私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

エルミタージュで 手作り雑貨展

2018-02-28 15:00:08 | ギャラリー散策
 2月28日(水)    天気:晴れ のち 曇り    室温;17.6℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ ゆうこと仲間たちの ”手作り雑貨展” を
見に行きました。 手作り工房ゆうの岡本さんと その仲間4人の展示です。 革のバッグや
小物入れがありますが 全部 手縫いで ひと針づつ縫ってあるそうです。 さをり織の小物
入れも 手織りのさをり織で 作られています。  本日のコーヒーカップも 手作りで 織部
の釉薬を使い 梅の花が描かれています。
 帰りに きのう見つけられなかった 「石海村道路元標」 と 「旭陽村道路元標」 を探し
ましたが いくら探してもありません。 もう無くなったものと思われます。
 そうそう このページを書く前に きのうのページを 完成させなきゃ・・。










 。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揖保町 萩原神社 他 三社めぐり

2018-02-27 15:21:57 | 歴史探索
 2月27日(火)   天気:はれ    室温:17.5℃

 きょうは 揖保町の萩原神社、中臣印達神社、夜比良神社をめぐってきました。
この前 姫路文学館でもらった 「手帖Vol.106」 に ”「はりま」 の由来 揖保郡
荻原神社 針間井” という記事があり いつか 行ってみようと思っていました。
 きょうは いい天気で 暖かかったので サイクリング日和と思ったのですが 帰りは
南から冷たい風が吹いてきて 大変でした。 帰ると へろへろ・・。
 途中にある道路元標「揖保村」 と 「斑鳩村」 を撮ってきました。
    ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
「姫路文学館 手帖 Vol.106」 の表紙に 「はりま」 の由来 揖保郡 荻原里
針間井 があり  即闢御井故云針間井 即ち御井を闢(はり)たまひき 故針間井
(はりまい)と云ふ
 息長帯日売命(神功皇后)が 韓の国から 帰り 都にお上がりになった時 御船が この村に停泊した。
すると 一夜にして 荻が生えた。 高さ一丈(約三メートル)ほどであった。 そこで この里の名は 荻原
という。 この時 井戸を闢はられた(開かれた)ので 針間井という・・・。 
 播磨の名の由来を伝える重要なくだりだが ここに示した解釈には 異論も多いことだろう。
まず この里の名は じつは 「萩原」 とするのが 通説である。 播磨国風土記 研究の先駆者 井上通泰
(柳田國男の兄)による 「播磨国風土記新考」(大岡山書店)では 「萩」 は 「ハリ」 とも読み 「榛
(ハリ)」 の当て字 とされる。 つまり 一夜のうちに生えたのは 「榛の木(ハンノキ)」。 湿地や
川原などに生息する カバノキ科の落葉高木だという。 その榛(ハリ)の間に 穿った井戸だから {ハリ
マ井」 と 名づけられたのだとみる。 
   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 今なお 多くの謎かけに満ちた 「播磨国風土記」 を介して 私たちは 古代 この地に暮らした人々の眼や
心に映じた風景を さまざまに味わうことができる。 なんと贅沢なことだろう。  とあります。
 
    ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 10時過ぎに 出発。 県道29号線?を 西へ走り 林田川に架かる真砂大橋を渡り 揖保町へ。
萩原神社(荻原?)は 揖保川の土手下にあることは 調べてあるのですが 詳細な場所は 分かりま
せん。 近くにいた人に聞きました。 木が 4、5本茂っているので すぐ分かりました。
 ここにある「針間井」 が 播磨の名の由来だそうですが・・。 この辺りの地名は 萩原です。

 萩原神社について調べても 由緒などは 何も出てきません。
「播磨国風土記」 によれば ここ萩原の里は 神功皇后が 新羅の国から ご帰還の途次 宿泊された
ところであります。 その時 一夜のうちに 一丈ばかりのハギが生えたことから 萩原と名付けられた
と伝えられています。 また 「播磨国風土記」 は 神功皇后が この地に開いた井戸を 針間井と記し
ています。 針間は 播磨の地名とも 関連付けられています。
    咲花や 心をヽけそ ゆふつゆと ともにやどらん 萩はらのさと  宗治



 北へ行くと 崇道天皇神社があるので ちょっと寄り道。 ここは 以前 西国街道を歩いた
とき 寄ったことがあります。
 崇道天皇神社(すどうてんのうじんじゃ)は、早良親王(崇道天皇)を主祭神とする神社で、
奈良から西日本を中心に 各地に存在する。 崇道天皇社、崇道神社等と 呼称する場合や、
「ソウドウ」と読み宗道神社、惣戸神社(そうどじんじゃ)などの字をあてる例もある。


