私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

広島へ墓参り

2016-07-31 16:22:52 | 日記
 7月31日(日)  天気:晴れ or 曇り 一時 雨    室温:32.0℃

 きょう 諸般の事情に鑑み 急きょ 墓参りに行ってきました。 来週末は 用事があるし 再来週は お盆で 道路が
混むことが 予想されるので・・。 姉も 同じ考えのようで お墓にお行くと 既に 姉が お参りに来ていて きれいに
掃除され 花が 飾ってありました。 おかげで 掃除も簡単にすみ 簡単に お参りを済ませることができました。
 我が家の墓は 広島県の中央部の 山裾の 便利の悪い所にあるので 車で行かないと・・。  となると 高速は
休日引きを利用しないと。   ここには 江戸時代末期の天保15年、嘉永5年、文久3年 などに 亡くなった先祖か
ら 以降の人が 葬られています。

 本日の行程は 8:02 自宅・・・12.2km・・・8:22 龍野西IC・・・184.6km・・・10:18 西条IC(3140円)
    ・・・14.1km・・・10:35 墓 11:38・・・13.8km・・・11:57 西条IC・・・186.1km・・・14:40 龍野
    西IC(3140円)・・・15:00 着

 往路 : 210.9km、 復路 : 212kmで 計 : 422.9kmでした。 途中 SA、PAで 何度か休憩しました。
きのう 給油して 満タンにしましたが 目盛りは 半分ほど 減り パネルの表示燃費は 23.4km/Lです。

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丸投三代吉 「夏のはなし」

2016-07-29 14:11:22 | ギャラリー散策
 7月29日(金)   天気:晴れ   室温:33.0℃

 きょうは 青山北3の歓創居へ ”丸投三代吉 「夏のはなし」” を見に行きました。 いただいた案内状
には スケッチのアサガオと アユの 夏向きの 涼しげな絵が 描かれています。 きょうは 姫路市の特定
検診の結果を聞く 予約があったので 10時前に行きましたが 30分以上待たされ・・・。
 歓創居で 絵を見ていると 衣畑さんが来られ 久しぶりに お会いしました。 駅前の山陽百貨店の横に
”漁師のさかな屋” がオープンしたそうで チラシをいただきました。 調理済の魚もあるそうです。







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イーグレひめじで 神崎郡 美術協会展

2016-07-28 14:08:21 | ギャラリー散策
 7月28日(木)   天気:晴れ    室温:33.4℃

 きょうは 姫路へ行きました。 イーグレひめじの市民ギャラリ-では 4つ展示がありますが ミシンキルト展と
日本画・陶芸の一人展は 写真禁止。 ”写真と トールペイントと 版画の三人展” は 半分写真禁止。 ”第39回
神崎郡美術協会展” だけは ゆっくり見ることができました。
 中井三省堂画廊は お休みで 山陽百貨店の美術画廊では ”有名寺院真筆書展” をしていました。 暑い中
を 姫路まで行った割には 収穫は 少なく 苦しきことのみ 多かりき・・・・。

 第1展示室では ”ほのぼの ほっこり 三人展” が行われています。  写真と トールペイントと 版画ですが
写真を撮ってもいいのは 写真だけ。 写真の古門美代子さんは -日本の美しい四季を愛でるー 「私が出会
った美しい日本の四季の風景と花の感動」 私 古門が 写真を楽しむようになって 10年の歳月が経ちました。
その間に 北から南まで 日本各地を旅して 写真を撮ってきました・・・。


 第3展示室では ”第39回 神崎郡美術協会展” が行われています。 香寺町、市川町、神河町、福崎町
などの会員が 日本画、洋画、書、彫塑・工芸、写真の5部門に 約50点を 展示。 陶芸が見たい・・・。 






 1階へ上がり カフェ・ゆうゆうゆうで 休憩します。 きょうは シフォンケーキセットをいただきました。

 山陽百貨店のギャラリー山陽では ”雑貨展” をしています。 美術画廊では ”有名寺院真筆書展” が
行われています。 きょうも 特別なものはなかったので 早めの11:58の電車で 帰りました。

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エルミタージュで 『峯相記』

2016-07-27 15:01:56 | 歴史探索
 7月27日(水)   天気:晴れ    室温:33.0℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ 行きました。 今週は ”創作人形” が展示されていますが
写真禁止!  こんなことは 初めてです。 泣く子と 写真禁止には 勝てません・・。  ところが カフェに
福井さんがおられ いつも 水曜日の11時半に行く 私を 待っておられました。
 この前 FMゲンキの資料 ”姫路の旧街道を歩く 因幡海道篇” を お渡ししましたが 福井さんが 持っ
ておられる ”播磨の中世を読む 口語訳 『峯相記』(西川 卓男 播磨学研究所)” を持ってきていただい
たのです。  今回は この 『峯相記』 の内容について 少し書きたいと思います。 著作権のこともあるの
で 詳しく書くことはできません。
 この本は 目次、原文のコピー(毛筆の底本)、毛筆の活字体、通訳 に分かれていますが ここでは 分
かりやすい 通訳の 私の関心のある部分のみを 抜粋します。
 新宮の埋蔵文化センターで ”「峯相記」の考古学” の展示を見たのは 2012.10.24 です。

