12月20・21日 天気:晴れ・晴れ後曇り 小雨ぱらつくも暖かい
今回は 山登りではありません。 姉の希望もあり 豊臣秀吉夫人の北政所(ねね)ゆかりの高台寺をめぐる
小旅行をしてきました。
きょうの天気は まずまずですが 明日は 午後から 降水確率が高くなります。 どうなることやら・・・。 今回は
時間記録は ありませんが 8:20 出発。 近くの網干駅まで 歩き 少し早く着いたので ホームで待っていると
智頭急行の青い電車 ”スーパーはくと” が通り過ぎました。 孫のために撮りたかったのですが・・。
姫路駅にも 1時間前に着きました。 きょう 播但線の高架切替工事が 行われるようですが・・。
新幹線ホームに上がり 孫のために写真を撮ろうと思ったのですが N700系の新しい車両は 停まりません。
時速300kmで 一陣の風とともに去りぬ だったのが N700系だった? 9:54 やっと 私の乗る ひかりレール
スターが来ました。 姉妹と合流し 新大阪で 乗り替え 京都駅に10:54着。
今日は 自由行動なので 時間は早いが ランチにすることに。 駅ビルの15Fに上がり グランビアへ行きました
が ランチは 11:30 から。 しばらく待ち ランチを済ませ 嵐山へ向かいます。 JR山陰本線で 嵯峨・嵐山へ
約20分。 とりあえず 宿泊予定のホテルの方へ歩くと 天龍寺があり まず 天龍寺を 訪れることにしました。
門を潜り 境内へ入り 参道を進みます。
広い境内なので 何所から何所までが 天龍寺なのか? ふと 右を見ると 仏像が・・。 これは 航空安全・飛雲
観音でした。 後背は 雲を表し 空を飛ぶ イメージなのでしょうか? 航空安全とは・・・。
天龍寺は 臨済宗天龍寺派大本山で 後醍醐天皇の菩提を弔うために 足利 尊氏が 夢窓国師を開山として
創建した。 京都五山第一位の寺格を誇ったが 八回も 大火に見舞われ 堂宇の多くが 失われ 明治期に再建
された・・・。
まず 法堂へ。 法堂は 七堂伽藍のひとつで 住職が 仏法を説く空間です。 こんなことは どうでもいい・・・。
平成12年に 描かれた加山又造画伯の 「雲龍図」 を見なくては。 法堂の天井に 描かれた龍は 八方睨みの
龍で 堂内どこから見ても 龍に睨まれます。 龍は爪が 五本ある方が 高級らしい。 この「雲龍図」は いつ
でも見ることが 出来るのかどうか? 残念ながら 写真撮影は禁止。 私は 特別に 許可を貰って撮影しましたが・・。
大方丈の建物の中にも 龍の絵はありましたが 無視。 縁側から夢窓国師による庭園が見られます。
庭園・曹源池は 国の史跡・特別名勝第一号に指定され 世界文化遺産にも登録。 紅葉の時期は 終わっていま
すが 素晴らしい紅葉を見ることが出来ました。 後方の借景の山は 嵐山です。 お金を出せば 庭園を参拝する
ことも出来ます。 曹源池の立派な錦鯉が 悠々と 泳いでいるのを見ながら 書院の前から 桜の咲いていない
多宝殿まで行って 引き返しました。 大方丈への入口になる庫裏の二階建ての屋根は カマドの煙を 逃がすた
めのもので 今は 使われていないとか。
天龍寺を後にして 次の天龍寺塔頭・宝厳院へ向かいます。 道に不慣れ
な我々は 門を出て まっすぐ 渡月橋まで 行ってしまい ついでにと 渡月橋を
渡ってみましたが 何もありませんでした。 奥には 鈴虫寺や苔寺があるよ
うですが。 渡月橋を流れる川は 桂川かと思いましたが この辺りでは 大
堰い川というようですし 上流では 保津川?