 北へ進み 新幹線の高架下を潜ると 民家の前に 揖保村道路元標があります。 この道が
西国街道? 元標は 半分埋もれ 揖保村しか見えません。

 国道2号線に出て さらに北へ行きます。 国道の交差点は バイパスと合流する地点です。
まっすぐ北へ進むと 中臣山の裾に出ます。 この山には 三角点があるので ゲットしなくて
は・・。 なんとか登る道を見つけましたが 登山道は 竹やぶで歩きにくい。 おまけに 山頂は
水道施設とかで 1mほどのフェンスに囲まれています。 フェンスの中に 三等三角点:中臣山
61.0mがありました。 せっかく 登ったけど 展望がありません。 木々の枝を透かして
新竜アルプスの的場山がみえるだけ・・。
   

 揖保里の碑には 所以稱粒者此里位於粒山故因山為名


 中臣山の南を廻って 北の中臣印達神社へ行きます。 南に鳥居があったので 参道が分かりま
した。 神社のある山と 三角点のある山のどちらが 中臣山? 両方とも 中臣山? 「播磨国風土
記」 では 天日槍と葦原志挙乎の国占伝承で名高い「粒丘」に比定されている。
 粒丘は 中臣山の古称にして そのいわれは 播磨の風土記にあり。

中臣印達神社は
【延喜式神名帳】阿波遅神社 播磨国 揖保郡鎮座 (境内社)粒坐天照神社 (合祀)阿波遅神社
【祭神】五十猛神
【例祭】10月9日 秋季例祭
 五十猛神は 父神であらせられる素戔鳴尊とともに 天照大神が 驚きになられるぐらいの、又 国内が
 混乱するぐらいの新しい文化・文明を 大陸より 移入。 それ以降 国内の農耕・文化・文明は 大変な
 発展をとげたとされえる。

【由緒】
 当社は 宝亀元年6月15日の創立と伝へ延喜式の制名神大に列せしも 中古より両部神道の為め
 修験者が 社務に干與するにおよびて 社背の山上にありし十二所権現と唱ふる木像を本社に合祀の結果
 近世に至るまで 社名をも蔵王権現とのみ称するに至る。  明治10年10月10日 願済の上
 創立当時の 社名 即ち 中臣印達神社に復称し 同年同月(明治12年5月とも)縣社に列せらる。
【社殿】本殿入母屋造檜皮葺 幣殿・拝殿・神饌所・社務所・神宝庫・絵馬堂
【境内社】薬司神社・小種神社・天満宮・厳島神社、式内粒坐天照神社

 中臣印達神社から南へ下り 西へ行くと 夜比良神社があります。 夜比良神社は
御祭神:国作大己貴命(大国主命・大汝命)
創建は 1200年以前といわれています。 神社に伝わる伝承によれば、出雲国を開拓された大神は
因幡国を経て 播磨国に入られ、伊和神社に 鎮座されたのち、揖保川に沿って 南下され、粒丘に足を
留められ、この揖保(粒)郡を 開拓・平定され、夜比良神社に 鎮座されました。
 この故事により 播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」 と呼ぶのに対し、揖保川流域の南
(下揖保庄)を お護りする夜比良神社を 「南方殿」と 呼ぶようになったという。 また、一説には
「おおむかし 一晩のうちに 権現山の西北の揖保川に突き出ている 角にあった大きな岩の上に 八尋
もある 白い旗が立っていました。 村人が ふしぎに思って見に行くと “われは、伊和の大神なり”
という大きな声がきこえました。 村の人たちは、この神さまを大切に思い 敬い、おまつりしました。
夜比良神社の名前は これから はじまったとも 伝えられています。

 また 中世には 下揖保荘の総鎮守として 播磨国の豪族赤松氏の尊崇をあつめ 「神武は 赤松政村
これを定む」 と 今に伝えられています。 赤松広秀(古龍野城の最後の城主)・・広英ではないかと・・。
   やひら手を 取りにし神も あらましを きねか鼓の 音は絶せぬ
 明治維新以前は 揖保川町域を含む 十六か村が 氏子でしたが 現在は 五か村(揖保上、揖保中、今
市、正條、新在家)となっています。

「播磨国風土記」の「粒里」の条に 「葦原志許乎命(あしはらしこをのみこと)」(大国主命の別名)と
渡来の神である天日槍命(あめのひぼこのみこと)の土地占有の記事がみられます。 ここには 揖保郡の
地名「粒山」があり、この「粒丘」にある小石は 「比(ひと)しく(よ)能く(いひほ)粒に似たり」と
説明され、この山の名前から 揖保里と呼ばれるようになったという地名の起源が 述べられています。
 この「粒丘」が、先述の権現山(通称:中臣山)に比定されています。
風土記には「神山」の名が見られます。 この山には 「石神」がおられ、そのために 「神山」と名付け
られたという説明が加えられています。 この「「神山」は、伊和の大神が立たれた夜比良神社北の権現山
西の巨石(磐座)であったのではないかと考えられます。


