私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

津黒山  つぐろせん  1117.8m

2010-07-26 14:45:20 | 山歩き
 7月26日(月)  天気:晴れ  気温:34.5℃(14:50)  地図:下鍛冶屋+富西谷

 きょう 7月24日 仏ヶ仙に登ったついでに 近くの津黒山に登ってきました。 以前 登ったことは ある
のですが 雨・ガスの中で 景色は 何も見えませんでした。 きょうは 天気がいいので りベンジを兼ね
て・・・。  山と渓谷社の 『岡山県の山』 25番の山で 『岡山県百名山』です。

 仏ヶ仙から降りて 林道を東へ進み 別所を通り 国道482号線に突き当たり 右折して南へ走ると 国
道沿いに 津黒高原への道標があります。 ここで 左折して 東へ登ります。 途中 間違えて キャンプ
場に突入しましたが 引き返し スキー場へと林道を登り スキー場を通り過ぎ 山道を登ると 東屋・展望
台のある駐車場に出ます。 4、5台停められます。 10:55 駐車。 国道482号線に出てから 6.5km。


 さっそく 展望台に上がり 景色を見ます。 きょうは 天気がよく 西の山並が見渡せます。 ここには 展望
図があり 素人でも山が分かります。 目の前に 形のいい下蒜山があるので それが分かれば あとは楽。
左隣が中蒜山で 下と中蒜山の間に 矢筈ヶ山。 中蒜山と重なっているので 上蒜山は やや分かり難い。
後方には 大山も見えます。 さらに左の方には 三平山。 展望図には それ以外の山は 描かれていませ
んが さらに 左方に 朝鍋鷲ヶ山、金ヶ谷山、毛無山も 見えているのでしょうか? さっき登った仏ヶ仙は?


 西の景色を見て 山へ。 11:00 スタート。 展望台の東20mが 登山口。 登り始めは やや急で
すが すぐに植林の道になります。 左へ折り返し 真直ぐ左へ進み 右へ折り返します。 道は概ねは
っきりしていて 適当にテープもありますが 下草のない植林の道は どこも道に見える所があり 注意
が要りますが よく踏まれているので 大丈夫でしょう・・。


 見晴らしのない植林を黙々と登り 標高1000m辺りでしょうか 雑木が混ざってくると やや傾斜が緩
みますが ササが出てきて ヤブっぽくなります。 ヤブに混ざって オオバギボウシ ヤマジイノホトトギ
スなどの花が出てきて こんにちは・・♪  なぜか 紫のアヤメ?



 前に登ったとき 後から来た人に マムシがいた と脅かされたので 注意しましたが 幸い 私は 目が
悪いので マムシがいても 気付きません。 マムシグサもありませんでしたし・・。 前に登ったのは い
つだったのか? コオニユリが 咲いていましたが 今回は 全然ありません。 植林を抜け 雑木ヤブを抜
け 西峰が近くなると 丈の低い開けた潅木帯に出ますが 足元の草が足に引っかかります。


  
 西峰は なだらかで どこが頂か 分かりませんが 頂の手前から 後方に大山方向の景色が見渡せます。
この辺りは ササが茂り 道が細くなっています。 なぜか 低いアジサイが並んでいます。 誰か 植えた
のでしょうか? 西峰から東の三角点峰に向かうと なだらかな西峰の後方に 蒜山、大山が望め 最高の
景色です。 なだらかな丘のような東峰を 前方に見ながら ササヤブを進みます。



 12:05 開けたところに出ると 山頂のポールと二等三角点がありました。 前に来たときは 一面ササ
が刈り払われて 広場のようでしたが 今は ササが茂り 三角点の周りだけ 開けています。 見晴らしも
あまり良くなく 南方向が ササの上に見渡せるだけ・・。 南東に 不溜山が 南に 大空山、富栄山が見え
る筈ですが・・。 東は ササヤブが盛り上がっています。 北の若杉山が 見たかったのですが・・。 かんか
ん照りで 暑いので 写真だけ撮って 12:09 下山。



 前回 2008.8.24 の写真です。 三角点をテーブルにして 料理をしているのは 鳥取県から
来られた 二組のご夫婦?です。


 前に西峰を見ながら歩き 雑木の日陰に入り ほっとします。 腰を落として ホトトギスを撮っていると
突然 後から声をかけられ びっくりしました。 単独のハイカーが登って来ました。 この人も きょう二つ
目の山だそうで 午前中に 東の三ヶ上山に登ってきたそうで 私が 仏ヶ仙に登ってきたと言うと 知って
いるようでした。 下山して 車に戻ると 東屋の横に 白い倉敷ナンバーの車がありました・・。



 マムシにも出遭わず 膝をかばいながら ゆっくり降りて 13:02 車に戻りました。 チンチンに焼け
た車のドアを開け放ち 横の展望台で 景色を見ながら コンビニ弁当。 予報通り? 西の大山方向に
は 雲がかかってきました。 13:31 帰路につきます。 すこし降りた所にあるスキー場の板張りのリ
フト降り場が絶好の展望台で さっきの展望台より こちらの方が 見晴らしが良い。



