龍池を見ながら霊屋(おたまや)へ上が
ります。 庭園は小堀遠州の作で 国の史跡・名勝に指定されており その石
組みの見事さは 桃山時代を代表する庭園として知られている。 霊屋は秀吉
と北政所を お祀りしている所で 今の時期 内部が 公開されていて 厨子内
左に北政所 右に秀吉の木像が安置してありました。 北政所は白い頭巾を
被り 当時の女性の正式な座り方 右ひざを立てた姿です。
臥龍廊へ出て 傘亭、時雨亭を廻り 駐車場に戻り 西へ降りて ねねの道
を歩きました。 高台寺「掌美術館」に寄り 北政所が残したゆかりの調度品
を見学します。 掌とは手のひら 小さいという意味です。 高台寺は 「蒔絵の
寺」としても有名で 桃山時代の美術の粋と言われるそうです。 
 


 美術館を出て ねねの道を歩いていると 舞妓さんが歩いてきました。
写真を撮らせてくださいと言うと 恥ずかしそうに はにかんで 撮らせてく
れましたが どうやら本物ではなかったようです。 でも 京都の雰囲気は
あります。 去り行く姿も1枚。 顔にモザイクしなくて大丈夫かな?
 階段を上がり 駐車場に戻ると 近くに五重塔が・・。 鐘楼の所から撮り
ました。 ガイドさんに聞くと 八坂の塔と言われる法観寺の五重塔でした。 
そう言えば バスで八坂神社の朱色の門の前を走った筈だが・・。
 この頃には もう すっかり曇り空になっています。 駐車場北にある霊山
(りょうぜん)観音は 中には入らず 入口の所から撮らせてもらいました。
高さは27mあり 女性だそうです。
 バスが五条大橋を渡るとき ガイドさんが 牛若丸と弁慶の話を しました
が 弁慶が書写山円教寺を焼き払った件では 私が補足説明をしたかっ
た・・・。 この前 円教寺に行ったとき 鏡池の傍にあった謂れを・・・。

 12時を大分過ぎ 京都駅西にあるリーガロイヤルホテルに着き しばら
く待たされ やっと昼食です。 昼食はレストランで バイキング。 バイキン
グはありがたい。 好きなものが食べられる。 まず パン・コーヒーで洋食。
 次は ご飯に京漬物の和食。 握り寿司もあり。 デザートはケーキとフル
ーツとソフトクリーム・・・。 時間も十分あるし それぞれ別腹で食べました。   



 午後は 2時半過ぎから洛東の醍醐寺に向かいます。 国道1号線で東へ。
醍醐寺は 真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる理源大師が・・・(中
略)・・・これが醍醐寺の始まりである。 天暦5年(951)には五重塔が完
成。 山上山下にまたがる大伽藍が整った。 国宝や重要文化財に指定さ
れたものも多く 平成6年に世界遺産に登録された。 きょうは三宝院だけ見
学します。 醍醐寺は 西国三十三カ所霊場の第十一番札所です。

 三宝院は 醍醐寺の本坊的な存在であり 歴代座主が居住する坊である。
建物の大半が重文に指定されているためか 内部は庭園も撮影禁止。
 何のために来たのか分かりません。 庭園全体を見わたせる表書院は 寝
殿造りで 国宝。 国の特別史跡・特別名勝の二重指定となっている三宝院
庭園は 慶長3年 豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して 自ら基本設計をした
庭で 桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている? 秀吉は花見の後 直ぐ
に亡くなったらしい。 今は 庭の水が抜かれ まるで工事中のようです。
 庭には 亀島、鶴島、賀茂の三石、藤戸岩、枕流亭(茶室)などがあるが 
写真がないので 侘しい・・・。 下の唐門は 外から見た三宝院です。 



 こんなことなら 仁王門から入り 国宝の金堂や五重塔を見る方が良かっ
たァ。 早々に引き上げ バスで最後の訪問地 青蓮院門跡(しょうれんいん
もんぜき)へ向かいます。 バスの中でガイドさんが 説明するには 国の
特別史跡、特別名勝の二重指定を受けた庭園が 全国で5ヵ所あるとのこ
とでしたが 帰ってからインターネットで調べると 9ヵ所とあります。
 すぐ 京都定期観光バスへ電話しました。 折り返し電話があり 文化庁の
資料で調べると 八ヵ所でしたとのこと。 ガイドの松尾まいさんには教育的
指導を 宜しく お願いしますとは 言えなかった・・。
 八ヵ所は 小石川後楽園、旧浜離宮庭園、毛越寺・浄土庭園(東北)、金
閣寺、銀閣寺、三法院庭園、厳島(宮島)と 平城京二坊宮跡庭園です。
 ネットにあった高松の栗林公園は 二重指定ではないようです。
 


