きのうの新聞に ”小野市浄谷町のひまわりの丘公園で ヒマワリが 見ごろを迎えた” と あった
ので 暇なので きょう さっそく 行ってきました。 3.4㌶の畑に 50万本の大輪が 咲き広がり・・・。
前から 一度行きたいと 思っていた 国宝・極楽山浄土寺が 近くにあるので ついでに?行きま
す。 また 近くにある ”アルプスの少女” 広渡(こうど)廃寺にも ついでに 寄りました。
9:05 出発。 姫路バイバスから 9:27 花田ICを通り 姫路東ICから 山陽道に入ります。
姫路バイパスは 土曜日も 車が多く 3車線とも 車がつながり 車線変更に難儀します。 9:46
三木小野ICを降ります。 花田~小野間は 34.3km、550円。 国道175号線に降りて 北へ
7.4km行くと 国道右に ひまわりの丘公園があります。 9:56 駐車。 駐車は 無料。
すでに 多くの車が停められています。 ここまで 63km。
道路の向かい側が ヒマワリ畑です。 広い畑 一面に ヒマワリが咲いていますが 撮影場所
がない・・・。 ひまわりの丘公園を廻って 10:28 車に戻り 浄土寺に行きます。
ひまわりの丘公園の南東 1km足らずのところに 浄土寺がありますが まっすぐ行くことがで
きないので ジグザグに曲がり 公園から1.6km 10:34 浄土寺に着きました。
今 国立奈良博物館で 特別展 「頼朝と重源」 が 行われているそうですが 極楽山浄土寺は
重源(ちょうげん)の創建です。 重源上人は 平重衡の南部焼き討ちで 打撃を受けた東大寺
南大門を 復興したことで 有名で 頼朝は 経済面で 重源を支えた・・。
浄土寺の前身は 西2kmのところにあった 広渡寺だそうです。 広渡寺は 奈良時代の中期
行基菩薩の創建ですが 兵火で荒廃・・ 後白河法皇の要請をうけ 重源が復興したのが 浄土
寺と呼ばれるようになった・・。
≪追記≫ 8月7日の新聞に 『頼朝と重源』に関する記事があったので 追記します。
会場に入ると 後白河法皇坐像(京都・長講堂蔵)と 源頼朝像(京都・神護寺蔵)が向かい合う
ようにある。 二人の中間には 釈迦の遺骨である舎利を納めた浄土寺の三角五輪塔。 そして
それを見つめる重源上人坐像が やはり 浄土寺蔵の阿弥陀如来立像を背にして鎮座する・・・。
新聞の写真では 浄土堂にあった阿弥陀如来像では ないようです。 浄土寺の薬師堂にある像
(広渡寺から移したもの?)でしょうか?
高野山真言宗の浄土寺は 建久年間に建てられ 尾根の先端にあり 西が開け 夕方になると
美しい夕陽が望め 仏の住む西方浄土が 実感できるところにあります。 塔中寺院が 多くあった
が 今は 歓喜院(南寺)と 宝持院(北寺)の二院があるだけです。 かっては 播磨高野として・・・。
≪注≫塔中(たっちゅう)は 塔頭と同じく 寺院の敷地内にある小寺院、別坊、脇寺のこと。
南の階段から 境内に上がりました。 左に 国宝・浄土堂があります。 浄土堂は 東大寺南大門
と並び 大仏様(天竺様)建築を 代表する大切な建物で 桁行三間、梁間三間、屋根宝形造、本
瓦葺の堂々とした建物です。 鎌倉時代のはじめ 建立され 昭和32年まで 約770年の風雪に
耐え 一度も解体されずに持ちこたえたそうです。 背面の透かし蔀戸(しとみど)から 西陽が 差
し込み 阿弥陀三尊を浮かび上がらせる・・・。 柱にエンタシスをもっていることなど・・・純粋な
天竺様の建築様式は・・・。 昭和32年 解体修理。 創建当初の美しい姿に 復元されました。
拝観料500円を支払い 浄土堂に安置されている阿弥陀三尊を見せていただきました。 浄土
堂内部は 撮影禁止!