 西へ 4.7km降りて 国道482号線に出て 左折して南へ向かい 国道313号線に突き当たり左折。
13:57 湯原ICから米子道に入ります。 落合JCTで 中国道に入り 北房JCTで岡山道に入り 45.
2km南へ走り 14:48 岡山JCTで 山陽道に入ります。
 吉備SAに寄って 顔と手を洗い 眠気を覚まし 山陽道を 74kmひた走り 15:39 龍野西ICを降り
ます。 国道2号線を走り 16:02 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路 仏ヶ線まで 186.7km 津黒山まで 12.7km 復路 184.7kmで
計384.1kmでした。
三冠王という面白い山へ登り 津黒山では いい天気に恵まれ 大山方向の雄大な眺めを 望むことができ
きょうも楽しい山歩きができました。 さいわい 先日の天神山で 痛めたふくらはぎも何ともなかったし・・・。
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仏ヶ仙  ほとけがせん  743.48m

2010-07-24 16:23:41 | 山歩き
 7月24日(土)  天気:晴れて暑~い   地図:下鍛冶屋(北西部)

 きょうは 岡山県と鳥取県の県境の山・仏ヶ仙に登ってきました。 本には載っていませんが 「岡山県百
名山」の山です。 一等三角点の住所は 鳥取県倉吉市ですが・・・。 鳥取県側では 点名の半甲山と呼
ばれているようです。 ウェブで調べると いろんなページが出てきましたが 驚いたのは 「トンビ岩通信」
が 出てきたことです。 ここ何年も 見たことがありませんでした。
 山の名は 仏様が 寝る姿に似ていることで 名付けられた ありがたい山なのだそうです。 また 山高き
が 故に 貴からず の格言どおり かの今西錦司氏も 蒜山三座に登る前に この山に登ったそうです。
 山頂に 表示があり 「三冠王の山」だそうです。 すなわち 県境の山、中央分水嶺の山、一等三角点の
山 の三冠で 本州には 八座しかないそうで この山が 一番低い・・・。
 この山は あっけなく 終わってしまったので ついでに 近くの津黒山にも 登ってきました。


 6:41 出発。 国道2号線を 12.5km西へ走り 7:08 龍野西ICから山陽道に入ります。 土曜日
の山陽道は 車が多く 前も後も車がつながり 特に大型トラックが多いのには困ります。 前は見え難い
し 追越し車線を ゆっくり走られると・・・。 73.3km走り 7:49 岡山JCTで 岡山道に入り 45.5km
北へ走り 8:20 北房JCTで 中国道に入り 16.7km走り 8:29 落合JCTで 米子道に入り 16.
9km 北へ走り 長ーいトンネルと抜け 8:40 湯原ICで降ります。 龍野西~湯原間は 152.4km
1000円でした。 時間は 1時間半ほど。 湯原ICは 料金所を出て 国道に降りるまで かなり長い下
りです。 国道313号線に出て 右折して 北へ向かいます。


 17.1km走り 犬挟トンネルへ曲がる分岐点へ来ると 正面に下蒜山が見えます。 一見して分かりま
した。 トンネルへ向かう国道から 左に蒜山三座の雄大な景色を見ながら走り 行き過ぎて トンネルに
出て 引き返し 手前から細い林道に入ります。 この林道は 雑草が茂り 狭い道を 一段と狭めていて
対向車が来ると・・。 こんな道 誰も来ません。 正面に 仏ヶ仙を見ながら 慎重に進み 登山口の峠?
に来ましたが 車を停めるところがありません。 仕方なく 9:24 登山口の路肩に駐車。 国道分岐から
4.7km 家から 186.7km 2時間40分かかりました。
 下の図が 本日の概略ルートです。 標高600mあたりの登山口から ほぼ真直ぐ 北へ登ります。


 9:30 スタート。 登山口には 雑草が茂っていたので すごいヤブ道かと思いましたが 10mほど登
ると 低いササは茂っていますが はっきりとした道になりました。 登り始めは なだらかでしたが 林
の中のやや急な登りを だらだらと ほぼ一直線に北へ登ります。 幸い この前の天神山のような階
段はなく 土の道で歩きやすいのが ありがたい。 下山時は 滑らないよう・・。


 幸い クモの巣もほとんどなく 虫も気にならず 歩くことが出来ます。 見晴らしはありませんが 左の
木の隙間から蒜山方向がちらちら見えます。 県境尾根に出る手前には 地形図に現れない緩い下りが
あり これを過ぎると 県境尾根に出て なだらかになります。 山頂尾根は 南峰、中央峰、北峰の三峰
からなるそうですが なだらかで 確認できません。 尾根に出た辺りで 西が 僅かに見えましたが・・。
 ササの茂ったヤブを掻き分けると 平坦地に出て 9:51 仏ヶ線に登頂。 体力のない私でも 21分
で登れました。 一等三角点:半甲山は 雑草に埋もれそうです。


 雑木に囲まれていますが 北に窓があり 北の景色が見えますが・・・。 東には 道が降りているよう
です。 ここにも窓があり 僅かに南東?方向が見えました。 山頂に6分ほど居て 9:57 下山。


 南峰から降りるところから 南西見えた山は三平山? 西?に見えたのは 下蒜山でしょうか?
登った道をそのまま降りました。 10:14 車に降りました。 下山は 17分。 スタートから下山
まで 45分ほどでした。 まだ 帰るのには 早すぎるので 東にある津黒山へ行きましょう。



 10:19 林道を東へ下ります。 山道は まだ 良かったのですが 別所集落が近くなると なぜか道幅
が狭くなり 車幅一杯です。 振り返ると 仏ヶ仙が見えますすが・・・。 どこから見ると ”寝仏” に見え
るのでしょう? 6.2km東へ下り 10:38 国道482号線に突き当たり 右折して 南へ向かいます。
 この後 津黒高原からスキー場を登り 津黒山登山口へ向かいますが つづきは 津黒山のページを
見てください。


 インターネットで調べると「三冠王の山」一覧は 下記のとおり。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  山 名   三角点名   標 高(m)   所 在 地
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  和賀岳   和賀岳    1,440.03    秋田・岩手
  船形山   舟形山    1,500.23    山形・宮城
  三本槍岳  三倉山    1,916.94    福島・栃木
  三宝山   国師岳Ⅱ   2,483.32    長野・埼玉・山梨
  能郷白山  能郷白山   1,617.33    岐阜・福井
  百里ヶ岳  木地山     931.31    滋賀・福井
  仏ヶ仙   半甲山     743.48    鳥取・岡山
  阿佐山   阿佐山    1,218.17    広島・島根
(九州)
  英彦山   英彦山    1,199.62    福岡・大分
  国見岳   国見岳    1,738.82    宮崎・熊本
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天神山  てんじんやま  777.3m

2010-07-17 17:40:52 | 山歩き
 7月17日(土)  天気:曇り のち 晴れ   地図:吹屋(ほぼ中央部)

 きょうは 岡山県の西部 成羽町の天神山に登りました。 13座ある岡山県の一等三角点の残され
た最後の一座です。 山と渓谷社の分県ガイド 『岡山県の山』 の36番の山で 「岡山県百名山」 です。
 天気は 思ったより 良かったのですが 山は 思ったより難しく 最後を飾るに 相応しい?山でした。
これで 岡山県の一等三角点は 完了ですが あと一つ 鳥取県との県境に 仏ヶ仙が残っています。
山には 長ーい階段があったためか 翌日は 両ふくらはぎが 筋肉痛で 腰も重ーい・・。
山頂で 広島県から来られた 22人の団体さんに お会いしました。
 6:47 出発。 7:10 龍野西ICから 山陽道に入り 7:52 岡山JCTで 岡山道に曲がり 8:08 賀
陽ICで降ります。 岡山道は 片側2車線化の工事中で これが終われば 走りやすくなるでしょう。
龍野西~賀陽は 97km 休日1000円です。 国道484号線を 高梁に向かいます。 市街を見下ろす
高台に出ると いい眺めで 盆地のような市街が 箱庭のように見え 右奥に備中松山城を 望むことが
出来ます。 松山城は 天守が現存する城として 日本一高い所(430m)にあります。 落合橋を渡り
国道313号線を 成羽川に沿って 西へ走り 吉木辺りで 県道33号線に 曲がります。 あとは 県道3
3号線を ひた走ります。 トンネルを抜け 坂本町に出た と思ったのですが まだ 大分手前でした。



 下の図が 本日の概略ルートです。 県道33号線・坂本辺りにある登山口に車を停め 本のルートを登り
ます。 地図には 自然歩道とありますが 山上にある天満神社への参道のようで 一本道です。 尾根?
に出たところにある道標が 天神山・天満神社の分岐 と勘違いをして この辺りを 40分ほど 彷徨い・・・。
岡山県 最後の一等三角点:天神山 を踏み 引き返して 天満神社から 鈴振岳まで 行きました。


 登山口に着きましたが 山を撮るため 一旦 北へ進みます。 吹屋ふるさと村への県道85号線辺り
から見た山並が 天神山でしょうか? 引き返し 登山口から入った所にある 駐車場に車を停めます。
9:32 駐車。 賀陽ICから 49.7km 家から 159.1km。  9:38 スタート。



 自然歩道は なだらかで 歩きやすい道です。 右にカーブした先で 前方に見えた山が 天神山かと
思いましたが・・・。 手前に 北尾根の770mピークがあるようです。 沢を 2回 渡りましたが 雨で
増水し 踏み石がなく 防水機能のない靴では 苦労します。 湿度が高いためか 沢沿いの谷道を
歩いていると マイナスイオン?を感じます。



 石段が現れると 歩き難くなります。 沢の水が溢れ 石段を 沢のように水が流れ 苔のつ
いた石は 滑りそうで 足の置き場に 注意しないと・・。 9:54 頂上まで 1700mを 通過。


 10:12 五合目辺りの標識を通ります。 この辺りでは 石段は終り コンクリの擬木階段です。 木
材ではないので 朽ちることはなく 健在です。 この擬木階段は 延々と続きます。 登るときは滑らな
いので 良いのですが 降りるときは 困ります。 膝に衝撃がかかり ふくらはぎに 疲れが溜まり 2、
3日 筋肉痛に悩まされました。 10:32 頂上まで 700mを通過。 いつの間にか 沢を離れ 水音が聞
こえなくなりました。 右に左に 大岩が現われます。 10:35 七合目の左下に 大岩があり 祠に小さ
い石仏・大権現がありました。 この辺りから 右に左に 折り返しながら ジグザグに登ります。



 10:56 通過した八合目の標識には 鬼の門とあったのでしょうか? 10:58 頂上まで 300mを 通
過し 11:01 やっと尾根の分岐に出ました。 というより ここが 分岐と思い込んだのです。 ここは 変則
的な五差路で 頂上まで200mとありますが 頂上の方向が 分かりません。 ここは 地図の破線と北西
方向から登ってくる実線の道が 合流する分岐では ありませんでした。 実線の道と合流する手前 5、60
mの地図にない分岐でした・・・。
 地図を見て 天満神社の反対側が 頂上と思い 北のササヤブの道を進んだのです。 低木の枝・葉が
茂るヤブっぽい道を 進みましたが 三角点はなく ベンチのある所(770mP)から 引き返しました。
北尾根から 東の景色や 南の鈴振岳が見えたので 気付くべきでした・・。


 後で分かったのですが 北へ延びる尾根を歩いたのです。 分岐へ引き返し 探鳥路も歩きましたが・・。
三角点は 後にして とりあえず 道標にある天満神社へと進むと・・。 なんと 広場に出て 右には 舗
装された林道が・・。 愕然としました。 地図の実線の林道です。 直ぐ 自分の居場所が 分かりました
が 山頂への破線の道は ありません。


 山頂へは 北西尾根を歩くので ササを掻き分け進むと 道が現われ 直ぐに消え・・。
右の尾根に上がると 立派なササ道が現われ・・。 やれやれ・・。


 ズボンや靴を濡らしながら 進み 11:58 天神山に登頂。 雑木に囲まれた平坦地に 一等三角点:
天神山 がありました。 見晴らしのない 面白味のない山頂です。 これでは 一等三角点も 浮かばれ
ません。 写真を撮って 下山。 下山時は 道なりに降りると いい道は 舗装林道に降りました。
 ここは 林道を 30mほど降りたところで 「天神山山頂→」 の道標もあります。 ここまで 舗装林道
がきているのは 天満神社のためでしょうか?


 林道終点から 天満神社までは 目と鼻の先。 12:18 天満神社。 暗い林の中に 黒い板張りの社
があり 後の大木が ご神木でしょうか? 正面の鳥居のところまで 林道がきています。 あっ お参り
するのを 忘れました。 神社の裏から 鈴振岳に向かいます。 距離は 140mほどです。


 鎖の手摺のある岩道を登り 12:30 鈴振岳750m+に登頂。 人の声は 聞こえていましたが 狭
い山頂に なんと 22人の団体さんが ひしめき合っていました。 22人もいると 圧倒されて 話しかけ
ることも出来ません。 昼食は 終わったようです。 ひとり離れて 弁当を食べていると 皆は 降りてい
きました。 これから天神山へ向かうようです。
 岩の露出する狭い山頂は 鎖の手摺で囲んであり 周りは絶壁? 鈴振岳の由来は ここから 石を投
げると 岩と岩の間を 音をたてて落ち 鈴を振っているような音がするから とか・・。



 ほぼ 360度見渡せますが 遠くは雲がかかり 遠望は ききません。 北の直ぐ近くの山は 先ほど歩い
た北尾根の770mPですが 南斜面は すごい岩壁です。 東に 明星崖が見えます。 岩場を降りて 明
星崖へ行くことは 出来そうですが 危なそうなので 止めておきました。 西には 天満神社があり 天神山
の山頂は 見え難いのですが 空には 入道雲が湧き上がっています。 四方の景色を見て 12:56 下山。



天満神社の手前から ショートカットして 13:01 分岐へ降りて 登った道を 降ります。 長い階段は 膝
に衝撃が かからないよう ゆっくり 慎重に降りたのですが 翌日は ひどい筋肉痛・・。 脚は 攣(つ)る寸
前だったのでしょうか?  先日のNHKテレビ”ためしてガッテン”を見て 勉強したのですが 効果なし・・。
このように 脚が痛くなるのは 宍粟50山の日ノ原山以来・・・。


 13:32 五合目通過。 登るときには 気付かなかったマムシ草を見つけました。 14:15 車に降りま
した。 このとき 脚は何ともなかったのですが・・。 隣に 広島ナンバーのマイクロバスが停まっていて 運
転手さんが 暇そうだったので いろいろ お話しました。 山口県との県境に近い戸河内から来たそうで こ
のグループは 三交ハイキングで よく山登りをするそうです。 そうこうしている内に グループが 元気よ
く 一列縦隊で 降りてきて 私の車の前で 整理体操を 始めました。


 14:15 帰路につきます。 一旦 県道の東の細い道に廻り 西の山並を撮ったのですが 天神山は
見えているのでしょうか? 来た道を そのまま戻ります。 県道33号線を南下し 国道313号線に合流
し 東へ戻り 国道484線に入り 高梁市街を抜けて 15:15 賀陽ICから 岡山道に入りました。
15:30 岡山JCTで 山陽道に入り 16:11 龍野西ICを 降りました。 16:39 帰着。
 本日の走行距離は 往路159.1km 復路155.0kmで 計314.1kmでした。 時間は 2時間15
分ほど。 かくして 岡山県の一等三角点は 終了しましたが 仏ヶ仙も 早めに登っておきたいが・・。
8月になると 墓参りに 帰らなくてはなりません。 高速千円を利用するので 土日2回 山へ行くことが
できません。 お盆になるし 超暑いし 既に身体は 夏バテ状態だし・・・。
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御着城跡  ごちゃくじょうせき  

2010-07-14 15:16:11 | 日記
 7月14日(水)  天気:雨 のち 曇り?   地図:姫路南部+姫路北部

 このページは 7月10日の 「甲山」 からのつづきです。 甲山:国府山城 つながりで 黒田官兵衛
にまつわる歴史探訪ツアーです。
 甲山に登り 妻鹿周辺を廻り 松原八幡神社にお参りして 北へ向かい 国道2号線に出て 右折して
東へ向かいますが・・・。 天川を渡った先の陸橋下だったのに 行き過ぎてしまいました。 播但道の下
から引き返し 12:12 御着城跡の東に駐車。 松原八幡神社から 9.6km走りました。
 国道から北へ30mほど入った所に駐車場があります。 ここには お城の形をした御国野公民館(姫路
東出張所)の建物があり 国道沿いに御着城址の碑もあります。
 西播磨最大の領主だった小寺氏の居城です。 小寺氏の家臣として仕えた黒田重隆(官兵衛の祖父)
は その後 姫路城の城主となり 官兵衛は 姫路城で 生まれました。


 御着城は 茶臼山城、天川城とも呼ばれ 播磨守護・赤松氏の家臣・小寺氏の居城で 永正十六年(15
19) 小寺政隆が築城。 天正六年(1578)頃 羽柴秀吉の播磨侵攻で 滅亡。 現在は 国道2号線が
城跡の中央を走り 本丸跡には 市役所東出張所ができ 御着城公園となっています。
公園には 黒田官兵衛・顕彰碑があり 横には 目薬の木が・・。 作家・司馬遼太郎の「播磨灘物語」には
官兵衛の祖父・重隆が 広峯神社で暮らしたとき 目薬の木で目薬を作って 売り 財をなしたと記されてい
るそうです。 それで わざわざ ここに目薬の木を植えたようです。 そういえば さっき行った甲山下の荒
神社にも 目薬の木があったような気がします。 私も目が悪いので 目薬の木が欲し・・い。


 顕彰碑の奥には 黒田家の廟所があります。 ここには 官兵衛の祖父・重隆と生母(明石)の2人が祀っ
てあります。 重隆のときから 姫路城主となり 後に 黒田家は 筑前福岡の城主となったので 地元では
筑前さんと呼んでいるそうです。 竜山石で造られた石塀の内部は 姫路市の史蹟となっています。 お城
のような建物の裏へ廻ると 天川橋があります。 天川橋は 姫路藩が 文政十一年(1828) 旧西国街
道の天川に架橋した 総竜山石の太鼓橋で 全長28m。 昭和47年の出水で崩れ 撤去されましたが
昭和55年 現在地に移設・保存されました。 下の低いところは 濠跡です。



 御着城跡を跡にして 黒田家の菩提寺・心光寺へ向かいますが その前に 世界遺産の国宝・姫路城
に寄らない訳にはいきません。 中へ入る暇はないので 姫路城十景「城見台公園」から 写真だけ撮り
ました。 工事が始まっているようで 高いクレーンが見えます。 国道2号線を西へ戻り 市川を渡り 天
神前で右折して 大善町で左折して 西へ走ると 城見台公園に出ます。 写真を撮り 右折して北へ向
かいます。 競馬場北の白国の交差点で左折して 西へ進み 細い山道を登ると 峠のようなところに出
ると ここに 實貞山摂取院心光寺があります。 心光寺は 黒田家の菩提寺です。 御着城から 城見台
公園まで 5.2km 心光寺まで 4.9kmで 13:02 着。


