私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

ホテル シーショアで 石井久志油彩画展

2018-12-10 14:10:55 | ギャラリー散策
 12月10日(月) 休刊日   天気:曇り のち 晴れ   室温:15.1℃

 きょうは 御津町新舞子のホテル シーショア・リゾートへ ”石井久志 油彩画展” を見に
行きました。 帰るころに 石井さんが来られ 久しぶりに お会いし いろいろお話しでき
ました。 受付に 近所の黒田さんのお名前があったので 聞くと むかしの仕事仲間とか・・。
 今回は フィレンツィエ、ベネチアをはじめ 安曇野、近江の水郷、島根、牛窓、小豆島、
室津 などの水辺の風景画を中心に 約30点が 展示してあります。
 きょうは すっきりとはしない天気でしたが 家島諸島や 小豆島は よく見えていました


<石井さんのプロフィール>
 1961年 兵庫県立龍野実業高校デザイン科 卒業
 1973年 そごう百貨店勤務を経て グラフィックデザイン会社を 設立
 2005年 余技として油絵を始める。


 現在は 画業に専念、地元を中心に 個展を多数開催
 全国公募あさご芸術の森大賞展 入選
 全国公募川の絵画大賞展 佳作賞
 兵庫県美術家同盟展 丹波市長賞 ターレンスジャパン賞
 県展 兵庫県立美術鑑賞 県民賞 他、多数受賞歴あり
 現在 たつの美術協会会員









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好古園で 雑草いけばな展 他

2018-12-06 15:00:42 | ギャラリー散策
 12月 6日(木)   天気:雨   室温;17.5℃

 きょうは 姫路へ行きました。 まず 好古園へ行って ”雑草いけばな展” を見ます。
この後 イーグレひめじへ行き 市民ギャラリーの展示を見ます。 今週は 3つ展示が
ありますが ”創作粘土展” と ”兵庫支部写真展” は 写真禁止で 撮ってもいいと言
われたのは ”エンジョイフォト 2018写真展” だけでした。

 10:20の網干始発の電車で 姫路へ行き 大手前通りを歩いて 好古園へ行きます。
雨の平日ですが 観光客は 結構 多いようです。 好古園では 姫路城世界遺産登録25
周年記念 ”雑草いけばな展 -時代をつないで・・・”(展示協力:いけばなデザイン一
渓会 姫路支部) が行われています。 こちらの展示も 中高年のご婦人方が多く にぎやか
でした。 きょうは 雨なので 庭園は 回りませんでした。








 好古園を後にして イーグレひめじへ行きます。

 イーグレひめじの1階アトリウムでは ”おかあさんの微笑み 絵画展” が行われていて
市内の保育園の園児が描いた おかあさんの顔絵が展示してあります。


 市民ギャラリーの第1・第2展示室では ”2018 エンジョイフォト作品展” が行われて
います。 ゆうゆう写真倶楽部と フォトクラブ写楽と ギンエーフォトサロンの合同作品展です。
約60名が 80点の作品を出品。






 1階へ上がり カフェ・ゆうゆうゆうで 休憩し 御幸通りで 宝くじを買い 山陽百貨店へ行きます。

 大手前通りは イチョウが 雨で ぬれ落ち葉となって積もり 掃除も大変です・・。
山陽百貨店・美術画廊の ”金重有邦展” を覗いて 駅に戻り 13:25の電車で
帰りました。 きょうは 冷たい雨でした。

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温室植物園で シクラメン展

2018-12-05 14:20:18 | 日記
 12月 5日(水)   天気:晴れ+雲    室温:22.0℃ 暖かい

 きょうは 姫路へ行った帰りに 手柄山の温室植物園へ行って ”シクラメン展” を見て
きました。 自主展で 原種から 最新品種まで 約50種 100点が 展示されています。
 シクラメン展では 人気投票があり もし 当たれば シクラメンが もらえるかも・・。
私は 50番を 投票してきましたが・・。


 シクラメンは サクラソウ科シクラメン属の塊茎(球根)をもつ多年草です。 原産地
は地中海地方で 冬は温暖で 雨が多く 夏は乾燥します。 日本とは 温度も降水量も 逆
になります。 しかし 品種改良が 積み重ねられ 日本の気候条件に 適した品種が 次々
と発表されています。 シクラメンの名前は ギリシャ語の 「まるい」、「旋回」 など
の意味をもつ kyklos に由来します。









