私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

但馬・妙見山 1139m

2011-08-28 17:03:47 | 山歩き
 8月28日(日) 天気:曇り のち 晴れ 室温:34.6℃  地図:関宮(北西)+栃本

 きょうは やまあそさんに誘っていただき 但馬の妙見山に登ってきました。 なぜ いまどき 妙見山と
思いましたが おじいさんつながりで 一緒に行った作畑ガールの希望だそうです。 TQFさんも同行され
ました。 この前 大山・三鈷峰に行ったとき しんどかったので どうしようか 迷いましたが 作畑ガール
のカタツムリの登りのお陰?で 何とか登ることができました。 名草神社に降りて 国宝・三重塔を見て
妙見菩薩が 神仏分離により 移された麓の日光院に お参りし 新『ふるさと兵庫50山』 にある通り 充実
した山歩きができました。

 9:30 集合ですが どれだけかかるか 分からないので 早目の 6:41 出発。 姫路バイパスから 播
但道に廻り 和田山ICを通り 7:41 国道312号線に降りて 右折。 朝 早かったので 播但道は 空い
ていました。 ここまで 1時間ほど。 料金は 1400円と表示されましたが 休日3割引があり 請求は 9
80円でしょう。 7:44 一本柳で 国道9号線に入り 西へ走り 7:59 つるぎが丘で 右折。
 ここで ちょっと 道を間違えましたが すぐ県道6号線に戻り 北へ。 県道267号線に入ると 一本道です。
名草神社の道標を見て 妙見蘇武林道に入ります。 このまま行くと 早すぎるので 先に 日光院に寄りま
した。 きのう 本を見て 妙見菩薩が 山麓の日光院に 降ろされた ということを 勉強しておいたのです。
日光院には 8:16 に着きました。 日光院は このページの最後に・・・。


 日光院から 狭い林道を 7.7km登り 8:41 名草神社の駐車場に着きました。 早すぎました。 家か
ら 119.4km。 坂道を上がり 国宝・三重塔を見てきました。 暇なので 作畑ガールに 連絡しますが
通じないし・・・。 9:30 少し前に やまあそ号が 到着。 200m下の駐車場に移動。 TQFさんも来られ
やまあそ号で 登山口へ移動しますが 林道が 荒れているので 少し下の林道脇に 駐車。
 上の図は 林道分岐にあった登山ルートですが 右下が 北になっています。 登山口から 大ナル新道を
登り 山頂へ。 尾根を辿り 名草峠から 丁石地蔵道を 名草神社へ降ります。 
 9:55 スタート。 林道を歩き キャンプ場前へ出ると 建物がありますが 廃墟になりそう・・・。 小さい
分岐を過ぎ 林道終点が 登山口です。 右の階段を上がります。



 ここから 丸太の階段が続きます。 初めは なだらかでしたが 直ぐ急な登りになり ペースが落ち 汗
が 噴き出してきました。 きょうは 曇りで 少し涼しかったのに・・。 6月5日に 大高山・権現山に登って
から 2ヵ月間山登りを していない作畑ガールが 少し遅れ気味・・。 休憩。 TQFさんが 休むと 乳酸が
出て 疲れるので 休まない方が いいと 言われますが・・・。



 休むと乳酸が出るのは 分かりませんが ネットを見ると 疲労物質「乳酸」は 疲れて 血液が酸性に
なり 細胞の活動が低下すると 発生する? 血液循環の悪い人は なかなか乳酸が消滅しない。 普段
あまり運動をしない人は 乳酸がたまりやすい。 すっぱいもの、クエン酸や酢酸は 乳酸を水と炭酸ガス
に分解し 体外に出す働きがあるそうです。 乳酸をためないコツとして 日頃から運動をして 血液循環
を良くする。 運動は ウォーキングやジョギングなどの 有酸素運動が いいそうです。

 途中 右下に 名草神社の屋根が見えるところが ありましたが ずっと 見晴らしはありません。 我々
が ブナの木を見ながら 休憩していると 後から登った夫婦が 追い抜いて行きました。 やや急な登り
は 標高1100m辺りまで続きます。 TQFさんが GPSを見て あと400mと言って 励ましますが ペ
ースは 上がりません。 山頂の300m手前辺りから なだらかになります。



 夫婦に 100mほど遅れて 山頂に着きました。 11:18 登頂。 本に キャンプ場から 65分とあ
るので ほぼ標準タイムです。 山頂には 2003.8.28 四等三角点:妙見山が設置されています。
標高は 1135.5mで 地図にある1139m標高点より すこし低い位置に 三角点があります。
 昼食後 TQFさんと 100mほど南の本当の山頂へ行きましたが なにもありません。 細い道は
先へ延びているようでしたが 西の尾根の先にある 二等三角点:福岡まで 道があるのでしょうか?



