私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

本能寺の変

2014-01-31 13:48:17 | 歴史探索
 1月31日(金)  天気:晴れ   室温:17.2℃

 きょうは 1月22日(水) 放送された NHK ”歴史ドリームチーム 異分野の専門家が挑む ミステリー
本能寺の変” ~料理・恋愛・犯罪心理学から~ 仰天推理、驚きの結論とは?  を アップします。
 天正十年(1582) 明智光秀は 本能寺にいた 織田信長を襲い 暗殺します。 これが 本能寺の変で
なぜ 光秀が 信長を 暗殺したのかは 陰謀説、黒幕説、謀叛説など 諸説あり 現在でも 謎で ある歴史
学者は タイムマシンで 過去の時代へ行けるなら この時代へ行って 真相が 知りたいと言っています。
 この番組では 料理家と 漫画家と 犯罪心理学者が それぞれの専門分野から なぜ 光秀が 主君・信
長を討ったのかを 推理します。 本能寺の変の2週間前 信長は 家康を 安土城に招き 盛大な宴を催
すため その接待役を 光秀に任せるのですが なにか 重大なミスのため 信長は 光秀を 足蹴にするの
です。
 7月に放送された ”軍師・官兵衛” では 三河出身で 濃い味好きの家康に 味の薄い味噌汁を出した
ため 信長が 光秀にお椀を投げつけました・・・。


 料理研究家は 宮内庁に残された資料から 宴に出された料理を再現します。 材料を運ぶ 交通網のなかった
当時としては 驚くほどの食材の料理が 並びます。 ナマコに 山芋を詰めて 味噌で煮込む・・・。 家康も 信長も
尾張、三河の出身で 味噌の産地で 味の濃いものが 好き。 だが 信長は 新しいもの、変わったものが 好きで
新しい感覚のものが 欲しかった? この程度のミス?で 足蹴にするでしょうか。


 恋愛漫画が 得意の漫画家は 光秀は 信長に 恋愛・憧れ感情を 持っていたのに 信長は 家康に気が向いて
いる・・。 この恋愛関係のもつれから 嫉妬した・・。 当時 家康は 東の武田軍を押さえ 信長の天下統一に
大きく貢献していた・・。 この説も 面白くない・・。



 犯罪心理学者は 光秀が 「過剰適応」 の心理状態だったと言います。 取るに足らない存在だった光秀を
家臣として 取り立ててくれた信長を 慕っていたが 足蹴にされた・・。 その後 中国攻めの秀吉を 応援する
よう命令され 亀山城を出発するのですが 老ノ坂峠まで来たとき もう一度 信長と会って 気持ちを確認し
たい・・。 秀吉の応援のため 18時に出発した光秀は 老ノ坂の分岐まで 来たとき 左の京都へ向かう・・。



 普通に歩けば 夜中の12時には 本能寺に着く・・。 光秀が 信長を討ったのは 夜が明ける5時ころ・・。
この間 何をしていたのか。 心理学者は 光秀は 信長と二人だけで 話をしていた・・。 信長の本音を聞き
カッとなって 突発的に 殺害した というのが 心理学者の推理です。 かなり 信憑性が 高い。
 別の説で 寝込みを襲われた信長が 襲ってきたのが 光秀と聞き 光秀かぁ・・と言ったという話もあるので
これが 真実かどうかは・・・。


 陰謀説、黒幕説など 諸説あるなかで 信長の死後 黒幕と目される足利義昭などが 表舞台に 出てくることも
なく 下級家臣だった光秀が 天下を取ろうとした とも思えず この推理は 有力であると思えるのですが・・。
さらに 信長暗殺後 中国大返しの秀吉に 山崎で 討たれるのは・・。 信長暗殺後のことを 何も考えていない。


 信長の死後 つぎは ”清州会議” です。 信長の後継者を 決める会議で 秀吉が 柴田勝家と 対決しますが・・。
1月30日(木) 8時から 「英雄たちの選択」 で 清州会議が 放送され 秀吉の交渉力、会議術 が・・・。
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岩田健三郎 版画展

2014-01-30 13:36:38 | ギャラリー散策
 1月30日(木)  天気:雨のち曇り   室温:15.2℃

 きょうは 見野の郷交流館へ ”岩田健三郎 版画展 ~官兵衛さんゆかりの地巡り~” を 見に行きました。
歯の調子が悪いので 歯医者へと 行ったのですが お休みでした。 年は取りたくない・・・。 きょうは 30日な
ので スーパーは 5%オフ。 ついでに 買い物と思っていたのですが こうなれば 敗者復活戦へ。
というわけで 見野の郷まで ドライブしました。
 いつぞやの新聞に 日常からみた姫路城を テーマに 地元市民に 取材するなどして 制作した 最近の作品を
展示した。 岩田さんは 「姫路で生まれ育った人が 姫路城を どう見ているか 市民目線の作品づくりを 心がけ
た」 と話す。 司馬遼太郎の文献を参考に 広峰山など 黒田官兵衛ゆかりの地を 巡った作品も並ぶ・・・と。

 10:20 出発。 歯医者へ寄って 姫路バイハスへ。 バイパスを 姫路東ランプで 降りて 国道312号線を北
へ行き 見野の信号で 左折して 500mほど進むと 左側が 見野の郷 交流館です。 10:48駐車。 ここまで
18.4kmでした。 雨は 小降りになりました。


 以前 岩田さんは ここで 展示会をされていたと思いますが 入口や 2階への階段のところにも 版画が展示
してありますが 岩田さんと ここの交流館には なにか 特別な関係があるのでしょうか?  ガラスケースには
愛子さんの陶芸作品が 展示されているし・・。








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東京国際キルトフェスティバル

2014-01-29 15:19:58 | 日記
 1月29日(水)  天気:晴れ   室温:14.9℃

 1月25日(土)14:30~15:15 NHK BSプレアムで 「東京国際キルトフェスティバル」 が 放送されました。
残念ながら 気付くのが遅く チャンネルを変えたのが 3時で 後半の15分間しか 見ることができませんでし
た・・。 番組では 中山エミリが 司会で キャシー中島が ゲストでした。 番組から 採ることのできた作品を
ご覧ください。 キルトも いろんな模様があって 見るのは 楽しい・・。



 1月23日~29日 東京ドームにて「第13回東京国際キルトフェスティバル -布と針と糸の祭典-」 が
 開催されたそうです。 このフェスティバルは 今回で 13回目を迎え、来場者が 毎回20万人を超えるという
 日本最大のキルト展で 第一線で 活躍する日本のキルト作家60人が、今回のイベントのために制作した
 キルトを 一堂に 展示するほか キャシー中島など 5人のキルト作家が 「心に残る記念日」 をテーマに
 思い思いの作品を 出展する。
 その他、コンテスト 「日本キルト大賞」の実施や ステージイベントなども 開催されるそうです。



キルトとは
 手芸の技法のひとつである。 複数の布を 繋ぎ合わせて 一枚の布にした パッチワークキルト が 日本では
 アートとして 主流。 他には 土台となる布の上に モチーフを 縫い付けていく アップリケキルト などがある。
 パッチ(Patch)とは 「つぎはぎ用の布片」 のことで、ワーク(Work=作業)が 加わると 「様々な布を縫い
 合わせること」 を意味します。 キルト(Quilt)は 「表布と裏布の間に 芯をはさみ この三層を 運針で縫い
 合わせることです。
 キルティング(quilting) とは 2枚の布生地の中に 挟まれた綿(ワタ)等を ずれないように 布生地の上から
 縫い合わすことを言います。 縫い合わせた布生地を キルト とも言います。