渡月橋から川沿いに 西へ進み 北へ戻ると 宝厳院(ほうごんいん)。
宝厳院は 天龍寺の塔頭寺院で 室町時代に 創建された。 その後 変遷を経
て 現在地に移転再興された。 本堂には 本尊 聖観世音菩薩 脇仏に 三十
三体の観世音菩薩 足利尊氏が 信仰した地蔵菩薩像が 祀られており 西国
三十三ヵ所巡りに等しいと伝えられているそうです。
中へ入ると 獅子吼の庭で 寺院の雰囲気ではない。 この庭園は 室町時
代に 中国に渡った禅僧策彦周良師によって作庭された名園中の名園で 京
都随一の紅葉の名所らしい。 獅子岩、碧岩、響岩などの巨岩が 巧みに配置
されている。 狭い庭園で 紅葉の終わったこの時期 5分もあれば 一周でき
ます。 本堂も 普通の民家のような感じです。 私は 特別に紅葉を見てきまし
た。 庭園では 学生のボランティアグループが 庭園ガイドの訓練をしていた。
庭園の中にも数体あったが 門前には 「嵐山羅漢」 が祀られており 「羅漢」
とは 釈尊の弟子で 「悟りを得た人」を 意味する? 加西の五百羅漢に 比
べ ここの羅漢は 笑ったり 怒ったり 非常に表情が豊かで 穏やかな表
情のものは 少ない。
ここまで来ると ホテルは直ぐ近く。 今日の宿 嵐山温泉「嵐亭」へ行き とり
あえず 荷物を預け 渡月橋周辺を散策した。 この辺りは お土産屋さんがある
だけ。 ホテルに戻り 6時から夕食。 コース料理で 食べるのに時間がかかっ
た。 ここの爪楊枝は 多分 クロモジ製です。 7時過ぎてから 嵐山花灯路を
見に行くことに。 行く前 WEBで 「但馬の里から」の画像掲示板を見ていて き
れいなライトアップの写真があったので・・。 しかし 何所にあるのだろうか?
ホテルで貰ったパンフレットの地図を頼りに 常寂光寺へ行くことに。 渡月橋
から真直ぐ北へ 踏切を越え 左へ曲がり ホテルから約2km歩いて やっと
常寂光寺まで辿り着くと もう 8時。 閉門の時間です。 お寺のカラーのライトア
ップを見ることは 出来ませんでした。
小倉山の麓に広がる この辺り 嵐山・嵯峨野地域は「小倉百人一首」撰集の
舞台で 山紫水明の地です。 昼間 明るいときなら 長神の杜、紫式部・歌碑
など見所は多いのでしょう。 南の小倉池辺りまで行き 引き返しました。
あーァ 花灯路には騙された。 足元を照らす小さい露地行灯が並んでいるだ
けでした。 渡月橋は橋桁から下を照らしているだけだし。 でも歩いた道に 人
通りが多かったのは・・・。 渡月橋を渡って 近くの法輪寺へ行った方がよかっ
たか? ライトアップもライブもあった? ホテルに戻り 温泉に入り 1日目は
終了。 ベットが固く 安眠できず・・・。 むにゃむにゃ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二日目は 7時起床。 7時半朝食。 8時半出発。 嵯峨嵐山駅まで歩きます。
午前中は いい天気でした。 途中 天龍寺にちょっと寄り道して 駅まで約
20分。 8:55 の電車に乗り 京都駅に9時過ぎに到着。 9:30 予約して
いた観光バスに乗り込みます。
きょうは 全国高校駅伝の日なので 走るコースと関係のない洛東コースを
観光します。 バスガイドの松尾まちさん 宜しく。 最初は南禅寺。 駅からど
の道を走ったのか 分かりませんが 平安神宮の前を通ったことは確かです。
南禅寺は禅宗の臨済宗南禅寺派の大本山である。 詳しくはパンフレット
を見てください。 ガイドさんに付いて 玄関から本坊に入り 方丈庭園へ。
書院から広廊下を進むと 方丈(清涼殿)広縁に出る。 そこに禅院式枯山水の
庭園があり 優雅 枯淡で品格のある小堀遠州作の借景式庭園で 樹木と石組
みを一ヵ所にまとめた名園。 配置する岩の数は奇数? 凡人には理解できず。
清涼殿に接続された後方の建物 小方丈には 狩野探幽の傑作といわれる
「水呑の虎」の襖絵があるが 暗くて見えなかった。 如心庭、六道庭、中庭を
巡り 建物の外へ出て 赤レンガのローマ風水路を潜って 石段を上がり 南禅
院へ。 水路を流れる疎水を見て 降りる。
法堂の横から三門へ。 三門は一般に山門と書かれるが 正しくは三門。
三門は空門、無相門、無願門の意味で 仏教修行の三解脱を表す? 知り
ませんでした。 南禅寺の三門は 天下竜門と号し 日本三大門の一つで
焼失後 1628年に再建された入母屋造りで 高さ22m。 バスの時間が
あったので上に上がったが 市内の展望は いまいちでした。
バスに戻り 次の高台寺へ。 東山霊山の山麓 八坂法観寺の東北にある
鷲峰山・高台寺は 豊臣秀吉没後 その菩提を弔うために秀吉夫人の北政
所(ねね)が 慶長11年(1606)開創したお寺です。
勅使門から入り 方丈の内部に展示してあるゆかりの品(秀吉の着物や杖
など)を見て 鶴亀の庭へ降りて 臥龍池を見ながら霊屋(おたまや)へ上が
ります。 庭園は小堀遠州の作で 国の史跡・名勝に指定されており その石
組みの見事さは 桃山時代を代表する庭園として知られている。 霊屋は秀吉
と北政所を お祀りしている所で 今の時期 内部が 公開されていて 厨子内
左に北政所 右に秀吉の木像が安置してありました。 北政所は白い頭巾を
被り 当時の女性の正式な座り方 右ひざを立てた姿です。
臥龍廊へ出て 傘亭、時雨亭を廻り 駐車場に戻り 西へ降りて ねねの道
を歩きました。 高台寺「掌美術館」に寄り 北政所が残したゆかりの調度品
を見学します。 掌とは手のひら 小さいという意味です。 高台寺は 「蒔絵の
寺」としても有名で 桃山時代の美術の粋と言われるそうです。
美術館を出て ねねの道を歩いていると 舞妓さんが歩いてきました。
写真を撮らせてくださいと言うと 恥ずかしそうに はにかんで 撮らせてく
れましたが どうやら本物ではなかったようです。 でも 京都の雰囲気は
あります。 去り行く姿も1枚。 顔にモザイクしなくて大丈夫かな?
階段を上がり 駐車場に戻ると 近くに五重塔が・・。 鐘楼の所から撮り
ました。 ガイドさんに聞くと 八坂の塔と言われる法観寺の五重塔でした。
そう言えば バスで八坂神社の朱色の門の前を走った筈だが・・。
この頃には もう すっかり曇り空になっています。 駐車場北にある霊山
(りょうぜん)観音は 中には入らず 入口の所から撮らせてもらいました。
高さは27mあり 女性だそうです。
バスが五条大橋を渡るとき ガイドさんが 牛若丸と弁慶の話を しました
が 弁慶が書写山円教寺を焼き払った件では 私が補足説明をしたかっ
た・・・。 この前 円教寺に行ったとき 鏡池の傍にあった謂れを・・・。
12時を大分過ぎ 京都駅西にあるリーガロイヤルホテルに着き しばら
く待たされ やっと昼食です。 昼食はレストランで バイキング。 バイキン
グはありがたい。 好きなものが食べられる。 まず パン・コーヒーで洋食。
次は ご飯に京漬物の和食。 握り寿司もあり。 デザートはケーキとフル
ーツとソフトクリーム・・・。 時間も十分あるし それぞれ別腹で食べました。
午後は 2時半過ぎから洛東の醍醐寺に向かいます。 国道1号線で東へ。
醍醐寺は 真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる理源大師が・・・(中
略)・・・これが醍醐寺の始まりである。 天暦5年(951)には五重塔が完
成。 山上山下にまたがる大伽藍が整った。 国宝や重要文化財に指定さ
れたものも多く 平成6年に世界遺産に登録された。 きょうは三宝院だけ見
学します。 醍醐寺は 西国三十三カ所霊場の第十一番札所です。
三宝院は 醍醐寺の本坊的な存在であり 歴代座主が居住する坊である。
建物の大半が重文に指定されているためか 内部は庭園も撮影禁止。
何のために来たのか分かりません。 庭園全体を見わたせる表書院は 寝
殿造りで 国宝。 国の特別史跡・特別名勝の二重指定となっている三宝院
庭園は 慶長3年 豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して 自ら基本設計をした
庭で 桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている? 秀吉は花見の後 直ぐ
に亡くなったらしい。 今は 庭の水が抜かれ まるで工事中のようです。
庭には 亀島、鶴島、賀茂の三石、藤戸岩、枕流亭(茶室)などがあるが
写真がないので 侘しい・・・。 下の唐門は 外から見た三宝院です。
こんなことなら 仁王門から入り 国宝の金堂や五重塔を見る方が良かっ
たァ。 早々に引き上げ バスで最後の訪問地 青蓮院門跡(しょうれんいん
もんぜき)へ向かいます。 バスの中でガイドさんが 説明するには 国の
特別史跡、特別名勝の二重指定を受けた庭園が 全国で5ヵ所あるとのこ
とでしたが 帰ってからインターネットで調べると 9ヵ所とあります。
すぐ 京都定期観光バスへ電話しました。 折り返し電話があり 文化庁の
資料で調べると 八ヵ所でしたとのこと。 ガイドの松尾まいさんには教育的
指導を 宜しく お願いしますとは 言えなかった・・。
八ヵ所は 小石川後楽園、旧浜離宮庭園、毛越寺・浄土庭園(東北)、金
閣寺、銀閣寺、三法院庭園、厳島(宮島)と 平城京二坊宮跡庭園です。
ネットにあった高松の栗林公園は 二重指定ではないようです。
最後の観光地は 青蓮院門跡。 また 高台寺の近くまで戻ります。 青蓮
院(しょうれんいん)は 天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして
三千院、妙法院と ともに 知られ 京都にある天台宗の五つの門跡(もんぜき)
の一つで 皇室とかかわり深く 格式の高い門跡寺院である。 門跡とは宝統
を伝えている寺院? 青蓮とは 青く澄み切った如来の眼に 由来する?
平成21年元旦の新聞に 京都御所に関する記事が載っていて その中に
右近の橘、左近の桜も登場しますが 青連院・四脚門の関し 年に一度 神
輿が 通るときだけ使われる扉で 樹齢800年と言われる両脇のクスノキが
門の荘厳さを引き立てるとある。 神が乗った神輿が薬師如来のある皇室ゆ
かりの青連院に入る様は 仏教伝来から 日本に根づいていた神仏融合の象
徴だそうです。 神輿が 門前の急な階段を 勢いよく上がっていく光景は 圧巻
らしいが 四脚門外の石段を撮れなかったのは 残念です。
夕方4時近くになると 雲が厚く薄暗くなり 雨が降りそう。 えっ 雨が降っ
てきた? 気にするほどではありません。
青蓮院に 多くある国宝・重要文化財中 国宝青不動明王画像は日本三不
動の一つとして有名で 五色の不動明王の中では 最上位らしいが 一番奥
の本堂にあり 暗くて はっきり見えなかった・・。 行かなかったのかも? 豊
臣秀吉の寄進 と言われる一文字手水鉢も・・。 なにせ 入口で 貰ったパンフ
レットは 文字の羅列で 図がないので見学しているときは 分かり難い。
薬医門から入り 宸殿、小御所を廻り庭へ降りて 相阿弥の庭へ。 龍心
池を見ながら 好文亭の前から小堀遠州作といわれる霧島ツツジの霧島の
庭へ。 すこし小高い所から庭越しに小御所などの建物を見ながら 庭の外
側を廻り 本堂(熾盛光堂)脇へ降りて 宸殿の南にある右近の橘と左近の
桜を見ながら 大クスの木の下を歩き 四脚門、長屋門の脇を通り 出口へ。
時計は4時半を廻り 暗くなってきた。
これで きょうのコースは全て終り 京都駅へ帰るだけ。 駅に着く頃には す
っかり 夜の帳が降りて まだ5時なのに真っ暗です。 一番昼が短い時期な
ので・・。 新幹線の時間に少し余裕があったので 地下へ降りてお土産を買
い 丁度いい時間になり 駅の電飾ツリーを見ながらホームへ。 17:49の
ひかりに乗り 新大阪で乗替え。 ホームで待っていると やっと隣のホーム
にN700系の最新型・新幹線がホームに入ってきて 撮ることが出来ました。
新幹線の窓は雨で濡れていましたが 幸い 我々は雨にも遭わず 暖かく
いい旅行が出来ました。
天龍寺の龍の天井絵を見ることが出来たし 高台寺では ねねの像も見る
ことができたし 舞妓さんも撮ったし。 二重指定庭園も いい勉強になりま
した。 今度は 予習をして 少し予備知識を持って行かないと・・・。
6月に始めた私の拙いブログをご愛読いただき ありがとうございました。
来年も どうぞ よろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・ おわり ・・・・・・・・・・・・
今回は 山登りではありません。 姉の希望もあり 豊臣秀吉夫人の北政所(ねね)ゆかりの高台寺をめぐる
小旅行をしてきました。
きょうの天気は まずまずですが 明日は 午後から 降水確率が高くなります。 どうなることやら・・・。 今回は
時間記録は ありませんが 8:20 出発。 近くの網干駅まで 歩き 少し早く着いたので ホームで待っていると
智頭急行の青い電車 ”スーパーはくと” が通り過ぎました。 孫のために撮りたかったのですが・・。
姫路駅にも 1時間前に着きました。 きょう 播但線の高架切替工事が 行われるようですが・・。
新幹線ホームに上がり 孫のために写真を撮ろうと思ったのですが N700系の新しい車両は 停まりません。
時速300kmで 一陣の風とともに去りぬ だったのが N700系だった? 9:54 やっと 私の乗る ひかりレール
スターが来ました。 姉妹と合流し 新大阪で 乗り替え 京都駅に10:54着。
今日は 自由行動なので 時間は早いが ランチにすることに。 駅ビルの15Fに上がり グランビアへ行きました
が ランチは 11:30 から。 しばらく待ち ランチを済ませ 嵐山へ向かいます。 JR山陰本線で 嵯峨・嵐山へ
約20分。 とりあえず 宿泊予定のホテルの方へ歩くと 天龍寺があり まず 天龍寺を 訪れることにしました。
門を潜り 境内へ入り 参道を進みます。
広い境内なので 何所から何所までが 天龍寺なのか? ふと 右を見ると 仏像が・・。 これは 航空安全・飛雲
観音でした。 後背は 雲を表し 空を飛ぶ イメージなのでしょうか? 航空安全とは・・・。
天龍寺は 臨済宗天龍寺派大本山で 後醍醐天皇の菩提を弔うために 足利 尊氏が 夢窓国師を開山として
創建した。 京都五山第一位の寺格を誇ったが 八回も 大火に見舞われ 堂宇の多くが 失われ 明治期に再建
された・・・。
まず 法堂へ。 法堂は 七堂伽藍のひとつで 住職が 仏法を説く空間です。 こんなことは どうでもいい・・・。
平成12年に 描かれた加山又造画伯の 「雲龍図」 を見なくては。 法堂の天井に 描かれた龍は 八方睨みの
龍で 堂内どこから見ても 龍に睨まれます。 龍は爪が 五本ある方が 高級らしい。 この「雲龍図」は いつ
でも見ることが 出来るのかどうか? 残念ながら 写真撮影は禁止。 私は 特別に 許可を貰って撮影しましたが・・。
大方丈の建物の中にも 龍の絵はありましたが 無視。 縁側から夢窓国師による庭園が見られます。
庭園・曹源池は 国の史跡・特別名勝第一号に指定され 世界文化遺産にも登録。 紅葉の時期は 終わっていま
すが 素晴らしい紅葉を見ることが出来ました。 後方の借景の山は 嵐山です。 お金を出せば 庭園を参拝する
ことも出来ます。 曹源池の立派な錦鯉が 悠々と 泳いでいるのを見ながら 書院の前から 桜の咲いていない
多宝殿まで行って 引き返しました。 大方丈への入口になる庫裏の二階建ての屋根は カマドの煙を 逃がすた
めのもので 今は 使われていないとか。
天龍寺を後にして 次の天龍寺塔頭・宝厳院へ向かいます。 道に不慣れ
な我々は 門を出て まっすぐ 渡月橋まで 行ってしまい ついでにと 渡月橋を
渡ってみましたが 何もありませんでした。 奥には 鈴虫寺や苔寺があるよ
うですが。 渡月橋を流れる川は 桂川かと思いましたが この辺りでは 大
堰い川というようですし 上流では 保津川?