 山頂へ戻ると 単独の女性が 登ってきました。 やまあそさんじゃ ありませんか? やまあそさんは
全然 気付かなかったようですが 女性が 竹林山で・・・と言うと 思い出したようです。 この女性は
「POREKOの山小屋」 というページを持っておられ 世界中の山を歩かれています。 すごい人だっ
たのです・・・。 今度 どこかで お会いしたら 分かるでしょうか?



 本日の ”やまとも” デュオの演奏会は ”さようならの夏” 知らない曲でした。 無線が入り 演奏会
どころでは ありません。 千ヶ峰のたらちゃん、氷ノ山のたぬきさん、植松山のOAPさん とつながった
ようで TQFさんも対応され てんやわんや?  食事中の女性を ひとり残して 先に 降りました。
TQFさん! 降りるとき すでに 首にタオルが ありませんよ! 何所に 置いたのですか?



 北尾根を降ります。 以前 歩いた時は 左下の林道を歩くように なっていましたが 今は 尾根
に いい道があります。 天気が良くなり 林道は 日が照っていて 暑そう。 尾根道は 日陰です。
しばらく 急な下りが続き なだらかになると 今度は 登りです。


 その先で TQFさんが 大事なタオルを落とした と言って 引き返しましたが 直ぐに 戻ってきまし
た。 山頂に忘れていたのを 単独女性が 持って来てくれたのです。 ともみさんの白いタオルなら
持って来なかったが いいタオルだったので 持主がいなければ・・・。  ここから 五人で 降ります。
名草峠まで 遠く感じましたが 12:54 峠に降りました。 ここに お地蔵さんがあります。



 峠から丁石地蔵道を降ります。 道は やや荒れていて 雨水に洗われ 溝のようになった所もあり
湿って滑りそう。 丁石地蔵を見ながら歩くので ペースは上がりません。 TQFさんは 静かです。
我々のカタツムリの歩みとは ペースが合わない? 大きな杉の朽ちた切株もありましたが この前
の作畑ガールのレポの 毛原のものには 負けています。 神社の手前、ザゼンソウ自生地に ツリ
フネソウがあるかと 思ったのですが 全然 ありません。


 13:27 名草神社に降りました。 目の前に拝殿あります。 立派な建物で 入母屋造、桧皮葺。
確か 重要文化財。 棟札に 元禄元年(1688)ころに建立されたと・・。 組物、木鼻などは 古調で
見るべきものがあり 保存も良好 とありますが 書かれたのは 昭和51年です。 江戸時代中期
の代表的な 割拝殿として貴重な遺構である・・・。 



 石段を上がり 拝殿を潜り 本殿にお参りしました。 本殿も立派な建物で 重要文化財です。
ともみさん曰く 昔は 但馬の人は よく名草神社に お参りしたそうで 生野の人も お参りしたそう
で ともみさんのおじいさんも お仕事の関係で・・・
 お参りを済ませ 正面の急な長ーい石の階段を降りますが これが よく滑るのです。 滑ると 「蒲
田行進曲」 程度では 済みません。 なんとか 降りましたが・・・。



 階段を降りると 国宝・三重塔があります。 寛文五年(1655) 出雲大社から移設されたそうなので
相当 古いのですが まだ 色鮮やかで 新しく見えるのは 昭和62年に 解体修理されたからでしょう。
 一重の軒隅で 力士が屋根を支え 三重の軒隅には 「見ざる 言わざる 聞かざる 思わざる」を表
わした 四猿の彫刻があります。 かなり 高い位置にあるので 私の3倍ズームの安物カメラでは・・・。



 四猿の写真を頂きましたので 下に追加します。 三猿 見ざる 言わざる 聞かざる は 東照宮で
有名ですが 深い意味があるそうです。 見ざる 言わざる 聞かざる に 順序は あるのでしょか?
ここの猿には 思わざる もいます・・・。


 作畑ガールが 妙見の大杉を訪れた という証拠写真を撮って 切株を見て ”妙見の 雪に埋もれて
ひっそりと・・・” の歌碑を見て 13:58 車に戻りました。 TQFさんが 駐車場の正面に見える
山並を見て 床ノ尾山だと言われていましたが・・・。 そういえば 登山口にあった展望図には 西床ノ尾山
も描いてありました。 この駐車場は 鹿のフンだらけです。 フンだら アカン・・。 ここから 登山口へ車で
移動します。 林道分岐で 待っている間に 分岐にあった案内図を撮り これを使って 地図を作りました。。