 夜比良神社にお参りして 帰路につきます。 国道2号線を横切り 新幹線の手前で 左折。
この道は 西国街道なので 通ったことがあります。 東へ戻り 林田川の渡しを渡り 太子町
に入り さらに東へ。 太子山の北まで戻ると ここに 「斑鳩村道路元標」 が あります。
太子町糸井まで戻り 「石海村道路元標」 を探しますが 糸井しか覚えていないので 見つけ
ることができませんでした。 2時過ぎに 家に戻りましたが 脚が疲れて ふらふら・・・。

 。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧三木家住宅で 林田ひな祭り

2018-02-26 14:45:27 | ギャラリー散策
 2月26日(月)   天気:晴れ+薄雲    室温:18.2℃

 きょうは 林田大庄屋 旧三木家住宅へ ”林田ひな祭り”(企画運営:NPO法人新風
林田) を見に行きました。 今回は 特別展 『雅 ~時代を超えて~』 享保雛(江戸
期) から 現代のお雛様と 雛道具 今も変わらぬ雛人形に託した願いとの出会い です。

 新聞には 江戸時代中期以降のひな人形60数点を展示。 江戸時代に 和紙でつくら
れた 「紙びな」 や 顔が面長な江戸時代の 「享保びな」、箱に収められた 大正時代
の 「箱びな」 などが 並んでいる・・・・とあります。

 ”震災に寄せて ありがとう 命ほっこり明かり展” も 同時開催されています。
 林田へ行ったついでに 近くにある 「道路元標」 を集めてきましたが これは 別の
ページにします。







   ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・





 。。。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西播みんなの作品展 他

2018-02-24 14:13:41 | ギャラリー散策
 2月24日(土)   天気:晴れのち曇り+モヤ    室温;15.6℃

 きょうは 姫路へ行き イーグレひめじの市民ギャラリーの展示を3つ見ました。
特別展示室の ”CG-ART展 06” と 第1展示室の ”写弾西はりま第21回
写真展” と 第3・4展示室の ”西播みんなの作品展” を見ました。 中井三成堂
画廊と 山陽百貨店の美術画廊を覗いてきました。
 きょうは モヤが濃かったので イーグレひめじから見る姫路城も 少し霞んでいました。

 イーグレひめじの市民ギャラリー特別展示室の ”CG-ART展 06” を見ます。
姫路情報システム専門学校の作品展です。





 次に 第1展示室の ”写弾西はりま 第21回 写真展” を見ます。 メンバー10
人が撮影した 四季折々の風景や 花、祭り、スナップなど 全紙サイズで 約30点
を展示。 指導は 松本 コン太さん。



 第3・4展示室では ”西播みんなの作品展”(主催:国際ソロプチミスト姫路西) が
行われています。 西播地区の特別支援学校および養護学校7校の児童生徒が 制作した
絵画、布細工、習字、写真、造形作品など 200点以上を 展示。

 西播磨地区 特別支援学校等7校の児童や生徒に 作品を発表することの喜びを 感じ
てもらい 作品発表を通じて 生徒たちの自立と 社会参加の理解促進に 寄与すること
を目的に 行うものです。 国際ソロプチミストは 女性と女児の生活と地位を向上さ
せるために 理解促進、提唱、活動している 女性だけの国際的な奉仕組織です。





   ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 中井三成堂画廊では 先週に続き ”特選絵画展” が行われていました。 山陽百貨店
の美術画廊では ”~花のとき~坂井昇日本画展” が行われています。 花を感じ、花に
寄りそうひととき。 花の美しさを日本古来の感性で 表現する坂井昇の作品は 日本の美の
品格をかんじさせます。
 きょうは 行きも帰りも 電車は ほぼ時間どうりでした。 帰り 駅で時間があったの
で 駅そばをいただきました。 そばを食べている間に 智頭急行・スーパーはくとが
発車しました。


 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第10回 赤穂美術家連合会展

2018-02-23 15:46:11 | ギャラリー散策
 2月23日(金)   天気:晴れ    室温:17.9℃暖かい

 きょうは 赤穂市中広の文化会館ハ~モニ~ホ~ル 展示室で きょうから 3日間行われる
”第10回 赤穂美術家連合会展” を見に行きました。 まず 相生山手2の自家焙煎珈琲ぶどう
の木へ行って モーニングをいただきます。

 連合展には 会員28名の洋画(10点)、日本画(1点)、陶芸(1点)、書(7点)、
写真(17点)が 展示されています。 広い会場は がらんとした感じで 例年より 出展作
品が 少ないように思いますが・・・。

     連合会展 開催にあたって
 皆様には ますますご健勝のことと お喜び申し上げます。
 さて このたび郷土の美術文化の振興普及に努め 作家相互のジャンルを越えた交流と 親睦
を図るため ”第10回 赤穂美術家連合会展” を 開催いたします。
 各分野での創作発表ですので 是非 ご覧いただき ご指導くださいますよう お願いいたしま
す。                    赤穂美術家連合会  会長 萬野 清隆






 図書館へ寄ると 赤穂出身の画家・後藤仁さんの絵が 描かれた絵本 「犬になった王子」 が
置いてありました。

 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする