私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史博物館で 赤松円心・則祐展 他

2012-10-30 15:00:38 | 歴史探索
 10月30日(火)  天気:晴れ 後 うす曇り  室温:21.8℃

 10月13日から 兵庫県立 歴史博物館で 特別展 「赤松 円心・則祐(そくゆう)」 が 開かれ
ています。 播磨の歴史を学ぶ いい機会なので 見学に行ってきました。 開館プレ30周年記
念 特別展だそうです。 昨年 秋に 新宮の埋蔵文化センターで 特別展 西播磨の戦国時代
「赤松氏の興亡」 が開かれ これも 行きましたが 今回 目新しいものは あるでしょうか?
赤松氏の本拠地 上郡も 一通り 歩きましたが・・・。

 「赤松円心・則祐」 出陳総目録 をもらいましたが これには 149点 書かれています。 国宝も
何点かあるようです。 12月2日までの間に 展示替えがあるそうで・・・。
 ここも 写真禁止なので 記録できず 展示してあるものを 覚えることもできず 結局 歴史の
勉強には なりませんでした。 タイトルは 円心・則祐展より 姫路まち歩き の方が良いのか・・・。

 どーせ そんなことだろうと この周辺の建築物を見て歩きました。 ”姫路まちなか建築めぐり”
のパンフレットには 歴史博物館の建物もあり 石張りの外壁と ガラスの階段室の対比が 印象
的 とあります。  きょうは この前の姫路まちあるき の 続きのようなものです。
 下のパンフレットに ”播磨は赤松” とあるのは 足利尊氏が 一時 九州に逃れるとき 室津での
会議で 尊氏が 播磨を 円心に 任せると言ったことから きているようです。


 きょうは 車で行きます。 9:13 出発。 国道2号線で行きます。 夢前橋手前は 信号渋滞
がありましたが スムースに姫路の街中へ。 市民会館の所で 左折して 北へ行き 美術館の
手前の姫山駐車場に 9:47 停めました。 ここまで 14.1km、30分ほどでした。
駐車場は 3時間以内は 500円。 12時半までに帰らないと・・・。


 まず 道路の東にある淳新学院へ行きます。 ここに 「バンカル」 にある 戦争遺跡があるは
ず? 本の写真では 門の扉・石垣の傍に 境界柱がありますが 見つかりません・・。
 隣の淳心会本部へ。 赤い屋根の建物が 姫路の近代建築といわれる 旧陸軍第十師団・師
団長の官舎でしょうか? 雰囲気のある建築ですが 何も書いてないし 誰もいないし・・。
 建物めぐりのパンフレットには 旧陸軍第十師団の官舎として 大正末期に建設された建物で
昭和26年から 淳心学院の設立母体である カトリック淳心会日本管区本部として使われている。
内部も 暖炉や幾何学模様の装飾など 当時の様子がうかがえます。 とありますが 内部の様
子は うかがえませんでした・・・。
 隣は ザビエル館。 教会風の雰囲気のある建物ですが 中は がらんとした広い部屋で 会議
室? 左側は 聖堂? コンクリートの建物で 中には ステンドグラスがあり 教会のようですが・・。


 市立美術館へ行きます。 パンフレットによると 旧陸軍第十師団の兵器庫・被服庫として
1913年 建築。 戦後に 姫路市役所として利用されていた建物を 再利用し 1983年に
市立美術館として 開館。 登録有形文化財(文化庁) ガス燈が設置され 赤レンガのライト
アップと共に 美しい夜間景観を醸し出しています。 とあります。
 折角なので 内部も見学しました。 常設展示は 無料で 特別展も 高齢者は 無料でした。
「近代フランス絵画展」 には ロダンの彫刻もありましたが 撮影禁止・・・。
下・右の写真の彫刻は 「モントーバンの戦士」。



 前は 広い芝生を敷き詰めた 庭園になっていて あちこちに 彫刻が 展示してあります。
彫刻には それぞれ 名前が 表示してありましたが 記憶していません。 下・中の彫刻は
「エーゲ海に捧ぐ」。 庭園には 全部で 12の彫刻があるようです。
 美術館は 「姫路城十景」 の一つで 後方に 「天空の白鷺」 を望むことができます。



 美術館を後にして 北へ歩きます。 東消防署の建物も お城をイメージしているのでしょうか?
博物館のへ行く前に 北にある日本城郭研究センターへ行きます。 この辺り一帯は 木が多く
彫刻もあり 公園のようです。 奥が 城郭センターで 入口に シャチホコがあります。
 建物を見るだけなので 2階には 上がりませんでしたが 1階 右は 図書館でした。


 城郭研究センターの南が 県立歴史博物館です。 建物の正面は 何の変哲のない建築です
が 左へ廻ると 中庭の奥に ガラス張りの雰囲気のある 近代建築があります。
 建築めぐりのパンフレットには 姫路城の特別史跡内に建ち 石張りの外観とガラスの階段室
の対比が 印象的。 白鷺城を意識し 白に統一。 敷地内の一角で ガラスを眺めると 姫路城
が パズルのように 映し出されます。 博物館のパンフの写真にも ガラスに 姫路城が映ってい
ます。 下の写真には 天空の白鷺は 映っていません・・。
 博物館のパンフに 歴史博物館は 昭和55年に 文化勲章を受章した故・丹下健三氏が 基本
設計をしました。 城をイメージし 壁は 石垣を 空調用の換気口は 狭間を表わし そののびや
かな外観は 白鷺が 羽を広げた様子を表わしています。 ・・とあります。 1982年竣工。
特別展は 撮影禁止なので 常設展示を 見て回ります。 軒丸瓦(紋瓦)などが展示してあります。


 別紙の出陳目録にあるように 特別展には 多くのものが 展示してあり 宝林寺蔵の円心と
則祐の坐像が 正面にあり 目を引きます。 書物関係が 多いのですが 字は読めないし 何が
書いてあるのか・・。 「太平記」 もあったようです。 武具もあり 刀が三本・・・。
 私としては 出陳目録は 役に立たないので 要らない。 代わりに 歴史年表が欲しい。 何年に
誰が どうした ということが書かれ その時の状況が 簡単に説明してあれば 言うことなし・・。
 今回は 円心と則祐なので 赤松一族の前半部分だけです。 また いつか 後半の 嘉吉の乱
で 活躍する 赤松満祐らが 登場するのでしょうか?

パンフレットには ”南北朝 内乱を生き抜いた 知略の父子” とあり
 赤松氏は 播磨国佐用郡赤松村 (現上郡町) から 身を起こし 南北朝内乱における活躍によ
 って 播磨守護の地位を 確立しました。 播磨地域では 今日でも その存在は大きく 親しみを
 覚える方も 多いのではないでしょうか。
 この展覧会では 赤松氏の基礎を 築き上げた円心・則祐の時期を対象とし 最近の研究成果
 も 織り込みつつ 播磨の中世を代表する赤松氏の実像を ご紹介します。 知略と行動力で 動
 乱 の世を生き抜いた円心・則祐父子の足跡と 彼らをとりまいた社会や 人々の姿を お楽しみ
 くださ い・・・とあります。    ※開基中 2回展示替えがあります。
赤松円心は 初代・赤松家範ー久則ー茂則ー(家則)-則村(円心)と続く 赤松家の四代目?


 赤松家の家系は 七条家、春日部家、大河内家、有馬家 などが出てきて 難しいのですが
赤松円心の長男・範資(のりすけ)は 七条家からの養子? 範資は 元弘三年 護良親王の
令旨を受け 父・円心とともに 北条氏追討の兵を起こす。 父の死後 赤松一族の中心となる
が 1年で 病死。
 次男・貞範は 家督争いに敗れ 分家して 春日部家に・・。
三男・則祐が あとを継ぐ。 則祐は 比叡山で僧となっていたので 天台座主の護良親王と親
しい? 妻は 佐々木道誉の娘で 佐々木家は 近江源氏の出身で 六角家と京極家に分かれ
た 京極家方。 そういう関係もあり 則祐は 都・京都で 顔が広い?


 則祐は 後醍醐天皇が 打倒・鎌倉幕府を掲げ 挙兵、皇子・護良(もりよし)親王に付き従い
吉野城などを 転戦。 親王の使者として 倒幕の令旨を 父・円心に届け 円心は 播磨で挙兵
する。 則祐にも 多くの武勇伝があり 『太平記』 に記されている。 正平八年 南朝への備え
として 城山城を築く。 2代将軍・足利義詮(よしあきら)の南朝征伐に 従軍・・・・。
 赤松家の家紋は 左三つ巴ですが 二つ引両や 桐紋もあるようです。


 歴史博物館を出て シロトピア記念公園へ。 ここも 「姫路城十景」 の1ヵ所で 目の前に
天空の白鷺が望めます。 ここにも 彫刻 「風と花」 があり 風が吹いて スカートが・・。


 美術館の裏を歩いて 車に戻りました。 12:11 で 3時間以内。 駐車料金は 500円。
北へ廻り 野里の慶雲寺前の信号で 左折して 細い道を西へ行き 兵庫県立大学へ。 通
用門から入ると 係り員が 出てきましたが ”写真を撮らせて” と 了解して頂きました。
 12:33 駐車。 ここまで 2.6km。 車を停めた 前が 旧制姫路高等学校の講堂。
そうです。 ここは 姫路の近代建築で 文化庁の登録有形文化財で 姫路市の都市景観重
要建築物等に 指定されています。 講堂は 大正15年(1926) の竣工。


 講堂の前にあるのは 姫校生の像で この辺りは 姫校生の庭。 姫校関係者の戦没者を
祀った 忠魂碑もあったようです。 姫校は 昭和26年 使命を終え 講堂と本館の建物が
残され 今は 兵庫県立大学になっています。 
 古い建物は 講堂と 向かいの本館だけですが 大学の音楽堂などの建物も 撮りました。



 県立大学の南が 播州信用金庫北支店で 先日の新聞に 載っていた姫路市の第9回
都市景観賞に選ばれた建物です。 ガラス窓を基調とした 開放感のある壁面の平屋建て。
 たつの市の建物の方が すっきりしているようです。 平屋根の庇の部分が 大きすぎる
ような・・。  今度 姫路に行ったら 播信の船場支店を見てきます。
景観賞のもう一軒は 駅南大通りのWDBホールディングス本社ビルですが・・・。
 きょうは 車なので ついでに 戦争遺跡の白鷺橋と 近代建築の今井内科(旧34銀行・
姫路支店)を見に行きます。 南へ下り 県道?へ出て 左へ曲がると 白鷺橋? では
ありません・・。 白鷺橋は もう一つ南の国道の東行きです。 簡単に白鷺橋へは 行けま
せん・・。 大手前通りに出て 国道2号線西行きに廻り そのまま帰ることにしました。


 国道2号線は 工事が終わり 片側2車線になり 走りやすくなりました。 13:16 着。
本日の走行距離は 往路:14.1km 播信まで:2.6km 復路:16.6kmで 計:
33.3kmでした。
 姫路の近代建築は 姫路電話局(姫路モノリス)、市立美術館(旧陸軍兵器庫)、県立
大学(旧姫路高等学校・講堂)、淳心会本部(旧陸軍官舎)へ行きましたが あと 今井
内科(旧34銀行)、勝原薬局、京見会館、浅田化学工業倉庫 などがあります。
 ”姫路まちなか建築めぐり” も 何カ所か残っています・・・。


≪追 記≫ 11月5日 姫路に行った帰りに 国道2号線を戻り 下寺町の交差点から 保健セン
ターの建物を撮りました。 もう少し 前に進み 建物を正面から撮りたいのですが 一方通行で
行くことができません。 中央保健センタービルは 姫路建築めぐりのパンフにある建物です。
 保健、医療、福祉の総合施設で 自然石を打ち込んだPC板の外壁と 正面入口にある 高さ
35mの半屋外空間と 透明な三角錐が 印象的  とあります。 設計は 若尾文子の元夫・故
黒川紀章で 1994年の竣工。


 きょうまで 大手前公園で 第25回 全国陶器市 が開かれているので 寄りたかったのです
が 雨が降っているし 車の停め場所にも困るし 断念しました。
 姫路駅の南へ出て 駅南大路へ行くと 都市景観賞の「WDBホールディングス本社ビル」 が
あります。 ここは 都市景観形成地区内? 側面の白壁に小さい窓を設けるなどした デザイ
ンが 隣接する建物や歩道の街路樹とも 調和している? 内部を撮ろうとしたら 受付のお姉
さんが来て 許可が要ります・・。 内部を撮ることは できませんでした・・。


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官兵衛ゆかりの地巡り・青山篇

2012-10-29 12:08:51 | 歴史探索
 10月29日(月)  天気:晴れ うす曇り  室温:22.4℃

 きょうは 青山にある 黒田官兵衛ゆかりの地 「青山古戦場跡」 を 訪れました。
この前入手したパンフレット ”黒田官兵衛ゆかりの地を巡る” には 姫路城、広峯神社、御着城跡など
11ヵ所あります。 その中で まだ訪れていないのは 青山古戦場跡 だけです。 近いので 早速
行ってきました。 青山古戦場跡は 高田の赤松塚と 同様 石碑があるだけです。
 パンフには このほか 志方城跡、上月城跡、三木城跡、有岡城跡、篠の丸城跡 が書かれれてい
ますが 志方城跡、三木城跡には 行ったことがないので またいつか・・・。 有岡城跡は 福知山
線の伊丹駅の前にあるのは 分かっているのですが 有岡城だけ見るのに わざわざ 伊丹まで行く
のも・・・。
 10:29 出発。 国道2号線に出て 太子町から姫路市に入り 坂を下った青山西5丁目の信号
で 左折して 青山ゴルフクラブの方へ入ります。 ゴルフ場のフェンスに突き当りますが 石碑は ど
こにあるのか・・。 どこか分からず 一つ手前で 曲がってしまった・・・。 住宅街には 停められ
ず ボーリング場の広い駐車場に 停めました。


 10:43 駐車。 ここまで 7km。 場所が分からないので とりあえず 駐車場から ゴルフ
場に上がりました。 ここは フェンスがなく 簡単に ゴルフ場のカート道に上がれます。  ここは
10番ホール・池越えのコースです。 見ていると 若い男性三人が ティーショット。 が 三人
とも フェアウェーには乗らず・・。 三人目は 池の水面に水しぶきが・・。 下の写真は 順序が
逆で ティーショットをして カートで移動して 池を越えて フェアーウェイに行く・・・・・。
 そうそう きょうは ゴルフを見に来たんじゃない・・。 石碑を探さなきゃ・・。


 千石池に沿って カート道を東へ歩きますが 石碑は見当たりません。 フェンス際にあるはず
ですが・・。 引き返すとき 木陰に何か・・。 フェンスを越えて 住宅側に降りると 藤の木に
隠れて 石碑が立っていました。 小枝を整理して 写真を撮りました。 正面には 史跡 黒田官
兵衛 古戦場跡 とあり 側面には ”ここは 戦国の世 元禄12年8月 姫路城主 黒田職隆の姫路軍と
龍野城主 赤松政秀の龍野軍が 戦い 黒田職隆の嫡男 黒田官兵衛が 龍野軍を敗り 初陣を飾った 古戦
場である。” 後ろには 昭和57年3月10日 建之 青山史跡保存協会と。


 横に 姫路市教育委員会の説明板がありますが これは 詳しすぎて やや分かり難い。
織田信長とありますが 実際は 羽柴秀吉ではないかと・・。 置塩城の赤松義祐と 御着城
の小寺政職を 挟撃する作戦・・・。 逆に 義祐が勝利し (小寺)官兵衛が 初陣を飾った。
ということは 官兵衛は 織田信長(羽柴秀吉)側の赤松政秀と 戦い 勝利した・・。
 官兵衛は 秀吉とは戦わず 姫路城を譲ったはずでは・・・。
 政秀は 赤松家の惣領の流れを汲む 政則の孫。
 義祐は 政則のときの 七条家からの養子・義村の孫です。 政則が置塩城を造った?
同じ赤松家で 政則の血を引く 政秀と義祐が戦うとは・・。 嘉吉の乱の時もそうですが・・。

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イーグレひめじで 学童美術展 他

2012-10-26 21:18:01 | 日記
 10月26日(金)  天気:晴れ   室温:23.6℃

 きょうは 姫路の街を 2時間ほど 歩いてきました。 電車で 姫路駅へ行き 御幸通りを歩いて・・・。
御幸通りで 何か見る筈だったのですが・・。 何を見るのだったか どこにあるのだったか・・・。
ええっ・・ 大手前通りのヤマトヤシキ南のギャラリーで・・ だった?
 姫路の近代建築・旧姫路電話局(NTT姫路)を見るため 総社本町へ。 探せど NTT姫路の
建物は 見つかりません。 今は 姫路モノリスになって・・。 イーグレひめじへ行き 新聞にあった
姫路市学童美術展を見ます。 好古学園大学校 陶芸作品展も していると思ったのですが 27日
から・・。 代わりに 能面展を見て 姫路城へ。 本日のメイン ”菊花展” ですが 思ったより 少
なく これ というものもなく・・・。 帰りに 姫路駅の観光案内所に寄り パンフレットを入手。
 黒田官兵衛を 大河ドラマに誘致するため 姫路から天下に翔けた男 智謀の将 ”黒田官兵衛”
ゆかりの地を巡る が 出ていました。 これは 歴史のいい勉強になります。 パンフレットにある
黒田官兵衛の歴史は 10月11日の ”大河 「軍師・官兵衛」 に” に 抜粋を 書き加えました。