渡月橋から川沿いに 西へ進み 北へ戻ると 宝厳院(ほうごんいん)。
宝厳院は 天龍寺の塔頭寺院で 室町時代に 創建された。 その後 変遷を経
て 現在地に移転再興された。 本堂には 本尊 聖観世音菩薩 脇仏に 三十
三体の観世音菩薩 足利尊氏が 信仰した地蔵菩薩像が 祀られており 西国
三十三ヵ所巡りに等しいと伝えられているそうです。
中へ入ると 獅子吼の庭で 寺院の雰囲気ではない。 この庭園は 室町時
代に 中国に渡った禅僧策彦周良師によって作庭された名園中の名園で 京
都随一の紅葉の名所らしい。 獅子岩、碧岩、響岩などの巨岩が 巧みに配置
されている。 狭い庭園で 紅葉の終わったこの時期 5分もあれば 一周でき
ます。 本堂も 普通の民家のような感じです。 私は 特別に紅葉を見てきまし
た。 庭園では 学生のボランティアグループが 庭園ガイドの訓練をしていた。
庭園の中にも数体あったが 門前には 「嵐山羅漢」 が祀られており 「羅漢」
とは 釈尊の弟子で 「悟りを得た人」を 意味する? 加西の五百羅漢に 比
べ ここの羅漢は 笑ったり 怒ったり 非常に表情が豊かで 穏やかな表
情のものは 少ない。
ここまで来ると ホテルは直ぐ近く。 今日の宿 嵐山温泉「嵐亭」へ行き とり
あえず 荷物を預け 渡月橋周辺を散策した。 この辺りは お土産屋さんがある
だけ。 ホテルに戻り 6時から夕食。 コース料理で 食べるのに時間がかかっ
た。 ここの爪楊枝は 多分 クロモジ製です。 7時過ぎてから 嵐山花灯路を
見に行くことに。 行く前 WEBで 「但馬の里から」の画像掲示板を見ていて き
れいなライトアップの写真があったので・・。 しかし 何所にあるのだろうか?
ホテルで貰ったパンフレットの地図を頼りに 常寂光寺へ行くことに。 渡月橋
から真直ぐ北へ 踏切を越え 左へ曲がり ホテルから約2km歩いて やっと
常寂光寺まで辿り着くと もう 8時。 閉門の時間です。 お寺のカラーのライトア
ップを見ることは 出来ませんでした。
小倉山の麓に広がる この辺り 嵐山・嵯峨野地域は「小倉百人一首」撰集の
舞台で 山紫水明の地です。 昼間 明るいときなら 長神の杜、紫式部・歌碑
など見所は多いのでしょう。 南の小倉池辺りまで行き 引き返しました。
あーァ 花灯路には騙された。 足元を照らす小さい露地行灯が並んでいるだ
けでした。 渡月橋は橋桁から下を照らしているだけだし。 でも歩いた道に 人
通りが多かったのは・・・。 渡月橋を渡って 近くの法輪寺へ行った方がよかっ
たか? ライトアップもライブもあった? ホテルに戻り 温泉に入り 1日目は
終了。 ベットが固く 安眠できず・・・。 むにゃむにゃ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二日目は 7時起床。 7時半朝食。 8時半出発。 嵯峨嵐山駅まで歩きます。
午前中は いい天気でした。 途中 天龍寺にちょっと寄り道して 駅まで約
20分。 8:55 の電車に乗り 京都駅に9時過ぎに到着。 9:30 予約して
いた観光バスに乗り込みます。
きょうは 全国高校駅伝の日なので 走るコースと関係のない洛東コースを
観光します。 バスガイドの松尾まちさん 宜しく。 最初は南禅寺。 駅からど
の道を走ったのか 分かりませんが 平安神宮の前を通ったことは確かです。
南禅寺は禅宗の臨済宗南禅寺派の大本山である。 詳しくはパンフレット
を見てください。 ガイドさんに付いて 玄関から本坊に入り 方丈庭園へ。
書院から広廊下を進むと 方丈(清涼殿)広縁に出る。 そこに禅院式枯山水の
庭園があり 優雅 枯淡で品格のある小堀遠州作の借景式庭園で 樹木と石組
みを一ヵ所にまとめた名園。 配置する岩の数は奇数? 凡人には理解できず。
清涼殿に接続された後方の建物 小方丈には 狩野探幽の傑作といわれる
「水呑の虎」の襖絵があるが 暗くて見えなかった。 如心庭、六道庭、中庭を
巡り 建物の外へ出て 赤レンガのローマ風水路を潜って 石段を上がり 南禅
院へ。 水路を流れる疎水を見て 降りる。
法堂の横から三門へ。 三門は一般に山門と書かれるが 正しくは三門。
三門は空門、無相門、無願門の意味で 仏教修行の三解脱を表す? 知り
ませんでした。 南禅寺の三門は 天下竜門と号し 日本三大門の一つで
焼失後 1628年に再建された入母屋造りで 高さ22m。 バスの時間が
あったので上に上がったが 市内の展望は いまいちでした。
バスに戻り 次の高台寺へ。 東山霊山の山麓 八坂法観寺の東北にある
鷲峰山・高台寺は 豊臣秀吉没後 その菩提を弔うために秀吉夫人の北政
所(ねね)が 慶長11年(1606)開創したお寺です。
勅使門から入り 方丈の内部に展示してあるゆかりの品(秀吉の着物や杖
など)を見て 鶴亀の庭へ降りて 臥龍池を見ながら霊屋(おたまや)へ上が
ります。 庭園は小堀遠州の作で 国の史跡・名勝に指定されており その石
組みの見事さは 桃山時代を代表する庭園として知られている。 霊屋は秀吉
と北政所を お祀りしている所で 今の時期 内部が 公開されていて 厨子内
左に北政所 右に秀吉の木像が安置してありました。 北政所は白い頭巾を
被り 当時の女性の正式な座り方 右ひざを立てた姿です。
臥龍廊へ出て 傘亭、時雨亭を廻り 駐車場に戻り 西へ降りて ねねの道
を歩きました。 高台寺「掌美術館」に寄り 北政所が残したゆかりの調度品
を見学します。 掌とは手のひら 小さいという意味です。 高台寺は 「蒔絵の
寺」としても有名で 桃山時代の美術の粋と言われるそうです。
美術館を出て ねねの道を歩いていると 舞妓さんが歩いてきました。
写真を撮らせてくださいと言うと 恥ずかしそうに はにかんで 撮らせてく
れましたが どうやら本物ではなかったようです。 でも 京都の雰囲気は
あります。 去り行く姿も1枚。 顔にモザイクしなくて大丈夫かな?
階段を上がり 駐車場に戻ると 近くに五重塔が・・。 鐘楼の所から撮り
ました。 ガイドさんに聞くと 八坂の塔と言われる法観寺の五重塔でした。
そう言えば バスで八坂神社の朱色の門の前を走った筈だが・・。
この頃には もう すっかり曇り空になっています。 駐車場北にある霊山
(りょうぜん)観音は 中には入らず 入口の所から撮らせてもらいました。
高さは27mあり 女性だそうです。
バスが五条大橋を渡るとき ガイドさんが 牛若丸と弁慶の話を しました
が 弁慶が書写山円教寺を焼き払った件では 私が補足説明をしたかっ
た・・・。 この前 円教寺に行ったとき 鏡池の傍にあった謂れを・・・。
12時を大分過ぎ 京都駅西にあるリーガロイヤルホテルに着き しばら
く待たされ やっと昼食です。 昼食はレストランで バイキング。 バイキン
グはありがたい。 好きなものが食べられる。 まず パン・コーヒーで洋食。
次は ご飯に京漬物の和食。 握り寿司もあり。 デザートはケーキとフル
ーツとソフトクリーム・・・。 時間も十分あるし それぞれ別腹で食べました。
午後は 2時半過ぎから洛東の醍醐寺に向かいます。 国道1号線で東へ。
醍醐寺は 真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる理源大師が・・・(中
略)・・・これが醍醐寺の始まりである。 天暦5年(951)には五重塔が完
成。 山上山下にまたがる大伽藍が整った。 国宝や重要文化財に指定さ
れたものも多く 平成6年に世界遺産に登録された。 きょうは三宝院だけ見
学します。 醍醐寺は 西国三十三カ所霊場の第十一番札所です。
三宝院は 醍醐寺の本坊的な存在であり 歴代座主が居住する坊である。
建物の大半が重文に指定されているためか 内部は庭園も撮影禁止。
何のために来たのか分かりません。 庭園全体を見わたせる表書院は 寝
殿造りで 国宝。 国の特別史跡・特別名勝の二重指定となっている三宝院
庭園は 慶長3年 豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して 自ら基本設計をした
庭で 桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている? 秀吉は花見の後 直ぐ
に亡くなったらしい。 今は 庭の水が抜かれ まるで工事中のようです。