 TQFさんは ここで 帰られましたが 我々は 麓の日光院に寄りました。 高野山・真言宗 妙見山日
光院は 飛鳥時代(572年)に 日光慶重が この地に一寺を築いたのが 始まりで 肥後の国・八代
妙見、下総国・相馬妙見と共に 日本三妙見のひとつです。 ご本尊は 妙見菩薩で 北斗七星と同体
とされ 万物の運勢を司る仏像として 信仰されている・・・。



 天正年間 羽柴秀長?の山陰攻めにあい・・・妙見中腹に移転、復興し 妙見全山を伽藍とする壮
大な妙見信仰の一台霊場として 繁栄を極めました。 明治になり 廃仏毀釈の嵐が 吹き荒れ・・・・
今日に至っています。 日光院の建物に 新たに 名草神社が入り お寺の建物が そのまま神社とさ
れたのです。 そこが 日光院であったが 故に 仏教の象徴である三重塔が 名草神社の境内に存在
しているのです。 と 恨みごとが 書いてあります。



 宝物館にも入りましたが 中は暗くて 目の悪い私には なにも見えませんでした。 鉱物がありまし
たが・・。 14:41 日光院を後にして 帰路につきます。 林道を下り 県道に入り 帰りは 間違え
ずに 県道6号線から 国道9号線に入り 和田山手前で 少し混んでいましたが 15:15 一本柳で
右折。 和田山ICで 播但道に入り 初めは 空いていたのですが どんどん車が つながり 20台以
上つながったでしょうか? 福崎を過ぎ 2車線になり やっと まじめに 走れるようになりました。


 16:10 花田ICを通り 姫路バイパスを走って 16:34 家に帰りました。 帰ると 疲れが
ドッ と出て ぐったり・・・。 なにせ 今朝は 久しぶりに 早く起きたので・・・。 本日の走行距離
は 往路:119.4km 日光院まで:6.4km 復路:117.5kmで 計:236.9kmでした。


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福崎町の金剛城寺と山町の多田廃寺?

2011-08-27 14:23:13 | ドライブ
 8月27日(土)  天気:晴れ 後 にわか雨  室温:33.4℃

 きょうは 福崎町の 高野山真言宗 七種山・金剛城寺に行きました。 新西国第30番霊場、播磨西国
第12番霊場・札所です。 この前の 「歴史教室」 の 奈良・平安時代に創建の古代寺院には 載ってい
ませんが 633年開山の古刹で 法道仙人伝承に関わりがあるようです。
 帰りに 白鳳期の播磨古代寺院のひとつ 多田廃寺(姫路市山田町多田)へ寄り 探したのですが・・・。

 9:11 出発。 姫路バイパスから 播但道に廻り 9:46 福崎北ランプを降ります。 きょうは
なぜか 播但道も車が 多かった・・。 ここまで 38.2km、400円。 左折して 西へ進み 辻川で
国道を横切り 福崎駅横の踏切を越え 県道406号線を真っ直ぐ進むと 金剛城寺の前に出ます。 田口
集落センター前の県道脇に 駐車場があります。 9:58 駐車。 ここまで 福崎北から 6.1km、
家から 44.3km。

 直ぐスタート。 金剛橋を渡ると 手前に 「七種山金剛城寺」 の碑が立ち 左奥に 仁王門が見えてい
ます。  仁王門は 大変豪華な建物で いろんな木鼻や彫り物があります。 仁王さんを見て 仁王門を
潜り 境内に入ると あまり 手入れが行き届かないようで 雑草が 茂っています。

 折角 お寺で パンフレットを 買った(100円)ので これを書かないと・・・パンフレットの「縁起と
沿革」によりますと
 推古天皇の御子、聖徳太子 自ら七種山に登りたまい 山容に霊気を感じて 「これ 三宝相応の地なり」
と讃嘆せられ 国家安泰の祈願所として 一寺を建立せんとの願いを抱かれたが 果さずして 薨じたもう。
・・・・高句麗の恵灌法師 渡来し 太子の遺志を継いで この地に 慈岡寺(しげおかでら)を創建した。

 法師の徳を慕う諸国の人びと 相競って 財物を寄進したので 七堂伽藍たちまちに竣工。 舒明帝
の五年(633)5月 法道仙人を供養導師として 開山の堂供養大法会を厳修した。 御本尊 十一面
観世音菩薩は 恵灌法師の一刀三礼の御作である。

・・・ 嵯峨帝の御代 弘法大師 播磨巡錫の途次 この寺に滞在して 真言密教の秘法を修したまえるとき
から 真言の法幢を掲げ 金剛城寺と称するようになった。 この頃より 当山 いよいよ隆昌、数十の僧坊
・・・・
 これより前 天平四年 焼失。 聖武帝の勅命によって再建。・・・・将軍足利尊氏公 当山に帰依 伽藍を再興。
・・・・ 更に 文明11年(1474) 三度 兵火の厄に遭い その後 久しく衰徴の一途をたどったのである。

 明治三年(1870) 廃仏棄釈の法難を蒙り 寺領は国家に没収され 伽藍 また将に 破壊されん
としたので 檀信徒は 急遽 阿弥陀堂と 住承院、地蔵院、正覚院の中の庫裏一棟を 田口の村中へ移築
し 御本尊を安置し奉った。
・・・・・・明治30年 国家を相手に 旧境内地七種山林百十余町歩 下げ渡しの行政訴願を起こし・・
明治35年 遂に 当寺の勝訴を勝取ったのである。
・・・・・・
 爾来 明治40年代より昭和30年代にかけて 本堂、仁王門、護摩堂、本坊、庫裡、大師堂など 建築
の槌音 絶える時もなく 現在見るような伽藍整然たる輪奐の美、輝くばかりの浄刹として 復興したので
ある。  ・・・・・・と 概略 このようなことが 書かれています。

 写真と文章が かなりずれて 読み難いと思いますが・・。 仁王門を潜ると 右に鐘楼がありますが
建物は やや貧弱な感じがします。 鐘には 四天王が 浮き出ています。 左へ行くと 十二支守本尊
石像があり 右から 千手観世音菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不
動明王、阿弥陀如来と並んでいて 手前に 子、丑、寅・・・と 小さい動物像も並んでいます。

 十二支像を見て 左へ進むと 弁天堂があり 奥の神社への道へ出ましたが 大師堂は? 阿弥陀堂
の手前に 大きな宝篋印塔があります。 大きな木の陰で 暗く写真写りが悪いのですが 後ろには 安
永三年とあるので 1396年? 東屋の裏に 石造地蔵菩薩像があり 安永六年(1399)の刻銘があり
福崎町では 最も古い在銘石仏で これは 町の重要文化財。 高さ121、幅96、厚さ15cmの三角形
状の石英面岩に 菩薩像が 刻まれています。 地蔵菩薩より 宝篋印塔の方が 古いのに・・・。
阿弥陀堂に お参りし 本堂にも お参りしました。 本堂正面の額には 歌があり ”金剛の をしへの城の
みめぐみの つゆ慈岡や 七ぐさのさと”とあります。 誰か 有名人の歌でしょうか? 本堂の前に 手水
舎がありますが 水は 涸れて カラカラ。 山から 水が豊富に 流れているので 水を引けば いいのに・・。

 右にある本坊も立派な建物です。 山の上に建物が見えます。 本堂の左から 階段を上がると 護摩
堂がありました。 展望台のようになっていますが 眺めは・・。 一通り見て 帰ろうとすると 庫裡から
女の人が出てきました。 グッドタイミング! パンフレットは ありませんか?と尋ねると あります とのこ
と。 奥から出して いただきました。 入口にあった説明板は 風化して 文字が 読みにくくなっています。
よかったァ・・ これで このページも 文字を埋めることができました。

 11:00 車に戻りました。 この県道脇から 北に山が見えますが 七種山か槍は 見えるのでしょう
か? まだ 早いので 姫路市山田町多田の多田廃寺を見に行きましょう。 県道406号線を戻り 福
崎駅の踏切を渡り 国道312号線に出て南へ。 播但道の船津ランプの前を 1kmほど東へ行き 細
い道を曲がり 北へ行くと こんもりとした森が見えます。 あそこが 諏訪神社でしょう。

 11:23 諏訪神社脇の空き地に 車を停めました。 金剛城寺から 13km。 この森は 盛り土をした
丘のようになっています。 後で 分かったのですが 前方後円墳跡でした。 境内は 滑り台や鉄棒が
設置され 公園になっています。 奥へ進むと 鳥居があり 諏訪神社の境内であることが 分かります。
鳥居を潜り 境内に入ると 左に手水舎があり 手動式の井戸ポンプがありますが 完全に干上がって
いて 掛けてある 白いタオルが むなしい感じです。

