私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

たつの埋蔵文化財センターで 企画展「城山城」

2021-02-25 15:01:46 | 歴史探索
 2月25日(木)   天気:晴れ   室温:19.2℃

 きょうは たつの市新宮町の市立埋蔵文化財センターへ 企画展 「城山
(きのやま)城 ~古代山城と赤松の城」 を見に行きました。 写真は禁止。
※このページは たつの市立埋蔵文化財センターで 入手(1000円)した 図
 録 18を参考にします。


 たつの市北部の標高458mの亀山(きのやま)の山頂部には 城山城の
石塁や 郭などが 残っています。 城山城は、7世紀後半に 築かれた県下唯一
の古代山城で、県下最古の城郭で、兵庫県のお城発祥の地となります。
 城域は 山の4つの頂部を中心に 南北約550m、東西約250mに渡
って 広がっています。
 ※播磨城山城は 同名の城が 他所にもあるため 播磨城山城としています。

・古代山城・播磨城山城跡の概要
 城山城跡は 標高458mの城山を中心に 築かれている。 城壁線は 明確では
ないが、約1600mの城周が想定される。 この城に関する古代の記録はない。
 遺構・遺物としては、方形刳り込みの石製唐居敷、塊石を使用した谷部の石塁、
礎石建物などが 確認されている。

・城山城の構造・中世山城の構造
 古代山城の土段状遺構は 4つの尾根の周囲を囲んで 構築され、谷地形となる部
分には 石垣を構築している。 城山城は 未完成と指摘される‥。
 中世の城山城は、土段状の遺構の塁線を 基本的に踏襲しながら、要所に 大規模
な横堀や堀切、防御のための曲輪群を配置して、古代山城の防御構造を 補完・強化
して 広大な城域を確保した構造を持つのである。


 中世の遺構を見てゆくと 興味深い特徴が見えてくる。 先ず、尾根上では 堀切、
斜面では 背後に土塁を築くなどして 土段状遺構の消失部分を補完築城する点が 指摘
できる。 ・・・・
 一方、居館とされる赤松屋敷であるが、斜面側の岩盤を掘削し 1000㎡前後の
方形地形を構築する。 赤松屋敷は 城に関わって構築されたと 見て間違いないだろう。

・「城山城」 築城以前の亀山(きのやま)
 亀山や その周辺の山上部からは、亀ノ池、寺床池遺跡、前期龍野城跡などで
弥生土器や 石鏃が 採取されており、高地性集落が 存在していた可能性が高く、
城山城築城以前から、人々は 山上部を利用していた。 また 亀山の東側山麓部に
は 数多くの群集墳が 築かれており、ドーム型の石室をもつ 姥塚古墳や 揖保川流
域最大の方墳である はっちょう塚7号墳などが 存在します。

・「城山城」築城以前の伝承
 亀山の西方に鎮座する井関三神社の縁起によると、元々 神社は 崇神天皇2年に
亀山山中の光る場所に 鎮座したのが始まりと記されており、今も 奥宮は 亀山山上の
巨大な磐座の前に祀られている。 また 『播磨国風土記』 には、亀山の水をめぐり
神々が争った伝承が記されており、今も その遺構が残っている。 一方 亀山東方の
越部地域は、『日本書紀』 や 『播磨国風土記』 に 越部屯倉設置の記事があり、王
権の直轄地として 播磨支配の拠点となった地域であったことがうかがえる。


・古代山城の築城
 天智2年(663)、日本・百済連合軍は 朝鮮半島の白村江で 唐・新羅連合軍に
大敗し、国土防衛のため、九州北部から 瀬戸内海沿岸にかけて、百済からの亡命者の
力を借りて、山城を築いていく。 播磨では 城山城が築かれた。 県下唯一の古代山城で・・・。
 古代城山城の遺構は、後に 同じ場所に 山岳寺院や 中世山城が築かれたこともあり、
近年 実施した航空レーザー測量により、その全容が 徐々に明らかになってきている。


・凹字形門礎を持つ古代山城
 古代山城には、凹字形の門の礎石をもつものがいくつかあり、唐居敷として使用され
ている。 この門礎は 播磨城山城、石城山城、讃岐城山城の4城で見つかっている。

・山岳寺院と盗賊の城
 奈良時代に 古代山城の多くは 廃城となる。 おそらく城山城も 廃城になったと思われ
るが、城山城では、その後の平安時代以降の遺物も採取されている。城山城内には、寺院
に関する石造物(板碑・五輪塔)や 地名などが残っており、関連する遺物も採取されている。