庭には 亀島、鶴島、賀茂の三石、藤戸岩、枕流亭(茶室)などがあるが
写真がないので 侘しい・・・。 下の唐門は 外から見た三宝院です。
こんなことなら 仁王門から入り 国宝の金堂や五重塔を見る方が良かっ
たァ。 早々に引き上げ バスで最後の訪問地 青蓮院門跡(しょうれんいん
もんぜき)へ向かいます。 バスの中でガイドさんが 説明するには 国の
特別史跡、特別名勝の二重指定を受けた庭園が 全国で5ヵ所あるとのこ
とでしたが 帰ってからインターネットで調べると 9ヵ所とあります。
すぐ 京都定期観光バスへ電話しました。 折り返し電話があり 文化庁の
資料で調べると 八ヵ所でしたとのこと。 ガイドの松尾まいさんには教育的
指導を 宜しく お願いしますとは 言えなかった・・。
八ヵ所は 小石川後楽園、旧浜離宮庭園、毛越寺・浄土庭園(東北)、金
閣寺、銀閣寺、三法院庭園、厳島(宮島)と 平城京二坊宮跡庭園です。
ネットにあった高松の栗林公園は 二重指定ではないようです。
最後の観光地は 青蓮院門跡。 また 高台寺の近くまで戻ります。 青蓮
院(しょうれんいん)は 天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして
三千院、妙法院と ともに 知られ 京都にある天台宗の五つの門跡(もんぜき)
の一つで 皇室とかかわり深く 格式の高い門跡寺院である。 門跡とは宝統
を伝えている寺院? 青蓮とは 青く澄み切った如来の眼に 由来する?
平成21年元旦の新聞に 京都御所に関する記事が載っていて その中に
右近の橘、左近の桜も登場しますが 青連院・四脚門の関し 年に一度 神
輿が 通るときだけ使われる扉で 樹齢800年と言われる両脇のクスノキが
門の荘厳さを引き立てるとある。 神が乗った神輿が薬師如来のある皇室ゆ
かりの青連院に入る様は 仏教伝来から 日本に根づいていた神仏融合の象
徴だそうです。 神輿が 門前の急な階段を 勢いよく上がっていく光景は 圧巻
らしいが 四脚門外の石段を撮れなかったのは 残念です。
夕方4時近くになると 雲が厚く薄暗くなり 雨が降りそう。 えっ 雨が降っ
てきた? 気にするほどではありません。
青蓮院に 多くある国宝・重要文化財中 国宝青不動明王画像は日本三不
動の一つとして有名で 五色の不動明王の中では 最上位らしいが 一番奥
の本堂にあり 暗くて はっきり見えなかった・・。 行かなかったのかも? 豊
臣秀吉の寄進 と言われる一文字手水鉢も・・。 なにせ 入口で 貰ったパンフ
レットは 文字の羅列で 図がないので見学しているときは 分かり難い。
薬医門から入り 宸殿、小御所を廻り庭へ降りて 相阿弥の庭へ。 龍心
池を見ながら 好文亭の前から小堀遠州作といわれる霧島ツツジの霧島の
庭へ。 すこし小高い所から庭越しに小御所などの建物を見ながら 庭の外
側を廻り 本堂(熾盛光堂)脇へ降りて 宸殿の南にある右近の橘と左近の
桜を見ながら 大クスの木の下を歩き 四脚門、長屋門の脇を通り 出口へ。
時計は4時半を廻り 暗くなってきた。
これで きょうのコースは全て終り 京都駅へ帰るだけ。 駅に着く頃には す
っかり 夜の帳が降りて まだ5時なのに真っ暗です。 一番昼が短い時期な
ので・・。 新幹線の時間に少し余裕があったので 地下へ降りてお土産を買
い 丁度いい時間になり 駅の電飾ツリーを見ながらホームへ。 17:49の
ひかりに乗り 新大阪で乗替え。 ホームで待っていると やっと隣のホーム
にN700系の最新型・新幹線がホームに入ってきて 撮ることが出来ました。
新幹線の窓は雨で濡れていましたが 幸い 我々は雨にも遭わず 暖かく
いい旅行が出来ました。
天龍寺の龍の天井絵を見ることが出来たし 高台寺では ねねの像も見る
ことができたし 舞妓さんも撮ったし。 二重指定庭園も いい勉強になりま
した。 今度は 予習をして 少し予備知識を持って行かないと・・・。
6月に始めた私の拙いブログをご愛読いただき ありがとうございました。
来年も どうぞ よろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・ おわり ・・・・・・・・・・・・