堂の内部は 天井を張らずに 朱の化粧屋根裏を 高いところまで見せ 貫を多用し 梁などの
構造材を そのまま見せるダイナミックな構造です。
阿弥陀如来立像は 高さ5.3m、観音・勢至 両菩薩立像は 3.7mあり 見上げるような大きさ
です。 鎌倉初期の名仏師・快慶の作で いづれも 雲形の台座に立ち 朱色の屋根裏いっぱいま
での重量感で 西陽に浮かび上がる 来迎のお姿は 重源上人や 仏師・快慶をして 阿弥陀信仰の
篤さを 物語っているかのようです・・・。 鎌倉初期の写実風が かなり濃厚にあらわれ 雄渾な気
魄に 満ちています。 写真禁止は 残念ですが・・・。
鐘楼堂は 寛永9年(1632)の建立で 江戸時代初期の数少ない遺例として 貴重なもので
袴腰付で 和様を基調とした 唐様混合の形式です。
境内には 宝篋印塔や 石棺蓋、板碑もあります。 板碑は 古墳時代の石棺を用いたもので
右のものは 地蔵が、真ん中のものは 阿弥陀三尊が 死者を迎えに来る「来迎」の姿が、左の
ものには 曼陀羅が 刻まれています。
八幡神社が 浄土寺伽藍の正面・中央に位置しているのは 重源が 八幡信仰を重視したため
と考えられる。 拝殿は 嘉禎元年(1235) に建てられ 現在の拝殿は その遺構と思われる。
緩やかな屋根の勾配、繊細な繁垂木、木鼻、蛙股などの意匠から 室町時代に多い 和・唐・天竺
様の折衷形式の原型ともいえる。 本殿は 室町時代中期の代表的な 入母屋、桧皮葺、三間社
流造りで 本殿、拝殿は 国の重要文化財です。
不動堂の裏山には 四国八十八カ所めぐりの一周1.5kmのハイキングコースがあります。
本堂(薬師堂)は 建久8年(1197) に 上棟されたと伝えられ 明和7年に焼失、永正14年
(1517) に再建。 和・唐・天竺様の折衷形式。 荒廃したままになっていた広渡寺の本尊で
あった薬師如来像を 薬師堂に移し 本尊として 安置したと記され その関係が 注目される。
境内を 適当に歩いたので 写真の順序がバラバラですが 上の境内案内図にあるように 浄土
堂から 時計回りに廻り 鐘楼堂、八幡神社、不動堂、本堂(薬師堂)、開山堂、経堂、文殊堂を
見ながら 一周しました。 浄土堂と阿弥陀三尊が 国宝で 本堂(薬師堂)は 国重要文化財です。
浄土堂と鐘楼堂の間から 北の階段を降りて 塔中・宝持院を見て 11:18 車に戻りました。
西へ戻り 国道を北へ行き 公園の信号を西へ進むと 広渡廃寺跡のある歴史公園です。
浄土寺から 2.6km、11:27 駐車。 ガイダンスホールを見学して 廃寺跡へ上がります。
以前 「歴史教室」で 学んだ古代寺院には 載っていませんが 播磨国分寺のように 境内は
広いです。 100m四方の広さがあるでしょうか。 広渡廃寺跡は 国史跡です。
広渡寺は 7世紀末頃に建立されましたが 平安時代末には 途絶えてしまいました。 伝承
によれば 本尊の薬師如来は 浄土寺の薬師堂に 移されたそうです。 発掘調査により 建
物の基礎となる基檀から 建物の配置が分かります。 金堂の前に 東塔、西塔、後ろに 講堂
を置くことから 奈良の薬師寺と同じ 薬師寺式伽藍と呼ばれる。
各基檀には 平たい丸石を積んだ 乱石積みと呼ばれる 基檀化粧がなされています。 西塔跡
は 一辺10mの方形基檀で 中央に 塔心礎が残っています。 東塔、西塔とも 三重塔だった
と推測されます。 西塔の横に 立派な伽藍模型(1/20)があります。 ちょっと寄っただけで
すが なかなか見るべきものがありました。 また 浄土寺とのつながりもあり・・。
11:50 車に戻り 帰路につきます。 国道175線に戻り 南へ下り 廃寺跡から 8.7km
12:08 三木ICから 山陽道に入ります。 姫路東ICで 播但道へ。12:25 花田ICを通り 姫
路バイパスへ。 13:26 帰着。 どこかで お昼ご飯を食べたかったのですが 権現湖SAは
混んでいそうだし・・・。
本日の走行距離は 往路:ひまわりの丘公園まで 63km、浄土寺まで 1.6km、広渡廃寺まで
2.6km、復路:59.3kmで 計:126.5kmでした。
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