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 貞和四年(1348) 十月十八日 私は 播磨の峯相山鶏足寺に 参詣した。 ざっとこのお寺の有様を述
べてみると 人里からは遠く離れていて 俗世間から隔離された 静かで おくゆかしい雰囲気の草深いとこ
ろである。 長い年月を経て 仏法が 徐々に東の国へと(伝えられていく わが国での)最初の地であった。
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 25ページには 老僧宗々格別之談として 花厳宗、真言宗、天台宗、禅宗、涅槃宗・・・・について書かれ
ています。
 39ページには その後も 心閑かに お話をしなさった。 「この寺の起源は 遠い昔です。 神功皇后(第
14代仲哀天皇の皇后・第15代応神天皇の母)が 三韓(新羅・百済・高句麗) を治めなさった時に 新羅の
王子を 人質として 連れて帰りなさった。    その王子の言うことに 『海を渡る間 波風が穏やかで 日本
に着くことが出来ましたら 伽藍を建てたい』 と。 ・・・・・ 王子は 峯相山によじ登り 草ぶきの小屋を作り
千手観音菩薩陀羅尼を 声を出して 一心に唱えなさる。 ・・・・・・

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 41ページには 性空上人が 一夏 この寺に籠って 法華経を一部 永延(987~989)年に 施入なさった。
このお二人の聖人の筆写したお経は 今も残っていると言います。 ・・・・ よく覚えていませんが 書写山
(円教寺) と言いますのは 性空上人が 開山なさった時 花山法皇が 行幸なさった所です。
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 ぺーじは はっきりしませんが 「所々之霊場ノ縁起ヲ尋ヌ」 のところで 播磨(天台)六山が 出てきます。
1.書写山円教寺 2.増位山随願寺 3.法花山(法華山)一乗寺 4.八徳山八葉寺 5.妙徳山神積寺
6.蓬莱山普光寺  について書かれています。
 47ページには 次に法華山一乗寺は 法道仙人の建立。 孝徳天皇の御立願です。 仙人は 天竺で 金
剛摩尼の法を会得されました。 しばしの間に 十方世界に往来します。 空の鉢を飛ばせて お供え物を受
け取り 大化元年(645) の頃 紫雲に乗って 新羅、百済を通り過ぎて 我が国まで飛んできました。
 そして 播磨の国の印南郡の法華山に 留まりなさいました。  谷は 蓮華の花のようで 峯は 八つに分か
れ 蓮の葉のよう めでたい印の雲が 絶えず 峯にかかっています。・・・・
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 此外  粟賀ノ犬寺(金楽山法楽寺)や 白国 亀井寺などの記述があります。
また 答云神明ノ事ハ として 55ページあたりから 播磨五の宮 と言われる 一宮・伊和大明神 二宮
・荒田大明神  三宮・酒見大明神  四宮・白国大明神 がありますが  五宮・高丘神社は?
 一の宮 伊和大明神は 素盞男尊の第一子が 白山神社の神の化身として現れ 神功皇后が 古代朝鮮
半島南部を攻めなさった時 副将軍として戦場へ向かいました。 ・・・・ 副将軍は この国に留まりました。
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 63ページには 魚吹八幡神社は これを推察すると 八幡大菩薩が はじめて御上りの時 この国の神々が
加古郡にお集まりになって揖保川の辺りに ご集会。 御神楽奉納など 祭礼の儀式をしました。  その跡地に
八幡大菩薩を崇敬し奉る(神社を建てた)という由来があります。 それが 魚吹八幡でいらっしゃいましょうか。