 最後の観光地は 青蓮院門跡。 また 高台寺の近くまで戻ります。 青蓮
院(しょうれんいん)は 天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして
三千院、妙法院と ともに 知られ 京都にある天台宗の五つの門跡(もんぜき)
の一つで 皇室とかかわり深く 格式の高い門跡寺院である。 門跡とは宝統
を伝えている寺院? 青蓮とは 青く澄み切った如来の眼に 由来する?

平成21年元旦の新聞に 京都御所に関する記事が載っていて その中に
右近の橘、左近の桜も登場しますが 青連院・四脚門の関し 年に一度 神
輿が 通るときだけ使われる扉で 樹齢800年と言われる両脇のクスノキが
門の荘厳さを引き立てるとある。 神が乗った神輿が薬師如来のある皇室ゆ
かりの青連院に入る様は 仏教伝来から 日本に根づいていた神仏融合の象
徴だそうです。 神輿が 門前の急な階段を 勢いよく上がっていく光景は 圧巻
らしいが 四脚門外の石段を撮れなかったのは 残念です。

 夕方4時近くになると 雲が厚く薄暗くなり 雨が降りそう。 えっ 雨が降っ
てきた? 気にするほどではありません。
 青蓮院に 多くある国宝・重要文化財中 国宝青不動明王画像は日本三不
動の一つとして有名で 五色の不動明王の中では 最上位らしいが 一番奥
の本堂にあり 暗くて はっきり見えなかった・・。 行かなかったのかも? 豊
臣秀吉の寄進 と言われる一文字手水鉢も・・。 なにせ 入口で 貰ったパンフ
レットは 文字の羅列で 図がないので見学しているときは 分かり難い。
 


薬医門から入り 宸殿、小御所を廻り庭へ降りて 相阿弥の庭へ。 龍心
池を見ながら 好文亭の前から小堀遠州作といわれる霧島ツツジの霧島の
庭へ。 すこし小高い所から庭越しに小御所などの建物を見ながら 庭の外
側を廻り 本堂(熾盛光堂)脇へ降りて 宸殿の南にある右近の橘と左近の
桜を見ながら 大クスの木の下を歩き 四脚門、長屋門の脇を通り 出口へ。
時計は4時半を廻り 暗くなってきた。



これで きょうのコースは全て終り 京都駅へ帰るだけ。 駅に着く頃には す
っかり 夜の帳が降りて まだ5時なのに真っ暗です。 一番昼が短い時期な
ので・・。 新幹線の時間に少し余裕があったので 地下へ降りてお土産を買
い 丁度いい時間になり 駅の電飾ツリーを見ながらホームへ。 17:49の
ひかりに乗り 新大阪で乗替え。 ホームで待っていると やっと隣のホーム
にN700系の最新型・新幹線がホームに入ってきて 撮ることが出来ました。
 新幹線の窓は雨で濡れていましたが 幸い 我々は雨にも遭わず 暖かく
いい旅行が出来ました。
 天龍寺の龍の天井絵を見ることが出来たし 高台寺では ねねの像も見る
ことができたし 舞妓さんも撮ったし。 二重指定庭園も いい勉強になりま
した。 今度は 予習をして 少し予備知識を持って行かないと・・・。 



 6月に始めた私の拙いブログをご愛読いただき ありがとうございました。
 来年も どうぞ よろしくお願いいたします。
 
・・・・・・・・・ おわり ・・・・・・・・・・・・
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北九州の旅

2008-10-18 19:32:00 | 旅行
 10月17日(金)、18日(土)   天気:ほぼ晴れ

 ある団体の旅行に潜り込み 北九州を旅してきました。 1日目は 広島から新幹線で 博多へ行き 観光
バスで ゴマ焼酎 『紅乙女』 酒造・巨峰ワインの見学・試飲~九重 ”夢” 大吊橋~くじゅう花公園~筋湯温泉・
九重ここのえ悠々亭(泊)。 2日目は 竹田・岡城址公園~原尻の滝~臼杵の石仏~別府ー小倉ー広島の
コースですが 北九州の地図が 頭にないので どこを どう通ったか さっぱり 分かりません。
 