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姫路市美術展

2014-01-28 14:03:15 | ギャラリー散策
 1月28日(火)  天気:晴れ、薄曇り   室温:13.4℃

 きょうは 姫路を歩いてきましたが 最悪でした。 本日のメインは ”姫路市美術展” ですが 美術展へ行くと
なんと 写真禁止でした。 昨年 あちこちの美術展に 行きましたが 赤穂、相生、上郡、たつの、加西、西脇・・・
どこの美術展も 写真OKだったのに 姫路市だけ 写真不可は 納得できません。 係りの女性に 文句を言っても
始まりませんが・・・。 美術館で 行うからでしょうか?
 イーグレひめじの市民ギャラリーへ行っても なにもやっていないし ヤマトヤシキのギャラリーも 中井三成堂画
廊も 何もやっていません。 山陽百貨店の美術画廊は 先週と同じ ”杉田祥平 茶陶展” だし・・・。


 9:59の電車で 姫路へ行き 大手前通りを歩いて 姫路城へ。 三の丸広場から 喜斎門跡を通って 美術館へ。
東から見ると 天空の白鷺は 上の方から羽を 剥がされているように 見えました。


 美術展が 写真禁止なので 屋外のブロンズ像でも 撮らないと・・・。 




 美術館の美術展は 無料。 よその美術展より 展示作品が 少ないように 思いますが・・・。 不幸中の幸い?
だったのは 相生市展で 市長賞だった あのアンドレイの絵が あったこと。 なにも 賞は ありませんが・・。
 アンドレイの今回の作品・洋画は 10号くらいの大きさの花を描いたものを 9枚まとめて 枠にはめ 1枚の
絵 「時の標本」 にしています。 日本語は あまり出来ないと思いましたが 題名は どうするのでしょう?
目録を見ると アンドレイは デザインの部で 「CROSS」 が 商工会会頭賞 ですが 見なかった・・。
 日本画で 市長賞の太子町の石原和代さんは 昨年 イーグレひめじで 個展をしてた?  やはり 昨年の
6月19日 好古園の剪画展を見て イーグレひめじへ行き 石原さんの個展を 見ていました。



 イーグレひめじへ行きましたが 何もなし。 カフェ・ゆうゆうゆうで ひと休み。
地下に 「文化情報 姫路2月号」 があったので ゲット。 毎月 これを見て 展示・アートの予定を立てます。
2月号の表紙は 美術工芸館の 「青磁の魅力」 で 三田焼の江戸時代後期の六角燈籠です。  三田青磁は
しっとりとした 深みある やや緑がかった色調です。 上部の釉薬が 溜まる部分は 色が濃くなっています。

 また 表紙の裏のページの ”クローズアップ” には 漆芸家の江藤雄造さんが 載っています。 雄造さんは
去年の日本伝統工芸展で 入選した蒔絵師・江藤國雄さんの息子さんで デパートで 漆工芸の実演をしていた
とき お会いしたことがあります。 お父さんの影響で 物心ついたときから 身近に 漆があったそうで 平成24
年に 蒟醤(きんま)の技法を 人間国宝の磯井正美に、籃胎(らんたい)の技法を 香川県指定の無形文化財の
大谷早人さんに 学んだそうです。 琥珀の原石を削って ピアスや ペンダントトップなどの形をつくり 表面に
蒔絵を施す 「琥珀・漆」 に 挑戦中だそうです。 2月には 姫路文学館で 「金継ぎ」 を行う・・・。

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たでのはな美術館 芹沢 介の世界

2014-01-26 15:05:45 | ギャラリー散策
 1月26日(日)  天気:晴れ のち 曇り 一時 雨 のち 晴れ   室温:14.9℃

 きょうは 赤穂まで ドライブしてきました。 まず 尾崎にある ”たでのはな美術館” へ行き 「芹沢介の
世界」 を見て 赤穂御崎の ”赤穂ハイツ” へ。 お風呂(温泉ではない)に入り 昼食。 次に ”桃井ミュー
ジアム” へ行き 「岡部宝英 能面展」 を見て 伊和都比売神社へ寄って お参りし ”CAPE HOUSE”
へ行き 「赤穂緞通」 を見てきました。 1月23日の新聞に 「能面展」 と 「芹沢介の世界」 が 載って
いました。 27日まで です。