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 67ページには また 大石を割って 従わない他の部族の者に見せて 投げたものが 奈良の三輪川から
生駒山を越えて 播磨の国のユスルノ山に落ちた と この伝記に書いてあります。 すなわち 太市の破磐
明神が これです。・・・・これは 神功皇后の三本の矢伝説とは 異なりますが・・・・。
 神亀年間(724~29)に 播磨国 揖保郡 矢田部村に 俗名を武吉丸と言う者が居ました。 出家して 仏門
の道に入り 名を徳道上人と改め 行基僧正に 法相宗について 学問を受け 役の行者が 伝えてきた真言
経を修行して ひそかに三輪山に行っていました。
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 69ぺーじには 広峯神社の記述があり 虚しく下山して 麓の禅寺で 一泊しました時に 老僧が お話しく
ださったことには 「元正天皇の御代 霊亀二年(716) 右大臣吉備真備が 遣唐使として 入唐して 18年
学んだことは 13道 殊に 陰陽道を極め尽しました。 聖武天皇の御代 天平五年(733)に 帰国。
 広峯山の麓に 一泊なさいました。 そこで 夢でもない 現実でもない時に 高貴な身分の人が出てきて
・・・・牛頭天王が その方です。 数年後 平安京が造られたとき 東の方角を守護のために 京都・祇園の
荒町に この神の分霊を請じ 迎えて お祭り申し上げました、との事情があります。 おそらく ・・・・
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 73ページには また 阿倍晴明と 芦屋道満は 一条院の御代 好一対の陰陽道のすぐれ者です。 ですが
道満は 藤原伊周公の言葉に依って 御堂関白道長を呪い申し 道長がお出ましの道に 呪書封した物を 埋め
ました。
 晴明が 勘で 見顕わし 掘り起こしなさいました。 それは すぐに白鷺となって 飛び去ってしまいました。
この罪によって 道満は 播磨国に流刑になり 佐用郡の奥地に住み 帰郷を遂げること無く 亡くなりました。

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BS朝日 ステンドグラス

2016-07-26 13:31:37 | 日記
 7月26日(火)   天気:曇り+雨   室温;30.4℃

 7月25日(月) 夜11時から BS朝日で 職人の手仕事に光を当てる 「アーツ&クラフツ商会」 が放送れま
した。 今回は 再々放送で 時を越える輝き ”ステンドグラス” でした。 
 ステンドグラスは 約1000年の歴史があり アートと呼ばれる 絵でした。 古くは 古代ローマに始まり 当時
は 窓に使われていました。 キリスト教との結びつきが深く キリストが 描かれたり 重要な役割をはたしてい
ました。 江戸末期に 日本に伝えられ 長崎の大浦天主堂のステンドグラスが 有名です。

 日本でも 明治の中頃 ステンドグラスが 作られるようになりました。 技術者や 職人が ドイツへ留学し
日本に 技術を持ち帰りました。 建築などに使われるようになり 一般の家庭でも 使われるようになり
インテリアのアクセントになりました。

番組案内には
 第31回 アーツアンドクラフツ商會店主・柳(坂井真紀)が 注目したのは、西洋からやってきた 煌めく美しさで
人々を 魅了する 「ステンドグラス」。  誰もが どこかで見たことあるこの 「ステンドグラス」・・・。
その技術や 日本での広がりを ご存知の方は 少ないのでは?
 日本で作られるようになったのは 明治中頃になってからのこと。 古代ローマ時代から続く その手仕事を 日本に
持ち帰った先駆者がいました。 先駆者として 知られる宇野澤辰雄が築いた 日本での ステンドグラスの礎や
その広まりも ご紹介します。 そして 美を作り出す方法・職人技とは。

 ガラスの色は 一つとして 全く同じ色はありません。 作品を生み出す 職人達の手仕事は 必見です。
見るだけで 癒しと くつろぎを 与えてくれる 光のオブジェ 「ステンドグラス」 で 今回番組が オーダーした新製品は
もっと 気軽にあらゆる場所で 使えるもの。 本来の用途とは ちょっぴり異なりますが、世界共通の美を日常で
楽しめる逸品です。

 さいたま市の(株)ステンドグラス・バロックを訪れ ステンドグラスの制作工程、職人技を 詳しく見せて
いただきます。 1975年 創業のバロック社は 40年以上の歴史があります。 本格的なギャラリーも
あります。 地震の多い日本では 強度が必要なため 鉛線を使い 全面ハンダで仕上げます。
 まず 概略デザインを スケッチ。 スケッチに色付けし 原寸大に 拡大した型紙を作ります。

 次に 二枚刃のハサミで 型紙を各パーツに切り分けます。 二枚刃のハサミで切ると 鉛線の部分を 自動的
に 切りとることができます。 各パーツごとに並べ たくさんの在庫の中から 各パーツに 使うガラスを決めます。 

 着色ガラスの上に 型紙を乗せて 型紙通りに ガラスを切断。 各パーツができたら デザイン通りに並べ
蛍光台の上に置き 確認。 鉛線(ケイム)は 6種類を 使い分けます。 鉛線を曲げながら 溝に ガラスを
はめ込む。 全体を見ながら はめ込むガラスの順序を考えて。 全体のゆがみを直すと 組み立て完了。


 隙間に ライドを塗り パテを詰める。 次は ハンダ付け。 表裏 全面ハンダ付けします。 

 硫酸銅を塗り 腐食させ エタノールで 研くと 出来上がり。 癒しとくつろぎを与える光のオブジェが完成。

 えっ お客さん なんですか? もっと違うものが見たい? 判りました。 ちょっと変わったものを
作っていただきました。 ほっこりとしたニュークラフトです。 はかなくも 美しい光・・・。

 特別に作ってもらったのは 木の葉をあしらった ステンドグラスのドアストッパー・・・。

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