 17日の広島駅の集合が 7:30 のため 前日 車で 廿日市市の実家へ帰り 実家へ泊まりました。
家には 母が一人で 住んでいます。 広島駅で 一緒に行く姉妹と合流し 8:38の のぞみに 乗ります。
ホームに入ってきた のぞみは もうすぐ 4歳になる孫が いたら 泣いて喜ぶ N700系の最新の車両でした。
孫には 写真でも送ってやります。 座席に 座ると足回りは 広いが シートが硬いような・・。 新幹線は
多くのトンネルを潜り 景色を見る間もなく 博多へ着きます。

 待ち合わせの大分交通のバスに 乗り込み 出発。 ガイドさんは 大柳美子さんで そこそこ 経験を積ん
だ人でした。 バスが 福岡空港の傍を 走ったことは 覚えているのですが・・・。 高速道を走り 気がついたら
もう 久留米市田主丸町の 「紅乙女」 酒造の近くでした。 ここの社長は かなり お歳の女性らしい。

 好きな人は 生唾が出るのかも 知れませんが 私には 胡麻焼酎(パンフレットに
祥酎とあるのは 熱で殺菌してない生だから?)は 喉が痛くなるようなお酒で 2杯
しか 呑めませんでした。 代わりに ワインを 何杯か飲みました。 ワインと思ったの
は かりんリキュールと 黒すぐりリキュールで アルコール分18%のきつい酒でした。
 お陰で バスで 腹具合が おかしくなりました。 このため ここの写真はありません。
・・・もう 飲みすぎちまってェー 写真を撮る気にーもー なーれない私っ・・♪♪

ここでリ キュールを何本か買って 母のところへ送ったのですが この話は割愛!


 近くの田主丸の石兆亭で 昼食後 大吊橋へ。 どの道を走ったのか分かりませ
んが 大分県玖珠郡九重町の九重 ”夢” 大吊橋の駐車場へ。 橋の名前は 公募
で 決めたとか。 こんな辺鄙な所に 20億円もかけて 人道専用橋としては 高さ 長
さともに 日本一の吊橋を架けても と思いますが 通行料500円を 支払っても 渡
る人が多く もう 元は 取ったとか。 きょうも 平日ですが 結構な人が・・・。
 標高777mの天空の散歩道だそうですが かなり揺れるし 風は強いし 若い
女の人は スカートでは渡らない方が いいのか? 渡る方がいいのか? 橋の中
央部は グレーチングです。 谷からの高さは173m。 橋を渡る途中 雌滝と雄滝
が見えますが 日陰で 暗く 写真にはなりません。


 バスに戻ると やまなみハイウェイをぐるぐる走り あっという間に 久住高原の
くじゅう花公園に着きました。 この辺りで くじゅうと 久住と 九重と ここのえを
適当に 使い分けるのは 苦渋の選択か? くじゅうが 香る花の村の花公園は
20万m2の広大な大地に 春から秋にかけて 様々な花が 楽しめるらしいのです
が 今の時期は ラベンダーや シバザクラや チューリップはなく コスモスには
少し 早く サルビヤしか 咲いていません。
 四季彩の丘から 後方に 九重連山が望めるのですが 生憎 雲がかかり すっ
きりとは見えません。 日本百名山の95番九重山は 九州最高峰の九重連山
の総称で 1000mを越える山が 20あるらしい。 最高峰は 中岳の1791m。
ガイドさんの説明で 2、3の山名は分かったが・・・・。