 10:33 の電車で姫路へ行き 御幸通りへ。 市民会館の前を東へ歩き・・。 大きな鉄塔のあ
るNTT別館がありますが 近代建築らしくない。 北へ廻ると 兵主神社があります。 境内に入る
と 可愛い女の子が 七五三のお参りに 来ていました。 播磨国総社 射楯兵主(いたてひょうす)
神社は 播磨総鎮守 姫路城鎮護の神社として 播磨一円の人々は もとより 歴代城主にも 篤
い尊崇を仰いできました。 当神社は 播磨国風土記にも 登場する歴史ある神社です。
 射楯大神は 「五十猛尊」 と 称し 素戔嗚尊の御子神であられ・・・。


 西へ廻り NTTの前に戻り 建物を撮りました。 後で 駅の観光案内所で聞くと これが ”姫路
まちなか建築めぐり” のパンフレットにある歴史的な建物で 今は 姫路モノリス。 旧逓信省の施
設として 建築され 長く電電公社・NTTの電話番号案内業務に 使われていましたが 現在は ウ
エディング施設として 再生されました。 この時代の庁舎らしい重厚感のある建物で 姫路都市景
観重要建築物。 上浪 朗の設計、1930年 竣工。 特徴のない あまり 面白くない建物です。
 ”姫路まちなか建築めぐり” には 文学館、扇観亭、駅史博物館、美術館、淳心会本部、中央保
健センター、姫路モノリス、今井内科、ヤマトヤシキ、アルモニー・アッシュ、高尾アパート の11ヵ
所があります。 市立美術館は ありますが 県立大学や 旧陸軍師団長官舎はありません? 淳心
会本部なのでしょうか? 高尾アパートのような 最近(昭和41年)の建物もあります。


 「イーグレひめじ」 へ行きます。 この建物は ガラス張りで いいデザインの建物です。
外壁が 緩やかに 傾斜しているのは お城の石垣を イメージしますが・・・。
 地下へ降りる階段に ”姫路城十景” の写真展示があります。 10ヵ所 全部 行きましたが
増位山で なぜ ここが 十景?と 思いましたが パネル写真を見ると 姫路城の後方に 夕焼
けで 真っ赤な男鹿島が・・。 超望遠で撮れば 景色になるのか・・・。
 学童美術展の入口に ポスターがありますが 何んとも冴えないポスターです。 学童から
ポスターを募集した方が いいのでは・・。



   絵画の部  講評  審査員 福本 謹子
 図画工作の絵に表わす児童の成果は 全国レベルの教育美術展、都道府県レベルの造形
教育研究大会、あるいは 民間の絵画展などで 発表されることが多いですが そこに いつしか
児童絵画のランク付けに合わせた 作品の優劣による選別が 入り込むことがあると聞きます。
 たとえ そういった事態があることが 一部では 事実であるとしても 姫路の学童美術展に
関して その作品の質をみる限り 図画工作の指導に 先生方の学習指導要領の理解に基づ
く 確かな造形学習が 反映されており 展覧会に応じた選別があるようには 思いません。
・・・・(中略)・・・・ 現場の先生方の熱意と努力を肌で 感じることができました。
     ・・・・・(後略)・・・・・



 ついでに 「能面展」 を見学。 貰った資料 ”ご挨拶” には 本日は 私たち姫白会有志の
能面展にお越し頂き 誠に有難う御座います。 姫白会としては 平成22年10月に 節目と
なる15回記念 能面展を 開催させて頂きましたが 今般 有志が集い 2年振りに 新作約
50点を展示させて頂きました。 能面は 一般的に 二百数十種有ると言われていますが
神の面と考えられる翁面をはじめ 尉面、鬼神面、怨霊面、男面、女面と 特殊面に分類され
ます。 今回は 未熟ながらも 会員が精魂込めた作品の中から 狂言面を含め 分類別の
片寄りや同名能面の重複等に 留意して 展示させて頂きました。・・・・