 縁起によると 室町時代 心光寺は 梨原寺といい 御着城主・小寺氏の菩提寺で 御着にありましたが
永禄年間に 黒田家の菩提寺になり 心光寺と改称し 天正年間に官兵衛が姫路城主となると 姫路城内
に移転しました。 その後 池田輝政の時代に坂田町に移転しましたが 昭和の時代に入り 国道2号線が
貫通し 諸堂も老朽化が進み 当地(北平野台)に移転しました。 境内にはいろんな花が咲いていました。






 13:31 英賀城に向かいます。 曲がりくねった細い県道516線を 真直ぐ西へ走り 県道67号線に
突き当たり 夢前川に沿って南へ向かいます。 夢前橋、京見橋を過ぎると 英賀保に入ります。 実は
英賀神社は きのう訪れたのですが 本丸跡が分からなかったので きょうは 神社から 約1km南の
本丸跡へ行きます。 中浜で路地に入り 老人に聞きましたが 知りません・・。 すぐ先にあるのに・・。
住宅街の道路脇の一角に 本丸跡の碑がありました。 14:03 着。 心光寺から11.3km走りました。
 今は 前を道路が走り 住宅が建ち込んで 隅っこに追いやられていますが 碑の前にある復元図を
見ると 当時は 南の本丸から 北の英賀神社にある土塁まで 約1km四方の広さがあったようです。
 それで 三大名城と言われたのでしょうか? 英賀城は 夢前川と水尾川が 外堀の代わりをしてい
る平城で 海にせり出した岩盤に築かれ 岩繋城と言われたそうです。



 英賀城は 播磨の守護大名であった赤松一族の城で 永享年間の初めに赤松祐和が 築いたと言われ
嘉吉の乱の後 勢力を失い 没後は 三木通近が 在城。 以後 代々 三木氏の居城となりましたが 戦国
時代の後半 置塩城の赤松宗家の勢力が衰えると・・・。 天正八年(1580) 秀吉により滅ぼされました。
英賀神社に 土塁跡が残っているそうなので 見に行きましょう。 北へ戻ります。



 英賀神社の北の英賀公園の脇に車を置き まず公園へ。 公園では 子ども達が 元気に走り回っていま
す。 公園にある石垣は お城と関係があるのでしょうか? 北から英賀神社の境内に入ると 左が土塁
跡で 碑もあります。 南へ進み 道路に出ると 大鳥居のある正面です。 大鳥居は 延宝八年のもので
奥が神門。 神社の境内は 高い木が茂り うっそうとした緑深い森を形成し 厳かな雰囲気です。


 毎月配布される”広報ひめじ”の6月号だったかの 裏表紙に 姫路”ハレ”の日 英賀神社なぎ祭~湯
立て が掲載され 一度 英賀神社を訪れようと思っていましたが お城つながり また 黒田官兵衛とも
つながっていました。 なぜか 本殿の東に 作家・司馬遼太郎の「播磨灘物語」の碑があり 本に 祖父・
黒田重隆が 目薬の木で儲けたことが 載っているそうです。



 ”広報ひめじ”にもありますが 英賀神社の創建は 遠く神代までさかのぼり 祭神は 播磨灘沿岸部を
開拓した夫婦神・英賀彦、英賀姫で 故に その地に 英賀の名をつけたと 『播磨国風土記』にあるそう
です。 歴代城主は 祭祝盛儀を尽くし 天正八年(1580) 羽柴秀吉は 英賀城攻略に際し 特に 英賀
神社に 除火の令を出して 敬神の誠を示したとか。


 神木・竹柏(なぎ)の木がそびえていますが 樹齢千年を越える竹柏は枯れて 今は 二世が育っ
ているようです。 マキ科のなぎは 成長が極めて遅いそうです。 なぎ祭・湯立てについては”広
報ひめじ”を 見てください。
 本殿に お参りして 神木・竹柏の木を見て 播磨灘物語の石碑を見て 神社の裏から 車に戻り
帰路につきます。 京見橋に出て 県道415号線を 西へ走り 14:27 帰着。
本日の走行距離は 荒神社まで 21.5km 武士の館まで 4.7km 松原神社まで 1.9km
御着城跡まで 9.6km 城見台公園まで 5.2km 心光寺まで 4.9km 英賀城本丸跡まで
11.3km 家まで 6.3kmで 計 65.4kmでした。



 きょうは 道の分かり難いところもありましたが 一応 予定の場所を 全部 廻ることが出来ました。
また 姫路に関する歴史の一部を 勉強することができ 黒田官兵衛が NHKの大河ドラマになっても
背景が理解できるかも? でも 一ヶ月も経つと忘れてしまう・・・。
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《 追 記 》 下記は 「播磨灘物語」に関する ウェブからの抜粋です。
  司馬遼太郎の「播磨灘物語」は、戦国時代を 才知でかけぬけた 智将の物語である。 姫路城が
 まだ 小さな館で 播磨の豪族の支城であった頃のことである。 この城で 黒田官兵衛孝高は生まれ
 儒教精神と合理性を兼ね備えた戦国武将になった。 「黒田武士」のはじまりも この官兵衛だとされ
 る。 司馬さんが 播磨を意識するようになったのは、ここが 先祖の地だと知ってからだ。
  姫路の市街地から 南に6㌔、瀬戸内の港に近い英賀は、戦国時代に 一向宗を信仰する武士集
 団が住んだ 小さな城下町。 司馬さんの先祖も この城に こもった英賀衆のひとりだった。 しかし
 この英賀城は 信長に反旗をひるがえしたことで、秀吉・官兵衛の軍勢に 攻め滅ばされてしまう。
  官兵衛は 司馬さんにとって 先祖の仇敵なのだが、なぜかこの「戦国末期の点景」に 惹かれるも
 のがあったという。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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甲山 こうやま 98m