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歴史教室 西郷隆盛とたどる幕末から明治へ・その4

2018-12-04 13:37:08 | 歴史探索
 12月 4日(火)   天気:曇り 夕方から 雨   室温:20.9℃ 暖かい

 きょうは 公民館の歴史教室12月に 出席しました。 今月は 10月に続き 元城郭研究室長
中川 秀昭さんによる 「西郷隆盛とたどる幕末から明治へ・その4 ー明治維新と二人の英傑 西
郷・大久保ー」 で 大河ドラマに合わせ 今月で 終了です。 丁寧に 説明していただきましたが
この時代の歴史は 複雑で 難しく 分かり難い・・。 結局 西郷と 大久保の仲が悪くなった原因は
なんだったのか。 次回2月は 中川先生が書かれた 「姫路城を歩く」 の本について 講義される
予定です。
  4月17日の 「西郷隆盛とたどる幕末から明治へ・その1」 は <こちら>
  9月 7日の 「西郷隆盛とたどる幕末から明治へ・その2」 は <こちら>
 10月 2日の 「西郷隆盛とたどる幕末から明治へ・その3」 は <こちら>
 
1.西郷隆盛の生涯
 ・藩主島津忠義の命により 藩の参政に 就任
 ・鹿児島藩大参事に 任命される
 ・岩倉勅使 鹿児島派遣
  →木戸とともに 参議就任
  →御親兵の武力を背景に 廃藩置県を断行(立役者になる)(明4.7.14)
 ・岩倉使節団の派遣により 留守政府を任される(明4.11~明6.9)
  ・・・・・・・・
 ・明治6年の政変で 鹿児島へ帰る
 ・寺山開墾社設立
 ・陸軍大将と正三位の官位を剥奪される
 ・可愛嶽脱出→鹿児島帰還(明10.9.1)洞窟に潜む→政府軍が城山を包囲、一斉攻撃の
  さ中、洞窟を出て 被弾、自刃(明10.9.24) 享年51歳

2.明治維新のあけぼの
 ・王政復古の大号令
   ・徳川慶喜 大政返上、将軍職辞退の許容、摂政・関白、幕府の廃絶、新政府の樹立(総裁・議定・参与)
 ・五箇条の誓文発布
   ・新政府の基礎確立:天皇の絶対的権威、大名の封建的領有権の否定、開国和睦の堅持
   ・明治政府の立場と決意を 内外に宣言
 ・「政体書」 の交付・・「天下ノ権力総テ コレヲ太政官ニ帰ス」
             「太政官ノ権力ヲ分ッテ 立法、行政、司法ノ三権」
 ・改元(明治元年(一世一元制)(明治元年9.8)

3.東京奠都
 ・「江戸」 を 「東京(東の京)」 と改称(明治元7.17)
 ・天皇の東京行幸
 ・秋には 皇后を呼び、諸官庁も東京に移る(遷都の発令・政府声明なし)
4.戊辰戦争(慶応4.1.3~明2.5.18)
 ・鳥羽伏見の戦い⇒江戸城無血開城⇒上野戦争⇒東北戦争⇒箱館戦争(明2.5.18五稜郭の榎本武揚ら降伏)
5.版籍奉還(明治2.6.17)
 ・明治元年11:姫路藩主 酒井忠邦、土地人民の奉還申し出
 ・明治2.1.20:薩摩土肥4藩主連名で 藩籍奉還申し出・・諸藩もこれに連なる
 ・明治2.6.17:藩籍奉還を許す勅書・・各藩主を「知藩事」に任命、藩知事の家禄:石高の1/10
 ・封建的身分制(士農工商)⇒四民平等(華族。士族・平民)
 ・官政大改革:太政官ー左右大臣・大納言・参議ー民部・大蔵・兵部・刑部・宮内・外務省
 ・維新の功により賞典禄永世下賜:西郷隆盛(正三位2000石、木戸孝允(従三位1800石)

6.維新政府要人のテロ
 ・明治2.1.15:参与の横井小楠が 尊攘派浪士に 暗殺される
 ・明治2.9.4 :兵部大輔 大村益次郎が 徴兵制に怒った不平士族に襲われた
 ・明治4.1.9 :参議広沢真臣が 私邸で 刺客に襲撃され 暗殺される
7.西郷隆盛が県政トップから 中央政権へ
 ・鹿児島の西郷:藩の参政、鹿児島藩大参事に
 ・岩倉勅使の鹿児島派遣⇒西郷、中央政界入り承諾⇒木戸と参議就任
  ・西郷とともに 薩摩藩兵 上京(3000人)⇒薩長士藩兵による御親兵(約1万人)
8.廃藩置県(明治4.7.14)
 ・明治天皇、在東京の知藩事招集⇒藩を廃し 県を置くと宣言(274藩廃止、3府302県
 ・明治天皇 西国巡幸(明治5.5~ )・・廃藩への不満の解消・西郷同行

9.岩倉使節団(明治4.11.12~明治6.9.13)
 ・特命全権大使:岩倉具視(右大臣兼外務卿)
 ・副使:木戸孝充(参議)、大久保利通(大蔵卿)、伊藤博文(工部大輔)、山口尚芳(外務小輔)の
   4名など 使節46名、随員18名、留学生43名の合計107名
 ・岩倉・西郷の盟約書(12箇条):留守中の大規模な改正は行わない
10.留守政府
 ・西郷留守政府は 岩倉使節団との約束を 反故にし 近代化政策を断行
 ・府県裁判所の設置、田畑永代売買の解禁、地租改正布告、学制の交付、新橋横浜間鉄道開通・・
 ・参議就任:後藤象二郎、江藤新平、大木喬任(めいじ6.4.19)
 ・徴兵制 :20歳の男子は 徴兵検査を受け、3年間の兵役義務
11.明治6年の政変(内治優先派の勝利)
 ・西郷の朝鮮使節志願(明治6.7.29)
  →閣議招集(西郷の朝鮮使節派遣「内決」)→天皇に上奏・裁可
 ・岩倉具視 横浜に帰る→大久保 参議就任→閣議招集・・・
 ・紛糾→三条・岩倉に一任→三条・派遣賛成に→大久保辞表提出→三条・極度の重圧に耐えられず人事不省
  →大久保の「一の秘策・宮中工作」→岩倉、太政大臣代理として 天皇に上奏文提出→天皇、上奏文嘉納
 ・西郷 辞表提出(明治6.10.23)、板垣、後藤、副島も 辞表提出 受理
 ・桐野利秋(陸軍少将)、篠原国幹(近衛局長官・陸軍少将)など 多くが西郷と行動をともに
12.大久保独裁政権(殖産興業・警察)
 ・内務省設置:大久保利通、内務卿に就任(独裁的地位確立)
 ・岩倉具視、高知県士族に 赤坂喰違坂で襲われ 負傷
 ・暫時立憲政体樹立の詔・・・黒田清隆朝鮮使節→日朝修好条規締結(明治9.2.26)
13.鹿児島の西郷
 ・大久保と別離(絶縁)、帰鹿
 ・武村の自宅で 家族と団欒、農作業、愛犬を伴い狩猟、湯治

14.私学校・賞典学校、寺山開墾社設立
 ・私学校・賞典学校の設立(明治6)
 ・吉野開墾社設立(明治8.4):開墾と米・栗・甘藷の栽培など
15.士族の反乱
 ・佐賀の乱(明治7.2)
 ・神風連の乱(明治9.10.24)
 ・秋月の乱(明治9.10.26)
 ・萩の乱(明治9.10.28)
16西南戦争
 ・明治10.1. 鹿児島出身の警視庁少警部中原尚雄ら20名 帰省。(スパイ)
  明治10.2. 中原らを捕縛、西郷らの暗殺計画をほのめかす供述
 ・私学校生徒らによる草牟田弾薬庫 事件発生
 ・大隅半島小根占で猟をしていた西郷に知らせ・・西郷、鹿児島に戻る
 ・明治10.2.15~2.17 13000の兵、雪の中 北上
       2.19 征討令
  熊本城攻撃(谷千城ら3000人籠城)、田原坂の戦い、人吉・都城・宮崎・延岡と陣営移動
   ・・・敗色濃く、延岡から長井村~可愛嶽越え→尾根伝いに 鹿児島へ (明治10.9.1)
   鹿児島へ着いたときは 400人ほどに。 西郷は 城山で 自刃、49歳没(明治10.9.24)
 ・西郷家の犠牲:西郷小兵衛 熊本付近で戦死、大山辰之助 甲突川戦死、
17.大久保暗殺
 ・明治11.5.14の朝 出任の途中、紀尾井坂近くで 石川県士族島田一郎ら 6名により斬殺
 ・木戸孝允:明治10.5.26 病没、享年45歳
 
  ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな  勝 海舟
   
※出典・参考文献:『西郷隆盛』家近良樹著、『西南戦争』小川原正道著、『大久保利通』毛里俊彦著 他

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御津町朝臣のみはらしの森

2018-12-01 12:51:58 | 山歩き
 11月30日(金) 天気:晴れ+薄雲、モヤ?  室温:17.6℃  地図:網干

 きょうは 天気が良かったので 久しぶりに 山を歩いてきました。 山といっても 高さ
100mほどなので 丘という方がいいかも。 先週 「播磨の山々」 の しみけんさんが
歩いておられたので いつか行ってみようと思っていました。 みはらしの森と言えば た
つのと 太子町の境界にある男明神・女明神と思っていましたが こんなところにも あると
は・・。 きょうの ”みはらしの森” は 前山と雛山(ひなのやま)ですが 雛山は 2011.
2.19に 歩いたことがあります。 雛山(92.4m)の名前は 『播磨山の地名を歩く』
の中播磨の項に載っています。

 きょう 歩いたルートは しみけんさんのページを参考に 前山の西の道路脇の駐車場に 車
を停め 南の展望台から 前山山頂へ。 東の鞍部へ降りて 雛山の山頂を 南へ巻いて 配水池
へ。 東から 雛山へ登り 西へ降りて 鞍部から 北の坂へ街の住宅へ降りるコースです。
きょうは 暖かかったので 久しぶりに いい汗をかきました。
 下のマップは 駐車場脇にあったものですが 北が 下向きになっています。 この方が 歩
く方向を向いているので 頭に入りやすいのですが・・。

 みはらしの森は、どんぐりがなる コナラや アベマキの森です。 春には 木々の新緑と ヤマ
ザクラ・ヤマツツジなどの花たちが、秋には 落葉樹の紅葉が 私達の目を楽しませてくれます。
また、展望の良い場所では、おだやかな瀬戸内海と その島々が 眺められます。
 みはらしの森では、常緑広葉樹と竹を間伐し、明るく、様々な植物が元気に育つ森づくりを
進めています。 きょう 歩いた感じでは みはらしの森とはいえ 見晴らしは あまり良くない?
 駐車場から 右・南方向へ進みます。 きょうは 時計を忘れたので 時間集計ができません。

 林道のような広い道を 少し歩いて 山へ入ります。 登り始めは やや急な登りです。
分岐には 道標・標識がありますが 4号古墳とか 地名が書かれていて 始めて歩く
土地勘のないものには ピンときません。

 少し下って 左へ回ると 展望広場。 広場はありませんが 東屋があります。 東に
網干・広畑方面、南に 綾部山・家島方向がみえますが きょうは モヤが濃く おまけに
逆光で 展望は さっぱりです。 先へ進みます。

 分岐に出ると 道標がありますが 役に立たず・・。 下に手書きの前山とあるの見て
前山のほうへ進みます。 前山山頂へは ここは みはらしの森散策道ではありません と
表示されている 右へ進みます。 散策道ではありませんの表示は 邪魔なだけです。
 前山には 四等三角点:前山 103.4mがあります。 ここは 4号墳? 

 三角点の下には 相生線9の鉄塔が立っています。 ここから 北東方向に 京見山、
太子城山を望むことができます。 東は 送電線の先に 雛山山頂の鉄塔7が見えます。

 分岐に戻り 東へ進みます。

 墓地の横を通ります。 ここには 軍人の慰霊碑と六地蔵もあります。

 鞍部へ降ります。 ここは 十字路になっていて 左へ降りると 栄町へ出るようなので
帰りは ここから 栄町に降りることにして とりあえず 直進して 雛山を目指します。

 鞍部から上がると 道標があり 右・林の休憩所150mとあるので 南で 明るいので 見晴らしが
あるかと思い 行ってみました。 が 木のベンチが 一つあるだけ・・。 そのまま進むと 雛山を
巻いて 東へ回って 下に 白い配水池が見えます。 降りてみました。 配水池のところに 漁師?
さんがおられ 猪を捕りに来た・・。 鉄砲は お持ちではないので しばらく お話ししました。

 配水池には 大きなタンクが二つあります。 『播磨山の地名を歩く』 には 配水池を
造る際 山を掘削していると 特殊な形の石棺がでてきた とあります。 ここも 古墳だ
った? まっすぐ登ると 鉄塔7に 突き当り ここが 雛山山頂92.4mです。

 左に 雛山城跡とありますが・・。 山頂は 大きな岩が散在していて 朝臣2号墳。 岩
の上に上がっても 見晴らしは あまりよくありません。 岩の下には 小さな祠があります。
※雛山城跡:雛山城の詳細は 不明である。 嘉吉の変の際、勢いづいた山名軍が 揖保川沿いに
      攻め下ってきた時に 落城した城名の中に 雛山付近の砦というのがある。

 西へ降りると 西の展望が広がります。 鉄塔9の立つ前山の右奥には 御津山脈の碇岩
北山の山頂が覗いています。 なだらかに進むと 林間広場の分岐に出ます。

 道標に 林間広場とあるので なだらかに北へ歩いてみました。 木のベンチがあるだけ。
雑木に囲まれ 見晴らしも なにも ありません・・。

 鞍部の分岐へ戻り 北の栄町へ降りることにしました。 住宅が近くなると ジメジメとした
湿地のようなところがあり 歩き難い・・。 目の前に 住宅が現われると 皇帝ダリアが 迎え
てくれました。 小さな公園脇に 降りました。 公園では ピンク、赤、白などのサザンカが
花を散らしています。

 住宅街の北にでると 開けて 北に 御津山脈の東端部を一望できます。 道路に戻り
てくてく歩いて 車に戻りました。

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