 姫路城の三の丸広場で行われている 第61回 「菊花展」を見に行きます。 よしずで囲まれ
たスペースに並べられていますが 見たことないような 変わった花はありません。 どの花も
同じ花に見え・・・。 小菊の懸崖仕立てもありましたが 小菊は まだ咲いていません。 岩と
組み合わせた盆栽風のものもありました。







 菊花展を一通り見て 帰路につきます。 菊花展を見ていると すごく暑かったので 鯛焼き
屋へ寄るのは 止めました。 駅の入口に観光案内があったので 寄り きれいなお姉さんに
NTTビルを尋ね ”姫路まちなか建築めぐり” のパンフレットをもらい 親切に説明して頂きま
した。 今は 姫路モノリスです。 写真を撮っておいて 良かった・・。
 ホームで 駅うどん(440円)を 食べたのですが 12:56 の電車が入ってきて 半分しか
食べられませんでした。 きょうは 久し振りに歩いたので すっかり疲れました・・・。
またいつか 姫路まちなか建築めぐり の残りを 歩かないと・・・。

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古民家ギャラリーで 岸本耕平個展 「バラック展」

2012-10-25 15:04:30 | 日記
 10月25日(木)  天気:晴れ   室温:23.1℃

 きょうは 暇だったので 久し振りに 散髪に行き 帰ってから ゆっくり新聞を見ていると 28日
まで 高田の古民家ギャラリーWEARCHで 富山市で活動する 加古川市出身の若手作家の
ガラス工芸約100点の個展があると・・・。 早速 行ってきました。 20日(土) から 開かれていた
ようです。 このところ 歴史教室、盆栽展、秋祭り、ドレスデン展、峯相記特別展 と続き 目の回
る忙しさ。 ゆっくり 昼寝もできません・・。 ベゴニア展、姫路城菊花展には 行けないかも・・・。



岸本耕平バラック展の案内書には
 いきなり目の中に飛び込んできた【赤い窓】。 枯れた渋い色合いのガラスに 際立つ【赤】。
 彼の作品を最初に見た時の 強烈な印象。 みずみずしい赤は ガラスならではの透明感を持って
 情熱的に語り掛けてくる。
 【BARRACKS(バラック)】 の言葉は ガラスアーティストとしての 彼の想いすべて。
 日々生活を営み 空間・時間と共に 人は 経験を積み上げ 集積された記憶の上に 生きる喜びと
 勇気が生まれる。 人生の 「痕跡」 に 開かれた【赤い窓】。 それは 内面に宿る情熱。
 情熱が導く 未来への扉 過去から未来へと 育まれる命の連鎖。
 制作する事が ’生きる’こと。 若きアーティストのスピリッツに ’生’へのみずみずしい未来が
 触発されます。 地元 加古川出身の岸本耕平さん。
 活躍 目覚ましいフレッシュな作品を ぜひ 楽しみに ご覧ください。 ・・・・・とあります。







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たつの埋蔵文化財センターで 峯相記の考古学

2012-10-24 12:06:34 | 歴史探索
 10月24日(水)  天気:晴れ   室温:21.1℃

 きょうは 新宮にある たつの市立埋蔵文化センターへ行き 特別展 「峯相記の考古学」ー西播
磨の中世を探るー(主催:たつの市教育委員会) を 見てきました。
 が あまり広くない展示室で 瓦の破片など 古い神社やお寺に関するものが 展示してあり
『峯相記』に 書かれている内容は あまり 分からず 思ったより 勉強になりませんでした。
 特別展示室を出るとき 撮影禁止の表示があり・・。 去年の 「赤松氏の興亡」展のときは 撮影
禁止ではなかったし 展示室には 私ひとりだったので まったく 気にしていませんでした・・。
 すみません、ごめんなさい、申し訳ありません、許してください・・・。 これくらい謝ると 許していた
だけるでしょうか?


 9:07 出発。 太子、たつのを通り 新宮に入り 踏切を越え 少し先で 左折すると しんぐう
総合センターです。 埋蔵文化センターは 総合センターの中にあります。 後方に見える山は
大寺山ですが 大寺山は 左のピークかも・・。 西には 鳳が棲んでいたと言われる大鳥山が
そびえています。 9:41 手前の広い駐車場に 車を停めました。 ここまで 16.1km。


パンフレットには
 14世紀に成立したとされる 『峯相記』 は 中世播磨を知るための一級資料です。 その記述は
 中世播磨の社会や様子を 生き生きと 描き出し 特に 寺社や悪党などを 詳しく語っていて
 『播磨国風土記』 に続く 播磨の地誌として 全国的にも有名です。
 本特別展では 考古資料とともに 絵図や写真パネル等を用いながら 西播磨地域に 数多く
 点在する 『峯相記』 ゆかりの地を紹介します。 また 『峯相記』 の舞台である幻の寺 「鶏足寺」
 の復原図を作成し 初公開します。
 なお 『峯相記』 は 2012年 国の重要文化財に指定されました。 本展を ご覧いただき 『峯相
 記』 に 語られる中世播磨の世界を 旅していただければ 幸いです。・・・・とあります。



ただ 展示を見るだけでは 中世播磨の社会や様子を 感じることはできず 中世播磨の世界を
旅することが できるような 地図もないし・・。 せめて 紹介してあるゆかりの 神社、お寺を示す
地図がほしい・・。  『峯相記』 関連年表をいただきましたが この年表は 『峯相記』 の抜粋な
のでしょうか?
 入口に展示しある 皇租神社の狛犬は 室町時代 明徳元年(1390) のもので 瓦大工・橘氏
が造った陶製(瓦製) の狛犬としては 最も古いもので 県の文化財。 備前焼の狛犬は 見たこ
とがありますが・・・。


 貰った資料 『峯相記』 関連年表は 神栄赳郷著の 『峯相記の研究』 を 縦書き→横書きに
したものだそうですが 『峯相記』 の内容は 網羅されているのでしょうか?
下記は その一部です。

 時代    天皇   年号   西暦      記述事項
上古時代  仲哀     9   200   神功皇后 三韓の異国を攻め給ひし時
                                 新羅国の質子王子を取り帰り給へり。
飛鳥時代  欽明    25   564   伊和恒郷 神託により 伊和大明神を祀る。
        敏達    10   581   質子王子 峰相山に 鶏足寺を創建。
奈良時代  孝徳   大化元  645   法道仙人 紫雲に乗り 法華山に飛来。 
              大化5  649   法道仙人 一乗寺金堂造立。
        天正   霊亀2  716   吉備真吉備 入唐。
        聖武   神亀   724?  矢田部村に武吉丸と云う者有り、出家して徳道上人という。  
        聖武   神亀5  728   蓬莱山普光寺 造立。
平安時代  仁明  嘉祥年中  850  増位山随願寺 講堂等 造立。
        村上   康保3   966  性空 書写山に草庵を営む。円教寺建立。
        一条   正暦2   991  慶芳内供 夢のお告げにより 妙徳山神積寺を建立。
                          寂心 八徳山八葉寺を造立。
       後一条   治安2  1022  安倍晴明 芦屋道満の術を見破る。
鎌倉時代  後伏見  正安元  1299  この頃より 悪党の横行始まる。
南北朝    後醍醐  延元2   1337  金華山法雲寺 京より雪村友梅を招き 開山とす。
                                    赤松円心 落慶供養に参列。
        後村上  正平3  1348  「峯相記」原文冒頭に 十月十八日
                                  播州峰相山鶏足寺に参詣すとあり。


・黒田官兵衛が 鶏足寺を焼き討ちしたとは・・。
・当時から 「播磨六山」 が あったのか 一乗寺、円教寺、八葉寺、随願寺、神積寺に関する記述
 は 多いようですが 関連年表には 清水寺に関するものが ない?
・斑鳩寺に関する展示は ありましたが 関連年表には ない・・。
・1299年の項に この頃より 悪党の横行始まるとありますが 悪党とは?
 1324年 この頃から 悪党の勢力 いよいよ 強まる。
・陰陽師の安倍晴明*芦屋道満に関する記述があるのが 面白い。
・加西市の酒見寺(酒見大明神)に 関する記述が多いようですが なぜ・・・。
・・・・埋蔵文化センターへ問い合わせると 「兵庫県誌」 見てくださいと・・。



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 先日の新聞に 姫路市の都市景観賞に 播州信用金庫の北支店などが 決まった とありまし
たが たつのを通るとき いつも見る 富永の国道沿いの 播州信用金庫も ガラス窓を基調と
した 開放感のある壁面を備えた 平屋建てなのです。 同じ構造?

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