 9:40 出発。 国道2号線を西へ走り 相生を縦断し 高取峠を越えて 南へ下り 坂越橋を渡らず 直進。
県道459号線で 赤穂市街に入り 主婦の店の信号で右折すると 100m先の角が たでのはな美術館です。
10:25 到着。 狭い敷地に 駐車。 ここまで 25.0km。 


 型絵染の人間国宝 没後30年 「芹沢介(けいすけ)の世界」 をしています。 入館料は 200円。
芹沢介(1895-1984)は 静岡生まれ。 1927年 柳宗悦の 『工芸の道』 を読み 深い感銘
を受けて親交を重ねる。 1935年ころから 柳宗悦の依頼により 雑誌『工藝』 の装丁を手がけることで
染色作家として 民芸運動に 本格的に 参加するようになる。
 また 再三 沖縄を訪れ 沖縄の紅型の美しさに 強い衝撃を受けて 染色家になることを決意する。 紅型と
和染に学び 図案・型彫り・染めまでを一貫して行う 「型絵染」 の技法を生み出し 明るい色調と 明快な
文様を特徴とする作品を数多く制作した。 1956年 重要無形文化財 「型絵染」 の保持者(人間国宝)
に 認定され 「型絵染(かたえぞめ)」という呼び名は その際 案出された。 1976年には 文化功労
者に 選ばれた。
 館内は 写真禁止なので 館長さんに お願いして 本を撮らせていただきました。
≪追 記≫
 芹沢介は 今まで 聞いたことのない名前でしたが 2月2日の新聞に 倉敷の大原美術館で 1978年
 染色家の故・芹沢介氏のコレクション展が開かれた・・という記事がありました。 芹沢介が 話題ではなく
 美しい品々の中に 小鹿田(おんた)焼の柳瀬朝夫作のすり鉢がありました という記事ですが・・・。 




 県道32号線で 赤穂ハイツへ行きます。 10:50 着。 たでのはな美術館から 3.2km。
赤穂ハイツでは ロビーに 大道位久男 剪画2014「午」 が 展示されていました。


 奥には 水野清司さんの ペン画 「坂越のまち並」 を 展示中。 ガラス面の光の反射は 何ともなり
ません・・・。


 フロントで 入浴料600円を払って 地階の風呂へ。 以前は 500円だったのに いつの間にか 値上げして・・。
温泉でさえ 600円なのに 温泉でもないのに・・。 風呂上りに 食堂で 定食を食べようとすると 定食は 予約
客のみ・・。 赤穂ハイツは サービスが悪くなった・・。 カレーを食べながら 目を凝らすのですが いくら
目を皿にしても 明石大橋が 見えないし・・・。 これは お天気のせい?
 赤穂ハイツのお風呂は 上水に含まれる硬度成分を 除去し 肌に優しい軟水を使用しています。 軟水の風呂
は ナトリウム温泉の泉質に近く 美肌作用、保湿効果が あるそうですが・・・。


 播磨灘にに浮かぶ家島の男鹿島は 軍艦のような形で ハゲているので すぐ分かります。 男鹿島の左に
小さい島が 四つあり 一番左の上島と その右のクラ掛島の間に 明石大橋が 見えると思うのですが・・・。


 県道32号線を南へ下り 桃井ミュージアムへ行きます。 12:11 着。 赤穂ハイツから 1.9km。
雨が降ってきました。 桃井ミュージアムは 桃井さんの雲火焼の展示場です。 入館 無料。


 赤穂雲火焼は 江戸後期に誕生し、明治後期に 衰退した赤穂の伝統陶器で 赤穂出身の鋳物師・大嶋黄谷が
創設。 釉薬を使わず 窯に入れる際 わらや米ぬか、炭などで 囲んで焼き上げることで 独特の色彩を付けます。
 夕焼け空を連想させる あかね色や白、黒の不定形の模様が 特徴です。
しかし 雲火焼は 一代で 途絶え 長らく ”幻の焼き物” となっていました。 昭和54年ごろ 桃井香子さんは
雲火焼の復元に 取り組む造園業 長棟州彦さんと出会い 自らも その魅力に引き込まれ 「美しい模様を再現した
い」 との一念から 2人で 試行錯誤を繰り返し 試行錯誤の末 昭和57年に ようやく 雲火焼らしい作品が 完成し
再興に成功しました。 その後も 新たな技術革新と 創意工夫が重ねられ 現代によみがえった雲火焼は 今では
赤穂の新しい郷土工芸品として 親しまれ 平成5年には 兵庫県の伝統工芸品に 指定されました。


 これまで 常設展示する施設がなかったため 桃井さんが 使われていなかった 親族が経営する会社の寮
を 改装して 2011年 「雲火焼展示館 桃井ミュージアム」として 生まれ変わらせました。
建物は 御崎にあり 2階建てで 2人の作品約200点と 収集した黄谷の約20点を展示しています。
 現在も 桃井香子さんと、長棟州彦さんの2人の作家で 瀬戸内窯を守っておられます。



 ここからは 能面師・岡部宝英 「能面展」 です。 翁や般若の面が 約30点 展示されています。
27日までの会期中 岡部先生 在廊時には 能面制作の実演を 見ることができます。 展示品の即売も。




 桃井ミュージアムを後にして CAPE HOUSEへ行きます。 赤穂御崎の先端を 回る手前に 伊和都比売神社
があります。 12:39 神社の境内 石燈籠の前に 駐車。 桃井ミュージアムから 1.5km。
 伊和都比売神社は 伊和都比売を おまつりしています。 もともと 伊勢外宮の豊受比売ともいわれ または
播磨の国 一宮の伊和大神 即ち 大穴牟遅(おおなむちの)神の比売神ともいわれ 古くから 御崎明神と称せら
れた 赤穂民族の祖神です。
 もとは 海上の八丁岩の上に おまつりしてあったのを 天和三年(1683) 浅野内匠頭長直が 現在の地に
移したもので 「播磨なる 御崎の石だたみ 海の底まで 行くぞ見る」 と歌われているように 奇岩の上に 老松が
舞い 岩礁の地です。


 神社の右下に ”CAPE HOUSE” があります。 カぺハウスかと思いきや ケープハウスです。 御崎な
ので 当然 ケープでしょう。 ここは 「赤穂緞通」 のギャラリーですが 狭いので 展示数が少ない・・・。


 赤穂緞通は 鍋島、堺と 並び 日本三大緞通と称される 木綿織りの敷物です。 江戸末期から明治のはじめに
かけて 児嶋なか という一人の女性が 開発したものです。 その後 次々と 緞通場が開業し 明治末期には 御召
列車の敷物として 天蚕を使用した赤穂緞通が 採用されました。 大正から昭和にかけては 遠く海外にも 販路を
広げ 全盛期を迎えましたが 手作業でしか作れない 赤穂緞通は 近代化に取り残され 時代の流れとともに 緞通
場は 次々と 廃業していきました。


 現在では 赤穂市による技術講習会を受けた 織手を中心に 伝統工芸としての保存 および 技術の伝承、地場
産業として 赤穂緞通の名を 全国に広めていくことに 努めています。
 赤穂緞通は 敷き物ばかりかと 思っていましたが 額に入れた飾りものも 多いようです。 大きいものは 制作に
時間がかかるが 小さい方が 簡単に出来て 紋様も広く選べ 売れやすく 普及しやすい・・・。




 13:00 車に戻り 帰路につきます。 御崎を回って 県道32号線に戻り たでのはな美術館の傍を通り
来た道を戻ります。 国道250号線で 高取峠を越え 相生を抜け 国道2号線で 帰りました。
13:52 帰着。
 本日の走行距離は 往路:たでのはな美術館まで 25.0km 赤穂ハイツまで 3.2km 桃井ミュージアム
まで 1.9km 伊和都比売神社まで 1.5km 復路:27.1kmで 計:58.7kmでした。
 ガソリンを 入れたばかりですが 前回は 22km/L しか 走らなかったのに きょうは 59km走って
燃費は 25km/L を示しています・・・。

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