2010-07-10 16:11:45 | 山歩き
 7月10日(土) 天気:曇り+蒸し暑い+モヤ    地図:姫路南部

 きょうは 姫路市飾磨区にある低山 甲山に登ってきました。 『播磨 山の地名を歩く』の中播磨の項
にある山ですが 本には 三山が記され 北の豊富町の甲山と 南の手柄山の北にある冑山 には登っ
たので 最後の山です。 この甲山は 国府山とも言われることは 本にも書いてありますが この山は
国府山城跡です。
 最近 姫路では 国宝姫路城の平成大修理にあわせてか なにかと 黒田官兵衛が 話題になってい
るようですが 国府城は 官兵衛が 父職隆と移り住んだお城で 別名・妻鹿城とも言われるそうです。
 また 官兵衛は 西播磨最大の領主だった小寺氏の本城・御着城で 家臣として仕えたそうで お城
つながりで 御着城址もめぐり 官兵衛にまつわる史蹟を訪れる 西播磨歴史探訪ドライブツアーです。

 手元に 新聞の折込版 サンサンあさひ3 ”はりま歴史浪漫の旅 黒田官兵衛ゆかりの地を巡るの巻”
と 新聞の5月7日付夕刊の”歴ナビ旅する日本史 ゆかりを訪ねて 黒田官兵衛” という 2枚の紙が
あり いつか・・と思っていました。
 きょうは まず 甲山の南麓の荒神社から 甲山・国府城跡(妻鹿城)に登り 山から降りて 官兵衛の
父・黒田職隆もとたか廟奉所へ。 国道250号線を越え 黒田武士の館へ。 ついでに 灘のけんか祭
りで有名な松原八幡宮へお参りし 国道2号線の御着城址へ。 顕彰碑、廟所を見て 黒田家の菩提寺
である心光寺を訪れ 最後に英賀保へ帰り 英賀神社・英賀城跡をめぐりました。 播磨では 別所氏の
三木城、三木氏の英賀城、小寺氏の御着城が 三名城と言われているそうです。

 朝起きると 天気は まあまあのようなので 出かけることにしました。 8:56 出発。 姫路バイパスを
東へ走り 姫路東ランプで降りて 南へ向かい 継の信号で右折。 小富士山・仁寿山を見ながら西へ進
み 甲山と御旅山の間を抜けて 南へ下り 荒神社の前に来ましたが・・。 市川工業用水道管理所の前
のスペースに停めました。 駐車場では ありませんが 休日なので 大丈夫でしょう。
9:29 駐車。 家から 21.5km。 市川の土手に上がって 甲山を 撮りましたが 冑に見えますか?

 直ぐ横が 荒神社です。 階段の上に妻鹿城址の石碑があります。 さらに階段を上がると社があり
お参りして 9:43 右の山道へ入ります。 さっそく ササヤブです。 暗い雑木の道は ヤブ蚊は多
いし ササは濡れているし クモの巣はあるし・・・。 道ははっきとしていて 黄テープ、道標もありま
す。 真直ぐ北へ進んだと思うのですが 南に折り返すと ひどいササヤブになり 背より高いササが
倒れこんで トンネル状になっています。 足元は見えず ズボンは 直ぐに ずぶ濡れに・・。


 幸い 道はなだらかで 登る苦労はありません。 前方に鉄塔が見えてきて 9:55 鉄塔のフェンス
に突き当たり 右に回ります。 右に 折り返し北へ進む道があり そのまま進もうかと思いましたが 念
のためフェンス沿いに南へ廻ると 広場?があり 南の展望があります。 南に 市川の河口が見え 西
に見える山並は 苫編山でしょう。 姫路市街も見えますが 濃いモヤに かすんでいます。


 9:56 北へ進みます。 ここからは ササはなくなり 落ち葉の雑木林です。 鉄塔から 5、6分で
山頂に登りました。 この山には 三角点はなく 98mの標高点しかないので 山頂という確信はありま
せんが 曲輪という小さい標識があるので 山頂と分かります。 下の荒神社にあった案内図では 禿
山のように描かれていますが 今は 雑木のヤブで 城跡を示すものは 何もありません。
 色あせた展望図があり 姫路城、英賀城跡も描いてあります。 北へ 道が延びていて すこし歩いて
みましたが 見晴らしはありません。 西に 雑木の疎らなところがあり 西から北の展望があります。


 西に 苫編山~籾取山の荒川五山が かすんでいますが 近くに見えます。 手柄山は 山上の施設で
分かりますが 肝心の姫路城が 私のたたり目?では かすんで 確認できません。 八丈岩山の方向
だと思うのですが・・。
 下の写真は 案内図にあった国府山城の由緒です。 興味のある方は どうぞ。 本来なら この写真を
見て 文章を書くのですが 写真を載せるほうが 手っ取り早いし 文字数も少なくて済むので。 国府山
城は 功山城とか 妻鹿城とか 呼び方が いろいろあるようです。 秀吉に姫路城を明渡し 父・職高と共に
ここ妻鹿城に移り住んだ官兵衛は 何を考えていたのでしょう。 当時 姫路城を 秀吉に渡さなければ
今の姫路城は なかったとも 言われていますが・・。 ”サンサンあさひ”には 播磨の武士顕彰会の神澤
さんの言葉で 国府山城址から 官兵衛が見た同じ景色を見てください とありますが 同じ景色を見る
のは 不可能です。 当時は 姫路バイパスや 鉄塔はなかったので・・・。



 10:11 下山。 15分ほどで 車に戻り 黒田職隆廟奉所へ向かいます。 しかし 持っている資料は 大
まかな地図で 妻鹿駅の北というだけで 詳しい場所は分かりません。 歩いている人を掴まえて 何回も聞き
ますが 地元の人も知りません。 何人目かに聞いた 軽トラの兄ちゃんは 親切にも 軽トラをUターンして 住
宅街の細い路地を走り 先導してくれました。 違う場所へ・・。 違うと言うと 地図を見直し 飾磨高校に突き
当たり 南へ下り 元宮八幡神社へ。 違うけど 丁寧に お礼を言って別れました。
 近くにいた自転車の老人に聞くと やっと 自転車で 廟所へ案内してくれました。 袋小路の難しい場所です。
こんなに 苦労して来るほどのこともなかった? 荒神社から 直線距離で 500mほどですが・・・。
 黒田職高(1522~1585)は 御着城主・小寺氏の重臣・重隆の子で 官兵衛の父親です。 廟所にある
五輪塔は 墓塔です。


 10:55 職隆の廟所をあとにして 播州・黒田武士の館へ向かいます。 さっきの軽トラの若者は こ
こは よく知っていると 場所をきちんと教えてくれました。 が 今度は 私が道を間違がえて・・。 国道
250線に出て 妻鹿の信号で右に曲がるのですが 手前の道に入ってしまい・・。 間違えたことは分か
ったので 裏から廻って・・。 幼児と散歩中の美人の若奥さんに尋ね 親切に教えて頂きました。 武士
の館も住宅の並ぶ一角の 分かり難い場所にある 普通の民家です。 ここも 苦労して来るほどのことも
なかった? 荒神社から 職隆の廟所経由で 4.7km走りました。 先ほどの神澤さんは ここ武士の
館の館主です。 地元では 黒田官兵衛を NHK大河ドラマの主役に 担ごうとする活動も盛んとか・・。
誘致する会の会長は 姫路市長?


 11:10 到着。予約はしていないので 中を見学することは出来ませんが 官兵衛 直筆の書状など
があるそうです。 外から見ると 物置に ガラクタが置いてあるだけ のように見えましたが・・。
 次の訪問地は 御着城ですが その前に途中にある松原八幡宮に寄りましょう。 白浜の八幡神社は
姫路城の羽柴秀吉と 三木城の別所長治との合戦のとき どちら側にも組せず 別所からは 社殿を焼か
れ 秀吉からは 社殿の移転を迫られたそうですが 官兵衛が懇願し 現在の場所に収まったとか・・。
 灘のけんか祭りで有名な松原八幡神社も 官兵衛のゆかりの場所です。 国道250号線に出て 東
へ進み 二つめの信号を左折して 北へ行くと 八幡神社に出ます。


 11:22 神社の南のけんか祭りの観覧席前の広場に車を停めました。 武士の館から 1.9km。
この神社も 地元・網干の魚吹八幡神社と似て 雰囲気のある 立派な神社です。
 松原八幡神社は 天平宝字七年(763)豊前 宇佐八幡宮から 分霊を勧請して 創建。 戦国時代に至っ
て 度々の戦乱被害にあい 天正十二年(1584)社頭再建を伝える。 現社殿は 享保三年(1718)、楼
門は 延宝七年(1679)の造営。 楼門は 姫路市指定重要有形文化財。 楼門を潜って 境内に入ると
子ども達がボールを蹴って遊んでいました。 拝殿の右に御神木の銀杏の大木があります。 樹齢500年。 

  

 境内をぐるっと一周して 車に戻りました。 北へ進み 国道250号線に出て 東へ走り県道551号
線で左折して 左に小富士山・仁寿山を見ながら 北へ走ります。 この県道も車が多く のんびり走る
ことは出来ません。

   このページも 文字数が多くなりましたので 御着城跡・英賀保城跡は
   7月14日の 次のページでつづけます。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 御着城跡へ つづく ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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