 やまなみハイウェイを戻り 三俣山の麓を走り 右に地熱発電所から立ち昇る
水蒸気を見ながら 湧蓋(わいた)山の麓の谷あいの筋湯温泉へ降りる。 宿泊
する 「ここのえ悠々亭」 では 白い2代目犬エンジェルが お出迎え。 ここで 貰っ
た名詞には 九重に ”ここのえ” と ルビが ふってある。
 温泉に入り 7時から9時まで 大広間での宴会、カラオケを終え 1日目が 終
了。 一日 バスで 連れまわされるのも 結構疲れますわ。 ここの温泉は 単純
温泉のようで 無色透明 無味無臭で 鉱物などの成分の含まれている量が少
なく 癖のない温泉らしいが 疲れを 和らげる効果もないのだろうか? 
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二日目は 6:30起床。 7:00から朝食。 今回の旅行の費用を誰が支払
ったのか知りませんが どの食事も充分すぎる豪華さで 小食の私は半分も食
べられません。 食後 ゆっくりし 8:30 出発。 泊まった悠々亭を撮りたか
ったのですが いいポイントがない・・。 地熱発電の近くを通るのですが バス
の座席が反対側だし・・・。 やまなみハイウェイに出ると 九重連山の三俣山
が見え 雲のような水蒸気が昇っていますが これは 地熱発電のものです。
 やまなみハイウェイを登り 熊本と大分の県境辺りから 南に ”阿蘇の寝釈迦”
(寝観音?)が見えるのですが きょうは 雲とモヤがあり 雲海に沈んでいます。
浮いていればいいのに・・。 広大な草原の向うに 僅かに かすんで見えました。
 さすがに たつの市の寝釈迦とは スケールが違います。


 左の根子岳が頭で 右の阿蘇山が 胸です。 更に右の烏帽子岳の足は見え
ません。 天気が良いと 根子岳のデコボコが 鼻や口に見えるらしいが・・・。
 阿蘇山(高岳1592m)も 日本百名山の一つなので 登ってみたいが・・。
 
 お歳の方が多いので 皆さんお疲れで 寝ている人も多いようで バスが
目的地に近づき ガイドさんが説明を始めるときは グッドモーニングで 始めま
す。 ガイドさんが 瀧廉太郎の ”荒城の月” を歌っている間に バスは 竹田の
岡城址公園に到着。 少し歩いて 岡城跡に登ります。 岡城跡は 東西に細長
い台地に 展開するスケールの大きいお城です。 岡城は1185年 源義経を
迎えるため 築城したと伝えられ 本丸は 1597年に完成。
 山城的殿舎(御廊)、平山城的殿舎(本丸・二の丸・三の丸)、平城的殿舎
(西の丸)で構成され これらが 一体となっていることは 近世城郭史上特異
な城である。(竹田市教育委員会)
 お城のある台地の南北は 絶壁で 天蓋の要塞です。 これだけの石垣を作る
労力を考えると ピラミッドなら半分くらい出来る? 時間がないので 全てを
見ることは とても出来ません。 我々は本丸まで行き そのまま引き返しまし
た。 見晴らしもいいので 九重連山も見えると思うのですが きょうはモヤが
濃く 展望はダメ。 瀧廉太郎は 少年時代 ここに登って 遊んだそうです。


 次の見学地は 東洋のナイアガラ ”原尻の滝” です。 原尻の滝は少し東の
緒方町にあります。 緒方川沿いに行くと 平地ののどかな田園風景の中に
突然 滝が現われます。 川の途中の段差に落ちる滝ですが 水量もあり
なかなかのものです。 幅120m、落差20mの滝で 水量が多いときは
120mの幅一杯に落ちるそうです。 ナイアガラという呼び名に相応しいか否
かは別として 日本の滝100選に選ばれただけのことはあります。 道の駅
で バスを降り 吊橋を渡り 滝の周りを一周します。 滝のすぐ上流に 遊歩道が
あり 流れ落ちる飛沫を見ることが出来ます。 


 原尻の滝を後にして 大分県の東の海岸近くまで降りると 国宝”臼杵の石
仏”です。 先に昼食を済ませ ボランティアガイドさんの案内で説明を聞きな
がら回ります。
 臼杵石仏は 平安時代から鎌倉時代にかけて 彫られたといわれ 遠く千年
の歴史・文化を伝えてくれる。 60余体の磨崖仏は 昭和27年特別史跡 そ
の後 重要文化財の指定を受け 平成6年保存修理を終え 頭部が修復され
た大日如来像が 本来の姿にかえり 臼杵磨崖仏四群59体が 平成7年国宝
に指定された。 磨崖仏では 全国初 彫刻においても 九州初の国宝。 国の
内外で 文化遺産としての高い評価を得ている。 (臼杵市商工観光課)