 「諏訪の石穴」(兵庫県指定重要有形文化財・史跡) の説明板に 市川流域の左岸段丘上にあって
ほぼ東西方向に 主軸を保つ 全長40mの前方後円墳である。 多田古墳とも呼ばれる。 後円部の
側面には 片袖式の横穴石室としては 古式のものである。 六世紀前半と推定されるが 出土遺物
は 不明である。 諏訪神社は この石室を神殿として 石室内に 石祠を置いて 建御名方の神を祀っ
ている。 石室羨道の入口前面に拝殿が 作られている。 ・・・とあります。

 多田廃寺については 何も書いてありませんが とりあえず 神社に お参りしました。 神社の手前に
あった注連縄の岩が 心礎だったのでしょか? 前方後円墳の丘に上がり 廃寺の痕跡を探しますが・・・
草はらを歩いていると 瓦の破片がありましたが なんか まだ新しそうで 白鳳期のものとは 思えません。

 この古墳の周辺は 今は 木が茂り 古墳の全体を見渡すことが できませんが お寺を建てるスペース
は あったのでしょうか? 当時この辺りに住んでいた豪族・有力者が 多田寺の建立に 尽力したのでしょ
うか? 探しまわって 神社の拝殿に戻り 立ててあった立札を見ると 裏に 下の写真の説明が・・。
 塔心礎は 池の西から 運ばれてきた? ということは お寺があったのは 池の西? 運ばれてきた 二
つの心礎は どこに? なにも 分かりません。

 納得はいきませんが 多田廃寺塔心礎の説明板があり 一応 痕跡を見付けたということにして・・・。
12:00 車に戻り 帰路につきます。 2.2km走って 12:06 船津ランプから 播但道に入り
途中 豊富PAに寄り カレーを食べ 姫路バイパスを走り 13:16 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:44.3km 諏訪神社まで 13.km 復路:36.6kmで
計:93.9kmでした。

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仏像の祈り7

2011-08-26 18:59:05 | 日記
 8月26日(金)  天気:晴れて 暑い   室温:34.1℃

 本日のBS8 『日本人こころの巡礼~仏像の祈り~』 第8話は 1.鎌倉の大仏 2.円応寺の閻魔大王
3.勝常寺の薬師如来 4.元箱根の磨崖石仏群・地蔵菩薩 です。

1.鎌倉・高徳院の大仏は 阿弥陀如来座像で 国宝です。 高さ11m以上、台座を含めると 13m以上の
高さになる銅像で 奈良の大仏に 次ぐ大きさで 中に入ることができるそうです。 やや下向き目線の仏像
は 中国・唐の道教の影響を受け 白豪から 慈悲の光が放たれ 手は 定印を結んでいます。 武士政権
が 生まれた鎌倉で 造られた大仏の記録は 残っていないそうです。



2.円応寺の本堂・閻魔堂に 祀られる閻魔大王は 人の死後 六道のどこで 刑を受けるか 決める神です。
中国・道教の神と融合している? 高さ190cmで 鎌倉時代の運慶の作。 運慶が地獄へ落ち そこで見
た閻魔大王を 生き返ってから 造ったとか・・。 裁判官役の本地仏・十王の思想があり 死後の行き先が
定められるとか・・・。



3.会津・磐梯山の麓 勝常寺の薬師堂に 祀られる薬師如来像は 病に苦しむ人を 救う神です。
脇侍に 日光・月光菩薩を従え 十二神将に 守られています。



4.元箱根の石仏群、磨崖仏は 険しい山間にある昔の東海道の難所で 旅人を見守ってきました。 磨
崖仏群 20数体の地蔵菩薩は 何所へでも 人々を救いに行くそうです。 お堂が復元され 中に 地蔵菩
薩が 祀られています。 六道地蔵の名で 親しまれ 六道を等しく巡り 救いの手を差し伸べます。 左手
に 宝珠、右手に 錫杖を持ち 700年の時を越え 見守ってくれています。



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サギソウ展

2011-08-25 12:17:47 | 日記
 8月25日(木)  天気:曇り 後 雨   室温:29.1℃ 蒸し暑い

 きょうは 久しぶりに 姫路温室植物園に行ってきました。 今は 市花 「さぎ草展」 をやっています。
今年は シラサギを見ることは できないでしょうから 「自然と盆栽同好会」の展示で 我慢しましょう。

 サギソウは 本州以南の日当たりの良い湿地原野に 自生する日本原産のラン科の植物です。 サギソ
ウの花は その名が 示すように 色や形が 「シラサギ」 の姿 そのままで 造化の妙 というほかなく 古くか
ら山野草愛好家に 親しまれている夏の代表的な 山野草です。 盛夏の頃 湿原に 真っ白なシラサギが
群れをなして 飛んでいるように 咲いている姿は 大変 美しく しばし 夏の暑さを 忘れさせてくれます。



