私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

岡山市南部の金甲山~八丈岩山

2024-08-31 15:47:38 | 山歩き

  8月31日(土)    天気:曇り のち 晴れ    室温:32.4

 今回の山歩きは、2006.4.29に歩いた 岡山市の南部の金甲山403.1m、貝殻山288.1m、八丈岩山280.6m、

剣山276.7m です。 これらの4つの山に登れば、一等、二等、三等、四等三角点を そろい踏みできます。 この頃

岡山県の一等三角点16座?に 全部 登ろうと、一つずつ登っていました。 八丈岩山に登ろうと 調べると、上の4

の山が近くにあり、車で回れば 簡単に登れそうだったので、4つの山に登りました。 他にも 天目山 と 三頂山にも。

 岡山県のホームページ:瀬戸内海国立公園・金甲山を見ると、金甲山は 岡山市最南端部、玉野市との境界に位置す

る標高403mの山で、頂上には テレビ塔アンテナが 林立しています。 金甲山地区には、金甲山や 天目山、貝殻山、八

丈岩山など 標高200~400mの低山が 連なり、山頂には 展望地が整備され、備讃瀬戸の島々や四国の五色台、屋島、四

国山地を望むことができます とあります。   金甲山へは 道路があるので、山頂まで 車で行きます。

 金甲山は、古代から吉備中山、高倉山とならび、神々の降臨する大岩座を有する聖なる山とされ、中世は、修験道の

山として 信仰されています。 金甲山の名は、奈良末期、坂上田村麻呂が 由加山に棲む鬼を退治に来たとき、金の甲

を 戦勝祈願のため 埋めたことから名づけられたと 言われています。 山頂には、二等三角点:金甲山 があります。

 三角点は、山頂などの見晴らしの良い場所に 設置されており、地球上の位置(緯度・経度・高さ)が 正確に求めら

れいます。 地震予知や 地図作りをはじめ いろいろな測量の基準となる重要な標石です。

 金甲山を後にして、車で 貝殻山へ向かいます。 463号線を走っていると、天目山の看板があったので

車を停めて 天目山240mに登ることにしました。 中国の天目山は、窯変天目茶碗で 有名ですが、ここの

天目山の名の由来は? 地図にも 山の名は ありません。 山頂からは 展望良好ですが、きょうの天気では・・。

この辺りは、瀬戸内海国立公園で、光南台アルプスと言われているようですが。 また 五石散策路とも言われる? 

 貝殻山の駐車場に車を停めて、貝殻山288mに登ります。 貝殻山の名は、山頂辺りの弥生時代の遺跡が 関係

しているようです。 山頂からは 見晴らしがいいのですが、天気が良くないので、四等三角点を踏んで すぐ下山。

 貝殻山から降りて、車で 八丈岩山へ向かいます。 駐車場へ車を停めて 八丈岩山へ向かうと、手前に 三頂山

258mがあったので、まず 三頂山へ登ります。 この山は 岩山で 岩が ごろごろしています。 北の児島湾を

見ることができました。

 車で 天目山駐車場へ戻り、ここから 歩いて 剣山へ登ります。 県道を西へ歩いて虎口池野営場の標識のところから

池のほうへ降ります。 野営場(キャンプ場?)からは 遊歩道はなく、本日唯一の山登りです。

 

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イーグレひめじで 姫路地区委員 写真展 と 日本画 青々会展

2024-08-28 14:49:42 | ギャラリー散策

  8月28日(水)    天気:晴れ    室温:33.1℃

 きょうは、イーグレひめじへ行きました。 今週は、”全日写連 兵庫県本部 姫路地区 委員展” と ”日本画

青々会展” が行われています。 あす 行く予定でしたが、台風が近づいているので、早いほうが いいかと・・。

 イーグレひめじの市民ギャラリー 第1展示室では、”’24 全日本写真連盟 兵庫県本部 第43回 姫路地区委員展”

が行われています。 年1会の成果の発表会で、8名の会員が、3~4組の組写真を 出展。

 ごあいさつ 

 本日は お越しいただきありがとうございます。 私たち播磨に在住する全日本写真連盟 兵庫県本部 姫路地区委員

8名の写真展です。 日頃 連盟会員の皆様とともに、写真表現を追い求めて 活動しております。

 ここに展示しました作品が 少しでも 皆様の共感を得ることが できますれば 幸いです。 また ご来場の皆様と写真

議に 花を咲かせることができましたら、この上ない喜びです。 「継続は力なり」をモットーに、これからも 自分

なりの表現を求めて 努力したいと思っております。          兵庫県本部 姫路地区委員 一同

           

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 第3~第4展示室では、青田賢蔵 日展審査員・日展会員就任記念 ”第25回 日本画 青々会展” が行われていま

す。 会員66名が 一人一点を 出展。 明星さんは 会員ではないようですが、お花がありました。

            

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帰りに 山陽百貨店に寄ると 美術画廊で ”第5回 壱萬会 日本画展” をしていました。 「生涯、壱萬枚の絵を描く。」

こうした気概で歩んでほしいです。 制作を続ける時の指標になることを願い、この名称にしました。

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温室植物園で 市花さぎ草展

2024-08-26 15:37:48 | 日記

  8月26日(月)    天気:晴れ   室温:33.4℃

 きょうは、ルネッサンス・スクエアへ 「尾形 良一展」 を見に行った帰りに、手柄山の温室植物園へ 寄って

”市花さぎ草展” を見ました。 展示室では、前回と同じ ”危険生物と食虫植物展” が行われていて、奥の展示

室に さぎ草が 約200点 展示してありますが、全部同じ花なので・・・。

 サギソウは、本州以南の日当たりの良い湿地原野に、自生する日本原産のラン科植物です。 サギソウの花は

その名が示すように 色や形が 「シラサギ」の姿そのままで、造化の妙というほかなく、古くから 山野草愛好家に

親しまれている夏の代表的な山野草です。 盛夏化のころ、湿原に真っ白な シラサギが 群れを成して飛んでいる

ように咲いている姿は 大変美しく、しばし 暑さを忘れさせてくれます。

 姫路市では、市のシンボル ー白鷺城ー にふさわしい花として、昭和41年8月18日に、このサギソウを 市花に

制定しました。 かっては 姫路市近郊の湿地にも サギソウの自生地が 各地にあったのですが、乱獲や開発などに

より 絶滅が危ぶまれています。

 

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ルネッサンス・スクエアで 日本画・尾形良一展

2024-08-26 15:29:14 | ギャラリー散策

  8月26日(月)    天気:晴れ    室温:33.4℃

 きょうは、姫路市三左衛門堀西の町のギャラリー ルネッサンス・スクエアへ 「尾形良一展」 を見に行き

 ました。 帰りに、手柄山の温室植物へ寄って 「市花さぎ草展」を 見ます。

 案内状によると

 8月の企画展は、加東市在住の日本画家・尾形良一さんの個展です。

 尾形さんは、長年、陶芸作家として 活動されていましたが、大病を患われたのを きっかけに、2010年頃に

 日本画家へ転身。 以来、木々や湖、山道など、自然の風景を モチーフにした写実的な絵を 精力的に描かれて

 います。 今回の展覧会には、大作・小品 合わせて 約30点が 出品されます。 

 ぜひ、ご来館いただき、美しく懐かしさを感じる尾形さんの作品を ご堪能ください。

 

  尾形さんの略歴

 2015年 第32回 FUKUI サムホール美術館 福井新聞社賞 受賞

 2016年 第29回 日本の自然を描く展 優秀賞 受賞 (上野の森美術館)

 2017年 第56回 二元展 大阪府知事賞 受賞、上野の森美術館大賞展 賞候補

 2018年 第27回 飛騨高山臥龍桜日本画大賞展 奨励賞 受賞、第57回 二元展 努力賞 受賞

 2020年 第32回 上野の森美術館 大賞展 賞候補

 2022年 第61回 二元展 文部科学大臣賞 受賞

 2023年 第62回 二元展 博尊賞 受賞

 ●二元会 常任委員、加東市在住

         

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宮本武蔵「生誕の地」に勇姿 銅像寄贈

2024-08-24 15:11:37 | 歴史探索

  8月24日(土)    天気:晴れ    室温:33.4℃

 きょうは、21日の新聞に載っていた ”宮本武蔵 「生誕の地」 に勇姿” を 見に行きました。 新聞によると、

太子町宮本の宮本公園に 映画監督の三上康雄さんが 私費を投じて 寄贈した 銅像が建てられ、除幕式があった。

 お披露目された銅像は 高さ1.6mあり、躍動感のある二刀流の武蔵が 表現されている。

 

 映画「武蔵ーむさしー」で 出生地を播磨として描かれた 脚本・監督の三上康雄様より 武蔵の出生地として、太子町

宮本を認定され、武蔵像が寄贈されました。 なお、佐々木小次郎も 福岡県田川郡添田町を出生地を認定され、小次郎

像を寄贈されました。 そのご縁で 太子町と添田町との交流が 始まりました。

 佐々木小次郎のが 添田町の出身だという説が  佐々木小次郎 豊前添田説 に書かれています。 

 以前、公民館の歴史教室で、宮本武蔵の話があり、生誕地と言われる 美作市の大原、佐用町の平福、太子町宮本

の石海神社、高砂市の米田町を 訪れたことがあります。 太子町の宮本は、江戸時代に書かれた 「播磨鑑」に 生誕

と書かれているようですが、大火事が 二度もあり、資料が何も残っていないのは 残念です。

 「播磨鑑」に 「武蔵 揖保郡鳩ノ庄 宮本村ノ産ナリ 若年ヨリ兵術ヲ好ミ修行シ・・」とあり、また、武蔵が

晩年に書いた兵法書「五輪書」にも 「生国播磨ノ武士」となっている。 今は 涸れて当時の面水はないが、この

井戸で 汲まれた水で 生まれて初めて入湯したのである。 井戸の脇の家が 武蔵の生家と言われている。

 逆さ椋の由来:この椋の木は、推定樹齢500年と伝えられている。 今から 250年前の宝暦年間と明治20年

の2回 火災で 村の大半が 焼失した。 その時、この椋木も 地面より3.5mを残し、無残な姿と化したが、「根っ

こ」が 強力で生きのびた。 その後、長い年月を経て、少しずつ 新しい目が 吹き出した。 現在では 根っこに負け

ないくらいの立派な枝振りを見せている。

 

 石海神社のご祭神は、舎人親王(とねりしんのう)。 神社の創立年月日は 不詳ですが、楠の大木が 生茂り、古灯

籠や拝殿の絵馬が 歴史を物語っています。 本堂は 明治32年の再建です。 舎人親王は 日本書紀の編集者です。

   

 岡山県美作市の宮本も 生誕地を主張していますが、その根拠があるのでしょうか。 吉川英治が 小説で 美作を

生誕地としていますが、この本には 事実でないことが 多く書かれているので、信用できません。 ここだけの話で

すが、吉川が 本を書くため 美作を訪れたとき、地元の人が 接待してくれた。 それで 生誕地にしたとか・・。

 佐用町平福には、何らかの記録が 残っているようで、武蔵が 13歳のとき 処刑場で 最初の決闘をしたというのは

事実のようです。 武蔵が どこで生まれたにせよ、幼いころ この辺りで 剣術の修行したようです。

 もう一つ 高砂市米田町も 生誕地を主張しています。 私は 米田町は かなり信頼性が高いと思っています。 とい

うのは、武蔵が 小次郎と 下関沖で決闘したあと、兄の子・伊織を養子にします。 伊織が 九州へ行ったのち、帰

ってきて、加古川の泊神社を修復し、高砂の米田天神社も修復します。 このことから 伊織(武蔵の兄も)は 米田

町辺りに住んでいたと 考えるのが 自然ではないでしょうか。 しかし、米田町に 武蔵の足跡がない・・。

 ついでにもう一つ、二つ。 武蔵は 17歳のころ 関ケ原の戦いに参加したと思っていましたが、最近、関ケ原の

とき、九州で、黒田官兵衛が 戦いを起こしていた。 その戦いに 武蔵が 参加していたとの記録が 発見された・・。

 もう一つは、最近 テレビで 佐々木小次郎という人物は 散在しないと言っていました。 小次郎は いたようです

が・・。 また 巌流島も 存在しない。 佐々木小次郎とか 巌流島は 江戸時代の歌舞伎か何かで 演じられたもの。

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