・赤松氏の築城
 播磨国守護の赤松則祐は、播磨を支配するには 西偏している白旗城から 拠点を
揖保川流域の城山城に移すため、文和元年(1352)から 築城を開始する。
 築城の過程は、矢野荘の古文書の中に 散見できる。 それによると 1352~
1390年頃まで 築城は 続いており、倉、本堂、越部守護館などが作られ、兵糧・
塩・材木・具足・白土・馬飼料などの運搬も 行われていたことがうかがえる。
 古文書の中には、城山城築城に関する史料が 数多く含まれており、中世山城の
築城過程が分かります。 城山城は 中世山城で、築城の経過と落城の様子がわか
る 全国的に見ても 稀有な事例の城郭で、当時の城郭遺構も ほぼ残されています。

 嘉吉の乱と城山城
 くじ引きで選ばれた室町幕府6代将軍・足利義教は、将軍の権威を増すため、有
力な守護大名を 次々と倒していった。 次は 赤松氏と 噂され 身の危険を感じた播
磨国守護の赤松満祐は、京都の自邸に 将軍を招き 暗殺した。 暗殺後、播磨に戻っ
た満祐は、坂本城を拠点に 幕府軍と 播磨各地で戦うが、敗れ続け、最後は 僅かに
残った手勢を引き連れ 城山城に籠城することになる。 幕府軍に取り囲まれた 城山
城は、あっけなく落城し、満祐は 一族69人とともに 城山城で 自害して果てる。

・中世城山城の遺構
 城山城には、中世山城の遺構として、郭群、土塁、横堀、切岸等が残っています。
郭群の中心部は 山岳寺院であった可能性が高く、削平地か 城郭か 寺院に伴うものか
を 見極めるのは 困難である。 土塁は、礎石建物の上や 横堀に伴うものも残っている。


・祇園嶽城
 祇園嶽(標高340m)は、城山城から 北へ約1.3kmに位置する切り立った
岩山で、『播磨国風土記』 の擱坐(たなくら)山に比定されている。 『揖保郡地
誌』 には、祇園嶽に 赤松氏の支城ありと記されている。 また、城の西方には 城山
城の搦手を示すといわれる「唐猫谷」という地名が残るので、おそらく城山城の搦手
を守る城として 築かれたと思われる。 遺構としては、郭や通路や石垣井戸跡等が残
っており、須恵器や陶器も採取されている。 なお 唐猫谷の登山道の傍には 門礎が残っている。



 。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。  。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうは たつのへ

2021-02-24 14:58:44 | 日記
 2月24日(水)    天気:晴れ    室温:19.9℃

 きょう 歯の調子が悪くなったので 歯医者へ行きました。 出かけたつでに
どこかへ行きたいが・・・。 たつのの歴史文化資料館へ行きました。 たしか
ひな人形を展示しているはず。 資料館は 月曜日が 休みで きょうは 水曜日、
なのに 資料館は きょう24日も 特別に休んでいます。

 仕方ないので 龍野城の梅でも見ようっと・・。 梅も もうひとつ冴えません。
ギャラリー結へ寄りたいが 結は 金土日月だけ・・。 青山の歓創居へ・・。
 歓創居へ行くと 何か展示していると思いましたが お休み・・。
 仕方ない、家に帰って BSシネマでも見ましょう。 ところが BSシネマは
大昔の映画で チャップリンの白黒映画。 見る気がしません…。  きょうは
冴えない一日でした。





 。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。  。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギャラリー集で 苧坂 恒治の世界

2021-02-23 15:39:03 | ギャラリー散策
 2月23日(火)天皇誕生日   天気:晴れ   室温:22.2℃

 きょうは 高砂市米田町のギャラリー集へ ”苧坂 恒治の世界 Orientalの
渦” を見に行きました。 きのうは バイパスが渋滞でしたが きょうは 目立った
渋滞はありません・・。 スムースに走ることができました。
 苧坂さんからも 案内状を送っていただきましたが 案内状には オリエンタルな魅力
で 存在感を放つ 苧坂さんの作品。 数が 揃う程、穏やかな空気が生まれ、楽しく包み
込んでくれます。 ベースの土は、益子・函館・信楽を用い、赤絵・彩紋を施した人気
の上絵に、ポップな青釉(トルコブルー)と、手に持つUTUWAに笑みがこぼれます。
※苧坂さんのHP 「Studio Oval」 は <こちら>