 姫路市では 市のシンボルー白鷺城ーに相応しい花として 昭和41年に このサギソウを 市花に制定し
ました。 かっては 姫路市近郊の湿地にも 白鷺の自生地が 各地にあったのですが 近年では 乱獲や
開発などにより 絶滅が危ぶまれる植物のひとつとなってしまいました。
 姫路市では このかけがえのない 素晴らしい 花の保存に努めるとともに 毎年 展示会を開催して 多
くの人に サギソウの魅力を 知っていただき 共に サギソウを育てていきたいと 考えております。



 展示室の外にも サギソウが並べてあります。 同好会のものではなく 植物園のものでしょうか? とこ
ろが 開けてびっくり玉手箱? 展示室に入ると いつもは 閑散とした屋内に きょうは 大勢?の人が・・。
まさに デバカメ状態。 三脚を立て カメラに長いレンズを付け ピント合わせに余念がありません。 同
好会の人が 撮影会? たかが サギソウで・・・。 されど・・・。




サギソウ展のほかに アクアプランツ・食虫植物も 展示してありますが・・・。 なぜか 金魚や熱帯魚も
いました。



≪8月26日 追記≫
 きのう 広報ひめじ9月号が 配布されました。 それを見ると 「史跡見学会 古代 大田里を訪ねて」 が
10月23日に行われるそうで 和久遺跡や瓢ひさご塚古墳、下太田廃寺など 市内西部の代表的な遺跡
を巡るようです。 広報の「大田」は 字が 間違っています。 点がない。 点で 話しにならない?
 この前の「歴史教室」で 播磨の古代寺院を学び 下太田廃寺を 訪れたばかりです。 良かったァ・・
先に訪れておいて・・・。 和久遺跡は 2001年だったか ツカザキ病院が できる際 発掘調査が 行わ
れましたが 最近 以前 発掘しなかった県道側の駐車場を 半分掘り返して シートを被せているのです。
ひょっとして この史跡見学会に併せ 発掘しているのか・・・・・。 調べてみます。
 広報の同じページに 「秋季企画展 弥生時代の姫路」で 10月に 名古山遺跡、和久遺跡など 弥生時
代の重要な遺跡の調査成果を 紹介します とあります。( at 埋蔵文化センター )
・・・・・・
 今 見てきました。 やはり ツカザキ病院の駐車場を 発掘しています。 50mプールより やや 広い
くらいの面積を 深さ 約1mほど掘っていますが 見えるのは 四角い穴がふたつだけ・・・。 手前にいる
現場監督のような人が 学芸員でしょうか? 掘った土を 横の道路に 盛り上げています。




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法華山・一乗寺

2011-08-20 15:02:35 | ドライブ
 8月20日(土)  天気:曇り 後 雨 後 曇り   室温:27.7℃  地図:笠原

 きょうは 加西市の法華山・一乗寺に お参りしてきました。 これで 「播磨天台六山」 は 完了です。 朝方
明るい曇り空で 雨は 大丈夫そうでしたが 帰る頃には 雨が降ってきました。 一乗寺には 何度か訪れて
いて 2007.12.9 には 法華山にも 登りました。 以前の記録を再編集して アップしようかと 思いまし
たが 写真も 少ないので もう一度 行くことにしました。 確か 前回は 本堂は 修理中だったような・・。
今回は 賽の河原までしか 行っていません。 法華山への山登りは 前回の記録の書き直しです。

 9:42 出発。 姫路バイパスから 播但道に廻り 10:09 花田ICを降ります。 播但道は ほとんど走って
いないのに 出口で 100円取られます。 ここまで 23.9km。 国道372号線に廻り 東へ7.4km走る
と 小原の交差点に出て ここで 右折。 坂を下り 畑の道標で 左折しますが ここは 加古川市?
 県道717号線に入ると うっそうとした森林、山道です。 加西市に入ると 直ぐに 一乗寺に着きます。 左
の駐車場の入口で 300円(環境整備協力費)を 支払います。 10:28 駐車。 家から 34.5kmの距離
です。 前に 水子供養の お堂がありますが 一乗寺とは 関係ない とあります。 直ぐ スタート。



 白壁に沿って 100mほど行くと 入口です。 この辺りには 石塔が いろいろ あります。 石橋を
渡ると 石灯籠があり 宝暦12年の銘が彫ってあります。 1762年? 江戸時代のものです。



 正面の笠塔婆は 石英粗面岩で造られ 二重の基壇上に立って 総高2.9m。 反花座をつけた
台石に 方柱状の塔身をすえ 正面に 正和五年(1316)の刻銘が あり 県指定の文化財です。



 入口で 拝観供養料400円を支払い パンフレットを もらいましたが 案内図がありません。 係りの女
性に聞き 手描きの案内図を見せて頂きました。 是非 案内図を設けてほしい。 大きな杉の木が あり
ますが 雷が落ち 枯れそうです。 境内配置図を見ると 常行堂、三重塔、金堂が ほぼ 一直線に並
んでいます。 このように 山の斜面に平坦地を設け 伽藍を 直線的に配置する方式を 禅宗式というよ
うです。 しかし 金堂(本堂)へ上がるには 三カ所の長い階段を クリアしなければ なりません。


 最初の階段は 確か 76段ありました。 きょうは 曇り空で 涼しいのですが 汗が出てきました。 階段
を上がると 左に 常行堂が あります。 二階建て? 大きな 立派な建物です。 聖武天皇 勅願 建立と
伝えられるが 嘉吉の乱にて 焼失。 明治元年 今の姿となる。 本尊は 阿弥陀如来。


 階段を上がると 三重塔の前に 出ますが その前に 前にある経蔵を。 白壁の蔵のような建物です
が それにしては 向拝?は 立派です。 緩やかな曲線を描く唐破風の屋根で 木鼻や彫り物もあり・・・。


 三重塔は 一乗寺の建造物では 唯一 国宝。 承安元年(1171) 平安末期の建立。 年代のはっき
りした我が国八番目の古塔である。 上の層ほど 屋根や軒出が小さくなっていて 安定した調和美が
よく味わえます。 また 最上層の屋根が 波形となっているのも この塔の特色で 蟇股にも 平泉の中尊
寺金色堂 同様の平安末期建築の特徴が うかがえます。 相輪が大きく 特に 水煙が美しい。
ただ 私のカメラでは 撮影場所に困ります。 下や横からは 全体が撮れないし 階段を上がると 逆光
になり 塔が 暗くなるのです。 金堂の回廊から 三重塔の屋根を 撮ることができます。



 三番目の階段を上がると 金堂ですが 金堂へ上がるには 裏へ廻らなくては・・。 金堂の横に 鐘楼が
あります。 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造り、本瓦葺の建物は 寛永六年(1629)の本堂再
建に続いて 建立された。 江戸初期の特徴を示し 木造構造物としての優雅さを誇っている。 入口には
鍵が掛けてあり 鐘を撞くことも 鐘を盗るこもできません。
 金堂の裏へ廻り 金堂に お参りしますが ここに 手水舎が・・。 靴を脱いで 縁側のような回廊を歩いて
正面に廻ると 大きな額に 「大悲閣」 とあります。 金堂(本堂)は 大悲閣とも いうようです。



 大きな赤い提灯には 南無観世音とあります。 格子の天井には 風車のようなものが たくさんあります。
聞くと 江戸時代の納め札だそうで 柱に打ち付けられていたものは 全部外したそうです。 柱を見ると
釘の跡が 無数に付いています。
 寺伝によると 一乗寺は 孝徳天皇の勅願により 白雉元年(650)に 建立され 開基は 法道仙人です。
法道仙人は 紫雲に乗り 中国・朝鮮を経て 法華山に来ると ハスの花に見えたので ここに 降りた。
仙人伝来の観音像を安置し 護国国家の道場となし給う。 後 西国33所巡礼の26番となり 花山法皇
の御詠歌は  春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
あぁ それで あちらこちらに 橘が 植えてあるのですか・・・。 橘には なにか宗教的な意味があるの?



 お参りを済ませ 裏へ戻り 手水舎で 手を漱ぎます。 水が チョロチョロ流れていて 気持ちがいい。
ここに 手水舎があるということは 昔は 階段の参道はなく 東の西国霊場の石仏の並ぶ道が 参道
だった? 手水鉢は 立派なもので 裏に 正徳四年と 刻んであります。 金堂の背後に 鎮守三社があ
ります。 左は 行者堂ですが 写真がないっ・・。 役行者が 祀ってあるそうですが・・。



 一間社春日造の弁天堂と 三間社流造の妙見堂が 並んでいます。 鎌倉時代の様式と 室町時代
手法を伝える優秀な建物である。 護法堂は 一間社春日造で 石垣の上にあります。 一間社は 柱
の間が 一間で 建物の幅は 約2mとなります。 鎮守三社は 弁天堂、妙見堂、護法堂の三社です。
北へ降りて うっそうとした森林を 開山堂へ向かいます。



 開山堂は 奥の院ともいわれ 法道仙人が 祀られているそうです。 開山堂手前の階段は 工事中で
脇を通らせてもらいました。 開山堂の横では 太い木を伐採中で 重機が稼働中。 通らせて と頼む
と アカン! しばらく待っていると 12時前なのに お昼休みで 作業休止。 これ幸い 倒された木の
枝を踏み越えて 賽の河原へ行きましたが・・・。 あまりいい雰囲気では ありません。 木が茂り始め
河原の感じがしません。 水子供養場?  今回は 上の石造九重塔まで行って 引き返しました。



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 ここからは 前回(200712.9) の 法華山への 山登りの記録を 再編集したものです。 当時 ブログ
は まだ 書いておらず ホームページビルダー8で 記録していました。

 やや荒れた岩の道を上がると 直ぐに 傾いた重文・石造九重塔があります。 今回 傾いた石塔は 真っ直
ぐに 立て直して ありました。 ここから 本格的な山道。 少し登ると シダが現れますが 幸い 山頂まで 登
山道は シダは刈られ 道は はっきりしていました。 前回 来たとき 何所で 撤退したのか 分かりませんが
山頂まで ずっと シダヤブだったので シダが刈ってないと 結構 距離もあり 山頂まで 登るのは 困難でし
た。 今は 赤い道標が 何ヶ所もあリ 道もはっきりしています。 雑木の小枝が 張りだし 切られた切株に
足を取られ 雑木のヤブで 見晴らしはなかったが 大した困難はなく 10:34 山頂に 出ました。 



 九重塔から12分。 三角点の周りのシダは 刈ってありますが 山頂も 雑木ヤブで 展望は 全然ない。
道標と同じ赤いプレートに 法華山裏山243mとあります。 左の木に 赤い大柿プレートが ぶら下り 「シダ、
シバのヤブにマイッタ!」とあります。 きれいな三等三角点の点名は 上ノ垣内で 点名:法華山は 北の笠
松山のようです。 道が整備してあり 簡単に登れたので シダヤブを掻き分け 西へ進むと 雑木の疎らな
所があり 木の枝に脚をかけ 西の写真を撮りました。 直ぐ西の尾根に 鉄塔が2本ありますが 王神峰?
南西方向の右が 切れ落ちる山は 形からして この前 登った高山でしょう。 




 南が見える所からは 僅かに 赤い播磨灘が望めます。 三角点から 北へ進むと 枝越しに 笠松山が見え
ます。 降りようとして 東を見ると 雑木の疎らな所があったので シダを掻き分けると 目の前に 面白い形
の山が 見えましたが きっと 北東方向の善防山でしょう。
私も かなりヤブと格闘してきたので これくらいのシダと遊ぶのは 何ともない。 楽しかった。
結局 休憩を含め 何も無い 狭い山頂で 40分近く 一人 遊んで 11:12 下山。



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 という訳で 山から降りてきました。 降りるときは 金堂の方の階段・参道は 通らず 左の坂道を下りま
した。 昔の参道だったのか 33ヵ所巡りの石仏が 並んでいます。 その中に 四天王が並んでいます。
四天王の観音様は 初めて 見ました。 涎掛けまで付けられて・・。 中国から 怒りの仏像を 持ち帰った弘
法太子こと空海も 怒りの表情? 四天王を崇拝した聖徳太子は・・。  放生池にあるのは 弁才天? 



 赤い鳥居を潜り 東へ登り 見子堂へ。 ここには 白妙稲荷大明神と 見子大明神が 祀られています。
なにか 伝説があるようですが・・。 見子堂から戻ると 下に 太子堂があります。 これで 全部廻ったか
な? そうそう 太子堂の下の川の右奥に 五輪塔があります。 パンフレットには 元亨元年(1321)
の刻銘があり 石造美術品で 重要文化財だそうです。 苔もなく 新しそうに 見えましたが・・。



 境内の外へ出て 右へ行くと 地蔵院があります。 一乗寺・本坊で 事務所。 地蔵院を見て
車に 戻りました。 12:12 車に戻りましたが 霧雨が降ってきました。 すぐ 帰路につきま
す。 来た道を そのまま戻ります。 国道372号線に戻り 12:29 花田ICから 播但道に入
り 姫路バイパスを走り 途中 寄り道して お弁当を買い 13:38 家に 帰ってきました。
帰りは 本降りになりましたが 家に着くころには ほとんど 止みました。
本日の走行距離は 往路:34.5km 復路:36.9kmで 計:71.4kmでした。


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