 昼食後 出発に時間があったので トイレでゆっくりしていたら 先に出発し
てしまい 慌てて後を追う。 四群とは ホキ石仏第一群、第二群、山王山石
仏、古園石仏の四つのグループのことで これらを歩いて廻る。 岩に彫られ
た磨崖仏なので 風雨に曝され風化しないよう 何所も屋根がつけれて や
や暗いし 国宝なので触られないよう手摺があり 近づくことも出来ないし 私
のカメラでは いい写真は撮れない。 


 石仏なので 木彫りの物と違い 細かい細工は出来ないので 特に目立っ
たものはなかったのですが 阿吽の対の仁王さんが岩に彫られているのが珍
しいが 岩から水が染み出て 像が壊れかけているのが残念。 ガイドさんの
説明で鼻の下が黒い髭を生やした石仏はどれだったのか?
 左手に弓を持ったインドの仏は やまあそさんに依ると愛染明王だそうで
インド名はラーガ(愛欲)ラージャと呼ばれる一面三目六臂で 苦難に挫折しな
い強さを象徴する獅子冠をかぶり 左右の第一の手には五鈷杵と五鈷鈴を持
ち・・・・。 お年寄りが多いので 愛のキューピットは役に立たない?

 佐用から岡山県に入った所にある大聖寺アジサイ寺が 西国愛染明王17
ヶ寺巡り 第七番だそうなので 来年 花の時期に行ってみようかしら・・。
 やまあそさんのお陰で 私も仏像について少しは関心があったので ガイド
さんとは話が弾んだ。 四天王のこと五智如来のこと馬頭観音のこと孔雀明
王ことなど・・・。 馬頭観音は 六道の畜生道に由来する?
 鎌倉山尾根にある孔雀明王は 孔雀が毒蛇を食べることから 一切の諸毒
から護ってくれる力があるそうです。 ガイドさんは店に置いてあるパンフレット
(写真集)を買って欲しかったようですが 私は特に臼杵の石仏に興味がある
わけではないので 申し訳ありません・・・・。


これで今回の旅行の行程を全て終え 後は別府駅から帰るだけですが こう
いう旅行につきもののお土産です。 時間もあるので別府駅を通り過ぎ 別府
観光港に降りて交通センターで買い物。 お金のない私は暇で時間を持て余
します。 皆さんが買い物を終え 別府駅に着きましたが ここでも待ち時間が
十分いや30分あります。 暇なので 駅前の道を真直ぐ西へ登り 別府公園
まで歩いてみました。 西に形のいい鶴見岳1375mが見えます。私としては
由布岳1584mが見たかったのですが ここからは見えない・・・。南には猿で
有名な高崎山が 夕陽を浴びて特異な形をくっきり見せています。  


 時間が来て ホームに上がり 孫のためにソニック46号を撮ろうと 人ごみ
を離れ カメラを構えていたのですが 電車は逆方向からホームに入ってきた。
 私のGPSは・・・。 正面から陽が当たり 北はあっちでしょうが・・。 写真
は撮ったが。 小倉駅で新幹線に乗り替えるが ホームに入ってきた新幹線
はN700系ではなく 青い新幹線だった。
 弁当を食べている間に新幹線は広島に着いた。 新幹線に乗ったのも観光
バスに乗ったのも何十年ぶりか? 行ったことのない所を廻ったので 久し振
りに羞恥心ではなく 好奇心が掻き立てられた? 家に帰ると 送ったワイン
(リキュール)が届いていました。


 母が ゆっくりしていきんさいと言うので もう一泊することにした。 翌日の午
後 車でドライブ。 大竹市と岩国市との境界近くの蛇喰磐いわを見て 三倉
岳に登りました。 車で。 登山口まで。 キャンプ場から いい道がありました
が 4月に 滑落事故があり 必ず登山届を出すよう 掲示されていたので 山
登りは止め! 麓から見上げる三倉岳は雪彦山に勝るとも劣らないロックク
ライミングのメッカです。 陽が西に傾いたので 岩肌が暗くなっていますが
凄い岩山です。 鋭く尖った三つの峰を持つ山容は三本槍の異名を持ってい
るそうです。 この三つの峰は東の低い方から朝日岳、中岳、夕陽岳702m
の名称で親しまれているそうです。 いつか 登ってみたい。


    ・・・・・・・・・・・ 九州の旅 おわり ・・・・・・・・・・・・
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