苧坂 恒治さんからのメッセージ
 うまく 言葉にならない モヤモヤしたものを
 カタチや色で ああかなぁ こうかなぁと・・・。
 それに応えてくれる 「土」 は いつも冷ややかで
 落ち着け 落ち着けと・・・。
 見つけた階段の先を ぼんやり照らしてくれるのは
 やはり 熱量なのです。
 

 苧坂恒治さんの略歴
 1956年 香川県に生まれる、1976~96年 栃木県益子町にて 作陶
 1980年 「馬耳陶風」 展(益子)、 1984年 ザグレブ国際陶芸小品展(ユーゴ)
 2007年(’09、’12、’15、’17、’19年) ギャラリー集で 個展。
 そのほか 個展多数。   1996年~現在 函館市にて 作陶





 
 






 。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。  。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温室植物園で クリスマスローズ展

2021-02-22 15:34:25 | 日記
 2月22日(月)    天気:晴れ    室温:23.3℃

 きょうは 手柄山の温室植物園へ ”クリスマスローズ展” (自主展)を見に行きま
した。 高砂のギャラリーへ行く予定でしたが ラジオの交通情報で バイパスは 加
古川で事故があり、渋滞11kmとか・・。 予定を変更しました。


 クリスマスローズ伝説 :「天使が咲かせてくれた花」
 イエス・キリストが 生れた時、黄金や没薬などをたずさえて 訪れた当方の三博士の
ほかに もう一人、救世主の降誕を祝福しようとやってきた 人物がいました。 それ
は、マデロンという少女で、彼女も キリストにお祝いをささげたかったのですが、貧
しさゆえに 何も持ってくるものがありませんでした。 せめて花だけでもと考えま
したが、季節は冬。 ・・・・・


 ランナキュラスが いくつかありましたが クリスマスローズと同じキンポウゲ科だから?


 「氷の微笑」 は 真冬から咲き始め 数多くの花をつけ、鑑賞時期が長いのが 魅力で
す。 科弁も葉も厚みがあり、霜や雪に当たっても 色あせることなく、傷みにくい品種です。

 上向きに咲く 太陽のような花、バラのような蕾の 「レッドサン」。 改良品種 「バ
ビエ」 等、他にないオリジナル品種。 女性らしい花色、珍しい花型なども育種。

 ヘレボルス ’ヨシノ’ (スポット)は H.ハイブリッド(母親)と H.チベタヌス
(花粉親)の種間雑種。 花弁に H.チベタヌス特有の繊維質の多い和紙のような質感
を残し、透き通った淡いピンクの花を咲かせる。





 奥の展示室では 第4回 一般参加作品展  ”吉田美土里さんの手紙展” が行われています。
花や植物、自然などをテーマに 丸紙皿と布で描く絵手紙展で 絵皿約52点と布絵手紙25
点が 展示されています。





 。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。  。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝来山 あさごやま 756.5m

2021-02-21 11:30:38 | 山歩き
 2月21日(日)    天気:晴れ    室温:18.1℃

 今回の山歩きは 2004.10.10に登った 朝来山756.5mです。
登山口の立雲峡は 桜の名所だそうですが 登ったのは 10月で 草ぼうぼう状態。
 おまけに 天気が良くなく 雨は上がりましたが 茂った草(ススキ?)に 水滴が
ついていて ズボンは びしょ濡れ。 立雲峡から なんとか 北西方向にある竹田城跡
の石垣は見えましたが、展望は いまいちで・・。 山から降りると いい天気になり・・。
 おまけに ある本を参考にしましたが、この本のいい加減なことにも 泣かされまし
た。 地図の赤丸印(林道終点?)から 山頂までは 道の無い急登のヤブ。 山頂手
前には この先 道は ないとの立札が立っていて 道の無いところを登らされました。
 山頂で お会いした三木市の金物職人も 道が分からなくて ムササビコースを登ったと・・。

 案内図を参考に 立雲峡の駐車場から 竜神の森、竜神滝、愛宕神社、大成池を
歩こうと思いますが これがまた大変でした。










 三木市の金物職人と むささびコースを降ります。



 記憶は 定かではありませんが、下写真は 播但連絡道の和田山PAから撮ったのでは
ないかと思います。

 。。。。  。。。。。  。。。。  。。。。。  。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする